愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

未だに中国皇帝のつくった「元号」を大事にして使っている現代日本のオカシナ風潮に大喝!

2017-01-14 | 天皇制

 

元号は時の権力者が統治力を誇示し自らの権力の正統性を根拠づけ、時間と支配する道具として始まり、使われた!その歴史を一覧してみると判る!庶民にとって、意味はあったか?2017-01-14 | 天皇制

 

つづき

未だに中国皇帝のつくった「元号」を大事にしている日本のオカシナ風潮に大喝!

「元号」は博物館で保存すればいいだけの話ではないのか!

中国敵視政策をとってきた近代日本が中国思想に染まっているのは滑稽だな!

中国に対するコンプレックスがあるのではないのか!

中国の中華思想をそのまま現代日本でも使って平然としている可笑しさ!

「東京」の地名にして然り!

「上り・下り」と、道路・鉄道にして然り!

「地方」にして然り!

「元号」は庶民にとって意味あるものだったか?

「元号」の意味と実際の政治の乖離に注目!

そもそも「〇〇時代」は便宜的に後世の史家が付けたもの!

明治」の由来は

出典易経の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」より。「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」というこの言葉は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されているが、通算11度目にして採用された。前越前藩主松平慶永らが勘案した文面をとしたものから、宮中賢所で天皇が自ら抽選したものだといわれている。聖人が北極星のように顔を南を向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味である[1]

大正」の由来は

易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。なお大正天皇実録によれば元号案として「大正」「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の案があったが、最終案で「大正」「天興」「興化」に絞られ、枢密顧問の審議により「大正」に決定した。 

昭和」の由来は

旧皇室典範登極令による制度での最後の元号であり、元号法で改めて制定された最初の元号である[2]「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。なお、江戸時代にまったく同じ出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。当時枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。

 平成」の由来は

新元号の発表時に小渕恵三が述べた[8]「平成」の名前の由来は、史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」()など、外国の年号や13代成務天皇の諡号にも使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている。(引用ここまで)



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