元号一覧 (日本) - Wikipediaを視ると・・・・
飛鳥時代(大化改新645~平城京遷都710)(大化645年7月17日~和銅708年2月7日)元明天皇 武蔵国より和銅が献上された祥瑞による改元。
奈良時代(平城京遷都710~長岡京遷都784)(霊亀715年10月3日~延暦782年9月30日)桓武天皇 桓武天皇即位による改元。
平安時代(平安京遷都794~源頼朝征夷大将軍1192)(延暦782年9月30日~元暦1185年9月9日)後鳥羽天皇 後鳥羽天皇即位による改元。
治承5年(1181年)、平氏政権が実権を握る中で、平清盛の外孫である安徳天皇が即位し、「養和」へ改元された。朝廷でのこの動きに対し、対立する源頼朝の関東政権は、「養和」と「寿永」の元号を使わず、「治承」を引き続き使用した。関東政権による「治承」の継続使用は、寿永3年(治承8年、1184年)に源氏が京都を占領し、擁立した後鳥羽天皇の即位によって「元暦」へ改元されるまで続く。一方、平氏一門は都落ちした後も安徳天皇を擁し、元暦2年(寿永4年、1185年)の壇ノ浦の戦いで滅亡するまで、引続き「寿永」を使用した。
鎌倉時代(頼朝征夷大将軍1192~幕府滅亡1333)(元暦1185年9月9日~1333年5月)足利高氏六波羅を攻略。新田義貞鎌倉攻略(鎌倉幕府滅亡)・6月後醍醐天皇京都還幸
大覚寺統:元徳3年8月9日(1331年9月11日)
持明院統:元徳4年4月28日(1332年5月23日)
元徳3年(1331年)、後醍醐天皇(大覚寺統)の倒幕計画発覚後、天皇は「元弘」に改元した。
しかし、鎌倉幕府は改元を認めず、「元徳」を使い続けるとともに光厳天皇(持明院統)を擁立した。
南北朝時代・室町時代(後醍醐天皇吉野還幸13367~南北朝統一1392~足利幕府滅亡1573)(建武1334年3月5日~元亀1573年8月25日信長足利義昭河内に追放・幕府滅亡)後醍醐天皇(開眼理由は不明)
建武の新政(建武政権)は2年足らずで崩壊し、足利尊氏が離反。建武3年(1336年)に後醍醐天皇は「延元」に改元した。これに対して尊氏は入京して光明天皇を擁立し、「建武」の元号を使い続ける。後醍醐天皇は一旦和睦したものの再び京を脱出して吉野へ逃れ、吉野朝廷(南朝)が成立した。
南朝(大覚寺統) 建徳以降の元号は改元史料を欠き、正確な始期を明らかにし難い。文中を除いて、『続史愚抄』『南朝公卿補任』以来の通説を掲げる。
北朝(持明院統)「延元」への改元・南朝成立後も、北朝・足利方では引き続き「建武」の元号を使用した。
南北朝合一後(元中9年(1392年)、後亀山天皇が退位して南北朝合一が成った(明徳の和約)。元号は「明徳1394年8月2日」に統一された。後小松天皇 天変や兵革による改元
戦国時代(応仁の乱1467~秀吉全国統一1590)(応仁1467年4月9日~)後土御門天皇 災異による改元
安土桃山時代(天正1573年8月25日~)正親町天皇 戦乱などの災異による改元。
江戸時代(徳川家康征夷大将軍1603~徳川慶喜大政奉還1867)(慶長1596年12月16日~)後水尾天皇 慶長伏見地震など天変地異の災異による改元。
幕末から明治時代以降(近代・現代)の元号制定の特徴
1848年4月1日孝明天皇即位による「弘化」から「嘉永」に改元。
孝明天皇(天保2年6月14日(1831年7月22日) - 慶応2年12月25日(1867年1月30日))は、第121代天皇。在位は、江戸時代末の弘化3年2月13日(1846年3月10日)‐ 慶応2年12月25日(1867年1月30日)。諱は統仁(おさひと)。仁孝天皇の皇子、明治天皇の父。
1855年1月15日孝明天皇、内裏炎上、地震(安政の大地震)、黒船来航などの災異により「嘉永」から「安政」改元。
1860年4月8日孝明天皇、江戸城火災や桜田門外の変などの災異により「安政」から「万延」に改元。
1861年3月29日孝明天皇、辛酉革命により「万延」から「文久」に改元。
1864年3月27日孝明天皇、甲子革令により「文久」から「元治」に改元。
1865年5月1日孝明天皇、禁門の変や社会不安などの災異により「元治」から「慶応」に改元。
1868年10月23日一世一元の詔を発する。「明治天皇」即位により「慶応」から「明治」に改元。
明治天皇(1852年11月3日(嘉永5年9月22日)- 1912年(明治45年)7月30日)は、日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は祐宮(さちのみや)。お印は、永(えい)。倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれた。その盛名により明治大帝 (Meiji the Great) 、明治聖帝、睦仁大帝 (Mutsuhito the Great) とも呼ばれる。
在位期間:慶応2年12月25日(1867年1月30日) - 明治45年7月30日(1912年7月30日)
統仁氏=孝明天皇が死亡して明治天皇と言われている睦仁氏が天皇号を継承して、そののちに「明治」と改元、その際に「一世一元の詔」によって新しい制度が構築された。制定したのは?「明治」天皇?現在「平成天皇」とは言っていないので?????
「一世一元の詔」以後の「元号」の由来・意味は?