あかない日記

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東欧旅行(33) 蒸留酒「ラキヤ」

2012-11-30 | 東欧5カ国紀行

 

             売られている蜂蜜 蒸留酒等
 

   バスは 隣国ボスニア・ヘルツゴビナへ向けて進む
 
  途中 小さな村の酪農家が営んでいる屋台店にて
      トイレタイムとなった。
 

  写真は その店頭にある商品 蜂蜜 ラキヤ ワイン サラミ その他
      瓶詰め物もあり
 試飲・試食させてくれた

   ラベルは 全部 世界遺産「プリトヴィッツェ湖群国立公園」。

   当方 差し出された コップに手が伸び 試飲して
     あまりの強烈な刺激に 
吐き出してしまった。
    
   何と“ニンニク”のラキヤだった・・・。  

  「ラキヤ」は 発酵させた果実から作られる蒸留酒であり
    バルカン半島諸国で
生産され 国民的飲料として
     日常的に飲まれている。

   スモモ ブドウ モモ アンズ リンゴ ナシ サクランボ 
    イチジクなど果実であれば
何でもよいようだ。
      また 蒸留後に味付けとして ハーブ ハチミツ スミミザクラ 

       クルミなどが加えられることもある。

   アルコール度数は40%程度だが 自家製のものでは
    50%~60%程度のものある。

   名称は トルコの蒸留酒ラクに由来しているが
     ラクとは異なる飲料になるそうだ。

 

 


東欧旅行(32) 要塞の町「セニ」

2012-11-29 | 東欧5カ国紀行

 

                              遠く「セニ・ネハイ要塞」が望める

   

    バスは南下を続け 「セニ」 という町のカフェで休憩

    海岸脇には階段があったので 海辺まで降りてみる 

     波しぶきが岩場に砕け 海風が心地よい。

   この町 クロアチア リカ=セニ郡の都市及び基礎自治体で

       北アドリア海沿岸の
都市では 最も歴史が古い町。

        カトリックのゴスピク・セニ教区に含まれ 

         カトリック教会のリエカ大司教管区に含まれる。

  セニで もっとも有名な記念物は 「セニ・ネハイ要塞」 である。

   写真では 遠く丘の上に聳えているのが見える。

       現在では アドリア沿岸の観光地となっている。

  気候は 地中海性気候で  夏は爽やかで乾燥しているが
   地理的な影響から  特に冬は アドリア海沿岸の他の地域同様に
    北東の強い風である 「ボーラ」 が吹き付けるそうだ。
     その時は 高速道路も閉鎖されることもあるとのこと
       このツアーでは そんな心配もなかった。

 


東欧旅行(31) 川の町「リエカ」

2012-11-28 | 東欧5カ国紀行

 

 

  バスは  クロアチアに入り 山間を抜けると

   目の前に 「アドリア海」が広がってきた。

     雲間からは光線が漏れ スポットライトのように海を照らしている。

   更に 海岸にそって南下する。

    途中 “川” という意味を持つ町 「リエカ」 を通る。

   街の中央を「リェチナ川」が流れ、中世の面影が残る街だそうだ。 

    また 工業と貿易で発展する都市で クロアチア最大の貿易港でもあり

    アドリア海を渡る大型フェリーの拠点となっていて

     日本の 「川崎市」 とは 姉妹都市を結んでいる。

     特に 1月~3月の10日間行われるカーニバルが有名とのこと。

 

 


東欧旅行(30) 「感謝」!

2012-11-27 | 東欧5カ国紀行

 

    また 両替所の壁にも 日本語「ありがとう クロアチア」を発見!

     クロアチア語「HVALA」とは「感謝

 ポスターには 東日本大震災の写真が これはと思い調べ

   資料によれば

    「大震災後、ザグレブ市内を行進していた5000人のデモ隊が、
     日本大使館の前で立ち止まって献花や黙祷を捧げて哀悼の意を
     表明したり クロアチア赤十字社より 銀行への送金により集めた
     21万281クーナ(約327万円)の寄付金、専門ダイヤルによる
     電話を通じて集めた8万8389クーナ(約138万円)の寄付金、
     クロアチア共和国政府が拠出した350万クーナ(約5448万円)の
     寄付金を 日本赤十字社へ東日本大震災の義援金として贈ったり
     するなど クロアチア国民は日本に対する根強い連帯感を示した。」

   とある。 

  このようなことから クロアチア国民に対して
    日本側が感謝のポスターとして 掲示されているものと思う。

     毎日NHKTVでは復興支援ソング「花は咲く」が流されている。
      あれから1年半が経つたが 世界から寄せられた義援金は
        どうなっているのだろうか?


東欧旅行(29) 「交換」

2012-11-26 | 東欧5カ国紀行

 

 ポイストナ鍾乳洞の見学後 洞窟入り口脇にあるレストランで昼食を終えて

   スロベニアからクロアチアに入国し  国境の町「ルパ」へ

  ここで両替する。 円から「クーナ」に両替 

   ところで 窓口には「交換」「1¥」と日本語の掲示が! 

    日本観光客が多く利用しているとみえる。

     しかし 常時日本人とは限らない。

      ということで 日本人観光客がバスで到着すると

       吊り下げられるようになっているので 架け替えているかもしれない。

 

        両替して 得たクーナ紙幣  

 200クーナ 19~20世紀に活躍した政治家「ステファン・ラディック」(1871~1928)

  20クーナ 19世紀の領主「ヨセフ・エラチェック」(1801~1859)

    どの国の紙幣も 頭髪は薄くても ヒゲの持ち主が多い。偽札防止対策!

 

 

 

 

 


東欧旅行(28) 地下水

2012-11-25 | 東欧5カ国紀行

              (パンフレットから)

  鍾乳洞内に 地下河川「ビウカ川」が流れていて

    出口近くに 音を立てて流れている様子が窺えるが 何せ暗い。  

     流れは 洞窟から「リュブリャーナ川」へ流れ

       更に 「サバ川」から「ドナウ川」へと名前を変えながら流れ

         ”黒海”に注いでいく。

  この地底に響く流れを聴いていると 何か神秘さが伝わってくる。

  また 洞内の一箇所で 照明を何秒間か消えたが

   ガイドが故意に消して ”真の暗闇”を体験させてくれた。

     洞内の暗闇と流れの音は
       母親の胎内にいるような ”自分の原点”を・・・・感じる!。

     
  

 

 


東欧旅行(27) 類人魚

2012-11-24 | 東欧5カ国紀行

 

   ポストイナ鍾乳洞入口にあるプロテウスの展示施設の看板

    

  洞内 見学終わり近くに 大きな水槽がある。
   この中で「類人魚」が飼われているのだが
    ”ウナギ”というよりも”蛇”の親戚のようで
     また 暗くてどこにいるのかも分からないほどだった。

   「類人魚」(ホライモリ)は 「プロテウス・アングイヌス」という
      両生類でイモリの仲間。

   人間のような肌色をしていることから
     このように呼ばれるようになったという。

   目はすっかり退化して盲目となり エラ呼吸と肺呼吸を使い分け
     1年近く何も食べなくても生きていけるという珍しい生き物で
       寿命が長く80~100年とも言われている。

  


東欧旅行(26) ロシア橋

2012-11-23 | 東欧5カ国紀行

 

                              「ロシア橋」 (資料から)

 

  何故 こんなところで「ロシア橋」「ロシア回廊」の名が
 
     あるのだろうと不思議だったが

    「ロシア橋」は 第一次世界大戦中に捕虜になった
      ロシア兵が造ったから その名が残っていると 単純なことだった。

   全長約100mの
ロシア回廊を出ると 入口より20m 地上より100m深い
     観光コースでもっとも低い「スパゲッティ・ホール」の真下になる地点に
      着く。

   更に進んで ポストイナ鍾乳洞のシンボルになっていて
    入場券(前回に掲載)にもプリントされている。
      表面が白く輝く 鍾乳石「ブリリアント」へ。
        こんなに大きくなるまでに
         どれだけの歳月を要したのだろうか・・・
       

 

        「ブリリアント」 (資料から)


東欧旅行(25) 石筍

2012-11-22 | 東欧5カ国紀行

     

                   入場券 (徒歩区域は撮影禁止になっている。) 
 

  トロッコは 高さ32m 幅40mもある空間「スカイスクレーパー」に到着し

  ここから 徒歩の見学  最初は 「ヴェリカ・ゴラ」”大きな山”という意味で
   100万年前に 天井が落下して ”ゴルゴタの丘”と呼ばれ。
 
    頂上は 45mあり 洞内最も険しい上り坂になっている。


  天井から滴り落ちる水に溶け出した石灰分が 石筍になっていくが
    鍾乳石1mm成長するのに 10年~30年を要する。

  進んでいく中で 「レーペ・ヤーメ」(”美しい洞窟)
   「白のホール」「赤のホール」白や赤色の石筍が並んでいる。
    また 「ラクダ」「亀」「オウム」「ワニ」など動物の名が
      「ピサの斜塔」など ユニークな名のついた鍾乳石もあった。

  専属ガイドが「スパゲッティ」と盛んに言っているのが聞こえる。
   天井から細い管状の鍾乳石がぶら下がって
    まるで ストローやスパゲッティを想像させる。
     ”イタリアグループ”なので 例えのサービスで説明しているのかと思ったら
      ここは 公式に「スパゲッティ・ホール」というところであった。

  

 

  


東欧旅行(24) トロッコ

2012-11-21 | 東欧5カ国紀行

 

   ポストイナ洞窟内の見学には 入口からトロッコ列車に乗って奥まで行くことになる。

    今までに日本の 「秋芳銅」「あぶくま洞」「龍河洞」「玉泉洞」など見学したが
     トロッコで中に入るとは しかも これで世界で3番目の大きさだという  驚きだ! 

      全長約20km 観光用に公開されているのは 約5kmで
       そのうち1km余り1時間半ほどを徒歩で見学する。

    1872年洞窟内にトロッコの線路がひかれて 1884年電化されている。

     しかし 年間40万人の観光客が訪れているが 
           ここ”世界遺産”にはなっていない。
       この”トロッコ”があるために登録されないとのこと。 納得!
 

      世界一の洞窟は アメリカ・ケンタッキー州「マンモス・ケーブ国立公園」の洞窟

    トロッコは 予約制で 我々は 11時に乗車し 洞内へ
   
それにしても このトロッコのスピードはかなり早く 天井と側壁が狭く
    その間隙をぬって ジェットコースターのごとくいく
      
映画「インディ・ジョーンズ」なみの スリルを味あえる。

   洞内は 常時8~10℃で 少々肌寒いが 10分ほどで終点に到着。

  これからは スロヴェニア語、英語、ドイツ語など
   専属ガイドの言語ごとのグループに分かれ徒歩で見学となるが
    我々は イタリア語のグループにつくが どのグループについても説明が
     分かるわけではないが 添乗員が通訳しての説明を聞く。

  


東欧旅行(23) 「ポストイナ鍾乳洞」

2012-11-20 | 東欧5カ国紀行

 

 鉄橋過ぎて間もなく ポストイナICで アウトバーンを降り ポストイナ駅脇を抜け

  「ポストイナ鍾乳洞」へ  

  この鍾乳洞 7000万年前の海で出来た石灰岩が 
   海の後退で陸地のカルスト地形になり
     300万年前には、スロヴェニア西部からトリエストにかけてのカルストが
       ピフカ川の流れを吸い込んで削られ 鍾乳洞が形成されている。

   現在のピフカ川は 地下を流れ 鍾乳洞出口で外に流れている。

   一般に 石灰岩の台地は ”カルスト” というが
     これは スロヴェニアの地名で この地方に由来している。

 


東欧旅行(22) オリエント急行

2012-11-19 | 東欧5カ国紀行

                          アウトバーンと交差する鉄橋

 

   第3日目がスタート ブレッドのホテルを出発
     
スロベニアの首都リュブリャナの郊外を抜け
         
アウトバーンA1に入り「ポストイナ洞窟」に向かう。
       約117kmの道のりだ。
 

    途中 アウトバーンと鉄道とが立体交差になる場所があったが
    この路線は1920年に 「シンプロン・オリエント急行」が

         パリ⇔ スイス ⇔ ベニス ⇔ トリエステ ⇔ ポストイナ
          ⇔ ザグレブ ⇔ イスタンブールの
          
ルートとして走り始めていた。 

     そう「オリエント急行」といえば アガサ・クリスティの
       「オリエント急行殺人事件」(1934年)がある。
     その舞台となった路線です。

   事件は イスタンブールからカレーに向かって 
       ヴィンコヴィッチから ブロット間の車内で起こる。

         この場所は、当時のユーゴスラヴィア 
       今はクロアチア ブロッドはボスニアとの国境にある。

         意外な結末に驚き 面白く読んだが。

  オリエント急行は他にも ルートがあり
     それぞれトンネルの名が冠になっている。
 

  この「シンプロントンネル」は スイス連邦鉄道の鉄道トンネルで
    
スイスのブリークとイタリアのイゼッレ間約19kmの長さがあり
       両国国境のシンプロン峠の下を通っている。

 


東欧旅行(21) 3兄弟

2012-11-18 | 東欧5カ国紀行

  

  第2日目の宿泊は ここブレッド湖

    夕食前に街中を散歩 商店街の広場で 3兄弟?が遊んでいた。

      日本でも 3人以上の兄弟姉妹は なかなか見られないが

       この国も同じく 少子化で 人口減少にあるようだ。

  ちなみに
   スロベニアは 1991年独立し 2004年EU加盟 2007年ユーロ導入した。
    四国程の面積に 約200万人が住んでいる。
     民族的には スロベニア人90%以上だが
      セルビア人 クロアチア人 ボスニア人 イタリア人 ハンガリー人などの
       少数民族で構成されている。

  宗教は 半数以上がローマ・カトリック その他にイスラム教 
       セルビア正教会など。
      公用語はスロヴェニア語であるが 隣接する国等から ドイツ語も
          つかわれている。

     いづれ 民族等については これから巡る国を含め話題にしたい。

       

   


東欧旅行(20) ビラ・ブレッド・ホテル

2012-11-17 | 東欧5カ国紀行

 

   ブレッド湖畔に建つ 四星 「ビラ・ブレッド・ホテル」の正門です。

    このホテル 元ユーゴの チトー大統領 の別荘を改修して利用されている。

      そのため 部屋数は 30室余と少ないが

        かつて 国賓を迎え そう 昭和天皇も お泊りになったとか

         東欧では 高級ホテルとの評判です。

       我々は 門前を通過するのみで このホテルには泊まりません。

 


東欧旅行(19) ブレッド城

2012-11-16 | 東欧5カ国紀行

 

  湖面から約100mの断崖に建つ「ブレッド城」

   11世紀、ブリクソン司教によって造られた城

     城の最も古い部分は 鐘楼で ロマネスク様式で建てられており

      他の部分は ルネッサンス様式の建築である。

       ここからは ブレッド湖と周辺が一望できるが 

     残念ながら 今回のツアーには見学が組み込まれていなかった。

    現在は 博物館 造幣所 レストランなどになっている。

   また 城内には中世の印刷所があり 

   聖書を大量に印刷することが出来るようになり キリスト教を変え

    歴史を変えた グーテンベルクの印刷機が置いてあるとのこと。 残念!