あいりのCinema cafe

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王の男

2006-12-23 07:52:05 | 韓国映画

Kon

監督 イ・ジュンイク
出演 カム・ウソン(チャンセン) イ・ジュンギ(コンギル)
    チョン・ジニョン(ヨンサングン)カン・ソンヨン(ノクス)
    チャン・ハンソン(王のお守役・チョソン)
2005年、韓国

神戸シネカノンにて。

◆固い友情で結ばれた
 2人の芸人たちと、愛を知らない暴君

>>史実とフィクションが融合したドラマティックでスキャンダラスなストーリー。

16世紀初頭、燕山朝、漢陽に逃げて来たきた旅芸人チャンセンと相棒の女形コンギル。ふたりは都で時の王、暴君ヨンサングン(燕山君)と宮廷を皮肉った芝居を始める。一座は侮辱罪で逮捕されてしまう。重臣に「王を笑わせることができれば、侮辱ではない」と反論したチャンセンたちは、死をかけて王の前で芸を披露する。
最下層の貧しい大道芸人が、宮廷に招かれたことから、重臣や愛妾の陰謀と策略に巻き込まれていく。

歴史上の事実を土台にしたお話で、人間の本性に迫った見応えのある映画でした。
宮廷や官女、舞踊人の衣装の色鮮やかなこと。
洗練された美しさです。

残虐場面も映像では極力見せないようにしているので、なんとかOK。

初めのほうで、チャンセンと美貌のコンギルふたりが盲目のお年寄りの芝居をして楽しむところが唯一ほのぼのして好きです。

手探りで、ようよう互いを探し当てた時の幸せそうな顔。これは案外、その後のふたりの運命を象徴しているかなと思います。

このふたりはどうもゲイの絆で結ばれているのではなく、芸の絆で結ばれているみたい。笑

強く、誇り高いチャンセンは兄のように非力な弟、妹?を守らなければならない、
コンギルは自分の命よりも大切な愛しい者なのだ。

身分の卑しい大道芸人として、美しく生まれついてしまったコンギルは身売りもしなければならない。
それを止めさせようとするチャンセンと親方との揉め事から人を殺め、ふたりは逃げ出した。

ふたりの間にあるのは家族愛に近い友情か?同性愛か?どうとるかは見る人の自由ですね。
お国柄か、はっきり同性愛としては描いてないと思います。

いつの世にも暴君はいたものらしく、でも、ヨンサングンは幼い時に母が殺されたことから性格が歪んでしまったらしい。
チョン・ジニョンという俳優は王の悲哀と孤独を怪演。
風貌がどこか憎めないんですよね。

コンギルのイ・ジュンギは中性的。

粗末ながらピンクの普段着が可愛い。この人は断然!動いている時のほうが魅力的だと思う。

カム・ウソンの綱渡りは圧巻で、久しぶりに映画を見てワクワク感を味わいました。

王をちゃかす芸はお下劣。
王への憤懣がそうさせるのか、この時代の貧しい人々の笑いというのはこういうものだったのかも。

王が気に入ったコンギルに「遊ぼう!」と誘って、その内容が人形劇や影絵遊びだったのには愕然。
この王は心が子供のままストップしちゃってるのかも。
コンギルの指輪の話にはホロリとしてしまう。

身体を求められるわけでもなく、王の孤独な素顔、涙を見たコンギルは哀れを感じたのかな。
チャンセンとの間にも微妙なズレがうまれる。

彼らが舞うたび血が流れる。

宮中での最後の芝居・・コンギルの扮装と顔を見てドキッとした。
中国の京劇の『覇王別姫』に似ている。
今は亡い、あの俳優を思い出して胸が熱くなる。涙

王は自分の母親の暗殺の真相を知らされて、いよいよ狂気に走る。
陰謀渦巻く不吉な影に覆われた宮殿など、チャンセンの言うとおりにとっとと退散すればよかったのに。。

コンギルが死のうとした時、
王が「なぜだ~~!?」と絶叫する。
この男は愛を知らないのだ・・・

ここから結末に触れています。

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韓国の映画はやはりハッピーエンドでは終わらない。ため息。。
結局、燕山朝はクーデターで滅びるのだろう。

最後にふたりが王の前で、綱渡りをしながら話す感動の場面が素晴らしい。

「生まれ変わったら何になりたい?」
「やはり、芸人に!」
「最後にもう一度、一緒に芸を見せよう!」

狂王に目を焼かれ盲目となり、それでも、芸人魂を失わないチャンセンと、コンギルは空高く力強く飛翔する。
かすかな安らぎが彼らの顔に見えた。

チャンセンの台詞。
「目が見えなければ、人が(王)コンギルの心を盗むのを見なくてすむ」

最後の場面も、純愛の愛の告白ととれなくもない。


ジェイ・チョウを探して Hidden Track

2006-12-16 19:07:54 | 香港映画 (57)

308

監督/脚本 オーブリー・ラム
出演 ショーン・ユー ダニエル・ウー
     ポポ デビット・ウー
     イーソン・チャン ジェイ・チョウ
2003年、香港

>>恋人との思い出の曲が収録されている500枚しか製造されていないCDだった。CDの最後の曲が終わってから7分間後にしか聞くことができない、いわゆるシークレットボーナストラックである。
思い出のCDを探す女が、その過程でさまざまな音楽フリークたちと出会い、大切なものの存在に気づいていく物語を描いたラブストーリー作品。

私はジェイ・チョウの曲はほとんど聴いたことがなく、この映画もアイドル映画かなと思っていた。
ところが、ポポは『恋する惑星』のフェイ・ウォンみたいで、
思いがけずしゃれた可愛い映画だった。

ポポは失恋して、武漢から姉のいる香港にやって来る。

CDを探しているの。
彼との思い出が消えてゆくような気がして・・

CD探しの途中、様々な音楽好きな男性に会うことになる。
犬好きなCD店の店長(ショーン・ユー)、プレイボーイ(デビット・ウー)、新世代音楽の教祖風青年、(イーソン・チャン)マザコン警官(ダニエル・ウー)、ゲイ青年。

香港、台湾の若手オンパレードなのが楽しい♪

さえない髭と眼鏡のCD店店長がショーン・ユーだとは気づかなかった。
主役の彼を見るのは初めて。やはり演技も達者なものである。

ポポがどんどん綺麗になっていくのが面白い。

母と同じくテレサ・テンの好きな、母親べったりの警官がダニエル・ウーなのが笑える。
初デイトも母親同伴。
ハンサムできりりとしているのに、ポポはがっくり。

デビット・ウーは『烈火戦車』のバイクレーサー、懐かしいです。
変わってないなあ。

長年飼っていたペットを亡くして、落ち込んでいたショーンもようよう立ち直り眼鏡を外し、髭も剃りさっぱりした。

全編を通してジェイ・チョウの歌声がふんだんに聴けます。
玩具のようなフンタジックな色彩も綺麗。

彼女は大切な人を見つけることができるのだろうか。

ここから結末に触れています。

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飼えなくなった人から、ペット犬の引き取りに忙しい店長。^^

CDが見つからないの。
会いたいと思った。

俺にかい?
みんな去って行くのに。カメでさえ・・

あなたを探していたの。

恋は終わり、そして、始まりの予感♪

ポポは今や、姉の家のやっかい者ではなく、見違えるような魅力的な可愛いウエイトレス姿(スチュワーデスではない^^)である。

ここは刺激と夢の街、香港。
武漢の彼は遠くなりにけり。。

失恋から味覚をなくした男として、ジェイ・チョウが最後にちょい出演。


サウンド・オブ・カラー ~地下鉄の恋~

2006-12-12 09:03:41 | 香港映画 (57)

Snetcinema

監督/脚本 ジョー・マ
原作 ジミー 絵本「地下鉄」
出演 トニー・レオン(ホー)ミリアム・ヨン(チョン・ホイヤー)
     チャン・チェン(ジョンチャン)ドン・ジェ(トンレン)
       ラム・シュー グイ・ルンメイ ファン・ジーウェイ

2003年/香港

>>優しくて、心あたたまるラブ・ファンタジー。
香港と、上海。二人のいたずら天使が、ふれあうことのなかった男女を結びつけ、クリスマスに小さな恋を成就させる、優しさと愛があふれる物語。

原作は台湾の大人気絵本作家"ジミー”の「地下鐵」。
☆巨匠ウォン・カーウァイがジミーの「地下鐵」に惚れ込んで映画化を熱望し、自社プロデュースした。

ウォン・カーウァイは映画製作にはタッチしていないと思う。
映画は退廃とは縁のない明るい系です。^^

ジミーの絵本を元にした映画には女性監督の『恋の風景』とうい悲しい映画がある。
本作は絵本を元に撮った映画らしく、クリスマスにふさわしい温かな作品となっております。

苦しい時に、いかに希望を見出すか。

ラム・シュは、優しい娘想いのお父さん。

万年青年のトニー・レオン、変わりませんねえ。顔を見ただけで、心がほっこりします。

お話は香港と上海のふたつの、少し雰囲気の違うお話が同時に進行する。

子供の頃に視力を失ったチョンは地下鉄で、杖を貸してほしいと言う若い男性(これが、なんと天使)に出会う。
そこから、インチキ臭い「お見合い相手周旋所」を経営するホーと知り合う。

ある朝、ホーは目覚めると視力を失ったことに気づく。
落ち込み、周囲に八つ当たりするホーをしっかり者のチョンは外に連れ出します。
へっぴり腰で傘を杖に歩くトニー・レオンがおかしい。
相変わらず、役者やわぁ~。

チョンはホーの杖となり、ふたりの心は通いはじめます。
目が見えなくなって、ホーは心の目が見え始めた。
健常者のままでいたら、ホーの眼にはホイヤーは入らなかったかもしれない。

一方、台北。
2年間の片思いの恋(お相手はなんと!『藍色夏恋』のグイ・ルンメイ!)が終わったジョンチャンが書いたカードは天使の手で上海のトンレンに送られる。

片思いは人の気持ちを苦しくする。
君と手をつなぎたいんだ。

彼女の返事を読んで、ジョンチャンは会ったこともないトンレンに会いに上海に行く。
彼女も失恋を経験したばかり。

貴方の気持ちがわかるわ。

いつもとは違う平凡なサラリーマン役のチャン・チェン、無口で不器用そうな優しい青年ぶりがいい感じです。
この人、こういう役のほうが魅力的かも。
ドン・ジェもしっとりと女らしい。
コメディタッチの香港物語よりも、上海の物語のほうが好みかな。

トンレンを待つジョンチャンが寒そうで、上海という街への郷愁を感じる。

あるはずのない「地下鉄」の46番の駅を探して、孤独だったふたりの心は序所に近づいていく。
そこでも、ひっそり奇跡が起きている。

これは終点、それとも出発点?

ごたごたした(そこが魅力なのだけど)香港も、上海も色彩は夢の国か、毛糸の編み物のように暖かくて美しい。
まるで別の街のようです。

映画としては五つ星作品ではないかもしれないけど、日本公開してもバチは当たらないと思う。
なんで~?

ホーのつく美しい嘘。
クリスマスの夜には奇跡が起きる。

駅では人々が行き交っている。
あなたには出口で、待っていてくれる人がいますか。

*

*


暗いところで待ち合わせ

2006-12-10 19:37:46 | 邦画 (69)

Phointro

監督 天願大介(今村昌平監督の子息)
原作 乙一(おついち)
出演 田中麗奈(ミチル)チェン・ボーリン(アキヒロ)
    松永(佐藤浩市)岸辺一徳(父親)
    井川遥(ハルミ)
2006年、邦画

神戸シネリーブルにて。

光をなくした女、
闇をかかえる男。
殺人事件からはじまった不思議な共同生活。

>>殺人事件をきっかけに、父を亡くし目が不自由なひとり暮らしのミチルとアキヒロの不思議な共同生活が始まった・・・

ブロガーさんに原作を薦めていただいて読みました。
にこさん、ありがとうございました。

主人公のアキヒロとミチルは似たところがあります。
特に、アキヒロは人とコミニュケーションをとるのが苦手で、孤立していくうちに群れる学友たちを軽蔑するようになる。
でも、本当は人を恐れているのだ。

若者がかかえる問題でもあり、私自身にも重なる部分はあるので、アキヒロの孤独が少し理解できました。

映画はアキヒロを中国人の混血としたことで、中国人だから疎外されるという意味に変わってしまうと思ったけど、嫌がらせをする松永や最後のアキヒロの台詞で、その懸念は解消されました。

孤立して、アキヒロの自分から溶け込もうとしない態度に、職場の先輩松永は嫌がらせを始める。
こうしていじめの図式ができあがってしまう。

松永は佐藤浩市さんで、悪人とは思えないイメージがあって。
よくいる軽薄な子悪党って感じです。

岸辺さんは相変わらずうまくて、寡黙ななかに娘を想う気持ちが痛いほどに感じられる。

原作を読むと、アキヒロもミチルも勝手にイメージができあがっていたのだけど、田中麗奈さんもチェン・ボーリンもだんだん、アキヒロとミチルに見えてきました。

チェン・ボーリンは『藍色夏恋』(‘02 監督:イー・ツーイェン)で鮮烈な映画デビューを飾った人。
もう少年ではなく、青年です。

ミチルは傷つき易い繊細な心の持ち主だけど、それだけに真っ直ぐで優しい。
でも、光とたったひとりの父を亡くして、暗闇にひきこもり、このまま朽ちてもいいような気がしている。

そんな虚無感から、盲目ゆえに空気の流れさえ感じてアキヒロの存在は早くから気づいていたけど、それほど怖がらなかったのだろうと思う。

ふんわりと柔らかで透明なミチル。
汚れない白が似合ってます。
でも、実は強さを秘めた少女。

原作のあるところは削られ、映画では足されて、面白いなと思いました。
あのプレゼントのペンダントが活きています。

私が好きなのは、アキヒロがミチルの手料理を初めて食べる場面です。
ミチルの顔に初めて微笑みが浮かび、麗奈さんの横顔が美しい。

井川遥さんがホームからぬ~っと、上ってくるところはなんだか少しおかしかった。
なぜかな~。
でも、女の哀しさを演じて、女らしい井川さんはハルミにぴったりでした。

失明・・死の次に恐ろしいことだけど、失明して真の真っ暗闇になる人は少なく、太陽や強い明かりは感じるということを原作を読んで初めて知りました。

ここから結末に触れています。

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アキヒロは殺してはいなかった。
映像で見ると、ハルミは松永を殺さなければならなかったのか、そんなに憎んでいたのか、少し理解しがたかったけれど。

心に残った台詞がありました。

松永:「おまえはあっち(中国)でも日本でも誰も信用していないんじゃねえか」

松永は案外、アキヒロを理解していたのかもしれません。

ミチルはひとりで外出する勇気が出ない。

外には何もない。
違う、外では人に会えたり、面白いことがあるじゃない。

僕はずっと中国でも日本でも自分の居場所がなくて、それを探していた。
けれど、ずっと窓際に座って考えているうちに、必要なのは居場所じゃなくて自分の存在を許してくれる”人”だということに気づいた。

春になると、芽吹くように、開いて、少しずつ開いていければいいなと思っているんです。

私もそうできるような気がしています。
ミチルも父の手から離れて、ひとりで外を歩く決心ができた。

「僕、下宿を追い出されそうです。」
「ここが空いていますよ。」

この台詞は原作どうりで、それが映像になると嬉しかった。

春はもうそこまで・・

暖かなラストです。


パープル・バタフライ 紫胡蝶

2006-12-07 18:07:37 | 中国映画 (19)

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監督 脚本 ロー・イエ
出演 チャン・ツィイー(シンシア/ディン・ヒュイ) 
    リウ・イエ(スードゥー)
    仲村トオル(伊丹英彦)リー・ピンピン(イーリン) 
2003年/中国=フランス

神戸では公開されなかった、作品を今頃、見ました。

1931年、上海。
叶わない
愛の夢を見た。

時代に引き裂かれた、三角関係の、いや、四角関係の男女の悲劇の物語。

>>1928年、満州。
まだあどけない、女学生らしいシンシアは若い日本人の伊丹と恋仲だったが、時代は日中戦争の緊迫した状況にあった。
伊丹は兵役につくために帰国、実らぬ恋と諦めたシンシアは伊丹を駅の物陰から見送った。
その後、抗日組織の一員だった兄はシンシアの目の前で日本人に殺されてしまう。

自ら殺人者に復讐せんばかりのチャン・ツィイーの悲しみの演技に注目です。

3年、それは人を変えるに十分な歳月か。
シンシアはディン・ヒュイと名を変え、冷酷なテロ組織の女闘志となっていた。
素顔で、もつれたおさげ髪、浅黒い顔の女学生から一変、妖艶な顔まで見せるチャン・ツィイー。
あの、あどけなさの残る少女の面影は最早ない。涙

赤いルージュに煙草が似合うが。
しきりに煙草を吸う彼女は幸せそうには見えない。

リウ・イエはスパイの殺し合いに巻き込まれる哀れな男を悲しみ、恨み、怒り、狂気を表情で演技して素晴らしいです。

哀れなスードゥーは駅で、あわてて殺し屋の上着(胸に蝶の形のバッチの付いた)を間違えて着て降りてしまった。

チャン・ツィイーのこれまた熱演がなかったら、彼のひとり舞台だったでしょう。

イーリンを演じたリー・ピンピンは初めて見たけど、透明感があって、西洋人形のように美しい。
中国って、才能ある美しい女優さんがまだまだいるようです。

映画は台詞も説明もあまりありません。
意図された演出でしょう。
最初の何分かは無音で、デッキの故障かと思ってしまった。

伊丹が召集で帰国したのは見ている間は分かりませんでした。
一瞬の場面も多く、かなり集中の必要な映画です。
その代わり、映像がかもし出す雰囲気と俳優の表情は堪能できる。

仲村トオルの相変わらずの無表情は気になりますが。^^

ここから結末に触れています。

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見どころは抵抗運動とは何の関係もないイーリンが射殺される場面です。
シンシアが彼女を撃ったようにも見えたのですが。
誰の銃弾が中ったのかはわからない。
酷いです。

伊丹と再開したシンシア。
でも、お互い身分が変わってスパイ同士、疑心暗鬼です。

伊丹が任務は終ったから、一緒に日本に帰ろうと耳元で告げられるシンシアの顔。
自分に示された愛は真実だったのだ・・その嬉しさは涙となって頬をつたう。
チャン・ツィイーの表情の変化に胸を射ぬかれます。

でも、運命を狂わされたふたりには思いがけない悲劇が待ち受けていた。

最後に挿入される日本軍による、中国人大虐殺の実録場面は正視できなかった。

戦争は人を狂気に、
人間性を奪う。

シンシアの「何のために闘うの?」が哀れです。

パープルバタフライ・・それは抗日組織の名称で、バッジだったのだ。