徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展

2006-01-09 | 美術
加賀の美-180年の時を超えて
古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展
2005年12月30日から2006年1月16日 銀座松屋

大聖寺藩(現在の石川県加賀市)の豪商、吉田屋の4代豊田伝右衛門が1824(文政7)年、「古九谷」再興を夢見て築いた窯「吉田屋」。専門家の間では「江戸時代後期の色絵磁器の最高峰」と高い評価を受けていますが、わずか7年間で窯が滅んだため作品数も少なく、これまでその全容が知られていませんでした。本展は吉田屋の磁器約170点と古九谷5点、加賀の色絵の影響を受けた魯山人や富本憲吉の作品、古文書資料など計約200点を公開してまぼろしの名窯を紹介する初めての機会です。 古九谷が大名道具で格式の高い大皿中心なのに対し、吉田屋は豊かな町人文化を反映した華やかな図柄や、大皿から茶道具、懐石のうつわまで多様な器形が特徴です。1点ものしか作らず、デザインも斬新で180年前とは思えないほどです。会場では池坊由紀さん(華道池坊の次期家元)が江戸時代の立花と吉田屋作品を使った現代的な食卓を制作し、時代を超えた美の空間で作品を鑑賞できる趣向も加わります。 (朝日新聞の紹介記事)


 今年ははじめての展覧会です。
 8日に、NHKの日曜美術館を斜めに見て、これはやはり行かなくてはと、招待券をもって慌ててその午後に銀座松屋に。デパートでの開催ということで招待券がかなりばら撒かれたのでしょうか?特に、入り口付近はかなりの混み方でした。

 日曜美術館によれば、吉田屋のキーパーソンは3人。文政7年に72歳にして青手の九谷焼の再興を目指した豪商の4代豊田伝右衛門。古九谷の色合いの再現のキーとなる釉薬の職人の粟生屋源右衛門は、小松の藩窯若杉窯で古九谷の色合いの再現を研究していたが、吉田屋へ。そして最近判明してきた絵付師の鍋屋丈助。黄彰(鍋屋丈助の号)銘入銚子からその作風が明らかになってきた。人物と花鳥画が得意で、闊達な筆捌きと点描の多用が特徴。吉田屋の作品で優品とされるものは、みな鍋屋丈助の手によるものではないかと今は推定されているとのこと。

 展覧会では、200点も展示がありますが、後半に優品が並んでいました。そのあたりは、混雑度も緩和されていましたが、どちらにしろ、あまりゆっくり鑑賞はできませんでしたが、公式サイトと日曜美術館を見ながら振り返りたいと思います。(画像のsrcリンクも下記にしました。)

大皿・平鉢
吉田屋 鷺に柳図平鉢(よしだや さぎにやなぎずひらばち):柳が皿の縁を越えて描く構図の大胆さ、ということですが、見そびれました。

海老図平鉢 
海老図平鉢(えびずひらばち)
 出光美術館蔵。これも、立体的に浮き出るリアルで、しかし大胆な海老の意匠です。海老料理を盛ったのでしょうか?
蘭亭曲水図平鉢,牡丹花肖柏図平鉢,黄石公張良図平鉢:これらは画譜をもとにトンド様式の平鉢にうまく画面を構成した平鉢。絵付師の鍋屋丈助の筆捌きが光る作品。展示では最後のコーナにありました。

懐石道具:菊図扇面形向付 五客(きくずせんめんがたむこうづけ)、松竹梅図四段重(しょうちくばいずよだんじゅう)

ただ、これらの大胆な絵柄の平鉢や、彩りの食器は、本当に食器として使われたのでしょうか?豪快さを尊ぶ北前船の船乗りたちが好む飾り皿だったのでしょうか?

床飾り、文具波頭文異形燭台(はとうもんしょくだい), 源氏物語浮舟図筆架(げんじものがたりうきぶねずひっか):実用品として、前者はモダンな、後者は優美な作品。

茶の湯諸道具落雁図棗(らくがんずなつめ)眠り鴨香合(ねむりがもこうごう)、山水図丸形摘水指(さんすいずまるがたつまみみずさし):磁器の棗とは面白いです。眠り鴨香合は、優品。

酒器黄彰銘入銚子(おうしょうめいいりちょうし)、竹林七賢人図徳利(ちくりんしちけんじんずとっくり)(石川県九谷焼美術館蔵)、山水図盃台(さんすいずはいだい):なかなかいい作品が並んでいました。

最後に、吉田屋以降に再興した九谷焼として、初代徳田八十吉、魯山人、富本憲吉の作品が並んでいました。初代徳田八十吉の作品は、技術も完成していて繊細で素晴らしかったです。

吉田屋は単なる一窯かとまったく理解していませんでしたが、再興九谷を理解でき、お勧めの展覧会でした。

以下を古九谷・再興九谷に全体に関するレフェレンスとして参考にしました。

石川県立美術館
http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/tayori/2003/tayori_06/tayori_syosai06_1.html
●常設展示室(第2展示室)

特 集  古九谷・再興九谷

        H15年5月29日(木)~6月22日(日) 【前期】
          6月23日(月)~7月13日(日) 【後期】

 江戸時代の初めに、加賀国江沼郡九谷村(現石川県江沼郡山中町字九谷壱イ)において、初めて焼成されたことから、この地で発展したやきものを九谷焼と総称しています。九谷焼は伝統工芸の盛んな石川県の、代表的な美術工芸品として全国的に知られており、創始期の古九谷(こくたに)から、時代あるいは窯の移りかわりによって、特色のあるさまざまな作品が伝わっています。

 古九谷は明暦元年頃から宝永7年頃(1655頃~1710頃)、九谷焼の中でも最も早い時期に焼成された色絵磁器です。大胆な色遣いと巧みな意匠構成による作品の数々は、焼成後300年以上を経た現在でも尽きることのない魅力を放っています。昨年NHKの『新日曜美術館』で、その斬新なデザインが注目された「青手桜花散文平鉢(あおておうかちらしもんひらばち)」をはじめとする17点(会期中、2点を展示替)が一度にご覧いただけます。

 古九谷窯の廃絶後、加賀地方では製陶が行われなかったのですが、京都の名工・青木木米(あおきもくべえ)を招いて、文化4年に金沢で開窯し、この地の窯業再興の先鞭をつけたのが春日山窯(かすがやまがま)です。呉須赤絵写の軽妙な器が多く作られたものの、文政元年頃廃窯しましたが、それを惜しんだ加賀藩士武田秀平によって、繊細な赤絵細描を特色とする民山窯(みんざんがま)が同地で開窯しています。

 また文政2年に開窯した若杉窯(わかすぎがま)は、藩の保護奨励もあって、能美・小松周辺での窯業隆盛の先駆けとなりました。この地では同じ文政2年開窯の小野窯(おのがま)、弘化4年に松屋菊三郎が主宰した蓮代寺窯(れんだいじがま)のほか、白磁の優品を生んだ粟生屋源右衛門(あおやげんえもん)、華麗な色絵金襴手で知られた九谷庄三(くたにしょうざ)が活躍しました。

 古九谷開窯の地・江沼では文政7年に開窯した、独特な透明感の上絵が美しい吉田屋窯(よしだやがま)が知られていますが、赤絵の宮本屋窯(みやもとやがま)、松山窯(まつやまがま)、京都から招聘した永楽和全(えいらくわぜん)の作品も、これに並び称される優品ばかりです。

 今日の九谷焼に受け継がれたもの、失われたものを含む、それぞれの窯の特色と変遷をご鑑賞下さい。
コメント (1)
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