あいりのCinema cafe

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東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

2007-04-26 19:52:58 | 邦画 (69)

Okanj

監督 松岡錠司
原作 リリー・フランキー
脚本 松尾スズキ
出演 オダギリジョー(現在のボク・雅也)樹木希林(オカン)
     内田也哉子(若い頃のオカン)松たか子(ミズエ)
    小林薫(オトン)渡辺美佐子 柄本明
    小泉今日子 宮崎あおい 荒川良々その他豪華キャスト

ボクのためだけに生きてくれた人。
   
この話は、東京に弾き飛ばされ
故郷に戻っていったオトンと、
同じようにやってきて帰るところを失ってしまったボクと、
そして、一度もそんな幻想を抱いたこともなかったのに、
東京に連れてこられて、戻ることも帰ることもできず、
東京タワーの麓で眠りについた、
ボクの母親の、ちいさな話です。

母親をなくした人、まだ達者で健在な人、それぞれが母親との絆について考える映画だと思う。
誰にでも起こり得る物語です。

私は原作を読まず、先に映画を見た。
たぶん、原作に忠実に作られているのだろう。

リリー・フランキーさんって古風な人なんじゃないかな。

俳優たちはごく”普通”の人々を演じて、皆、個性派なのに凄い。

悲しい物語になりがちなところを、樹木希林さんの大げさでないユーモラスさと、愛らしさが物語をジメジメさせていない。
テレビドラマ「七人の孫」の、変てこで可笑しいお手伝いさんだった彼女。
どこにでもいそうな、ボクを一人前に育てること以外には無欲な、いじらしいほどの母親を丁寧に演じていて素晴らしい。

あの自然にかもし出されるおおらかな暖かさは演技賞をとってもおかしくないと思う。

私事だけれど、私の母がオカンと同じ病でなくなって7年がたつ。
境遇も似ていて少し驚いた。

だから、若い頃のオカンが小さなボクの手をひいて、実家への線路づたいに歩く姿に、早々と涙が頬を伝ってしまった。

高校に入るため家を離れるボクを送る時、列車のガラス窓越しに少し歳とった内田也哉子さんが見えて、それが樹木希林さんにそっくりでハッとした。
母子で同一人物を演じるのも新鮮です。

やんちゃな(内田裕也タイプかな;)オトンの”時々”かげんが絶妙。

物語は静かに淡々と、少し明るいくらいに展開する。

でも、後半は流石に個人的に、見るにしのびないところもあったけれど。

母親に対する想いは女性と男性では違うかなとは思う。

ここから結末に触れています。

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抗癌治療に苦しむ母をどうすることもできないボクの姿に、うんうん、と頷いてしまいました。
辛さに耐え切れないオダギリジョーの姿は目に残る。

治療には患者の身内と、お医者さまの意見に食い違いが出るものです。

私の母は病床での苦しいなか、家に帰る私の身を案じました。
母親とはそういうものです。

私が母になってみて母親の気持ちがわかることもあります。

オカンは再婚の機会もあったのに、女であることよりも、ボクのためだけに生きることにした。
ボクは父親のことを忘れていないし、ボクの心を思いやった結果の選択。
切ない。

映画のオカンは生まれ育った町を離れてよかったのかな。
上京する新幹線のなかで、オカンの表情はどこか不安に見えた。
でも、マーくんのために生きた人だから、幸せだったんでしょう。

このあたりから、樹木希林さんが私の母の面影にダブッて見えてくる;凄い人だ。

終わりの時が近づいたオカンが何か言おうとしている。
「ごめん、何を言おうとしとるかわからんのよ、でもオレらのことが心配なんやろ、こんな時まで心配せんでエエからな」

「母は強し」と言うけれど、オカンもまた、強い。
自分もこんなに強くいられるかしら?疑問。

葬儀の後、自分が死んだら開けるようにとオカンが言い残した箱を手にするボク。そのなかのメモに書かれた言葉。

オカンは幸せな幕引きが出来て何も思い残すことはありません
さよなら、マーくん

さよならじゃないよ。これからもずっと親子だよ。

大きく息をひとつ吸い込んで、オカンは眠りについた。
人はこうして息をひきとる、リアルです。
もう、苦しまなくていいよ。

最後に、もうひとつ好きな場面があります。
亡くなったオカンのそばに添い寝して仕事を断るボクを励ます若い頃のオカンがいいです。
オカンはマーくんが仕事してるとき、気分がええんよ。

映画を見てよかった。

充分なこともできぬうちに、飛び立つようにいってしまった私の母。
母らしいと言えば母らしいけれど。
弱音は吐かない人だった。

映画を見て、私の後悔という胸のつかえも少し降りた。

母を忘れることはない。
ただ、少しずつ穏やかな思い出に変わっていくのだろう。

*
*
*

注:映画が終わっても最後まで席を立たないことをオススメします。笑


かぞくのひけつ

2007-04-17 12:44:37 | 邦画 (69)

Movie00092

監督 小林聖太郎
出演 久野雅弘(賢治) 秋野暢子(母・京子)
     桂雀々(父・宏治)ちすん(父の愛人)
     谷村美月(典子)南方英二(チャンバラトリオ) 
     テント 浜村淳(医者)

>>地元高校に通う賢治はつき合って半年の彼女典子にキスどころか手もつなげない。というのも女癖の悪い父の因果が子に報い、性病に罹ったと思いこんでいるから。(まだ、童貞なのに。。)大阪は十三の商店街で不動産屋を営む両親にも離婚の危機が迫っていた…。
現代版、『夫婦善哉』?

なんで男と女は一緒になろうとすんねんやろ?

『ごめん』を見て久野雅弘クンの演技っぷりが気になっていたら、この映画を見つけ、神戸は新開地の「神戸アートビレッジセンター」で見ました。
視聴覚教室みたいな部屋(KAVCキネマ)で、60席、お客は6人。笑

この建物は普段は多目的に使われていて、以前、私はここで、香港映画『メイド・イン・香港』を見ました。

映画は全編、コテコテの関西は十三で撮影されました。
十三って、二度ほど行ったことがあるけど、大阪の繁華街って感じ。

さて、映画は現代版、『夫婦善哉』というくらいで、賢治の父親は人はいいものの、女癖がめっぽう悪く、母親とはもめごとが絶えない。

高校生の賢治はというと、好きな彼女はいるんだけど、思春期まっただなか。
まだ、童貞にもかかわらず、自分は性病だと思い込んでいて(父親の不徳を見て育ったせい)医者に行く勇気もなく、彼女に対して煮もえきらず、悩み多き毎日。

家族って何だろう。

父親は「お母さんと一緒にいようって約束したんや」
と、浮気は止めないが、京子に離婚されないように、離婚不受理届けまで出している。
そんなものあるんだと驚いた。

賢治「それやったら、浮気すなっちゅう話や」

新たにできた父の愛人・ゆかりが何食わぬ顔で、店に事務員として就職してきたから、さあ、大変。

久野雅弘クンは立派な高校生に成長しとりましたが、自転車に乗る後ろ姿は『ごめん』のセイのまんまなのが、なんだか嬉しい。

親に言えない悩みでも友達には相談できる。
けれど、この賢治の友達も、まだまだ幼くて頼りにならない。笑
少年期の性の悩みというテーマは映画『ごめん』の延長のようで面白い。

秋野暢子さんは、完全に十三の街に溶け込んで『ハッシュ!』『岸和田少年愚連隊』と同じく、大阪のしっかり者で可愛い母親を演じてドンピシャリだった。

ここから結末に触れています。

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父が賢治の怪しげな薬でおかしくなった時の、母の動転する様子に、ああ、このふたりは別れることはない。
他人には理解し難いけれど、愛情(腐れ縁?)があるんだろうなと思う。

怪しげな漢方薬屋の店主の歌。

♪~若者の未来は、思うより、遠い~♪
確かに、そうかもしれないなあ。笑

思春期にはようあんねん。アハハ

賢治と彼女を乗せ、自転車で風を切って走る!

やっぱり、これは『ごめん』だ。笑

神戸アートビレッジセンター

Sia50jpg 


おばあちゃんの家/The Way Home

2007-04-12 15:53:38 | 韓国映画

Oba

監督・脚本 イ・ジャンヒャン
出演 キム・ウルブン(おばあちゃん)
     ユ・スンホ(サンウ)
2002年、韓国

いつだって
山の向こうで
待ってるよ。

>>母親と二人でソウルに住むサンウ(7才)は、ある日、田舎のおばあちゃんの家に連れて行かれる。母親が新しい仕事を見つけるまでの間、会ったこともないおばあちゃんと暮らすことになった。話すことができず、読み書きもできないおばあちゃんをバカにし、サンウはわがままのし放題。でも。。

いい映画だとは聞いていたのだけれど、おばあちゃんと孫の心の交流・・なら、珍しいお話ではないよね、と思っていたが。

流石、韓国映画、期待を遥かに上回る秀作だった。
この映画を見た人は皆、元気なおばあちゃん、今はないおばあちゃんのことを想うだろう。

キラキラ輝く草木、映像も目に美しい。

17歳で家出した母親は電車、バスを延々と乗り継いでサンウをおばあちゃんに預けに来る。
おばあちゃんは困った顔をしているが、言葉を話せない。

娘にせめて泊まって行けと手話ですすめるが、サンウの母親は逃げるようにバスで立つ。
バスを見送るおばあちゃんの、一瞬、あきらめたような顔が心に残る。

韓国は儒教の国と聞く。
こんなに高齢なおばあちゃん、しかも、口が不自由。

ひとりで暮らさせるかなあ。
娘はサンウには余るほど玩具を与えているのに、おばあちゃんはアバラ屋風の家で、高齢にもかかわらず、自給自足の生活である。
腰は曲がり、杖をついて、畑に行くにもゆっくり、ゆっくりしか歩かない。

そんなだから?孫のサンウはお年寄りに優しくない。
サンウはひねくれた、かなり荒んだ子供のように見える。

おばあちゃんの苦難は始まる。

でも、サンウはまだ子供だし、決して孫を叱らないおばあちゃんとのやりとりは、ユーモラスで微笑ましい。
おばあちゃんの手も足も労働で黒く汚れて、腰だけでなく、足の指まで曲がってしまっている。

自分のことは考えず、無条件に孫に愛情をそそぐおばあちゃん。
子供には沢山の玩具よりも、そばにいてくてくれる人、愛情が必要なのだとつくづく思う。

わがままに育てられ、おばあちゃんを困らせてばかりいたサンウ。
でも、雨が降ってきて自分が取り入れた洗濯物をまた干す。
おばあちゃんが干していたいたように並べて干しなおす。
子供は大人のすることを見ているのだ。

都会で、たぶん寂しく暮らしていただろうサンウもチョリ、ヘヨンという友達との交流もできた。

いつも芝を背負って家の手伝いをしている健気なチョリ。
こういう子供を現代の日本で見ることは今はほとんどないと思う。

現金収入のないおばあちゃんは作ったカボチャを市で売る。
地べたにひとり座り込み、手振り身振りでカボチャを売るおばあちゃんの姿をそっと見るサンウ。
それでも、まだ、おばあちゃんを恥じるのか、サンウは手伝うことを知らない。

おばあちゃんの姿を見て、私は胸がいっぱいになった。

サンウに靴を買い、麺を食べさせ、お金を払う。(自分は食べない)

ゆっくりと大切なお金をふところから出すおばあちゃんの姿に、清らかさ、聖なる暖かさを感じた。

おばあちゃんの静かな慈雨のような愛に、やがて、サンウも。。

ここから結末に触れています。

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7歳の子供がおばあちゃんを想う精一杯の気持ちは、たくさんの針に糸を通すこと。
おばあちゃんは電話がかけられない。
おばあちゃんが葉書を出せるように字を教えようとするが、時間がない。

身体が痛い時は、何も書かずに出して・・
僕、飛んでくるから。

二人とも泣いてしまう。

この辺りの愛情描写の繊細さはさすが女性監督だなと思う。

別れの日。

来た時よりもひとまわり成長したサンウがいた。(もう、半ズボンじゃなく、ジーンズ姿)
母親は相変わらず、口ではあれこれおばあちゃんの身を案じる。

サンウはおばあちゃんに自分が大事にしていたものをプレゼントし、
それでも、口をきかないが、バスが発車したとたん、こらえきれずにある仕草をする。

おばあちゃんがいつもやっていた、「ごめんね」

おばあちゃんの腕にはプレゼントされたサンウが書いた絵葉書があった。
いつでも、おばあちゃんがサンウに出せるように!

おばあちゃんはゆっくり、ゆっくり、でも、一歩、一歩、足元を踏みしめて山を登る。
おばあちゃんは見かけより強いのだ。
今までも、これからも。

黙々と歩くおばあちゃんを見て、ふと、思う。
物言えぬおばあちゃんの心のなかを覗いてみたいものだと。
娘と孫の幸せだけを願って、不満もなく、欲もなく、毎日を暮らせればそれでいいのかな。

サンウにいつ会えるのかな・・それまで元気でいてと思う。

人生の終着点に差し掛かった老女と、萌えいずる生命の息吹き溢れる子供の対比が鮮やかに心に残る。


ごめん

2007-04-03 06:51:20 | 邦画 (69)

07306

監督 冨樫 森
原作 ひこ・田中
出演 久野雅弘 (七尾聖市・セイ)櫻谷由貴花(ナオコ)
      佐藤翔一(キンタ) 栗原卓也(ニャンコ) 
     國村 隼 (セイの父)
2002年、日本

男のイタミは大人のシルシ

>>セイこと七尾聖市は、大阪郊外に住む小学校6年生。
ある日の授業中、電気が走ってオシッコをチビってしまった。でも、なんだか変。慌ててトイレに掛け込み調べると粘っこくてベットリしている。「オシッコとちゃうや~~ん!!!」(悲鳴)
下半身の一部は気まぐれに固くなるわ、そんな自分の身体の変調に戸惑っていた。

そんなある日、京都の祖父母の家に遊びに行ったセイは、お使いに行った老舗の漬物屋でナオちゃんと呼ばれる少女に出逢い一目惚れ。
寝ては夢、起きてはうつつ、彼女の事が頭から離れなくなってしまう。
性のめざめと年上の少女との初恋の間で、とまどい、キリキリまいする少年セイの日々を、面白くも真面目に描いた物語。
果してセイの初恋の行方はいかに…。

私には息子はいないので、少年がオトコになるというのも大変なんだなと思った。笑
学校で見せてもいいような、発展途上にある少年をユーモラスに描いた傑作だと思う。

いや、名作かな。

セイはお寺の一人息子。
セイのラッコにも似たのほほ~んとした風貌と素直さは最近では珍しいんじゃないかな。
関西弁の台詞まわしも独特で味がある。

最後のほうではセイが織田信成選手に見えてしかたがなかった。。;

セイは剣道を習っているが、学校では普通の男の子。

彼はややこしい身体の変化にとまどいながらも、京都の祖父母の家に遊びに行く。
おじいさんは碁敵だ。

頼まれて漬物を買いに行った店で、彼はひとりの少女を見かける。
陽射しのなかで輝いて見える美少女にセイは一目惚れするが、彼女はあろうことかふたつも年上の!中学2年生。

勝気なナオはセイを完全に子供扱い。
セイは一瞬ひるむも、年の差なんて。遠距離恋愛もなんのその。

セイの友達、男気のあるキンタ、なぜか関東弁のモテモテ、ニャンコたちが愉快。
一人前のませたことを関西弁で言うのに何度も吹き出す。
櫻谷由貴花はナオコの複雑な心境よくを演じている。

剣道の稽古のあとのセイが胴着を脱ぐ所作が泰然としていて見事。
恋を知り染め、心身ともに大人になったか。笑
キンタ「セイ、オマエ、この頃、おかしいんとちがうか」

セイに好意を寄せる少女の告白を断って、池に突き落とされるところはホロッとしながらも大笑い。

このぽっちゃり彼女もかわいい。
彼女「七尾クン、蛇口が開いたんやてね」爆

両親の離婚のゴタゴタの渦中にあるナオコは正々堂々、男らしいセイの告白も相手にしない。
ナオコが思うより、これでもセイは真剣なのに。

セイはフラレた。

でも、実は寂しいナオコは自分では気づいていないけれど、セイといることで心をいやされているのだ。

セイ   :フルんと、フラレたんと、一緒にきて、
      なんかもうくちゃくちゃや。
      なんで、オレが好きになった人が
      オレのこと好きになってくれへんのやろ。(泣くセイ)
おとやん:恋ができただけでも幸せや。
      一生、恋できへん人もいるんやからな。
      セイはエエ子や。
      オレが女の子やったら、セイに惚れるけどな

動揺する息子に声をかけてやれる同性の先輩、父親がいるのは大事だ。
名台詞だと思う。

そして、セイはなんと、剣道着姿のまま小さな自転車で、大阪から京都までナオコを追いかけるのである。

「一度会ったら一目惚れ、二度目に会ったら二目惚れです!!
会えば会うほど好きになるんです!!」
これは小学生にはちょっと言えまへんえ。

ナオコはいじらしくも神社で、父親に運を、母親が再婚相手と幸せになるよう、再び会うこともないだろうセイのことを祈っていた。

彼女は父親に付いて延岡に行くと言う。
あんな、ダメおやじ、ひとりにできひん。

母親には見限られたツキのない父親でも、ナオコにとってはやはりかけがえのない父親なんだな。

ここから結末に触れています。

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セイは決然と言う。
「僕、延岡に行きます。ナオコさんに会いに延岡に行きます!」
涙をこらえるナオコ。
「恋はまだ、おあずけや。誰にも頼らんと生きていけるようになって、恋はそれからや」

ふたりはナオコの好きな自転車の度胸試しに挑戦する。
ナオコ「ふたり乗りではしきれんよ」
セイ「やってみなわかりません!!」

そう!何事もやってみなければわからないのだ。

がんばれ!セイ!
あの一途さはひょっとしたら、初心を貫くかもしれないなどと、ほのかに期待もわくラストなのでした。