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おばあちゃんの家/The Way Home

2007-04-12 15:53:38 | 韓国映画

Oba

監督・脚本 イ・ジャンヒャン
出演 キム・ウルブン(おばあちゃん)
     ユ・スンホ(サンウ)
2002年、韓国

いつだって
山の向こうで
待ってるよ。

>>母親と二人でソウルに住むサンウ(7才)は、ある日、田舎のおばあちゃんの家に連れて行かれる。母親が新しい仕事を見つけるまでの間、会ったこともないおばあちゃんと暮らすことになった。話すことができず、読み書きもできないおばあちゃんをバカにし、サンウはわがままのし放題。でも。。

いい映画だとは聞いていたのだけれど、おばあちゃんと孫の心の交流・・なら、珍しいお話ではないよね、と思っていたが。

流石、韓国映画、期待を遥かに上回る秀作だった。
この映画を見た人は皆、元気なおばあちゃん、今はないおばあちゃんのことを想うだろう。

キラキラ輝く草木、映像も目に美しい。

17歳で家出した母親は電車、バスを延々と乗り継いでサンウをおばあちゃんに預けに来る。
おばあちゃんは困った顔をしているが、言葉を話せない。

娘にせめて泊まって行けと手話ですすめるが、サンウの母親は逃げるようにバスで立つ。
バスを見送るおばあちゃんの、一瞬、あきらめたような顔が心に残る。

韓国は儒教の国と聞く。
こんなに高齢なおばあちゃん、しかも、口が不自由。

ひとりで暮らさせるかなあ。
娘はサンウには余るほど玩具を与えているのに、おばあちゃんはアバラ屋風の家で、高齢にもかかわらず、自給自足の生活である。
腰は曲がり、杖をついて、畑に行くにもゆっくり、ゆっくりしか歩かない。

そんなだから?孫のサンウはお年寄りに優しくない。
サンウはひねくれた、かなり荒んだ子供のように見える。

おばあちゃんの苦難は始まる。

でも、サンウはまだ子供だし、決して孫を叱らないおばあちゃんとのやりとりは、ユーモラスで微笑ましい。
おばあちゃんの手も足も労働で黒く汚れて、腰だけでなく、足の指まで曲がってしまっている。

自分のことは考えず、無条件に孫に愛情をそそぐおばあちゃん。
子供には沢山の玩具よりも、そばにいてくてくれる人、愛情が必要なのだとつくづく思う。

わがままに育てられ、おばあちゃんを困らせてばかりいたサンウ。
でも、雨が降ってきて自分が取り入れた洗濯物をまた干す。
おばあちゃんが干していたいたように並べて干しなおす。
子供は大人のすることを見ているのだ。

都会で、たぶん寂しく暮らしていただろうサンウもチョリ、ヘヨンという友達との交流もできた。

いつも芝を背負って家の手伝いをしている健気なチョリ。
こういう子供を現代の日本で見ることは今はほとんどないと思う。

現金収入のないおばあちゃんは作ったカボチャを市で売る。
地べたにひとり座り込み、手振り身振りでカボチャを売るおばあちゃんの姿をそっと見るサンウ。
それでも、まだ、おばあちゃんを恥じるのか、サンウは手伝うことを知らない。

おばあちゃんの姿を見て、私は胸がいっぱいになった。

サンウに靴を買い、麺を食べさせ、お金を払う。(自分は食べない)

ゆっくりと大切なお金をふところから出すおばあちゃんの姿に、清らかさ、聖なる暖かさを感じた。

おばあちゃんの静かな慈雨のような愛に、やがて、サンウも。。

ここから結末に触れています。

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7歳の子供がおばあちゃんを想う精一杯の気持ちは、たくさんの針に糸を通すこと。
おばあちゃんは電話がかけられない。
おばあちゃんが葉書を出せるように字を教えようとするが、時間がない。

身体が痛い時は、何も書かずに出して・・
僕、飛んでくるから。

二人とも泣いてしまう。

この辺りの愛情描写の繊細さはさすが女性監督だなと思う。

別れの日。

来た時よりもひとまわり成長したサンウがいた。(もう、半ズボンじゃなく、ジーンズ姿)
母親は相変わらず、口ではあれこれおばあちゃんの身を案じる。

サンウはおばあちゃんに自分が大事にしていたものをプレゼントし、
それでも、口をきかないが、バスが発車したとたん、こらえきれずにある仕草をする。

おばあちゃんがいつもやっていた、「ごめんね」

おばあちゃんの腕にはプレゼントされたサンウが書いた絵葉書があった。
いつでも、おばあちゃんがサンウに出せるように!

おばあちゃんはゆっくり、ゆっくり、でも、一歩、一歩、足元を踏みしめて山を登る。
おばあちゃんは見かけより強いのだ。
今までも、これからも。

黙々と歩くおばあちゃんを見て、ふと、思う。
物言えぬおばあちゃんの心のなかを覗いてみたいものだと。
娘と孫の幸せだけを願って、不満もなく、欲もなく、毎日を暮らせればそれでいいのかな。

サンウにいつ会えるのかな・・それまで元気でいてと思う。

人生の終着点に差し掛かった老女と、萌えいずる生命の息吹き溢れる子供の対比が鮮やかに心に残る。


王の男

2006-12-23 07:52:05 | 韓国映画

Kon

監督 イ・ジュンイク
出演 カム・ウソン(チャンセン) イ・ジュンギ(コンギル)
    チョン・ジニョン(ヨンサングン)カン・ソンヨン(ノクス)
    チャン・ハンソン(王のお守役・チョソン)
2005年、韓国

神戸シネカノンにて。

◆固い友情で結ばれた
 2人の芸人たちと、愛を知らない暴君

>>史実とフィクションが融合したドラマティックでスキャンダラスなストーリー。

16世紀初頭、燕山朝、漢陽に逃げて来たきた旅芸人チャンセンと相棒の女形コンギル。ふたりは都で時の王、暴君ヨンサングン(燕山君)と宮廷を皮肉った芝居を始める。一座は侮辱罪で逮捕されてしまう。重臣に「王を笑わせることができれば、侮辱ではない」と反論したチャンセンたちは、死をかけて王の前で芸を披露する。
最下層の貧しい大道芸人が、宮廷に招かれたことから、重臣や愛妾の陰謀と策略に巻き込まれていく。

歴史上の事実を土台にしたお話で、人間の本性に迫った見応えのある映画でした。
宮廷や官女、舞踊人の衣装の色鮮やかなこと。
洗練された美しさです。

残虐場面も映像では極力見せないようにしているので、なんとかOK。

初めのほうで、チャンセンと美貌のコンギルふたりが盲目のお年寄りの芝居をして楽しむところが唯一ほのぼのして好きです。

手探りで、ようよう互いを探し当てた時の幸せそうな顔。これは案外、その後のふたりの運命を象徴しているかなと思います。

このふたりはどうもゲイの絆で結ばれているのではなく、芸の絆で結ばれているみたい。笑

強く、誇り高いチャンセンは兄のように非力な弟、妹?を守らなければならない、
コンギルは自分の命よりも大切な愛しい者なのだ。

身分の卑しい大道芸人として、美しく生まれついてしまったコンギルは身売りもしなければならない。
それを止めさせようとするチャンセンと親方との揉め事から人を殺め、ふたりは逃げ出した。

ふたりの間にあるのは家族愛に近い友情か?同性愛か?どうとるかは見る人の自由ですね。
お国柄か、はっきり同性愛としては描いてないと思います。

いつの世にも暴君はいたものらしく、でも、ヨンサングンは幼い時に母が殺されたことから性格が歪んでしまったらしい。
チョン・ジニョンという俳優は王の悲哀と孤独を怪演。
風貌がどこか憎めないんですよね。

コンギルのイ・ジュンギは中性的。

粗末ながらピンクの普段着が可愛い。この人は断然!動いている時のほうが魅力的だと思う。

カム・ウソンの綱渡りは圧巻で、久しぶりに映画を見てワクワク感を味わいました。

王をちゃかす芸はお下劣。
王への憤懣がそうさせるのか、この時代の貧しい人々の笑いというのはこういうものだったのかも。

王が気に入ったコンギルに「遊ぼう!」と誘って、その内容が人形劇や影絵遊びだったのには愕然。
この王は心が子供のままストップしちゃってるのかも。
コンギルの指輪の話にはホロリとしてしまう。

身体を求められるわけでもなく、王の孤独な素顔、涙を見たコンギルは哀れを感じたのかな。
チャンセンとの間にも微妙なズレがうまれる。

彼らが舞うたび血が流れる。

宮中での最後の芝居・・コンギルの扮装と顔を見てドキッとした。
中国の京劇の『覇王別姫』に似ている。
今は亡い、あの俳優を思い出して胸が熱くなる。涙

王は自分の母親の暗殺の真相を知らされて、いよいよ狂気に走る。
陰謀渦巻く不吉な影に覆われた宮殿など、チャンセンの言うとおりにとっとと退散すればよかったのに。。

コンギルが死のうとした時、
王が「なぜだ~~!?」と絶叫する。
この男は愛を知らないのだ・・・

ここから結末に触れています。

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韓国の映画はやはりハッピーエンドでは終わらない。ため息。。
結局、燕山朝はクーデターで滅びるのだろう。

最後にふたりが王の前で、綱渡りをしながら話す感動の場面が素晴らしい。

「生まれ変わったら何になりたい?」
「やはり、芸人に!」
「最後にもう一度、一緒に芸を見せよう!」

狂王に目を焼かれ盲目となり、それでも、芸人魂を失わないチャンセンと、コンギルは空高く力強く飛翔する。
かすかな安らぎが彼らの顔に見えた。

チャンセンの台詞。
「目が見えなければ、人が(王)コンギルの心を盗むのを見なくてすむ」

最後の場面も、純愛の愛の告白ととれなくもない。


ディジー DAISY

2006-11-19 08:48:56 | 韓国映画

Deji

監督:アンドリュー・ラウ←リンク
脚本:クァク・ジェヨン
出演者:チョン・ウソン(パクウィ)チョン・ジヒョン(ヘヨン)
     イ・ソンジェ(ジョンウ)イ・ソンジェ
2005年、韓国

出会ってはいけなかった運命の二人
                                    
>>オランダで骨董店を営む祖父と暮らす画家の卵ヘヨンは幻に恋していた。どこかで自分を見守りながら、デイジーの花を贈り続けてくれる男性。名前も顔もわからないその人を、彼女は運命の恋の相手だと信じていた。そんなヘヨンの前に現れるひとりの男。彼こそ運命の人。だが、彼女は彼の正体を知らず、もうひとりの男が、ふたりをそっと見つめていることも知らなかった。

『ラブストリー』『猟奇的な彼女』の脚本で監督が香港のアンドリュー・ラウが組んだ映画。
あまりいい評価を聞かなかったので、劇場をパスして今頃、DVDで見た。

美しいオランダを舞台にロマンテックなお話プラス、サスペエンスと抑えたアクション場面。
やはり監督の香港カラーが勝った感じだけど、気兼ねして上品になってしまったかな。

オランダロケのデイジー畑は美しく、孤独な女の子は誰かが自分をいつも見守ってくれているのを感じる。
あしながおじさんみたいに。
やがて、女の子は見えないあしながさんに恋するようになるだろうか。

ヘヨンは恋した。

チョン・ジヒョンは”骨董品のような雰囲気を持つ女性”をしっとり演じて綺麗ですねえ。
声を失い、ジュンウが去ってからの倦怠感漂う彼女は魅力的です。
陶器のような肌・・・も少し歳を重ねた彼女が楽しみです。

自分の前に男ジョンウ(実は刑事)が現れ、ヘヨンは自分が待っていたその人だと思い込んでしまう。
広場の前のアパートの2階の「その人」が一瞬写されるのが面白い。

あしながおじさん、パクウイはその仕事柄のせいか、少し偏執するタイプのようだ。笑
ビデオも繰り返し見るので、口の動きで言葉がわかるようになった。
これが最後に活きてくる。

名乗って出られないから、ただ見守る。

ここで、面白いことを発見して香港映画ファンの私はニンマリ。
あの、ジョン・ウー監督の『ハードボイルド』←リンクで、トニー・レオン扮する殺し屋ロン(実は潜入捜査官)がやはり、「ヨット」に住んでいた!

ロンは人を殺す度に折鶴を折る。
パクウィは折り鶴を折らず、デイジーを植える。なるほど~。爆笑

おっ!このあたりから映画は面白くなってくる。

クァク監督はそうとう香港映画も研究しているなあ。映画が好きなんでしょうね。

ヘヨンに恋した男二人はよりによって善と悪。
これはクァク監督、『インファナル・アフェア』?笑
この映画は裏を読む楽しみがあると思う。

途中からパクウィの回想になる。
ヘヨンとの最初の出会いからの回想が男心が垣間見えて面白い。
最初からよく見ていたら、ヘヨンの周りにはさりげなく、パクウィがいるのだろう。
この辺りは「伏線サスペンスタッチお得意」のクァク・ジェヨン監督、面目躍如!

私はジュンウは自殺したのだと思った。

ひとりの男はヘヨンのせいで、喪失感を味わい、ひとりの男は同じく絶望した。

ここにもひとりの美しい女性を愛してしまった男の間に芽生える奇妙な友情、(香港的)が面白い。
嫉妬が心にくすぶるパクウィはジョンウを殺す機会はあったが、傷を負わせるにとどめた。

このジョンウ役はウォンビンからイ・ジョンジエを経てイ・ソンジェに決まったらしい。
イ・ジョンジェとの緊迫した三角関係も見たかった!

チョン・ウソンが、二の腕に銃口を置いて構えるのが殺しのプロらしく、カッコいいです。
二挺拳銃ではありません。笑

ここから結末に触れています。

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パクウィがジョンウを殺したのではないか?ヘヨンは疑う。
でも、鍵を握る絵に気づかない。
見ている私は焦る。アセアセ;

ヘヨンが愛していたのはパクウィ!だったのだ。

目の前にいるジョンウじゃなく、見えない幻を愛した。なんたる皮肉。

もう一度二人でやり直そう! はじめからやり直そう!

プレゼントしたデイジーの絵を見たヘヨンは全てを悟る。

ラストはやはり・・
彼らは出会ってはいけなかったのだ。

パクウィは出口のないヘヨンとジュンウの復讐へと赴くのだった。

おまけ:
ジョンウの墓石が一瞬見えるのだけど、「John Woo」と、刻まれていて、これってジョン・ウー監督とスペルが同じなのがおかしい。


Sad Movie <サッド・ムービー>

2006-11-14 07:41:39 | 韓国映画

20060902_

監督 クォン・ジョングァン(本作、監督二作目)
出演 チョン・ウソン(ジヌ)チャ・テヒョン(ハソク)
     イム・スジョン(スジョン)ヨム・ジョンア(ジュヨン)
     シン・ミナ(スウン)イ・ギウ(サンギュ)
     ソン・テヨン(スッキョン)
2005年、韓国

“愛してる”の数だけ“さよなら”がある

どういう別れの趣向がこらしてあるのかが楽しみで、風邪っぴきの身体を引きずって見に行きました。汗

オムニバスということで、4つの物語に感動を盛り込むのは少しむつかしかったかもしれませんね。
真面目な映画だけに、オヤと疑問に思うところもあるのですが。笑

あなたの周りでも起こっているかもしれない、8人の男女の物語です。

★プロポーズに届かない、恋に不器用な消防士と、ニュース・キャスターの想い

★終わった恋に気付けないダメ男、別れさせ屋

★限られた時間を精一杯に過ごす、母と息子。

★着ぐるみの中の素顔に隠された、耳の聞こえない少女の初恋。

チョン・ウソンはどこかヒーローっぽい雰囲気を持っているけれど、今回のようなとぼけたヌーボーとした役が意外にもよく似合う。
もっと、この路線の彼が見たいです。
恋人の妹の手話での会話が最後までかみ合わなくて笑わせる。

チャ・テヒョン(ハソク)はこの映画の言わば狂言回しかな。
やはりこういう役がお似合いです。いいヤツなんだけど、どこかグータラ。
ウソン氏はハソク役にチャ・テヒョンを推薦し、この配役が決まったそうです。

定職を持たないので、彼女にあいそうをつかされそうになって考えたのが「別れの伝言屋」。
彼は根が真面目なのか、殴られようが罵倒されようが懸命に別れの言葉を伝える。
相手を慰める優しい言葉を添えて。

そして、ついに、当の彼女から自分への別れの依頼がくる。

鏡?ガラスに映る自分に言い聞かせ、彼女の新しい出会いを祈るハソク。

彼女はふとさしたボロ傘が、見覚えのあるハソクのものだと知り微笑む。
恋が思い出にかわっていくだろう暖かい場面がうれしい。

そして彼は最後の、大事な伝言をしにゆきます。

消防士はほんとは彼女と結婚して未亡人にするのが怖かったのではないかな。

危険な現場で働く彼を不安がる姉に、妹は言ます。

おねえちゃんは あいしてると いえるじゃないの。

ここから結末に触れています。

☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ

消防士が助けたのは恋人の妹だった。
ああ、だから彼女の頬には傷が・・

こうしてバラバラに見えた4つのお話は二つずつ、わずかに繋がっていたことが分かるのです。

別れでも死別は悲しいです。

母と小さな息子がやっと二人で過ごす時間が持てた。でも、遅すぎた。
男の子は母の日記を読んで自分がどんなに愛されて育ったかに気づきます。
男の子は母の死を乗り越えるには幼すぎて、胸が痛かった。

私が新鮮に感じ、気に入ったエピソードは少女の若い画家への淡い淡い初恋です。
彼女は最初から他人ごとのようにあきらめている。
若い画家は留学するらしい。

画家が留学する前に、優しい仲間は彼女に画家のモデルになるよう薦めます。
彼女は彼に火傷の跡のある素顔、ほんとうの自分を見せます。

片思いのままでは悔いが残る。

彼女も一歩、前進できたのですね。
ハンディを持つ彼女が一番明るく強く見えました。

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消防士はずっと言いたかったことを言い残します。
それは手話で・・

愛している・・

追記:若い画家イ・ギウは『ラブストーリー』のあの愛すべき「テス」だったんですね。見違えました。(゜o゜)


トンマッコルへようこそ

2006-11-09 17:25:39 | 韓国映画

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神戸シネリーブルにて

監督・共同脚本 パク・クァンヒョン
制作・脚本・原案 チャン・ジン
出演 シン・ハギュン(韓国軍のリーダー、ピョ・ヒョンチョル)
     チョン・ジョエン(人民軍のリーダー、リ・スハ)
     カン・ヘジョン(ヨイル) リュ・ドックァン (人民軍の少年兵、ソ・テッキ)

音楽 久石譲
2005年、韓国

監督曰く、『トンマッコルへようこそ』が、生きることに疲れたすべての人に、太陽の日差しのような暖かな贈り物になることを願って。

>>1950年代、朝鮮戦争が続く中、戦争とはまるで無縁の平和な村が山奥にあった。
その名はトンマッコル(子供のように純粋という意味)。
そんな村へまるで導かれるように、アメリカ人パイロットのスミス、韓国軍の2人、それに敵対する人民軍の3人がやってきた。

山深い地で、韓国軍と人民軍のやるかやられるか、
同士軍でさえ、負傷兵たちが足手まといだから殺せ、殺すなと神経の磨り減るような緊迫した場面から映画は始まる。

おとぎ話風な作りであるとはいえ、戦争がどれだけ非人道的であるか、リアルで息が詰まる。

朝鮮戦争・・同じ民族が戦わなければならなかった。

そんな時、兵士たちの目の前に、理想郷、桃源郷が広がるのが圧巻である。
人々は争いを知らず、戦争とも無縁に幸せに暮らしているのだ。
と言っても、村の識者だけは知っていているが、村人には知らせない。

自給自足の生活に満足し、(やっつけた猪の肉も食べない)無欲で、働くことを楽しんで見える。

兵士たちは食料倉庫を誤爆した罪滅ぼしに軍服を脱いで農作業の手伝いをする。

軍服を脱いだら北も南もありゃしない。同じ人間なんだもの。

これが人生なんだ。畑の畦に彼岸花が咲いている。どこの国も同じなんだな。

この善良な人たちのなかで兵士たちは人間性と笑顔を取り戻していく。
もともと、彼らひとり、ひとりは互いに何の恨みもない。

押し付けられた戦いなのだ。

戦争とはそういうものだ。
一人殺せば殺人で、みんなで殺しあえば戦争。

笑いのなかに戦争の愚かしさを訴えているが。
韓国はいまだに分断されたままであり、その想いは日本人の私たちには計り知れないものがあるだろう。

ピョ・ヒョンチョルは戦いのなかで心に傷を負った。
兵士なら誰でもが心に傷を持つだろう。

でも、あろうことか、何も知らないヨイルのいたずらで手榴弾のピンが抜かれた時、咄嗟に身をもって皆を救おうとする。

ピョ・ヒョンチョルを演じるシン・ハギュンは『JSA』で、素朴で可愛い北の兵士を演じて印象的だった人。
『JSA』でも光ったが、市川染五郎似の演技派だ。

かたや、リ・スハを演じるチョン・ジョエンは『GUNS&TALKS・おしゃべりなキラーたち』では素敵にカッコいいスナイパー。
『トンマッコル』では頼もしく優しい兵士だ。

Cast3

偉大な指導力の源はどこにあるんですか?
たくさん食わせること

これは北への皮肉にもとれる。

前半は死に物狂いの兵士たちと、さっぱり事の次第の理解できない村人たちのギャップに大笑いした。

恋と呼ぶにはあまりにも儚いヨイルと少年兵のからみがいとおしい。

白いお花畑、白いポップコーン、雪、映像が美しい。
日が落ちると、道を照らす村の守り神が一番幻想的だ。

韓国映画の色彩は重厚というか、少し重い感じがします。

ラストの感動を別にすると、アメリカ兵の追及にもうおしまいだと思った時、この人の妻だ、子だと村人が名乗る。
人の情の通う瞬間、胸を打つ場面です。

そうそう、もうひとつ心に残る場面。兵士(少年兵だったと思う。記憶あいまい、残念)が憎しみの銃を撃たず、こらえた後ろ姿が切ない。

復讐の連鎖を断ち切った場面だと思った。

ここから結末に触れています。
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元々、天使のようだったヨイルは先に黄泉の国に旅立った。

兵士たちは再び銃を握る決心をする。

爆撃部隊に偽装基地を爆撃させることで、トンマッコルを守る。

「また、戻って来いよ」との村人の声に笑いかけた時、彼らは死を覚悟していただろうか。涙

あれだけの武器で編隊に応戦できるのか、逃げ切れるか、でも、ヨイルが守ってくれる筈・・
そればかり考えて、久しぶりに手に汗を握った。

「俺たち、ここじゃなく、違うところで会っていたら、楽しかっただろうな」

村は救われた。
スミスはトンマッコルのあたりに、北の部隊は居ないことを知らせに帰るが、間に合わない。

総攻撃の炎のなか、彼らは笑っていた。心の底から・・

山の向こうに上がる火柱を見て声を上げる子供たち。

それは彼らの人間としての魂の光だったのだ。

彼らには生きて「トンマッコル」に戻ってほしかった。
一度は敵機を白い蝶の大群が追い払ったが、再び、奇跡は起こらなかった。残念。

私は彼らが「トンマッコル」で幸せに暮らす姿を勝手に想像してみる。

また、どこかで会おう!無名の英雄たちよ!

↓染五郎似のシン・ハギュン

20061106