あいりのCinema cafe

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たそがれ清兵衛(ビデオにて)

2004-02-25 20:14:00 | 邦画 (69)

tasugare

監督 山田洋二
出演 真田広之(井口清兵衛) 宮沢りえ(朋江)
    小林稔侍 田中泯(余吾善右衛門) 
    北林谷江(清兵衛の母) 丹波哲郎
                          2002年
山田洋二監督は、サラリーマン社会を敢えて時代劇に置き換えて人間を描いたと言う。
山形の美しい風景とお国なまりが、この映画を暖かいものにしています。
時は幕末、山形の小藩の下級武士 井口清兵衛は、妻に先立たれ二人の幼い娘と年老いて自分の息子に「どちらのお身内でがんす?」と問う母の世話をしている。
仕事が終わる夕暮れ時、同輩の誘いを断るため「たそがれ清兵衛」と陰口をたたかれている。
清兵衛は、早く帰って家族の面倒を見なければならない。
清兵衛は、娘たちにも優しい。
痴呆となった童女のような母とのやりとりが微笑ましい。「おめえさまの息子の清兵衛でがんす!」
北林谷江が、出てくるだけで見る者をほっとさせる。この人の存在感は貴重だ。
みすぼらしい寡暮らしは世間体が悪いと、縁談を持って来た横柄な伯父に清兵衛は言う。
「伯父上が思っておられる程、私は自分を惨めだとは感じておりやせん」(よく言った清兵衛さん、スカッとしたわ)

他家に嫁いで夫の暴力のため実家に戻った幼馴染の朋江の苦境を救ったことから、清兵衛が小太刀の名手であることが知られる。
朋江の兄は清兵衛の親しい友人で朋江を貰ってやってくれとの話があるが、
清兵衛は「この下級侍の暮らしは始めはまだしも、これがずっと続くと思うと並大抵のことではねえ。朋江さんには貧しい中で亡くなった妻のような哀れな思いはさせたくない」と断る。
相手を思いやる、これもまた愛の形なのだ。極貧という事がどれだけ辛いことかが伝わってくる。
物質に恵まれた現代に暮らす自分はどうだろう。それに慣れて食べ物を無駄にしたり、物を粗末にしていないだろうか。
余吾善右衛門は失脚した主に忠義を尽くした結果、藩から切腹を命じられる。
このお沙汰に納得できない彼は、屋敷に立て篭もり誰も成敗できない。
清兵衛に白羽の矢が立ち、余吾善右衛門を討てと藩命が下る。
状況は違うが、サラリーマンのリストラを思わせる・・・
余吾善右衛門を討とうなど夢にも考えない清兵衛だが、藩命とあらば断る術もない。
自分が無事に戻れたなら、
いつも慎ましい清兵衛が朋江に心の内を打ち明ける様子には心を打たれる。
清兵衛が想うにふさわしく朋江・宮沢りえは闇に咲く桜の花のように清楚で美しいです。

清兵衛はいったんは余吾善右衛門の逃がしてくれという言葉を叶えようとするが。
私は二人とも死んで欲しくないと思った。
余吾善右衛門と清兵衛との凄まじい死闘。
舞踏家の田中泯と真田広之の殺陣が、息詰る迫力である。
真田広之は実際にかなりの使い手のように見える。
殺したくはないが、自分が死ぬ訳にはいかない。残された家族はどうなるのか。
清兵衛は、果たして・・・

私も邦画をあまり見なくなったけど、これは多くの人に見て欲しいと思いました。


MUSA・武士(劇場にて)

2004-02-21 19:54:00 | 韓国映画

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監督・脚本 キム・ソンス

出演 チョン・ウソン(ヨソル) チュ・ジンモ(チェ・将軍)
    アン・ソンギ(隊正チンリプ) 
   チャン・ツィイー(芙蓉姫)
音楽 鷲巣詩郎          2001年韓国映画
公式サイト
およそ600年前チェ・ジョン将軍が率いる高麗(韓国)の使臣団は明(中国)の南京に向かう。
道中、明の策略に合い砂漠に流刑となり、生きて故郷に帰ろうとする途中ランブルファ将軍率いる蒙古軍と出会う。
蒙古軍は明の芙蓉姫を捕らえていた。

まだ若いチェ将軍は帰郷を止め、姫を救い出し南京城へ向かい使命を果す決断をする。
姫の争奪を巡り使臣団と蒙古軍の壮絶な戦いが始まった。
姫を救い出した使臣団は黄河を渡ろうと土城を目指すが、そこは既に荒れ果てていた。

姫の主張で道中出会った漢族の老人子供たちも連れて来た。
死に物狂いで城に篭り、蒙古軍の凄まじい攻撃を受ける使節団。
この辺りは黒澤監督の映画を思わせてくれてワクワクした。
まだ若いチェ・ジョン将軍は功名を焦る。
生身の人間の弱さを隠せない彼は哀れだが人間らしい。姫を見つめる目が熱い。

使節団の長の忠実な奴婢(奴隷)ヨソルは長(主人)の遺言で自由の身となった。
矢が飛んでくれば長に覆いかぶさって主の身を庇う。
この時代の韓国のと主の関係は私にはよくわからないけれど、ヨソルが主を敬愛しているのは分かる。

命の限り大切な人を守る・・・・・人として一番大切なこと。
長が亡くなった後も遺体を木枠に乗せ、砂漠の中を独り引いて行く姿に胸が熱くなった。
自分を自由にしてくれたご主人を見捨てられるものか。
このヨソルの姿をまた姫も見逃さない。

方耳にピアス、長い黒髪、鎧も付けず駆ける長身のヨソル。
らしく上目使いに身構え、両刃の長い大槍を扱う彼の姿は舞うように美しい。
彼が槍を携えて駆ける様子は野生の黒ひょうのよう。
蒙古軍のランブルファ将軍もヨソルの度量を惜しんで、幾度か彼を生かすのだが。
「やつは獅子の眼をしている・・・殺すな」
ランブルファ将軍もまた、まさしく武士であった。

私はアン・ソンギという人を初めて見たが、流石に人目を引く存在感がある。人徳なのかな。
韓国では国民的俳優であることも頷ける。
隊正チンリプ(アン・ソンギ)は情のある統率力と弓の名手の腕を買われ、最後には若いチェ将軍の代わりに指揮をとる。
『七人の侍』なら志村喬の役どころかな。

芙蓉姫は気位ばかり高いお姫様であったが、民と一緒の戦いの中で次第に変わっていく。
ヨソルは姫の高慢な鼻をへし折る。

乾ききった砂漠に咲く一輪の花のような姫の美しさにはチェ将軍でなくとも眼を奪われる。
自分さえいなければ皆は助かる、辛さに気の強そうな頬に流れる涙が可哀想でもある。
姫は単身馬で敵陣に向かうため城門を出るが、
背後には黙ってつき従うヨソルがいた・・・・・
姫もまたヨソルを。

武士たちの互いの思惑と思惑のぶつかり合いが興味深かった。
「MUSA」の武士たちは、まず”生きよう”とする。
「必死不死・死を覚悟して生を得る時もある」
最後の戦い、チェ将軍とヨソルはがっちりと背を合わせ頷く・・・・・いくぞ!

おまけ・・・このチョン・ウソンは潜水艦映画『ユリョン』で熱演しています。
『ローレライ』が日本で話題になっていますが、こちらはなかなかシリアスな映画でした。


ラブストーリー・The Classic (劇場)

2004-02-17 19:49:00 | 韓国映画

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監督・脚本 クァク・ジョエン
出演 ソン・イェジン(ジヘ・ジュヒ) チョ・スンウ(ジュナ) 
    イ・ギウ(テス) チョ・インソン(サンミン)       
                      2003年度作品
公式サイト
久しぶりに素敵な映画を見ました。★★★★☆ほぼ満点をつけたいくらい。

初めに、以下の感想は結末に触れているので未見の方はお気をつけください。笑

映画を見終わったあと、普段映画のパンフレットを買わない私は売店に走りました。
ジュナがどう人生の幕を閉じたか知りたかったからです。
もしかして?
でも、そうではなかった。。

女子大生,、ジヘは心に想うサンミンがいるけれど、彼の後ろに座り、「後ろを振り返れ」と可愛い呪文を唱えるだけ。
ある日母の留守中に、母が亡き父を思い出しては泣く古い恋文の束をふと取り出します。
母の【もう一つの】秘められた恋を知らせるかのように、一陣の”風”が吹き込みます。

35年前の母ジュヒ(ソン・イェジン二役)には親の取り決めた政略的とも言える許婚テスがいました。
家柄のよいテスには親友のジュナがいます。

ジュヒとジュナが、愛し合うようになることから悲劇が始まります。
今も韓国では親の意見は絶対のようであり、当時はなおさらであったと想像できます。
しかもジュナは誠実な青年だけれど、ジュヒやテスとは身分が違う。
テスもまたジュヒに恋してしまい、そこで痛ましい事件が起こります。

ジュナの慟哭とテスのために取った行動には胸がかきむしられるようで。
何年か後ジュヒとジュナは再開しますが、それは悲しいジュナの秘密を知ることと、別れでした。
黒い大きな瞳に人知れぬ涙をたたえて、ジュヒは優しいテスと結婚します。
ジュナもやがて結婚し、そして、”一人息子”を残して・・・

韓国の映画では、特に恋の芽生える場面ではよく雨が降ります。
35年前の韓国ののどかな田園風景。
二人が蛍を捕まえるシーンは屈指の美しい場面として記憶に残ることと思います。

田中好子(スーちゃん)似の清純なソン・イェジン、誠実な青年を好演したチョ・スンウ。
私は、「猟奇的な彼女」を見て以来クァク・ジョエン監督と相性が良いと感じています。
監督も言うように「シリアスとコミカルが交差する」そういう映画が大好きです。
この映画でも、主人公たちは幾度か悲しみに落ちるけれど、最後にはきっと監督らしい幸せな結末が用意されていると安心して観ることができました。

ここからがその結末です。
*****************************************************

お話は現代に戻ってジヘとサンミンの心が通じた時、奇跡が起こります。
私はこの時まで気がつきませんでした。
そうだったのか。サンミンは。。
そして、ジュナは決して自死したのではなかった。ジュナもその後、幸せな家庭を築いたのでしょう。

そう、ジュナの終わりは全ての始まりだったのです・・・・・
あの”風”はジュナの魂だったのかもしれません。

 真実の愛は、
 人生にたった一度しか訪れない。
 そして悲しいことに我々はそれを手放してしまうのです。
 しかしそれは、永遠に我々の心の中に刻まれるものである、
 ということを
 『ラブストーリー』を観て思い出してください。

                 ───監督クァク・ジョエン


ボンベイ (劇場)

2004-02-16 19:41:00 | その他の国の映画/オーストラリア・アジア
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監督 マニ・ラトナム        
出演 マニーシャー・コイララ(バーヌ) 
    アラヴィンドスワーミ(セーカル) 1995年、インド

私が子供の頃に観た「大地の歌」という映画が、インド映画だったような気がするけれど確かではありません。

「ボンベイ」 これが私の初めて観たインド映画で、宗教の対立という難しい問題について考えさせられます。
その宗教紛争を背景にした、あるインドの家族の物語です。

ある日船着き場でセーカルは美しい女学生バーヌを見かけ恋をします。
バーヌはベールで顔を覆っているのですが。
このバーヌを演じるマニーシャー・コイララは素晴らしく美しいです。
それに比べ男性美というのは万国共通ではないらしい。笑
インドでは立派な男らしい男性がよしとされるのでしょう。

しかし若い二人が愛し合うようになっても、互いの家にはヒンドゥー教とイスラム教という違いと家柄の違いがあり、両親は二人の結婚を許しません。
仕方なく二人は親を捨て、家を捨て、ボンベイに駆け落ちし、ささやかな幸せを得ます。

双子の可愛い男の子に恵まれ、両家の親たちも二人を案じてやって来ます。
両家が初めて和解した時、
ヒンドゥー教徒のイスラム寺院襲撃からボンベイは戦火の海となり、
二人の両親たちは、紛争に巻き込まれ亡くなってしまいます。
散り散りにはぐれてしまった二人の子供たちの行方は・・・

インド映画はミュージカルシーンがふんだんだと聞いていたし、違和感はなく華麗な歌と踊りを楽しめました。
マニーシャー・コイララは美貌のうえにに歌もダンスもできて、天は彼女に二物も三物も与えたのでしょうか。
清楚で可愛い。歌い踊る彼女はとても魅力的です。

戦争が始まるあたりから映画はぐんとシリアスなものとなり、一気にラストまで引き付けられます。
長丁場なのだけど見終えた後の充足感。ふう~♪良かったぁ♪
監督マニ・ラトナムはバーヌの双子の子供を通して宗教の違いからくる争いの無意味さ、また身分にこだわる事の無意味さを伝えたかったのだと思います。

私の一番好きな場面。
駆け落ちの後、何年も会っていないバーヌを案じて彼女の母親がボンベイの家を訪ねて来ます。
扉を開け母親を見たバーヌは、立っていることができず、よろけて扉にすがりつきます。
母親を見つめるバーヌの表情に、胸が一杯になりました。

どんなにか母に会いたかったであろうバーヌと、娘を想う母親の気持ちがこちらにもひしひしと伝わる忘れられない場面です。




八月のクリスマス

2004-02-15 16:07:00 | 韓国映画
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監督 ホ・ジノ
出演 ハン・ソッキュ シム・ウナ

もうかなり前の話になりますが、評判を聞いて『八月のクリスマス』で、初めて韓国の映画を観ました。
少し前の邦画に近いものがあって、すんなりと映画に入り込むことができました。
ハン・ソッキュという名優を知ったのもこの映画でした。

淡々と日常が描かれれているのですが、静かな感動が広がります。
季節の移り変わり、さりげない日々の風景が心に染み入るように綺麗です。

街の古めかしい写真館で青年は人々の写真を撮り続ける。
青年は病に冒されて自分のこの世での終わりの時を知っている。
おばあさんがお葬式用と思われる写真を撮って貰いにやって来て。
青年は心を込めて写真を撮る場面が一番心に残ったかな。

ただ、青年のところに可愛い女性がやって来る。
無邪気な若い彼女とのつかの間の幸せな時。
でも、青年は彼女のためにそっと姿を消す。
季節は夏から秋、冬へと美しく移り変わっていく。

自分の死期を知っていてこんなにも静かでいられるものかしら。
こんなに静かに笑えるかしら。
いなくなる自分の想いを閉じ込める、こんな愛し方もあるのか。
青年の優しさが却って悲しいです。
最近は韓国のドラマがたくさん見られますが。
相手のために身を引くという愛の形が多いのですね。

父親にビデオの録画の仕方を教え、彼女に手紙を書き、

それから青年は自分自身の写真を撮る。
まもなく、それは必要になるだろう。