あいりのCinema cafe

只今gooブログにお引っ越し(工事中)

阿修羅城の瞳 (劇場)

2005-04-29 10:34:49 | 邦画 (69)

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監督:滝田洋二郎
原作:中島かずき
出演:市川染五郎(病葉出門)宮沢りえ(つばき)
    樋口可南子(美惨)小日向文世(四世鶴屋南北)
    渡部篤郎(邪空)内藤剛志(鬼御門・頭領)
    大倉孝二(俵蔵)     2005年

私は劇団新幹線のこの舞台を見たのでどうしても比べてしまいますが。
舞台の荒唐無稽さと大爆笑の渦、ラストのあの感動。
これを映画化するには苦労したでしょうね。

何でもこれは香港映画並みに一ヶ月で撮られたらしい。な、な、な、なんとぉ~!(歌舞伎口調で、笑)
もっと時間をかければ違ったものになったかな。

鬼が跳梁跋扈する江戸時代。
鬼より怖い”鬼殺し”と恐れられた鬼御門(鬼征伐隊)にいた病葉出門(わくらばいずも)。
あることをきっかけに前身を隠し、今は看板歌舞伎役者(今でいうアイドルですな)の洒落者として暮らしている。
しかし、つばきとの運命の出会いが出門の運命をも変えてしまう。

映画のほうはお話をシンプルにして、つばきと出門の愛の物語になっています。
舞台の天海祐希さんが大輪の紅椿なら宮沢りえさんは可憐な白玉椿か。
りえさんは男勝りな役柄より『たそがれ清兵衛』のような静かな役が似合うように思う。

染五郎さんの出門は洒落っ気たっぷりユーモラス。
歌舞伎の名場面も見せてくれ、流石、所作、声音、とりわけ台詞回しの粋なこと。
また、男っぷりの艶やかなこと。
よっ!高麗屋ぁ!
顔の片方だけ隈取りの化粧を落とさず、素顔でいる演出にどっきり。

瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の
   われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ

お゛もしれぇ~!おもしろ過ぎる~~と叫ぶ小日向文世の四世鶴屋南北、
あんたのほうがずっとおもしろいですからぁ~~!
大倉孝二さん、(やっと名前覚えた)せっかくだからもっと活躍させてほしかったわん。
うっそりとした雰囲気を出すためか?画面が少々暗くて見辛かったのは私だけか?

真の愛を知った時、阿修羅は転生を遂げる。
阿修羅甦りし時、現し世は魔界に還る。

つばきの正体とは?阿修羅とは?

ここから結末に触れています。
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最後の阿修羅との闘いに臨む時、白装束の出門が鏡に己が姿を映す姿は凄艶、生唾ごくり。
染五郎礼賛、ちょっとくどいですか?(笑)

つばきが出門の傷を舐める場面は濡れ場よりもずっと官能的でありんす。

”恋をすると女は鬼になる”納得。
映画的リアリティのためとかで、結末は舞台とは違っています。

おいらの邪魔をするんじゃねえ。
こいつぁ、おれとつばきの秘め事なんでぃ~い!

恋人たちが戯れるごとく、闘いながらこぼれるような笑みを浮かべる阿修羅。
阿修羅というより弥勒菩薩か。
縁を結ぶ赤い糸にチムドンドン(沖縄方言で、胸がドキドキ)。

われても末に 逢はむとぞ思ふ・・・


女の一生 1部 キクの場合

2005-04-21 19:36:00 | 本と雑誌
罰当たりなことに、私はこれと言った信仰を持たない。
遠藤周作さんの「女の一生 1部 キクの場合」を何年ぶりかで読んだ。
遠藤さんはクリスチャンでした。

幕末の長崎。
物語はキクという農家の娘と隠れ切支丹のお百姓の若者、清吉との運命的な出会いで始まる。
キクは活発で一途な情熱的な娘であった。
幕府はまだ信仰の自由を認めず、長崎の隠れ切支丹を弾圧しようと流刑に処した。

過酷な改宗を迫る拷問が清吉たちを待っていた。
キクは独りで清吉の苦しみを少しでも軽くして貰おうと、流刑地の役人、伊藤の言うままに身を任せ、苦界に落ちる。
金を作るために体を売り、身を汚してまでも清吉の身を案じた。

どんなに凄惨な拷問に合おうと屈しなかった人たちの信仰って何なのだろう。
私なら改宗すると言うだろう。
そして、密かにクリスチャンであればいいではないか。
神が存在するとしたら、それをお許しになるのではないのか。

役人たちのどんな説得にも耳を貸さない強情な男がいた。
「責め苦を受けて体を痛めて帰れば、母のない子供たちも嘆き苦しむであろう。そのことを考えてみるがよい」
役人の言葉に男は返事をする。
「御言葉、有難うござります。ばってん、たとえ生身の痛めつけられましょうとも、心ば失うとに比べれたら、何でもございませぬ。そげん思うております」
役人は男のその言葉に言いようのない感動さえ覚えた。匹夫もその志を捨てぬのが彼の心を動かしたのだった。

信仰というのは人間をそこまで強くするのかしら。

キクの一途な清吉への愛もまた、神の愛に近いのではないかしら。
全てを投げ打って真っ直ぐに自分の愛しい人のために生きるキクの姿はまるで聖母マリアのようです。

清吉がまだ、長崎の牢に囚われていた時、キクは代筆してもらった手紙を送る。
「難儀でありなさる。お前さまの顔ば見とうて牢の近くまで参じましたけど、このことがかないませぬ。
今、大浦の南蛮寺におります。お前さまのため願ばかけております。」

その手紙を見た時、火箭(ひや)のように清吉の頭から足の先に一人の娘の情熱が貫いた。

この表現の美しいこと。
ここだけは何年も前に読んだ本なのに、鮮明に記憶に残っていました。

キクは貧農の娘で、切支丹の教えなど知りもしないが、小さな教会のマリアの像に愚痴を言い、罵り、恨み、願った。
それが祈りであることも知らずに。

流刑された人々を取り締まる小者役人の伊藤がいる。
人間の中には善と悪、獣性が潜んでいる。
そう、人間は弱い者なのだ。

以下、結末に触れています。
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時代は明治と変わり、清吉は解放されたが。。
何年も後、清吉は忘れもしない自分たちを責め苛んだ伊藤に会う。

伊藤はキクが短い一生をどう終えたか、涙ながらに清吉に許しを請う。
「もうよか。伊藤さん。おキクさんはあんたに苦しめられたばってん、あんたば別のところに連れていったとたい。
そいだけでもあん人の一生は、無駄じゃなかった・・・・無駄じゃなかった」

本:女の一生 1部 キクの場合



インファナル・アフェアⅢ 終極無間

2005-04-19 21:21:48 | 香港映画 (57)

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監督・撮影・プロデューサー|アンドリュー・ラウ
出演 トニー・レオン|ヤン
   アンディ・ラウ|ラウ
   レオン・ライ|ヨン
   チェン・ダオミン|シェン ケリー・チャン|リー
   アンソニー・ウォン|ウォン エリック・ツァン|サム
   カリーナ・ラウ|サムの妻マリー チャップマン・トウ|キョン
監督・脚本|アラン・マック
脚本 フェリックス・チョン
編集 ダニー・パン(映画『レイン』監督)

見てきました。『終極無間』

ⅠとⅡの流れからこれは涙なくして見られない映画になるだろうと予想はしていました。
結論から言うと、衝撃のあまり涙も引っ込んだという感じでした。

まず、トニー・レオン アンディ・ラウ レオン・ライ(←この字面でした、ここ重要、笑)
このクレジットを見て、わくわくしました。
香港の3大スターをスクリーンで見られる!なんという幸せ。笑

レオン・ライの第三の男ぶり、クールです。謎めいています。
お元気でしたか?笑『瑠璃の城』以来ですから。

ん?このヨンも黒社会の潜入か?冷ややかな無表情が怪しい雰囲気。
流石、香港四天王、レオン王子。(北京から来ました!)
Ⅱのン・ジャンユーには敵うまいと思ったけど、負けてません。
眼鏡王子、ひじょ~にカッコ良いです。背、高いしね。ヨンはヨンでもペではない。笑
物腰の優雅なとこなんか似てる?
お陰で名前、覚えやすかった。ありがとう。
そう言えば、『ヒーローネバーダイ』でもラウ・チンワンを相手に!ひけをとってなかった、この人。

しかし、この映画、場面が現在だったり、過去に戻ったりと忙しいのなんの。
湯気たつ脳をフル回転するも敢え無く撃沈するかと思われし時、トニー(ヤン)の幸せそうな顔が。
無間道Ⅰでは出番が少なく、あっさり哀れにもやられてしまったヤンの明るい顔がこのⅢではふんだんに見られます。
成るほど、監督、脚本家たちの計算はここにもあったか。
あの、もの凄いウィンクはこの映画の華か。ぎゃあ~~♪転倒

Ⅰでは明かされなかったエピソードの数々がパズルを繋げるがごとくに語られる。
同時に全ての伏線のタネ明かしもされてゆくが、
私にはお話の全ては到底理解できていないと思う。
大きな勘違いをしているかもしれないし、
もし、お気づきの点がありましたら、突っ込み、訂正のお言葉お願いします。笑

”3人”が互いの身分を知って笑い合う場面が心に残りました。
現実にはヤンがいないのは物悲しくもあるけれど、その影の一人ぼっちのラウの孤独を想った。
警察学校で若きヤンを見送ったのはラウだけではなかったのだ。

物語の中では善も悪も紙一重。
ヤンだって仲間を売り、ラウもまた仲間を売る。
悪の中にも善はあり、善の中にも悪はある。
ヤンを信じるキョンをも彼は裏切っているじゃない。

無間道Ⅰでの事件の後、庶務課という閑職に甘んじていたラウはまた内部調査課に戻される。
戻されたが運のつき。
マリーとの結婚も失敗に終わった。
次第に追い詰められていくラウ。
この後、物語は破滅のラストへと突き進む。

無間道ⅡはⅠとは雰囲気が全く異なるので好みは分かれると思われます。
ここから結末に触れています。
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憑かれたようにヨンを調べ上げるラウは徐々に精神のバランスを崩し、幻覚や妄想を見始める。
この辺りから映画は一気に心の闇へと向かいアンディ・ラウの演技は鬼気迫るものがあります。
目が異様な光を帯び、仕草が妙に無邪気なのがコワい。

そして最後に彼の口から出た言葉に耳を疑った。
「こいつがラウだ!こいつがラウ・キップマン」だ。。
ラウはいつの間にか、自分自身を追い詰めていたのだ。な、なんということ?!

じゃあ、ラウ自身はいったい誰のつもりなのだろうか?
そう言えば、ラウが微笑み返す鏡の中に映った顔はヤンだった。まさか?
?だらけの感想、どうよ;
ここで改めて、脚本の凄さに気づいた。

「おれは善でありたかった。善人で。(広東語で好人・ホウヤンと言っていたような)」
ラウの目に流れる一筋の涙。

さらに衝撃の追い打ち。
ラウは死して平安を得ることも許されなかった。
彼の背後には、そう、影のようにマリーが立っていた。

運命は人を変えるが、人は運命を変えられない。
こんな男に誰がした;

生き地獄か。。
彼はもう十分償ったではないか。あんまりじゃないの。(+ +)
エンドクレジットで流れるのはレオンの甘い歌声か。ほっとしますな♪

劇場を出ると、お日様がやけに眩しいのでした。


金髪の草原

2005-04-12 19:52:50 | 邦画 (69)

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監督 犬童一心
原作 大島弓子
出演 伊勢谷友介(日暮里さん)池脇千鶴(なりす)
   リアルキッズの一人

『ジョゼと虎と魚たち』に心魅かれてからこのビデオを探していたのだけど、見たい!という一念は通じるものなのか?(笑)テレビの深夜放送で見ることができました。

『月とキャベツ』を見た時に似た感動を味わいました。
ある意味で究極の純愛映画です。笑
邦画って素敵だ♪

ある日、目が覚めたら80歳の老人が20歳の青年に戻っていた。
漫画が原作です。
このお年寄りの日暮里さんは単に20からの記憶をなくした、そういう見方が正しいのかもしれないけど、私はそうは思いたくない。

日暮里さんは外見はともかく、心は20の青年なんだと思いたい。
大学生の心、それも60年前の無骨で純粋な心を持つ青年。
現代人がなくしたかもしれない真摯で真面目な態度、何よりも澄んだ目。
演じる伊勢谷友介は当時の青年はこうであったろうという感じが出ていて、とても良いと思う。
白い絣の着物と角帽が似合いそう。

その日までは世をすねて偏屈でどうしようもなかった日暮里さんの元に、成り立てのヘルパーのなりすがやってきた。
彼女はいつも日暮里さんが大学の側で見かける憧れのマドンナにそっくりだった。
その人が毎日、自分の世話をしにやってきてくれる。
”これはきっと夢を見ているのだろうけど、なんて幸せな夢だろう”

日暮里さん曰く、「(夢よ覚めないで)身体が言うことをきかない、現実の自分は何か重い物(実際は高齢と病)を背負っているらしい。多分”布団”だと思うけど。。」
この台詞が可笑しい。

20に戻った日暮里さんはまだ発病していなくて屈託がない。

犬童さんの映画はどんな時にも深刻になり過ぎず、ユーモラスで噴出してしまう。

池脇千鶴さんのはちきれんばかりの若さと可愛いさ。
時折見せる芯の強そうな台詞回しはご愛嬌。(笑)
やっぱり上手にぬかづけ漬けています。美味しそう。
日暮里さんの姿の奥の誰かを見抜くような池脇さんの”目 ”には注目です。

漫才のリアルキッズの一人が不思議な役どころで出演。
この意外性にも笑えるのだけど。
「早く現実に気づけ、でないと周りの人を不幸にするで」

ここから結末に触れています。
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夢なのに、なんでなりすさんは毎日、家に帰るの?
結婚しよう!
私、幸せになるのが怖いんです。
心の奥から絞り出すように言う池脇さんの表情が忘れがたいです。

この頃、隣の子供は日暮里さんに、おじいさんにまた、遊ぼうと伝えてと言っていた。
子供には真実の日暮里さん(20歳の)が見えたのかな。

日暮里さんは自分が書いた年表を見つけて読んでしまい、これが夢か現実かを確かめるために・・・

池脇さん独特のあの歌うようなしみじみとしたナレーションで映画は終わります。

それにしても思い出すのは、あのドライブした日のことです。
日暮里さんは少し興奮して、にこにこ笑って手を振っていました。

>>でも、僕は素晴らしいと思うんです。
>>何もかも、本当に素晴らしいと思うんです。

現実には日暮里さんは20過ぎに発病し、結婚も就職も全てを諦め、
心臓が止まらないという事だけに気をつける人生を送らなければならなかった。
心臓止まらず、心臓止まらず。。。の文字の続く日暮里さんの書いた年表、備忘録。

長い彼の無為な人生が思いやられてやり切れない。
老いていく悲しさ。

でも、最後に彼はキラキラと金色に輝く海のような青春を悔いなく生きなおしたんだと思う。
なりすもまた、義理の弟への想いにけじめをつけた。

黄金色の海は言葉にならないくらい美しく、
青い空は澄んで。

いつまでも大切にしたい無垢な心。

爽やかな余韻が胸に残りました。
ashu

TB送信:LM * The Letters about a MOVIE


ウルガ URGA(劇場)

2005-04-04 22:59:52 | ヨーロッパ映画/イギリス・フランス (2
uruga

監督 ニキータ・ミハルコフ
制作 1991年/フランス

随分前に、二本立て上映の劇場で偶然に見ることになった(笑)映画なのだけど、とても印象に残っています。

こうして調べてみると制作はフランス、このニキータ・ミハルコフ監督の映画は他に『黒い瞳』をテレビで見ました。
残念ながら、細かいところは忘れてしまったけど、マストロヤンニと美しい女優との絵画のような映画でした。
ミハルコフ 監督作品に興味が出てきましたよ。

さて、『ウルガ』は珍しくモンゴルが舞台です。
草原を渡る”風”を感じさせてくれる、雄大な自然に惹かれたました。
ドキュメンタリーのような映画で、これといったストーリーもありません。
モンゴルのある家族の日常が時に滑稽に語られます。

モンゴルといっても、お隣はもうロシア。
ロシアの男が草原の砂地に車のタイヤをとられ抜け出せない。
モンゴルの男が手助けしたことから二人は友達になり、彼を自分のパオに招待する。

モンゴルの人の一番のもてなしは家畜のヤギを葬ってお客に振舞うことです。
神聖なヤギの処理、解体を見つめるロシアの男の複雑な顔が興味深かった。

モンゴルでは家族全員がパオで一緒に暮らします。
ウルガ」とは馬を追う棒のことで先に赤い布が付けてあります。
ウルガを草原に立てて、男女は誰はばかることなく愛し合っていいのです。
大自然の懐に抱かれて、なんて甘美なことでしょう。
「ウルガ」が立つ時、誰もそこには近寄りません。

モンゴルの男が草原で、うたた寝をして「ジンギスカン」の幻を見ます。
その昔、この草原をジンギスカンが駆け巡ったのですね。

自然と共に、日々営まれる生活。
ここには人が生きるに必要なものだけしかありません。

その自然と生活もいずれ失われる、そんなラストに少し胸が痛かったです。