あいりのCinema cafe

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春の日は過ぎ行く (劇場)

2004-04-26 09:50:00 | 韓国映画

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監督 ホ・ジノ
出演 サンウ(ユ・ジテ) ウンス(イ・ヨンエ)

サンウは自然の中の音を採録するという珍しい仕事をしている。
仕事でウンスと出会い、序所に親しくなり恋をする。
ウンスはサンウよりも年上で離婚歴があるが、自然体で可愛い女性だ。

サンウが結婚の話をしたところからウンスの態度が変わりはじめる。

性急なサンウの態度に心がひけてしまったのか。

恐らくサンウにとっては大人になってからの初めての恋じゃないかな。
ウンスが会ってくれなくなってからサンウはのた打ち回って苦しむ。

サンウには彼女の気持ちが理解できない。
ウンスもまだ傷が癒えてないのかもしれない。
イ・ヨンエさんのどこか影のある大人の女らしさが印象的です。

サンウの祖母(サンウが子供の頃、母親が亡くなって叔母と父が再婚したことから、祖母が小さいサンウの面倒を見たと思われる)

祖母は高齢のため現実があやふやになっていて、亡くなった夫を駅に迎えに行くのを日課のようにしている。

あきらめろ。どんな美人も年取ったらおばあさんさ。そう考えると哀れだな。

辛いんだね。去ったバスと女は追うものじゃない。

夫を待ち続ける彼女にだけはサンウの気持ちが分かる。

或る日、祖母は盛装して出かける。多分、夫の元にいくために?そんな風に見える。

若いウンスと祖母の対比が人生の重さを思わせる。

男と女の気持ちのすれ違い、これは永遠に続くことなんだな。
幾つか季節が過ぎて、ウンスから何事もなかったかのように会わないかという電話があった。
しかし、このウンスの行動は気まぐれ過ぎない?

桜が美しい並木道で再会した二人。
「お茶でもどう?」と言う女に青年はきっぱりと断る。
くるりときびすを返して桜並木を去っていく女。映画「第三の男」のアリダ・バリみたいに。でも、後姿はさびしい。

青年は少し人生を知って、少し大人になった。

風が草原を渡る音、雨音、川のせせらぎ、普段の騒がしい生活の中で、忘れていた音を聞くことができる映画です。


砂の器(ビデオ)

2004-04-04 08:32:00 | 香港映画 (57)
監督 野村芳太郎
脚本 橋本忍/山田洋次
主演 丹波哲郎/ 加藤剛/ 森田健作/ 島田陽子
    山口果林/ 加藤嘉/ 緒形拳   
    佐分利信/ 渥美清        1973年
                         
テレビの放映で興味を持ちビデオをやっと借りて見ることができた。
放映中はずっと貸し出し中であったのも凄い。
映画はすでに30年前に撮られたもので、脚本に山田洋次監督の名がある事にまず驚いた。
笠地衆・渥美清がちょい役で出ていたりする。
今や名を成して名優と言われる俳優たちが出演。
映画の中でそれぞれの役をその演技で際立たせていてゾクゾクした。
主人公の和賀英良にはほとんど台詞がない。
「この世に幸せなんてあるんだろうか」の言葉に彼のこれまでの生い立ちの暗さを感じた。
「宿命とは生まれてきたこと、生きること」だと言う。

人間臭い(らしい)中年刑事と若い刑事によって事件がまるでパズルを繋ぎ合わせるように解明されていく過程が実に興味深い。
足で捜査している二人に容赦なく照りつける太陽と蝉の鳴き声。
見る側にいやおうなく現実味を感じさせる演出が凄いと思う。
英夫少年はなぜ温情厚い三木巡査の元を逃げたのだろう。
やはり引き離された父を探しに出たか。
母にさえ去られ6歳からの2年の間チリほどの人の情けも受けず、疫病神扱いされた辛い放浪の中で人を信じられなくなくなっても無理はなかっただろう。
事件の核となる当時の不治の病の酷さには参った。

10分間に及ぶ親子の放浪の映画史に残る場面は美しく悲しい。
加藤嘉意外に千代吉役は考えられないのではないかな。
天の助けのように見えた善良な三木巡査を演じた緒方拳、人間臭い刑事・丹波哲郎も素晴らしいと思う。
今ではその病も不治の病ではなくなった。

旅の形はどのように変わっても
親と子の”宿命”だけは永遠のものである・・・

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