監督 犬童一心 原作 田辺聖子
出演 妻夫木聡(恒夫)池脇千鶴(ジョゼ)
新井浩文/上野樹里/新屋英子/板尾創路
2004年
私の街には近頃珍しい旧作を2本立てで見せる映画館がある。
そこで『ジョゼと虎と魚たち』を見た。
私はハンディのある人をテーマにした映画をあまり見ない。
それで感動したり涙したりするのが失礼な気がするから。
それって私の心がバリアフリーでないってことかしら?アラアラ
頭がこんがらがってくるので先ススミまっす。
それで『ジョゼ~』もパスしたのだけれど、ありがたいネットのお友達が絶賛していたので、見たくなってやっと劇場で見ることができた。
映画館は平日というのに満員で、車椅子の男性が介護の方と見に来られていた。
大学生、恒夫は自分をジョゼと呼ぶ足の不自由な女の子と知り合う。
彼女は年老いた祖母と大阪の川の側の下町で、ほとんど外に出ない生活をしている。
この不思議な少女は祖母が拾ってきてくれる古本を読むことを楽しみにしていて、サガンの「一年ののち」が愛読書なのだ。
サガン、私も学生時代に、大人の恋愛に憧れて背伸びして読んだっけ。
この映画の原作は田辺聖子さんの短い(官能的な)小説なのだそう。
田辺さんの本は優しさに満ちていて好きですが。
犬童一心という監督さんは調べてみると、吉本興業がプロデュースした映画に関わっている。
大阪育ちの私はこのジョゼとおばあが住んでいる場所がどこか、目を凝らして見たが。
田辺さんらしく台詞が関西弁なのも親近感が持てた。
映画はシリアスな場面になると、ヒョイッとジョゼのドスの効いた関西弁でコミカルなものへと変わる。
救われた気分になります。ホッ
池波千鶴イコールジョゼ!限られた本から得た知識で頭でっかちな大人な部分と、あどけない少女の部分が混在したジョゼ。
池脇千鶴さんなくしてこの魅力的なジョゼなしってはまり役に見えました。
恒夫が彼女の乳母車を押してスピードを出し過ぎて転倒。
抱き起こす恒夫にボソッと一言「殺す気か」。 爆
恒夫は今時の優しいけれど、ヘタレのふつう~の大学生。
彼を想う香苗が「あの人(ジョゼ)を愛してるなんて、恒夫はそんなにエラくない。おかしくって」
また、ジョゼに会い、恒夫を奪ったことをなじり頬をなぐる。
公平に自分の頬も殴らせるが香苗のほうが一発多い。汗
でも、昂然と言い返すジョゼに比べて、この事件で傷ついたのは香苗のほうかもしれない。自己嫌悪。。
おばあが亡くなって、恒夫はジョゼのところに越してくる。
ジョゼは虎と海、魚を見たがった。
ジョゼは言う。
前の私は海の底にいてた。そこは音も聞こえへんし、光も届かへん、真っ暗やった。
あれはあれで良かったんや。
もう、うちはあそこへは戻られへんねんな。
あんたがいてへんようになったら、また私は一人。
迷子の貝殻みたいにコロコロ、コロコロ転がる・・・またそれもよしか。
ジョゼには二人の幸せが長く続かないことが分かっていたのだと思う。
『またそれもよしか』諦めと肝の据わったジョゼらしい台詞に胸がチクッと痛んだ。
二人が愛し合う場面は自然のなりゆきなのだろうけど。
しっくりしない感じがしたのはなぜかな。
ありのままを演出したかったのだろうか、魚たちのシーンのようにもう少し綺麗に撮っても良かったのでは?と思う。
ここから結末に触れています。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
恒夫は郷里、九州での法事にジョゼを伴い家族に会わせようとするが、できなかった。
弟曰く「ひるんだと?」
恒夫はジョゼの身体の問題よりも、ジョゼのおばあ譲りの風変わりで強烈な個性も重かったのでは?と思う。
全てに責任を持てるほど恒夫は強くなく、大人でもない。
韓国映画「オアシス」がほとんど同じ時期に公開され、同じテーマだったのが偶然なんだろうけど、不思議に思った。
「オアシス」は徹底してリアルで、私はクタクタになりましたが。;
そして二人の同棲生活は終わった。
理由はただ一つ。
恒夫が自分で言うように「僕が逃げた」
再び、香苗と歩きながらも恒夫には彼女の声は聞こえていない。
往来で、堪えきれずに泣き出す恒夫。
しゃあないな。
あんたはふつ~の男なんやから。けど、哀しいな。
ジョゼは一人で電動車椅子で颯爽と買い物に行く。
彼女はおばあからも解放され、もう少女ではなく綺麗になった。
一切れの魚が焼けるのを見つめて・・
またそれもよしか。
相変わらず台所仕事が終わったら、椅子からドスンと床にダイブする場面で、映画は唐突に終わり、
この唐突さが妙に心に残る。