監督: チェン・カイコー
出演: レスリー・チャン/程蝶衣
チャン・フォンイー/段小樓
コン・リー/菊仙 1993年
冒頭、娼婦らしき母親が京劇学校に、育てられない子供(後の程蝶衣)を預けようとする。
子の指に問題があると指摘され、母親はその場で子の指を斧で切り落とす。
これでガツンと目を覚まされる衝撃の場面から映画は始まる。
チェン・カイコー監督で中国映画、お、お、重いです;ずっしりきます。
1925年当時、京劇学校は寄宿制であり、その訓練たるや過酷なものだった。
蝶衣は女形として訓練され、身も心も女であれと仕込まれる。
成人した蝶衣の想いを他所に、いつも兄のように蝶衣を庇ってくれた段小樓は美しい娼婦、菊仙と結婚してしまいます。
そこから3人の愛と憎しみ、戦乱の中での京劇の存続が描かれていく。
母に捨てられ、女であることを強いられ、蝶衣には段小樓を愛するという以外に生き方はなかったのでしょう。
レスリー・チャンは蝶衣が憑依したかのような凄絶な熱演ぶりでした。
なぜ自分は女として生まれなかったのか、菊仙への嫉妬に狂おしげに涙を流す蝶衣の哀しみが心に痛いです。
また、菊仙の女としての強さがとても印象に残に残りました。
嫉妬と京劇の花形の座を狙う若手の嫌がらせ。
苦悩の中、アヘンに溺れる蝶衣を立ち直らせようとする菊仙の姿は母を思わせます。
文化革命のあおりで、京劇役者は互いを弾劾させられ、
切羽詰った時の人間の弱さと愚かしさの現実には目を覆いたくなりました。
そして10年後、蝶衣と段小樓は再び舞台に立つことになりますが。
衝撃のラストシーンには驚きで涙も出なかった。
ふと思ったのだけど、老いていく段小樓をひとり残していくことで彼にに復讐したのではないかしら。
蝶衣の涙の滲む顔は段小樓を哀れんでいるようにも見えて仕方がないのです。
思えば、レスリー・チャンが蝶衣だったのか、蝶衣がレスリーだったのでしょうか。
事実上、芸能界を引退していたレスリーが是非にと乞われて演じた蝶衣。
撮影中のレスリーは蝶衣に成りきって奇異にも見えたらしい。
レスリーが何を想い蝶衣を演じたか、今となっては知ることはできません。