愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

愛国歌「お山の杉の子」の元歌と改作歌に日本分岐を見る!東京新聞私設・論説室に大アッパレ!愛国者の邪論は改作歌をよく歌った世代かな?

2017-07-14 | 日本文化

日本の文化を戦争に動員した過去の見本を詳らかにして

憲法を活かす日本政治と社会に!

東京新聞【私説・論説室から】 愛国歌「お山の杉の子」 2017年7月12日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017071202000141.html

私が子どもの頃、「歌のおばさん」として有名だった安西愛子さんが百歳で亡くなった。戦時中に童謡「お山の杉の子」で本格デビューしたという。

友人たちとカラオケで童謡、唱歌を歌い合ったことがあり、私がこの歌を選んだら画面には戦前の元の歌詞が出ていた。杉の子は立派に成長し、お国のために役立った…。後で調べたら、五番の前半は「大きな杉は何になる 兵隊さんを運ぶ船 傷痍(しょうい)の勇士の寝るお家(うち) 寝るお家」だった。杉は軍艦の建材に使われ、戦死者のひつぎにもなった。六番は「お日さま出る国 神の国 この日本を護(まも)りましょう」で締めくくる。戦意高揚の愛国歌だったのだ。

戦後、四番以下の歌詞は一変する。詩人サトウハチローが、自作ではないこの歌の歌詞を補作した。五番は「大きな杉は何になる お舟の帆柱(ほばしら) 梯子段(はしごだん) とんとん大工さん たてる家 たてる家」と、復興の様子に。六番も新生日本の心弾む内容になった。

サトウは言論統制の時代にも、戦争の悲しみをさりげなく表現した。「めんこい仔(こ)馬」は成長して軍馬に徴用される話、「もずが枯れ木で」は出征して満州(中国東北部)にいる兄と、兄がいない農家の冬の風景を見事に対比させた。戦争が終わって「お山の杉の子」を書き改めた時、どんな思いを伝えたかったのだろうか。 (山本勇二)

出てくる映像は北朝鮮と間違える!?

お山の杉の子 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=O9ZAqgdrN3A

2008/08/12 に公開  1944年(昭和19年)、少国民文化協会が行った少国民歌の懸賞募集の第1位入賞歌であった。当初は、戦死した父を持つ子どもを励ます歌であった。 1944年(昭和19年)12月に、ニッチクレコード(コロムビアレコード)から発売され、作詞は吉田テフ子、作曲は佐々木すぐる。 歌は安西愛子、加賀美一郎、寿永恵美子。 1944年(昭和19年)11月6日に国民合唱で、放送合唱団と児童合唱団によって行われた。 終戦後、内容に戦時色があったので、放送やレコードの販売が禁止になり、この歌をもう一度復活させようと、サトウハチローが改作した

お山の杉の子(元歌)

http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-oyamanosuginoko-original.html

http://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-oyamanosuginoko.html

この「お山の杉の子」は昭和19年作という事もあり、内容も一見して<我ら少国民>向けの戦意高揚の官製童謡と思っていました。もずが枯木で」のような反戦的な歌を作っていたサトウ・ハチローも、昭和19年当時は殆どの国民同様大変な翼賛作詞家となっていて、その彼が補作をしていることからこの童謡の性質が知れる、と。しかし、上掲の歌詞すら戦後サトー・ハチローにより改作されたものであり、元歌の4,5,6番は軍歌そのものであったことがわかりました。元歌はこち
調査結果】吉田テフ子(よしだ・ちょうこ 大正9年(1920年)~昭和48年(1973年))は徳島県宍喰(ししくら)町の資産家の家に生まれ、徳島女子師範学校を卒業後尋常小学校の教師をしていたが、昭和19年に<日本少国民文化協会>が募集した<少国民歌>で「お山の杉の子」が第1席となり(一説にはサトー・ハチローが佐々木すぐるに詞を見せたところ、佐々木すぐるが気に入ったと)、一気に全国に名前が知られた。吉田テフ子が作詞したのはこの一曲のみである。生涯独身を貫き戸畑市の市会議員を務めたりして、昭和48年に没した。

お山の杉の子  日本の童謡・唱歌

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/oyama-suginoko.htm

かつては杉は国威発揚に!

現在は花粉症に!


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2 コメント

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「蛍の光」も ()
2017-07-14 08:30:38
蛍の光も2番で終わりではありません。“北の果てから南まで、国威を広げて戦おう”みたいな歌詞があります。近所の女子高校の校歌は「皇御国に…」と今でも歌っています。戦争へとすべての教科が利用されました。音楽は心そのものをコントロールするツールとして重要でした。
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蛍の光は『本土防衛』の歌だった! (愛国者の邪論)
2017-07-14 19:28:45
近さん、コメントありがとうございます。

「蛍の光」は『蛍雪時代』など受験雑誌と同じように主合われがちでしたが、卒業式には子どもに何気なく歌わせていたのですね。想い出します!

【合唱曲】蛍の光 / 歌詞付き
https://www.youtube.com/watch?v=brUWAlQsWMg

蛍の光 AULD LANG SYNE
http://www.utagoekissa.com/hotarunohikari.html

沖縄も千島も切り捨てられました!

沖縄には今でも米軍基地が!民族主権を侵しています!核軍事抑止力論を口実に!

憲法平和主義と非核三原則を活かした政治を放棄して、もっともらしい屁理屈を並べて!

千島では、アッツ島守備で玉砕を強要しておいて、遺骨収集も放棄するばかりか、日本領という当然の権利すら放棄しているのです!

これで英霊に尊崇の念と!とか、英霊に感謝!とか、現在の平和は英霊のお蔭だ!とか、全くケシカラン話です。

民族主権も国家主権も売り渡す!これが大東亜戦争を正当化する輩の不道徳ぶりを浮き彫りにしています。
声を大に告発しなければなりません!

英霊に報いるためには憲法平和主義と非核三原則を活かした政治を実現することです!

愛国者の邪論
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