あいりのCinema cafe

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PROMISE 無極 (劇場)

2006-02-15 12:54:05 | 中国映画 (19)

Niko_2

監督:チェン・カイコー
撮影:ピーター・パウ『グリーンディストニー』
特殊効果:フランキー・チャン
出演:真田広之(光明) チャン・ドンゴン(昆崙)
    セシリア・チャン(傾城) ニコラス・ツェー(無歓公爵)
    リュウ・イエ(鬼狼) チェン・ホン(満神)
2005年、中国

愛で運命(プロミス)を超えられるか
運命(プロミス)に翻弄され、それでも愛に向かって進もうとする男女の物語

>>生きる術さえも持たず、空腹に震える幼い少女・傾城の前に、運命を司る美しき神“満神”が現れた。「この世のすべての男からの寵愛と、不自由ない生活を約束しましょう。その代わり、お前は決して真実の愛を得ることはできない。
無敵を誇る大将軍・光明、お前が心を動かし、涙を流す時・・それは死を意味する。

水の結界を抜けると、そこは雪国だった・・?

映画が始まって驚いた。何なんでしょう?
漫画みたい。『カンフーハッスル』じゃあるまいし!
韋駄天(一応、神さま)って言葉が頭の中をぐ~るぐる。

天下のチャン・ドンゴンさまを笑い者にする気?と思いつつも自分が笑ってしまった。汗
それにしても四つん這いって。。
それもそのはず、特殊効果は『カンフーハッスル』も手がけた人なんだ。たはは

チェン・カイコー監督は人間の本質を鋭くえぐり、深い哀しみを描いた、あの『覇王別姫』を撮った人ですよね?
でも、怒涛の漫画場面が終わり、真田さんとチャン・ドンゴンが対面した時は感動に似た興奮を味わいましたです。

いいんです。こんな映画もあっていいのではないでしょうか?
ファンタジーですから。

この映画はチャン・イーモウの『HERO』を思い出させますね。
『HERO』は雰囲気はよかったのだけど、私にはお話が少々分かりづらかった。
チェン・カイコー監督もイーモウ監督みたいな映画が撮りたかった?

死者が蘇り、河が遡り、時間が逆行しない限り、運命(プロミス)は変えられない。

昆崙の頭上を騎馬の傾城と光明が飛び去っていく。
あぁ、すれ違った!
この辺りから、さっき見た漫画は私の頭から消し飛びました。

ところで、この主役三人、時々鼻血出てませんでした?変。
口元にするとか、どうにかして欲しかったような気もします;
これがアンディ・ラウだとお約束なんですけどね。

もう一つ、とても気になったことがありました。
一つの場面が終わる時、急にとぎれたように暗転になるのが不自然で、余韻を断ち切られること、しばしば。
私の気のせいですかね。

見た後も、こっそり思い出し笑いができるという楽しみもあります;

でも、4人の運命がすれ違い、もつれあい、哀切感を盛り上げる音楽の”繰り返し”(しつこいくらい)もダイレクトに心に響いて、気がついたら夢中になって見ている自分がいました。
私って単純ですね。(今さらですが;)

真田広之は成熟した男、チャン・ドンゴンは青年、ニコラス・ツェーはまだ青臭さの残る若者。
三者三様、キャストの妙を堪能できます。

何も持たない、傾城への想いを伝えられない、奴隷の身では愛さえ手にできない昆崙。
美貌の奴隷なんて、存在だけでも魅惑的なのに、チャン・ドンゴンはやはり”目”が印象的。

まっすぐでひたむきな人間性が表れて、
予想はしていたけれど、奴隷からどんどん立派な(美しい)青年になっていきます。

真田広之は絶対に世界に通用する人だと思っていたので、中国語も、監督も納得にこなしたのには感服しました。
傾城が戻らないと、じれる姿、しぐさに大人の色気と美しさを感じました。

セシリア・チャンは吹き替えだったようで、いつもの声じゃないと最初は彼女だと気づきませんでした。

パンフレットに書かれていて驚いたのはニコラスの役を監督はレスリー・チャンに演じてもらうつもりだったとか。
妖艶さ屈折、成るほど~。ため息。
ここにもレスリー不在の影が・・

でも、ニコラスは輝いて不良暴君みたいで、十分魅力的でした。
この人の殺陣にはスピードとキレがあって華麗です。
華があります。
血筋とは言え、実力がありますよねえ。

鬼狼は『中国の小さなお針子』『恋の風景』のリュウ・イエだったのですね。
配役を見るまで、気づきませんでした。

傾城という名前が面白い。
傾城とは:
(1)〔漢書(外戚伝)「一顧傾二人城一、再顧傾二人国一」から。君主がその色香に迷って城や国を滅ぼす、の意〕美人。美女。
(2)遊女。近世には太夫・天神などの高級な遊女をさす。
ちょっと確認。

それから、あの綺麗な花の咲く海棠の木はりんごの花だったのです。

ここから結末に触れています。
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最後に無歓の秘密が明かされます。
・・オレの奴隷になるか・・
少年は欺かれて、一生、飢えたように奴隷を追い求めることになった?

思えば、この少女のついた嘘が彼女と三人の男の運命を変えてしまったのかもしれない。
言の葉・・言葉はひとたび、口から出てしまうと魂を持つといいます。

一番不幸だったのは無歓だったのかもしれません。
チャン・ドンゴンは勿論、ニコラスのファンも増えるでしょうね。

これをレスリーが演じたら・・見たかった。

・・行ってやれ、あの人はきみを待っている・・涙

・・生きるんだ、懸命に・・
光明は昆崙と同じ言葉を口にします。

もう一度、選ばせてあげよう。

運命(プロミス)は変えられるのです。

無極とはこれだったのか。

TB送信:ミチの雑記帳、


トンケの蒼い空 (劇場)

2006-02-11 08:12:38 | 韓国映画

Ton_1

監督 クァク・キョンテク(チング)
出演 チョン・ウソン(チョルミン・トンケ)キム・ガプス(父親)
     キム・テウク(ジンムク) 
2003年、韓国

むかしむかし、男の子は母親を亡くし、父親と近所の人に育てられました。
そんな、古きよき時代を思わせるような映画です。
傑作ではないけど、私は好きです。こういう映画。

刑事の父親の職場、警察署で、男の子はまるで野良犬(トンケ)のように愛犬、これまたトンケと一緒に伸び伸び育った。
身体は育ち過ぎくらい育ったが、心は子供のころと変わらず。
素直で単純。

ある事件をきっかけにトンケは高校を辞めてしまった。
この事件がこの映画の唯一の笑うに笑えない悲劇です。

長身のチョン・ウソンが右肩を下げて、ヒョコヒョコ歩く姿はまさに野良犬!
ヒーローっぽさをかなぐり捨ててトンケになっています。
10代から20そこそこの役はちょっとしんどかったかな。笑
でも、カッコ悪いのに、カッコいいです?

トンケは野良犬みたいに食べて、のん気。

辣腕刑事の父親は息子を放し飼い。
大雑把な愛情は犬を育てているみたいで、後は野放し。
でも、しっかり手綱は握って、父親の同僚もトンケをそれとなく見守っているのもいい。

これじゃ不良になんてなれない。
この温情家で正義の人、父親役の俳優が渋いです。演技派なんだろうな。

トンケは家事がどんどんうまくなる。笑
キムチ漬けの鮮やかなこと。
目玉焼きを取り合う父と息子って・・楽しい。

韓国には高校中退者のための学校や施設なんていうのもあるらしい。
トンケは落ちこぼれ組か。

高校の先輩だった宿敵とのけんかも、いつも父親の息がかかって中断。
いいお父さんです。

父親は町と人々を蝕む土地買収をする町の権力者を逮捕する。
トンケは馬鹿ではない、正しいことと間違ったことは知っている。
刑務所の中でのトンケと宿敵の決闘は面白い。

野良犬は一度噛み付いたら決して離さない!

決闘許可に一筆書いて提出するのも愉快。
負けたほうが罪をかぶること。さっぱりしたもんだ。笑

ここから、結末に触れています。
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トンケの弟、犬トンケはあろうことか食べられた。

同僚が父親に言う。「けんかの仕方がそっくりですね」
嬉しそうな父親。
待てよ、ということはトンケの父親も優秀青年じゃなかったってこと?^^

父親が思わず言った言葉に傷ついたトンケ。
あれは本心なのか?

でも、父は母親よりも新しい命、トンケを選んだのだ。

トンケはどうなる、やはり蛙の子は蛙?

弱いものの味方なのも父と同じで、幼い頃から張り込みにも付き合った。
いずれ、父親似のいい刑事になるのかもしれない、

恋も芽生える予感の夕暮れの道をトンケは背を丸めて歩いてゆく。


単騎、千里を走る。(劇場)

2006-02-07 12:23:26 | 中国映画 (19)

Tan

英題:Riding Alone for Thousannds of Miles
監督: 張藝謀 降旗康男
音楽: ガゥオ・ウェンジィン
出演: 高倉健 寺島しのぶ 中井貴一(声のみ)
     リー・ジャーミン ジャン・ウェン
     チュー・リン ヤン・ジェンポー
2005年、日本 中国

まごころは国境を越え、父と子の絆を結ぶ

>>漁師の高田(高倉健)は、東京で民俗学を研究している息子が病で倒れたと聞き上京する。
しかし長年の確執もあり、訪れた高田に対して息子は会おうとしない。
息子の命がもう長くないことを知った高田は、息子がやり残した仕事である中国・雲南省の民俗舞踊の撮影を決意。単身で中国の奥地へと旅立つのだった。

無骨で不器用な父親とまた父に似た息子の確執から、心の通うまでの過程を描いた映画です。
映画を見ていて、ああ、これは父親の”贖罪”の旅なのだと思った。
息子も自分も仮面をつけたまま、正直になれなかった。

お話はさして目新しいものではないかもしれない、涙も出はしないけれど、何かを感じた。
それは張藝謀の俳優、高倉健に対する熱い想いかもしれないし。

高倉健のこれまで生きてきた年輪の重さ・・そんなものを時がゆっくりと流れているような壮大な中国の景色を背景に重ね合わせる。
数々のよい場面が準備されているのだけど、高倉健がいて、この物語は成立したのだと思う。

それが嫌な人もいるかもしれないけれど。
高倉健って、こんなに大きい人だったっけ。
この人は不思議に険しい中国の風景に溶け込んでいる。

ヤンヤンを演じたオーディションで選ばれた子供が可愛いのは勿論、日本語を勉強中のひょうひょうとしたガイドをそのまま演じたチュー・リンが素晴らしかった。
シリアスな面持ちの健さんの傍らにいつも彼が映し出されて、それが画面をほのぼのとする。
調べると、この人も本物の現地のガイドさんだという。

この映画の影の主役はチュー・リンさんだと思う!

いつもいつも、うまく話しが通じない。
実際、ほとんど同時通訳なのは少ししんどかった。

お話はゆっくり進むけれど、言葉の壁が立ちはだかって先が読めず、お陰で退屈はしない。
日本語を勉強中というガイドの設定が、うまくもどかしさを演出している。
この中国の奥地でも、携帯が大活躍なのが面白かった。

チャン・イーモウ監督は一般の人を使うのが巧いなあと思う。
私はこの映画を見ていてチャン・イーモウ作ではないけれど、『思い出の夏 王首先的夏天』を思い出した。
一般の子供の中からオーデションで子役を探し、映画を撮るという筋書きだった。

寺島しのぶさん、彼女は健さんと共演した『緋牡丹お龍』の寺島純子さんの娘だ。
これも計算されたことなのだろう。
息子の姿を出さなかったのはなぜかな?
中国での健さんだけに焦点を当てて、物語をシンプルにしたかったのかと思う。

ヤンヤンを高田がしっかりと抱きしめる場面がある。
高田はヤンヤンを通して息子、健一を想っただろう。
そして、私は健さんに子供、家族がいないことをおもった。

麗江の村で客を迎えるための村の道に、それは長々と卓を連ねて開かれる宴は壮観で暖かい眺めだった。
日本にだって、いえ、地方には今もお客を大歓迎する気持ちは残っているはず。
村の長老は道理を説く。
しかし、一旦決めたら高田への協力を惜しまない。

高田も強いけれど、中国の人もまた温かくて強い。
道に迷った高田とヤンヤンを探すために人々が手に手に松明を持って、橋を渡ってくる場面が幻想的で一番好きだ。
『初恋のきた道』で亡き先生の棺を大人になった教え子だちが担いで歩く場面と同じ感動があった。

なぜヤンヤンの父親が「単騎、千里を走る。」を舞えなかったか、これは映画を見ている間は判らなかった。
映画を見ている時はきっと、何か訳があると思って見たけれど。

この仮面劇は三国志の関羽が義兄弟の劉備の子、阿斗を懐に抱いて、
曹操の手から千里の道を独り騎馬で逃げ延びたくだりの舞踊だったのだ。
だから、父は子を思い出して、どうしても踊れなかった。

静かに流れる中国楽器を使った音楽は自分も麗江にいるような気持ちにさせてくれる。
心地いいです。

以下、結末に触れています。
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健一は亡くなったけれど、遠い麗江の人々のまごころを想って高田の心は安らかではなかったか。

お父さん、会いましょう!
健一の手紙はそう結んであった。

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バンジージャンプする(DVD)

2006-02-05 08:52:29 | 韓国映画

I_1

英題 bungee jumping of their own
監督 キム・デスン(デビュー作)
出演 イ・ビョンホン(ソ・インウ)イ・ウンジュ(イン・テヒ)
ヨ・ヒョンス(ヒョンビン)2001年、韓国

なんとなく見そびれていました。
美しい映画でした。

内容を知らなくて見たので、一枚一枚、薄皮を剥ぐように真実が明かされていくのがもどかしいほど見入ってしまいました。
サイトを見れば秘密は分かるのですが、何も知らないで見るほうが面白く見られるのじゃないでしょうか。
監督は本作が処女作。恐れ入ってしまいます。

一目ぼれはあると思いますか。
17年間の間、一人の女性を思い続けられますか。

1983年、純情で内気な大学生ソ・インウ(イ・ビョンホン)は、ある日自分の傘の中に飛び込んできた美しい女子大生イン・テヒ(イ・ウンジュ)に一目ぼれする。

君の小指に魔法をかけた。何かを持つ時立ててるだろう。
純情な恋する学生が言いそうな可愛い台詞です。

インウは軍隊へ行くことを決め、入隊する日、駅でテヒを待つが、ついに彼女は現れなかった。
何があったのか?
この時点では映画を見る者にはまださっぱり見当がつきません。

それから、17年後の2000年春。
高校の国語教師になったインウは別の女性と結婚し子供もいる幸せな生活を送っていた。
純情な大学生から成熟した男として自信に溢れた男性へのイ・ビョンホン、この演じ分けが見事で、この俳優の力を感じます。

そして奇跡(映画の中でなら奇跡と言っても大げさではない?)が起きるのです。
現実にはありえないとは思うものの、ひょっとしたら・・そんな気もしてしまうのです。

地面に針を立てて、空から1粒の種をまく。その種が針の穴を通り抜ける確立で皆は今、こうして出会っている。
これが因縁だ。

そんなインウが担任をするクラスにヒョンビンがいて、なぜかインウは彼が気になって仕方がない。
自分は同性愛者なのか?と思い詰めるほどに。

ヒョンビンおまえはいったい誰なんだ!?

インウは混乱し、これは次第に校内でも問題となり、彼は学校を出され、家庭も崩壊してしまいます。

ここから結末に触れています。
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君が誰に生まれ変わってもきっと探し当てる。
こんな台詞は恋人同士なら言うこともあるでしょうか。

私は一見、同性愛を思わせる設定もソウルメイトも、映画として抵抗なく素直に見ました。

ヒョンビンの小指、思い出のライター、全てが有ることを暗示していました。

ヒョンビンはテヒの生まれ変わりだったのです!
リーインカーネーション。。
テヒは駅に行かなかったのではなく、”行けなかった”。
急速にテヒとして全てを思い出し始めるヒョンビンの姿に少し怖いほどの迫力と興奮を感じました。

インウの勘だっのでしょう、思い出の駅で待っていると、彼、彼女?は来た。
停車中の窓ガラスに映る姿はまぎれもなくテヒ!でした。
この映画中、白眉の場面です。
うまい演出だと思いながらも胸が熱くなってしまう。

来るのが遅すぎたでしょう?
このテヒを演じるのが若くして亡くなったイ・ウンジュであることに、また因縁を感じます。

結末はやはりこの道しかなかったのかなあ。
そりゃあ、男子高校生と大人の男性・・見かけはなんとも奇妙だけど。

束の間の幸せそうな二人に、この世での道はなかったのかなあと思ったり。
二人は永遠に広がるような美しいニュージーランドの崖がら互いを見つめ合い、手に手をとってバンジージャンプではなく、投身します。

悲劇です。
でも、これもひとつの愛の形なのかもしれません。

その証のように、二人の声だけが聞こえます。
これで終わりじゃない、今度は僕が女に生まれたら?
テヒ(女性の声)忍び笑いが聞こえます。

性も人種も超えたところに愛はある、そう監督は言いたいのかもしれません。

何度生まれ変わっても愛し合う人がいる・・ぼんやり二人の声を聞きながらそんな言葉を思い出しました。


カンフーハッスル KUNG FU HUSTLE

2006-02-01 21:22:47 | 中国映画 (19)
Chau

監督: チャウ・シンチー 
製作: チャウ・シンチー ジェフ・ラウ チェイ・ポーチュウ
製作総指揮: ビル・ボーデン デヴィッド・ハン
脚本: チャウ・シンチー ツァン・カンチョン ローラ・フオ
チャン・マンキョン
音楽: レイモンド・ウォン
アクション・コレオグラファー: ユエン・ウーピン 
サモ・ハン・キンポー 
出演: チャウ・シンチー(シン)
ユン・ワー(家主)ユン・チウ(家主の妻)
ドン・ジーホワ(麺打職人) シン・ユー (人足)
チウ・チーリン(仕立屋) ジア・カンシー (琴奏者)
フォン・ハックオン(琴奏者)ブルース・リャン(火雲邪神)
チャン・クォックワン(斧頭会の組長)サム ティン・カイマン(相談役)
ラム・シュー (斧頭会の副組長)ラム・ジーチョン(シンの相方)
2004年、中国/アメリカ

香港映画ファンの皆様、大変失礼しました。
色々と事情がありまして、(はぁ~?)上映から1年も経ってからの鑑賞です。汗だく

傑作と言われるだけの価値ある映画でした。
シンチーが主役で監督までしてる!
これが漫画みたいではありますが、文句のつけようもなく面白かったです。

クラシックな音楽も、CGも、その他、規模が半端ではありません。
『マトリックス』風だったり『羊たちの沈黙』を思わせる場面があったりと、タランティーノ監督も見れば泣いて喜んだ?のではないでしょうか!

見所はやはり、カンフーですね。(当たり前;)
シンの如来神掌、火雲邪神の一打(ボコボコ)によって、
血脈を開かれて再生するところは崇高にして感動的でさえあります。
う、う、う、美しい~。

笑っているうちに終わってしまった(ごめん)『少林サッカー』とは何かが違うように思います。

シンチーの並々ならぬ、ブルース・リーへの想い、武道への想いがビシバシ伝わってくるからでしょうか。
ジークンドーです、ジークンドー
火雲邪神を演じたブルース・リャンはブルース・リーに匹敵する武道家だったとか。はぁ~(脱力ではなく感嘆のため息です)

また、シンが斧頭会の面々と闘う場面で着ている中国服はブルース・リーが着ていたものだとか。
凄いです。
そんなものが残されていたとですかっ!

如来神掌を極めたシンの前には最早、敵なし!

クンフーの型が決まった時、シンチーが一瞬見せる、引き締まった男らしい顔!
ジークンドー的美貌!
DVDならでは、何度も巻き戻しで見てしまいました。
シンチーって、こんなにハンサムでしたか。はぁ~。

豚小屋砦の大家婦人がこれまた、なんとも魅力的です。
獅子の咆哮!あはは、素晴らしい!
足が車輪に。。見ているこちらの頭からは煙が。。

また、あの清涼感とヒューマニズム溢れるオチがいいです。
ロリポップ屋のマスター・・って・・
エプロンが似合い過ぎです。
なんたるオチでしょうか。

開いた口が塞がり・・いえ、開いた口も塞がる余韻の残るラストでした。
そう、如来神掌は悪を懲らしめるためにあったのよね。

シンチー映画ここに極まれり!
この先、これを上回るどんな映画が作られるのか?余計なお世話ですね。
でも、ちと気になるところではあるです。

マイケルはジャクソンですが、
この映画はフィクションです。

時効刑事より。
(映画とは何の関係もありません。言ってみただけとです;) 完

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