あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

北海道旅行(20) 十勝川温泉

2011-09-30 | 国内・北海道

 

 

  十勝川温泉は 植物が堆積した層から湧き出る温泉は
 “モール温泉”と呼ばれ、純植物性で温泉熱の人体皮下
 浸透度が非常に高く 短い時間で体の芯までポカポカに
 温まる。また、天然保護成分が多く化粧水の役目も果た
 すため、美肌の湯と呼ばれ 世界でも珍しい泉質になって
 いるが 入浴は時間の都合で通り抜けになってしまった。

  また 周辺には 葦の生え茂る湿地帯に点在する沼が
 極寒の冬が訪れても凍ることなく 動物たちが傷を癒しに
 来ていたと伝えられている。
 2004年には北海道遺産にも選ばれた。

 しかし 震災以降 どこの温泉街も同じで それぞれ
 いろいろな イベントやキャンペーンなどをしているが
 観光客の姿が見えない!
 早く元のように活気のある街になってもらいたいものだ


北海道旅行(19) 帯広

2011-09-29 | 国内・北海道

 

  帯広駅は 1905(明治38)年開業し 十勝地方の
 中心都市・帯広の玄関口になっている。
 かつては 国鉄士幌線 国鉄広尾線の分岐駅だった。

 1996(平成8)年に帯広連続立体交差事業完成し
 駅舎は日高山脈稜線をイメージした山型のホーム
 壁面やレリーフが目立ち近代的な装いへと変化した。
 1988年に始まった”駅コン”は今も続いているとのこと。

 帯広の市名はアイヌ語の「オ・ペレ・ペレ・ケブ」(川尻が幾つにも
 さけたところという意味)が 次第に”オビヒロ”になったと言われる。

 帯広市街地は 札幌と同じく碁盤の目のようになって
 いるが東西が条 南北が丁と札幌と逆になっている。

 また 駅の南側の道路はは斜めになっているのは
 米国・ワシントンならって延焼防止のためだそうだ。 

 郊外大正地区には「カニの家」なる施設がある。
 昭和40年ごろ リュックサックを背負い 今風では
 ”バックパッカー”というが 道内を周遊する
 若者が多くいたが その歩く後ろ姿が”カニ”に
 似ていることから その若者を”カニ族”と呼ぶようになり
 昭和46年にカニ族が宿泊できる臨時宿泊所が
 もうけられ この施設を「カニの家」と呼んでいる。
 現在も夏の期間 徒歩 自転車・バイクライダーに
 無料で開放されている。

 

 

 


北海道旅行(18) ジンギスカン鍋

2011-09-28 | 国内・北海道

 

 

 帯広というと 当方が思い出す人いる。
 帯広出身で帯広畜産大学に籍を置いた
 こともある 岡本太郎似のM氏 職場の先輩で
 正に”仕事は爆発だ!”と バイタリティーの
 あった人であったが 今は鬼籍の人となった。

 花見 暑気払い 等何かにつけ
 外でござを敷き 七輪で”ジンギスカン鍋”を
 車座になり つついたが M氏自家製の”タレ”が
 美味いかった。

 このタレには リンゴ ニンニクや野菜を刷り込み
 味付けしている 今でもジンギスカンというと
 M氏の顔が浮かんでくる。

      

 

 ということで 市の南部にある 帯広畜産大学を
 訪れるてみる。
 1943(昭和24)年に 国立大学唯一の
 獣医農畜産系の単科大学として設立されている。

 
 
 

 


北海道旅行(17) 愛国駅

2011-09-27 | 国内・北海道

 

   愛国駅から幸福駅までの片道乗車券を模したモニュメント。

  「幸福駅」の二つ先にある「愛国駅」は 広尾線の廃止に伴い
 1987年に廃止されたが
 駅舎は改修され 交通記念館となっている。
 館内では当時使用していた切符 パネル 記念品等
 館外には蒸気機関車9600型
 (19671号)を展示し
 また 記念館の
周辺は公園として整備され ハート型の
 噴水遊具 バーベキュー小屋などが設置されている。

 駅名の由来となった地名は「愛国青年団」という名の
 開拓団があったことによる。

 
 こちらは 幸福駅よりも観光客が少ないが ディスプレイ等
 も整備されており 落ち着いて見学できた。


   なお 「恋人の聖地」とは NPO法人地域活性化支援センターが
  主催する「恋人の聖地プロジェクト」により選定された
  デートスポットをいう。
  自然に囲まれた場所 夜景の綺麗な場所 記念品が作られる
  場所などが選定され 最初の発表は2006年4月にあった。
  愛国駅も
幸福駅とともに選定されている。

    


北海道旅行(16) 幸福駅

2011-09-26 | 国内・北海道

 

  1973(昭和48)年3月 NHKの紀行番組 『新日本紀行』 
  『幸福への旅 ~帯広~』 が放映された。
 明治30年福井県からの集団移住者により開拓が始まり
 駅周辺に住む人たちの小さな幸せを綴ったドキュメンタリー
 が紹介されたことから 知名度が上昇した。

 また 歌手 芹洋子さんの『愛の国から幸福へ』がブームの
 きっかけにもなった。

 広尾線には 愛国 幸福 新生と”おめでたい駅名”が多く
 あったことから 観光客が訪れていた。
 1987(昭和62)年2月 広尾線廃止後も 観光客が絶えず
 他の廃線跡とは違い 愛国 幸福の両駅は観光地となった。

 幸福駅は 待合室 ホームが そのまま保存され
 プラットホームにはディーゼルカー2両と
 モーターカー1両が 展示されている。
  
 ホーム入り口には「幸福の鐘」があり 若いカップルが
 将来を夢見てか鐘を鳴らしていた。 
 
  
 

  待合室には名刺や定期券などがびっしりと貼り付けられている。

 


北海道旅行(15) 六花亭

2011-09-25 | 国内・北海道

 

  
    国道236号と道道清水大樹町線の分岐点にある
 道の駅「なかさつない」へ

 この中札内村には 中札内美術村があり また
 お菓子で有名な帯広に本店を置く六花亭の「六花の森」もある。

 「六花亭」といえば 北海道の野山に咲く花を描いた
 六花亭の包装紙が有名だが この包装紙が坂本竜馬と
 関係があるというと驚くが 描いたのは 竜馬の兄の
 子孫である坂本直行という人 山岳画家としても有名で
 村内には美術館も置かれている。

 

   


 また 六花亭の菓子では「マルセイバターサンド」が
 当方としては一番美味いと思うが この包が
 他の菓子の包と違ったクラシカルなデザインになっている。

 丸の中に「成」の字 その左右「バ」と「タ」の字とある。
 この「マルセイ」の由来は 通過してきた大樹町の海岸側に
 晩成温泉があるが その近くにあった 十勝開拓の祖
 依田勉三が創立した晩成社牧場が バターを発売した
 当時に使用したラベルを用いている。

 因みに「六花」は 雪の結晶が六角形であるところから
 きている。

 

   


北海道旅行(14) 花畑牧場

2011-09-24 | 国内・北海道

   

 

   虫類から帯広に向かう 国道236号線からそれて花畑牧場へ。
 今ではすっかり十勝の観光牧場になり 大型バスも駐車が
 できるよう整備されている。

 元フォーク歌手でタレントの田中義剛さんが 1992年に
 会社設立し経営している。
  石屋製菓の北海道土産 ”白い恋人” が賞味期限問題で
 土産店から撤去された間隙をぬって 花畑牧場の
  "生キャラメル” が代わって大ヒットした。

 訪れたときは丁度 田中牧場長が店内に居り(左端) 何か
 接客中だったが。
 また敷地内には チーズ工場やスイーツ工場があり 
 作業の様子を窓から見学できるようになっている。

 当方もご他聞にもれず お土産に何点か買い求めた。
 
  

  

 

 


北海道旅行(13) ナウマン象

2011-09-23 | 国内・北海道

 

  襟裳から 帯広方面へ

 かつて広尾線のあった「広尾」「豊似」を通過し 道の駅「忠類」へ 
 アイヌ語で
 「チュウルイベツ」(急流の意)に由来して
 現在は2006年に隣接する幕別町に編入合併している。

 この村を有名にしたのは 1969(昭和44)年に日本で
 初めてナウマン象の化石が発掘されてから。
 そしてナウマン象が村のシンボルになり
 「ナウマン象記念館」もある。
 また 「ナウマン温泉」も隣接してあり アルカリ性単純
 温泉41度に浸かり疲れを癒した。
 

  

 

               記念館前にある ナウマン象親子の生体復元模型

 


台風一過

2011-09-22 | 出来事・行事

 
 台風15号は上陸し 自動車並みのスピードで過ぎていったが
 風の犠牲になった傘が あちこちに無残にも捨てられていた。

 通勤客は 早めの帰宅が裏目に出て 混雑で駅に入れず
 電車やバスの時間待ちのための飲食店等にも入れなかった。
 また たまたま乗れた電車が 途中でストップし
 車内に何時間も缶詰状態なり 再び帰宅困難者となって
 散々の目にあったとも

 一方 川の状態を見に行く 屋根に上るなどする人が
 死んだり不明者となっている。 こんな状況の中どうして
 こんな行動をするのかと思うが 人災になってはいけない。  

 いづれにしても この国は台風 豪雨 豪雪 地震 津波 噴火 
 土砂崩れ 竜巻 落雷等の自然災害の渦の中にあるようなもの
 それらに 対応した備えや
 危機管理は行政だけではなく
   一人一人が日頃から考え 行動をとらなければならないと。

 


北海道旅行(12) 黄金道路

2011-09-21 | 国内・北海道

      
              (写真撮影ができなかったため 広尾町HPから借用)

 

  襟裳から 帯広方面へ

 国道336号は 浦河町~釧路市 156.5kmで その内
 えりも町~広尾町 33.5kmが通称「黄金道路」になって
  おり 「日本百名道」にも数えられている。

 なぜ「黄金」なのか?
 この道路を建設するに当たり 断崖海岸のため 黄金を
 敷き詰めるほどの建設費がかかったところから名づけられた
 という。現在もトンネルや防護壁の整備が所々で行なわれて
 いた。

 この道路 道内一の記録を持っている。
 平成18年までの10年間に通行止めの回数が112回と
 道内の国道で最も多い。
 また今年2月に完成した 「えりも黄金トンネル」は 4941mと
  道内のトンネルで最長。

 夜 小雨 霧と条件が悪かったので
 写真のような上天気の日に またドライブしたい道路である。
 

  


北海道旅行(11) プロジェクトX

2011-09-20 | 国内・北海道

 

 

  写真の看板を見て かつて NHKの「プロジェクトX」
 (2000年3月~2005年12月 全191本放送)という
 名物番組があり また中島みゆき が唄う この番組の
 テーマソング「地上の星」もヒットしたことを思い出す。

 その第43回「えりも岬に春を呼べ」(襟裳岬の森林植林活動)
 (2001/3/6放映)があった。

 明治以降 北海道開拓人により暖房用として森林が伐採されて
 そのため 防風林を失い 家も畑も全てが砂で埋まり 
 また土砂が流失し海底に沈み 昆布に影響を与え「泥昆布」と
 品質が下がってしまった。そこで昭和20年に漁師の家族たちが
 海を守るため 森林再生に取り掛かる。試行錯誤 苦難の連続
 の中45年かけて砂漠化した土地の70%が森林となり緑化された。
 その結果 砂の被害もなくなり 漁獲量が上がり 昆布も品質が
 向上した。

  漁師が言う「漁師は海だけのことを考えればいいということはなく
  山が荒れると海が荒れると・・・」

 このとき 初めて ”森林が海に影響がある”ことを知った。

 

 

 


北海道旅行(10) 襟裳岬(2)

2011-09-19 | 国内・北海道

  

   

   1974(昭和49)年に流行した 歌謡曲「襟裳岬」の碑が
   建てられていた。歌詞をみて自然と口ずさんでいたが
   この歌が流行ったのは
 この時の世相がヒットに
   導いたのかもしれない。

   また「襟裳の春は 何もない春です」のフレーズが
   印象に残るようだったが ここ地元では 反発をかった
   ところでもある。
       

   ところで 当方の 昭和49年はどうだったろうか?
   改めて振りかってみたが ”特記事項なし”
   それこそ「何もない 年でした」ということは
   ”平穏無事”であったということでしょうか!

   『襟裳岬』    
     作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎、歌:森進一

    「一 北の街ではもう 悲しみを暖炉で
     燃やしはじめてるらしい
     理由のわからないことで 悩んでいるうちに
     老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月を
     拾い集めて 暖めあおう
     襟裳の春は 何もない春です  」
   
  
  *この年のおもな出来事は
    東京丸の内三菱重工ビルの爆発事件
    東京多摩川の堤防決壊
    巨人軍長島選手の引退試合
    田中内閣の金脈事件 
                  など暗い事件多い。 


 


北海道旅行(9) 襟裳岬(1)

2011-09-18 | 国内・北海道

 
  「襟裳岬」に到着 時計はすでに午後5時を回って 
 土産屋も店閉じを始めていた。 雨は上がり
 霧で見え隠れする夕日の中 
遊歩道を歩いて岬に先端へ

 襟裳岬は 日高山脈の南端部にあり 沖合7kmまで岩礁が
 連なっている。岬の周囲は60mの断崖で 三段なる海外段丘
 により 眺望が開け 日高山脈襟裳国定公園の中核的な
 観光地になっているが 霧が少々景色を邪魔していた。

 

     

  襟裳岬灯台は海抜73 mに位置し、光達22海里
  1889年に初点灯した。
  沖合で暖流の黒潮(日本海流)と寒流である親潮
  (千島海流)とがぶつかり、
  農務が発生しやすいため 2009年までは
  無線方向探知局もあった。

  また風が強いことで知られる。
  風速10メートル以上の風の吹く日が 
  年間290日以上ある。

  強風を体験できる「風の館」なる施設も
  あったが 時間外でした。

 

 


北海道旅行(8) えりも町

2011-09-17 | 国内・北海道

   国道235号 先の襟裳へ 途中三石から30km 様似町
  JR日高本線(苫小牧から146.5km)の終着駅 昭和12年に
  開業した「様似駅」がある。
  計画では 襟裳岬を回って「広尾」を経て「帯広」まで延長する
  ことだった。

  いよいよ「えりも町」(1970・昭45年改称)へ 町名の由来は
  アイヌ語で 「エンルム」(岬の意)とのこと。

  最近”ひらがな”の市町村名が多くなった。また因みに北海道
  では
森町を除いて”町”は「マチ」ではなく「チョウ」というそうだ。

  写真は ”えりも公園”にある 明治24年に建てられて当時の
  「襟裳灯台」が記念碑として残されている。
  毎年この時期  ”えりもの灯台まつり”が この公園で開かれ
  当方が訪れた
日は3日間の最終日で 夕方灯篭流しがある
  とのことだった。

 


北海道旅行(7) 新ひだか町・名馬

2011-09-16 | 国内・北海道

 

   

  新冠町に入ると 「判官館森林公園」なる標識を見る。
 何故「判官」か?
 調べると 源九郎判官義経が兄頼朝に追われ蝦夷地に向かい
 流れ着いたところが この地だからのようだ。

 この33km先には 道の駅「みついし」がある。
  三石町は 静内町と2006(平成18)年に合併し
 「新ひだか町」になった。

 最近 地震速報などで この町名を聞くことが 多くなっている
 少々心配だ。

  ここでも名馬 トウショウボーイ オグリキャップ ウイニングチケット
 を輩出している。 
 一方
 名馬と違って 勝つことができずに連敗を重ねて
 2003年頃に 
名馬?になった 「ハルウララ」も この町の牧場で
 1996(平成8)年に 
生まれている。