あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

モロッコ紀行 12 カサブランカ空港

2016-11-30 | モロッコ紀行

 

 

“陽が沈む国“ 
モロッコの玄関口 カサブランカに到着

入国審査では 添乗員から注意があった。
「パスポートに 入国ナンバーが降られるので
必ず確認してください。
これがないと出国できないことがあるので。」と

手書きの英数字を確認し 時間はかかったが
全員何事もなく入国審査を通過
荷物を受け取り 荷物検査は
日本人ツアー組はスルーでした。

 



時刻は 午後2時をまわっている。

日本との時差9時間 

天候は快晴 南国味の風が気持ちを緩めてくれる。

空港の正式名はムハンマド5世国際空港」
モロッコの国王
ムハンマド5世(1909年 - 1961年)を
記念して命名された。

もともとアメリカ空軍の
ヌアッサー空軍基地であった場所に開港した。

現在でも地元民は空港のことを
郊外の地名である「ヌアッサー」と呼ぶこともある。

早速 ツアーバスに乗り込む。
カサブランカ市内へは 
西に約20km先にある。

 

 


モロッコ紀行 11 ジブラルタル海峡

2016-11-29 | モロッコ紀行

 

 

飛行機は ギリシア イタリア上空を経由し
チュニジアからアフリカ大陸の海岸沿いを
西に向かって飛行している。

 

 

そのうち 窓の外には 
大西洋(左)  地中海(右)を挟む
「ジブラルタル海峡」が見えてくる。

アフリカ大陸とヨーロッパ大陸の最短幅は
14kmしかないが
軍事上海上交通上からも
重要な海峡になっている。

 

スペインからは
南部アンダルシア地方最大の港町のアルヘシラス

もしくは 隣町のタリファと
モロッコのタンジェを結ぶフェリーが
所要時間1時間半で運航されている。

この狭さから海峡を取り巻く国々には
海峡の領有権の問題が生じるが 

現在は国際海峡として自由に航行できるようだ。

また 2003年以降 この海峡の底を通る
ジブラルタルトンネルが計画中であるとも。

完成すれば 世界は変わるのでは・・・

 


松尾 芭蕉

2016-11-28 | 人物忌

 

            隅田川と小名木川に隣接する
「芭蕉庵史跡展望園」に座す芭蕉像

 

今日 11月28日は 
江戸時代前期の俳人 松尾芭蕉 が亡くなった日。

1644(寛永21)年―1694(元禄7) 享年51歳

俳諧の芸術性を極め高い句風を確立し 
後世には「俳聖」として

史上最高の俳諧師の一人であり
 世界的にも知られる。

 

    芭蕉稲荷神社(江東区常盤1)

 1917(大正6)年 地元の人たちにより祀られた。

この辺りに 芭蕉の住んだ芭蕉庵があったとされている。

庵の土地は 芭蕉の門人である杉山杉風の所有地で

1680(延宝8)年に移り住んでから
1694(元禄7)年まで ここを本拠地として活躍した。


弟子の河合曾良を伴い 
ここから旅たち 東北 北陸を巡り
岐阜の大垣まで旅した

紀行文「奥の細道」はあまりにも有名。

  

境内には 芭蕉庵跡の碑や芭蕉の句碑が立つ。

小名木川にかかる「萬年橋」脇 

 

 


モロッコ紀行 10 モロッコへ向け離陸

2016-11-27 | モロッコ紀行

 

  

まだ時間はたっぷりある。

空港内を散策中

トルコ名物氷菓 粘る伸びる
「ドンドゥルマ」(アイスクリーム)を

売り子が パホーマンスよろしく練り上げている。

以前食べた味が蘇る。

 

「ドンドゥルマ」はトルコ語で
「凍らせたもの」の意味で 

トルコでは各種アイスクリーム
氷菓全般を指す。

一般的なアイスクリームに似ているが
粘りがあることが特徴で

日本ではトルコアイスとも呼ばれている。


     

そうこうしているうちに
やっとのことで 搭乗手続きとなり
9:55ゲートをくぐり
エアーバス 330-200に搭乗し
10:55イスタンブル空港を離陸する。

 

 

 


モロッコ紀行 9 チャージ

2016-11-26 | モロッコ紀行

 

 

待ち時間に WiFiを使っているうち
スマホの電池が消耗してしまう。

空港には 無料で充電する箇所があるが
現地の電気プラグが必要で
そのプラグはスーツケースの中
これ以上使用不可になってしまう。

 

 

 空港内を散策中 チャージ機があって
各種のプラグに対応していている。

1ユーロで充電できるようなので
早速やってみたが

充電時間は長いが
それほどの充填ではなかった。



 

それでも 諦めきれず 免税店で
 携帯式充電器を購入して充電する。

しかし これもわずかばかりの
充電で終わってしまった。 

ついに スマホをカバンに収めることに・・・

 

 


モロッコ紀行 8 礼拝所

2016-11-25 | モロッコ紀行

 

 

空港内で「礼拝室」を見る。


イスラム教徒(ムスリム)の
礼拝所 礼拝室を「masjid」(マスジド)といい 

礼拝の最も重要な部分とみなされる
平伏(スジュード)を行う場所を意味している。
 

ムスリムは 一日に 5回の礼拝を毎日行うので
外出先や観光中などは
礼拝時間がきても礼拝する場所がなく

苦情が多々あるそうだ。

ムスリムにとって礼拝は信仰であり
毎回礼拝の時間(1回約5〜7分)を

神に捧げるが 旅行中であっても
時間がくれば礼拝をする。

旅行中に礼拝が出来ないとなれば
楽しいはずの旅が 
観光どころではなくなってしまうので
ムスリムは旅行を決める際に必ず
礼拝所の有無を確認している。

現在 世界中の観光施設や商業施設
空港などでこの礼拝所が設置されつつあり
ムスリム観光客の不安は
徐々に解消されているとのこと。

 

 


モロッコ紀行 7 イスタンブール空港

2016-11-24 | モロッコ紀行

 

 

イスタンブール空港での

乗り継ぎ便は午前11時前だ

時間を潰すうち 不夜城の空港も夜明け 

東の空には見慣れたブルーモスクの

ミナレットが見えてくる。

この待ち時間を利用して

市内観光をする参加者は いなかったようだ。


家人は 心得たもの 

早速 編み物で時間を うまく利用している。

こちらは 空港内を散策へ。

 


樋口 一葉

2016-11-23 | 人物忌

 

 

今日 11月23日 

小説家・歌人として明治期に活躍した

樋口一葉 が亡くなった日。

1872~1896年 結核のため 享年24歳

その終焉の地は 

文京区西方(旧・丸山福山町)白山通り沿いにある。

 1894(明27)年 10カ月住んだ

台東区(旧・下谷区竜泉)を

引き上げ この地に移っている。

うなぎ屋の離れで 6畳2間と4畳半の3間

庭には がけの湧水で 造られた池があったという。


ここの隣り合わせの銘酒屋の女性をモデルに

名作『にごりえ』が 生まれた。

また 『大つごもり』『たけくらべ』『ゆく雲』
『十三夜』など 代表作が数々ある。


石碑には “池の上の家” があったことがわかる。

なお 碑は 平塚らいてう の筆による。

 


徳川 慶喜

2016-11-22 | 人物忌

 

                 



今日 11月22日 江戸幕府・最後の将軍

 徳川 慶喜 が亡くなっている。

1837(天保8)年―1913(大2)年 享年76歳

終焉の地は 文京区春日にあり
  現在は 国際仏教学大学院大学の敷地になっており
大銀杏が その名残として残されている。

慶喜は 水戸徳川藩主斉昭の七男として
小石川の上屋敷(現在の小石川後楽園一帯)で生まれた。


一橋家の家督を継ぎ
1866(慶応)2年 第15代将軍に就任する。


翌年 大政を奉還したが 
鳥羽伏見の戦とそれに続く江戸城開城の後
恭順の意を表し 水戸にて謹慎の後 駿府に隠棲した。


1897(明30)年 東京に戻り
1901(明34)年 この地に移り住んだ。


慶喜は のちに公爵 勲一等旭日大綬章を授けられ
 1913(大2)年 急性肺炎のため この地で没した。

 

 墓地は 1968年(昭和43)年 
明治100年を記念して整備された。

  

左の円墳が慶喜の墓 右は妻・美賀子の墳墓

歴代の将軍は 港区芝の増上寺か
寛永寺に埋葬されているが 

慶喜は 上野谷中霊園に埋葬されている。

これには 訳があって 
謹慎生活後 明治天皇から
華族の最高位である公爵を授かり

明治天皇に感謝の意を表すため
自分の葬儀を仏式でなく
神式で行うよう 遺言を残したため

一般皇族と同じような円墳が建てられたという。

 


モロッコ紀行 6 イスタンブール

2016-11-21 | モロッコ紀行

 

 アタテュルク空港

 

夜の西回り便は
夜を追いかけて飛行するので
外の景色も見えない。
ということで 食事後 寝ることにした。

 

現地時間 午前4時過ぎ
8年ぶりにトルコ最大の
アタテュルク空港に着く。


ここで 今回ツアー参加 17名 全員が揃う。

また 当方はこれまでのなかで
エジプトの1回 男性添乗員であったが
やはり アフリカは 男性添乗員が
優先されているのだろうか?

空港は 24時間開かれていて 混雑している。
しかし 3か月前の6月には
この空港で 銃撃と自爆テロ事件があり

40人以上が死亡しているのだが
もうそんな様子は 今は何処にも見られない。

乗り継ぎ便は 午前11時前の出発
まだ搭乗ゲートも確定していない。

約6時間 ここで時間を
待機しなければならない・・・。

 

 


モロッコ紀行 5 ターキッシュエアライン

2016-11-20 | モロッコ紀行

             

 

搭乗便は ターキッシュエアライン53便

乗り継ぎ空港 イスタンブールまで
 所要時間 11時間29分
機種は ボーイング 777-300

 トルコには 2008年に訪れているが
当時は 直行便がなく
アエロフロート・ロシア航空

モスクワでの乗り継ぎであった。

ターキッシュエアラインは
今回 初めての搭乗である。

2014年 トルコ航空は
ターキッシュ エアラインズに
日本語社名を変更し 略称
は「THY」に

また 2008年 スターアライアンスに
加盟しているので
マイレージ登録は ANAになっている。

 


モロッコ紀行 4 出発

2016-11-19 | モロッコ紀行

 

 

2016年10月 出発の当日がやってきた。

事前に添乗員から

「トルコ航空は搭乗時間を早めることがあるので
集合時間を早めてきてください。」というので
 予定より30分早く自宅を出て車で成田に向かう。

やはり 出発時間は30分早まっていた。

これまでは陽のあるうちの出発が多かったが
今回のように夜の出発は初めて。

受付を終わるころは 空港内の店は閉店し
当然ラウンジも利用時間が過ぎていた。

 

 

 

搭乗機の座席もすでに指定されていて
希望する窓側ではなかったが 
離陸直前
 窓側の空席を見つけ移動することができた。

離陸後 眼下に 東京湾を囲み
光るペンライトのように 夜の東京が
見送ってくれている。

 

 


徳田 秋声

2016-11-18 | 人物忌

 

 
今日 11月18日 
小説家 徳田秋声が亡くなっている。

 1872(明4)─1943(昭18)年 享年71歳

泉鏡花 室生犀星と金沢の三文豪のひとり
徳田秋聲(1871~1943)は
尾崎紅葉の門下を経て 
田山花袋 島崎藤村らとともに明治末期
日本の自然主義文学における
代表的作家として文壇に名乗りを上げた。


その後 明治・大正・昭和と三代にわたり
常に文壇の第一線で活躍した。

作品「縮図」は 
川端康成から「小説の名人」と称賛され
技巧の高さとともに
つねに弱者への視点を忘れぬ
庶民の生活に密着した作風を特徴としている。


私生活では その分け隔てのない人柄が
多くの文壇人に愛されたほか
映画やダンスをも好んだという。

  主な作品に
「新所帯」「足跡」「黴(かび)」「爛(ただれ)」
「仮装人物」「あらくれ」「縮図」

 

 文京区内に通算40年間住み
亡くなった旧宅には38年間も住み続けた。

「生きのびて又夏草の目に沁みる」秋声 

 

 

 


弘田 龍太郎

2016-11-17 | 人物忌


 

  台東区谷中「全生庵」に眠る。

今日 11月17日 
作曲家 弘田龍太郎 が亡くなっている。
 
1892(明25)- 1952(昭27)年 享年60歳

 高知県安芸市土居に生まれた。
父は 教育者で 高知県議会議長を務めた弘田正郎。
母 総野(房)は一絃琴の名手で 龍太郎の音楽的才能は
母から受け継がれたものと いわれている。


1910(明43)年東京音楽学校(現・東京芸術大学)に
入学し 本居長世に師事。

1914(大3)年 卒業と同時に母校の助手を勤めたが
1917(大6)年 作曲部が新設され再入学
修了後は 同校講師 助教授となる。

本格的な作曲活動は この頃から始まる。

宮城道雄を中心とした新日本音楽運動にも参加し
琴・三味線を主体とした当時の舞踊界に
洋風の伴奏を取り入れた。


その後 北原白秋を中心とした
童謡運動「赤い鳥運動」にも参加する。

「春よ来い」「叱られて」などの名曲を次々と発表し
童謡・歌手作家としての地位を確立した。
晩年は 幼児教育に携わり
放送や講習会 リズム遊びの指導にあたった。

 作曲の中には 今でも我々が
口ずさむことができるものが多い。

 「靴が鳴る」「雀の学校」「雨」「鯉のぼり」
「お山のお猿」「叱られて」「春よこい」「金魚の昼寝」

 他に 歌曲「浜千鳥」「小諸なる古城のほとり」
「千曲川旅情のうた」

その他 オペラ 仏教音楽 映画音楽 などもある。

 

 


モロッコ紀行 3 世界遺産

2016-11-16 | モロッコ紀行

  


今回の申し込みの理由の一つに

昨今の各国の治安もある。

いつ テロに遭遇するかもしれない
不安定要素が多い中

アフリカ大陸の中で モロッコは 
2011年の「アラブの春」で新憲法が制定され
総選挙で新政権が成立し 住民からの支持を集め
地方分権 地域格差の是正政策も打ち出され
治安も比較よいという。

また モロッコの世界遺産は 意外に多く
現在 9か所登録されており
アフリカ大陸の中で エチオピアと並んで一番多い。

そして モロッコ南部には サハラ砂漠があり
ラクダに乗って 砂漠の日の出を体験できるのも。

今回 見学できる世界遺産は

  1 首都ラバト:近代都市と歴史的都市が共存する首都
  2 フェズ旧市街:巨大な迷路のような街
  3 ヴォルビリスの古代遺跡:保存状態のとても良い古代ローマ都市の遺跡
  4  古都メクネス:17世紀の面影を残すマグレブの都市建築様式
  5  アイト・ベン・ハッドウの集落: ハドゥ一族が築いた城砦のような邸宅
  6  マラケシュ旧市街:「神の国」を意味するモロッコ第4の都市
   7  エッサヴィラ旧市街: リゾート地としても人気がある

 

 追: 先日のニュースでは
世界遺産の登録は 現在 1千件を超えるそうで

2020年の登録からは その登録審査件数を
上限45件から35件に削減し
1国1件の推薦とするとあった。