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最初の「急増期」は小泉政権

独自入手した防衛省の内部資料がある。

将来の幹部自衛官を養成する防衛大学校の学生や卒業生の退職状況をまとめたもので、(1)危険を伴うイラク派遣の最中や、(2)実質的に軍隊としての活動を規定した安全保障関連法の制定時、大量に退学したり、任官後に早期退職したりしていることを示す興味深いデータである。

資料を読み解く前に、防衛大学校とは何か、知る必要があるだろう。

防衛大学校は東京湾を一望できる神奈川県横須賀市の高台にある。1952年に保安大学校として設置され、54年防衛大学校に改名した。旧日本軍が陸軍、海軍で別々に士官候補生を教育し、太平洋戦争で反目し合った反省から、士官学校にあたる教育機関を統合した。

入校した学生は特別国家公務員となり、全寮制で被服と食事が提供されるほか、毎月11万4300円の学生手当と、年2回で合計約37万7190円の期末手当が支給される。学費や生活費が足りずアルバイトする一般の学生が多い中、勉学環境は恵まれている。

卒業後、任官と同時に曹長となり、幹部候補生学校を経て、いきなり幹部の3尉(少尉)に任命される。その後も昇進は早く、大半の卒業生は30代で佐官(3佐以上=少佐以上)となり、早ければ40代後半で将官(将補以上=准将以上)に抜擢される。

陸海空自衛隊ごとに設置されている幹部候補生学校には、防衛大学校の卒業生とほぼ同数の一般大の卒業生も入校して幹部自衛官となるが、陸海空各幕僚長は過去、防衛大学校卒で占められ、一般大卒はひとりもいない。まさに自衛隊のエリート養成校なのだ。

そのエリート養成校に異変が起きたのは、2003年だった。この年から7年連続して、超特急の出世街道から自らの意志で外れていく学生や卒業生が続出したのである。

防衛省は防衛大学校の在校中と卒業後の早期退職状況をまとめており、入校者数(A)、退校者数(B)、卒業者数(C)、任官辞退者数(D)、早期退職者数(E、幹部候補生学校非入校者および同校入校後、8月末までの早期退校者)ごとに集計している。

重視しているのは「入校しながら、自衛隊に定着しなかった学生の人数」だ。B+D+Eの合計をF(筆者注:「退職者数」という)として入校者数のAで割り、その数値を一覧表にまとめている。

入校者数は年度によって増減しており、毎年450人から550人といったところ。うち女性が40人前後と約1割を占める

「退職者数」は毎年100人前後で推移するが、入校者の約2割が辞めていることにまず驚かされる。

問題の03年以降をみると、前年02年の「退職者数」は99人だったのに対し、03年は139人に急増。04年はさらに増えて152人、05年は最多の163人、06年157人、07年139人、08年142人、09年126人となっている

03年から「退職者数」が急増し、高止まりした理由は容易に推測できる。イラク戦争への自衛隊派遣が影響したのではないだろうか。

イラク戦争は「フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っている」とウソをついた米国が始めた。米政府から「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(陸上自衛隊を派遣せよ)」と求められた小泉純一郎政権は03年7月、自衛隊をイラクに派遣するイラク特別措置法を制定する。

陸上自衛隊600人のイラク派遣は、04年1月から06年7月まで2年半続いた。小泉首相が「非戦闘地域」への派遣を約束したにもかかわらず、04年4月から自衛隊宿営地へ向けたロケット弾攻撃が始まり、撤収するまでに13回22発のロケット弾攻撃にさらされた。仕掛け爆弾により、車両が破損する自衛隊を狙ったテロ攻撃も起きた。

陸上自衛隊が撤収した後、クウェートに残った航空自衛隊は、06年9月からC130輸送機で武装した米兵の空輸を開始。米軍と武装勢力が戦闘を続けるイラクの首都バグダット上空に到達すると、毎回のように携帯ミサイルに狙われていることを示す警報音が機内に鳴り響き、C130はその都度、アクロバット飛行のような退避行動を求められた。

この空輸活動は08年4月、名古屋高裁から「米軍の武力行使と一体化しており、憲法違反」との判決を受けている。航空自衛隊は08年12月、クウェートから撤収。翌09年8月にはイラク特措法が失効し、自衛隊がイラクへ派遣されることはなくなった。

すると、どうだろう。イラク派遣の可能性が消えた10年、「退職者数」は92人とイラク戦争が始まる前の02年の水準に戻ったのである

2014年に起きた2度目の異変

「退職者数」がもっとも多かった05年、入校者数に占める「退職者数」の割合は38・4%にのぼり、ほぼ5人に2人が自衛隊を忌避したことになる。同年、女性は入校した34人のうち19人、割合にして実に55・0%が退職しており、2人に1人も自衛隊に定着しなかった。

幹部自衛官は、己の生命を危険にさらすにとどまらず、部下に命懸けの任務を命じなければならないことがある。

イラク特措法が制定され、施行されていた期間は、まさに自己と部下の生命を危険にさらす可能性が高い時期にあたる。過酷な任務を伴うようになった「自衛隊の変化」を目の当たりにして嫌気が差し、高い「退職者数」となったのではないだろうか。

次に異変が起きるのは14年以降である。14年の「退職者数」は143人と前年13年の106人から一気に増え、15年157人、16年141人、17年131人となっている。

グラフは資料をもとに編集部が作成

 こちらは第二次安倍政権下での「退職者数」の高止まりである点に注目しなければならない。

「退職者数」が増え始めた14年は、歴代政権が違憲としてきた集団的自衛権行使について、一部合憲とする閣議決定があり、海外における武力行使が解禁された。15年9月には集団的自衛権行使や他国軍への後方支援拡大を含む安全保障関連法(安保法制)が制定され、16年3月から施行された。

そして16年12月には、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣している陸上自衛隊350人に対し、安保法制の適用第1号として武器使用を伴う「駆け付け警護」「宿営地の共同防護」が命じられた。17年には朝鮮半島情勢をめぐり、同法制による米軍防護が開始された。

このように安倍政権下で始まった「自衛隊の軍隊化」が、「退職者数」の増加につながったと考えられないだろうか。

イラク特措法が4年で消滅する期限付きの法律だったのに対し、安保法制は恒久法である。今後、防衛省はよほどの方策を打ち出さない限り、防衛大学校で起きている「自衛隊忌避」の流れをとめるのは難しいだろう。

憲法に自衛隊が明記されれば…

これほど「退職者数」が多いにもかかわらず、なぜ若者は防衛大学校を目指すのだろうか。

防衛省の出先機関である自衛隊茨城地方協力本部のホームページには、茨城県出身で防衛大学校へ入った1年生10人が紹介されている。志望動機に「自衛隊への憧れ」を挙げた学生がいるほか、「東日本大震災の際、自衛隊の活動を見て感銘を受けたため」といった災害救援を動機とした学生もいる。

ただ、彼らが志望動機を「自衛隊への憧れ」と答えたとしても、踏み込んで聞かなければ、海外で生命を落とす危険性や米国のための活動について、どれほど理解して答えているのかはわからない。防衛大学校に夢を抱いて入校する若者がやがて失望し、去っていく現実がある以上、「自衛隊をめぐる政策の右傾化についていけない」という若者が多いと考えるほかない。

9月に行われる自民党総裁選で安倍晋三首相の3選が実現すれば、憲法に自衛隊を書き込む憲法改正をめぐる国民投票の実施が濃厚になる。今でも「自衛隊は合憲」と明言する安倍首相が、あえて憲法改正にこだわるのは「自衛隊という名の軍隊を認めること」(立憲民主党の枝野幸男党首)にあるのではないだろうか。

憲法への自衛隊明記について、自衛隊のトップに立つ河野克俊統合幕僚長が「ありがたい」と述べたことから「自衛隊は歓迎ムード」ととらえる向きがある。安倍首相の思惑通りに憲法改正が実現すれば、自衛隊の任務は日本防衛にとどまらず、海外での危険な活動にまで広がるのは必至だ。

さらに、自衛隊が憲法に明記されたとすれば、自衛隊は絶大な権限を持つことになる。会計検査院が他省庁に対して強い権限を有しているのは、憲法90条に「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し」と憲法上の機関であることが明記されているからである。

堂々と軍事力は強化され、それに伴う予算の増加が始まるだろう。そうなれば、防衛大学校に入校したり、一般隊員として入隊したりする若者の質も変化するかもしれない。

災害救援やPKOといった「人助け」よりも、武力行使に関心を示す若者が自衛隊を目指すとすれば、政策が右傾化するたびに増える「退職者数」の問題は解消するだろう。

それでも人材が不足するなら、徴兵制が現実味を帯びてくる。日本が平和国家の看板を返上しなければならない日がくるのかもしれない。(引用ここまで)