岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

ブログ書きは今日で連続1009回になり、1000日間1日も休むことなく書き続けた

2009-11-15 05:16:07 | Weblog
◇◆このブログ、1.000日間1日も休むことなく書き続けた◆◇

 07年2月22日から始めて、昨日まででA4 版で2.310ページになった。その内訳は07年が580ページ、08年が750ページ、09年が1.080ページである。年々増えている。これが、我ながら不思議に思えるところだ。大体、書き続けていると「書く内容」が枯渇してくることが一般的であろう。だから、私もいつか書くことがなくなるのだろう、その時はどうしようかなどと心配はしていた。だが、とうとう今日まで1.000日間続いてしまったのである。本当に不思議なことである。この三日坊主である私がである。

 今日は表題のことについて「熱を入れて」書くつもりでいたのだが、そのことよりも気になってしようがないことがあるのだ。
 その一つは「今日のお天気」であり、もう一つは「今日の写真」のことである。
先ず、お天気だが、今日は今年最後のNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」野外「観察」の日なのだ。
 何とか「有終の美」を飾ろうと、観察ルートを先週の日曜日を含めて、すでに先月、今月で3回も下見をしている。
 登山道を外れて、初冬の尾根踏み跡道を辿って、標高700m辺りまで登って降りてくるというコースをとるつもりでいる。
 途中には、ミズナラやオオヤマザクラが混在する雑木林があり、赤松の林があり、枯れた尾花やワラビ畑がある。さらに登るとミズナラを中心とする林が出てくる。だが、葉はすっかりと落ちてしまい、林床の下草も枯れて、根曲り竹の生えていない場所は、まるで「芝地」のようで、落ち葉を踏んで縦横に歩けるのである。
 落ち葉も、「カラカラ、コソコソ」という音は立てない。何枚も重なっているので、踏むと「ガサガサ、ザクザク」という音を立てる。下りには、窪みに貯まっているところは、靴によって蹴上げられるので、水飛沫のように飛ぶ。「ザワザワ」と靴で掻き分けながら降りるようなものなのだ。
天気がよければこのダイナミックな落ち葉掃きが出来るのだが、雨降りだと、大変だ。滑るのである。受講者は「足腰」の強いものはいない。
 私と同等かそれ以上の老齢である。平地でさえも「しっかり」歩くことがままならないといっている人が多い。しかし、これまでは晴れというお天気に支えられて藪こぎなどをしてきた。だから、晴れてほしいのだ。
 昨日の午後4時だ。夕焼けまがいの明るい空を西に見た。夕焼けとは言えないが、夕焼けでもある。少なくとも曇っていて空が見えないという訳ではなかった。
 夕焼けは、明日の好天を保証してくれる。だが、NHKの天気予報では降水確率が90%だった。
 今朝起きたら雨が降っていた。その上風も結構ある。明らかに悪天だ。それでも願う。せめて午前中は雨が上がって曇り空で、経過してくれることを。
 すでに、野外観察用のカラーでプリントしたパンフレットは作ってある。どうしても、悪天、雨降りで出かけられない時のために、90分間の座講内容のレジメとパワーポイントで作成した「画像」もある。これには2日以上かかった。
 悪天が予想される時の対応には、野外に出かける数倍のエネルギーを使う。最近は「下見」から「パンフ」づくり、現地での案内・説明まで一人ですることが多くなった。今日は「野外」か「座講」かという判断をする仕事も加わった。
 これから、その両方に対応出来るように「山に行く」準備と講座でオーバーヒッドプロジェクターを使って講義が出来るよう準備を始めよう。 

 もう一つの気になること、今日の写真は何という木の葉だろう。「ウルシ」か「ニワトコ」であることは確実なのだが、何とも決めかねるのだ。そのいずれにしても、これは幼木の類だろう。背丈が低い。50cmはない。
 何故、写したのかというと「葉の色具合」が微妙であることと、初冬だというのにまだ「緑の部分」を多く見せていたし、周囲の草木が枯れて色あせた褐色に変化しているのに、この葉だけが際立って異質だったからである。
仮のこれが「ウルシ」だったらすでに真っ赤に燃え上がって落葉しているはずである。「ニワトコ」にしても同じだろう。
 それにしても不思議なことは、同じ木なのに、同じ色の葉が1枚もないということだ。注意をしてみるとみんな色合いが違うのだ。これは、ある色に変化していく「途中」をそれぞれの葉が示していることだろう。それでは、この「進展途上」にある葉の帰結、ゴールは何色なのだろうか。「燃えるような真っ赤」であろうか。
 どうもそうでもないらしい。葉の中にかなり濃い「褐色」になっているものがある。これは「赤くなる」という「アントシアン」と呼ばれる紅い色素が葉の中で造られていないことを示している。
 「ウルシ」は秋になると確実に「アントシアン」が造られて赤くなる。これが、「ウルシ」ならば、たとえ幼木といっても、「赤く」なっていいだろう。
 ところが、薄い「褐色」だ。褐色の本体は、タンニン系の物質で、お茶に含まれているとされる「カテキン」などの無色のフェノール性物質が化学変化して出来たもので「フロバフェン」とも呼ばれる色素だ。 
 また、まだ緑を装う葉には黄色の部分も見える。これは、夏の間、緑色の下にもともとあった「カロチノイド」という黄色の色素が表に出てきたものだ。それにしても、葉脈だけが黄色い。そして美しい。葉脈が「対生」しているところはやはり「ウルシ」か「ニワトコ」だ。
 黄色、緑、褐色の小宇宙、ああ、赤い色彩、色素の「アントシアン」はどこに行ってしまったのだろう。自然は不思議だ。そして、奥が深い。
 今日、雨が上がると、またこの「葉」に逢える。赤くなっているだろうか。

 このような調子で、また明日から書いていく。きっと書けるだろう。

●● 緊急のお知らせ ●●

 「岩木町民文化祭」

11月21日、22日に開催される「岩木町民文化祭」に、本会も出展します。
場所は中央公民館岩木館2階大ホール(弘前市大字賀田1丁目)。
内容:「岩木山の花」、「真冬の岩木山」写真展。およびこれらに関するミニ講演会。
搬入準備は18日の日中から始まることになっています。

 展示や講演については要請があったもので、その要請内容に従い、本会が所有する範囲内での展示となりました。

 お手すきの会員は「搬入・展示」および当日の「解説・巡視」等のお手伝いをお願いします。お手伝いに関する問い合わせは事務局(35-6819三浦)までお願いします。

緊急のお知らせ「岩木町民文化祭」 / 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その9)

2009-11-14 05:13:06 | Weblog
●● 緊急のお知らせ ●●

 「岩木町民文化祭」

11月21日、22日に開催される「岩木町民文化祭」に、本会も出展します。
場所は中央公民館岩木館2階大ホール(弘前市大字賀田1丁目)。
内容:「岩木山の花」、「真冬の岩木山」写真展。およびこれらに関するミニ講演会。
搬入準備は18日の日中から始まることになっています。

 展示や講演については要請があったもので、その要請内容に従い、本会が所有する範囲内での展示となりました。

 お手すきの会員は「搬入・展示」および当日の「解説・巡視」等のお手伝いをお願いします。お手伝いに関する問い合わせは事務局(35-6819三浦)までお願いします。

(今日の写真は、間もなく「散ってしまう」であろう「コマユミ」である。「コマユミ」はニシキギ科ニシキギ属の落葉低木で、庭木などとしてよく植えられている「ニシキギ (錦木)」の仲間である。
 北海道、本州、四国、九州に分布していて、山野の雑木林の「林縁」などに普通に生育している、極めて誰でも目にすることの出来る樹木である。
 秋になると、葉は真っ赤に色づき、周囲を染め上げるほど鮮やになる。だが、今日の写真の「コマユミ」は色あせて、11月上旬の初冬をしっかりと演出してくれている。
 時間には音もなく、色もない。ましてや、時間の経過にはそれがないことが当然だ。
 テレビやラジオの世界では、時間の経過に「色彩」や「音」を流すことで、しかも過剰に流すことで「時間の経過」を私たちに説明しようとする。
 だが、自然は「時の流れ」を無言で、静かに「色彩」で私たちに提示してくれる。

 古い枝は黒っぽいが若い枝は緑色だ。落ち葉の時季になっても、この色は変わらない。写真には緑色の枝も見える。
 母種である「ニシキギ」の場合は、枝に「翼」というコルク質の板のような突起が出来る。庭木や公園などで見かける「ニシキギ」はその「翼」が顕著だ。
 だが、「野生状態」のものでは、「翼」がほとんど発達しないものが多い。この、「翼のないタイプ」を「コマユミ」と区別しているらしい。だから、「ニシキギ」は岩木山ではまだ確認されていない。「翼」の有無以外は「ニシキギ」と「コマユミ」に大きな違いはない。
 写真からも分かるように、葉は対生だ。大きさは一律でなく3cm~6cmほどの倒卵形から幅広の披針形であり、先は尖り、細かな鋸歯がある。
 序でだから、花と実のことについても触れておこう。5月ごろ、葉の脇から短い花序が垂れ下がる。花は花序に数個つく。花は淡い「黄緑色」で、直径は6mm程度と小さい。花弁は4枚。萼は4つに裂ける。
 果実は「さく果」で、熟すと2つに裂けて、中には、赤い「仮種皮」があって、種子が1つ入っている。この写真には「果実」が殆ど見られない。
 雪が降り出すと、低木なので「冬芽」などの観察が出来る。「冬芽」は先のとがった卵形で、「芽鱗」に包まれた「鱗芽」だ。「芽鱗」は4列に並んでいる。また、葉のついていたあとの「葉痕」も見ることが出来る。冬の自然観察もいいものである。

 ◇◇秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その9 最終回)◇◇
(承前)

 「巻積雲」は「細かい氷の粒で出来た小さい雲の集まりで、高積雲よりも一つ一つの雲が小さい」ものをいうらしい。さざ波のような、または小石を敷き詰めたような白い雲であり、魚の鱗のように見えることから「鱗(うろこ雲)」と呼ばれる。
 空いっぱいに広がることもなく、長時間に渡って見られることもない雲だ。巻雲や巻層雲が変化して出来る雲でもある。
 澄みわたる空に、巻積雲が現れると、その小さな雲の塊は、魚の鱗のように輝く。そこで、これを「鱗雲」、さらに「鯖(さば)雲」や「鰯(いわし)雲」と呼んだ。「鰯雲」は巻積雲の俗称である。「巻積雲」を知らなくても「鰯雲」や「鯖雲、「鱗雲」なら分かるという人は多いだろう。
 「鰯雲」の由来は、「見た目」だけでなく、この雲が現れると「鰯が大魚になる」ということにも因るといわれている。
 この「巻積雲」は低気圧が近づいている時に出来るから、イワシはその天気の様変わりを感知して、動きが活発になるのかも知れない。そうなると、漁獲が容易になり、しかも多くなるというのだ。
 これらは、巻層雲の「虎の模様を思わせる」ような「水増(まさ)雲」から変化して出来ることもあるそうだ。 
「巻積雲」の俗称にはもう一つ、「斑(まだら)雲」がある。これも悪天の兆しである。
 この雲は秋の澄み切った高い空によく似合う。日本人は特に好きな「雲」であるらしい。
 次に、「鰯雲」と「鱗雲」、「鯖雲」を吟じた俳句を掲げてみよう。
・妻がゐて子がゐて孤独いわし雲          (安住敦)
・旅をしてみたく膝抱き鰯雲          (高田風人子)
・うつくしき世をとりもどすうろこ雲       (鷹羽狩行)

・鯖雲に入り船を待つ女衆            (石川桂郎)

 いよいよ最後の、空の最も高い所に出来る「巻雲(けんうん)」だ。刷毛でさっと描いたような白い雲である。地上10.000mの上空に現れる。「白い筋や帯」や「釣り針」に見えるもの、「鳥の羽、馬のしっぽ」を連想させるもの、「ほつれた絹糸」を思わせるものなどと形はさまざまである。
 一般的には「筋(すじ)雲」と呼ばれ、天気がよく、上空の風が強い日に「すじ状に出来る雲」のことをいう。夕焼けの時には特別美しく輝く雲である。
 また、「巻雲」の端が鉤のように曲がっていたり、房状になっているものを「鉤状雲」という。あるいは、まっすぐ延びた巻雲に直交する波状の雲がある場合、それが「肋骨」に見えることから「肋骨雲」と呼ばれものもある。
 「巻雲」の中で、雲の筋が不規則に曲がっていたり、もつれたりしているものを、「もつれ雲」という。もつれた白い絹糸のような雲ということだ。
 以上見てきたように、「気象上」の専門用語以外に、多くの「雲」の名前を「日本人」は、昔から持っているのである。しかし、最近は「空を見上げて雲に思いを馳せる人」は少ない。
 「鰯雲」を見て「妻がゐて子がゐて孤独いわし雲」などと思える人は殆どいないだろう。文明の所産に頼る「気象情報」や「予報」にだけ頼っているからである。
 「春夏秋冬」、雲はその季節の姿で現れる。一日24時間、雲はその姿を刻々と変える。その機微を私たちのご先祖様は体感的に、捉えてきた。人間的に生物的に捉えてきたのである。
 さあ、一日に1回でいいから「大空」を仰いで見ようではないか。それが、原初的な「人というあなた」のはずであるからだ。(この稿は今回で終わりとなる)

[ブログ書きは今日で連続1008回になりました。連続1000日達成まではあと1日です]

「トカゲ太郎のワンダーワールド」で本会紹介 / 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その8)

2009-11-13 05:17:16 | Weblog
●● 緊急のお知らせ ●●

 「岩木町民文化祭」

11月21日、22日に開催される「岩木町民文化祭」に、本会も出展します。
場所は中央公民館岩木館2階大ホール(弘前市大字賀田1丁目)。
内容:「岩木山の花」、「真冬の岩木山」写真展。およびこれらに関するミニ講演会。
搬入準備は18日の日中から始まることになっています。

 展示や講演については要請があったもので、その要請内容に従い、本会が所有する範囲内での展示となりました。

 お手すきの会員は「搬入・展示」および当日の「解説・巡視」等のお手伝いをお願いします。お手伝いに関する問い合わせは事務局(35-6819三浦)までお願いします。


(今日の写真は、写真でなく「絵」である。「トカゲ太郎のワンダーワールド」の日本の責任者で編集長でもある久永雄大さんが描いた本会会長「阿部東」と思われる絵だ。子供たちの中心にいる白髪の人物がそうだ。
 会長は、取材の時「毎年夏休みの時期に、小学生を対象に昆虫の話しをして、出来れば『昆虫観察』もしている」と語っていたから、久永さんは、そのイメージをふくらまして「デフォルメ」的に描いたのだろう。
 それにしても、子供たちの顔がいいではないか。一人一人の生き生きした感興と驚き、好奇心がすべて現れているようではないか。それらが全身で語られている。その中でも特に、「目」がいい。クワガタに注がれている目は輝いている。安心して輝いている。それを包んでいるのが森であり、自然だ。パソコンで「ゲーム」に興ずる子供の目も輝いているだろう。だが、その周りには「優しい自然」がない。生命の息吹がない。「個人」という枯れた生命だけが存在する空間である。そんな中で「豊かな生命」は育たない。「他の命」を思いやる生命にはなれないだろう。
 それにしても、この絵中央に描かれている会長と思われる「人物」は髪は「白い」が何という若々しさだろう。捕虫網を持ってクワガタを指さす姿全体には「喜び」が溢れている。「わくわく」するような躍動感も漲っている。それが、オーラとなって指先から発射されているようにさえ見える。
 やはり、阿部会長は「虫の虫」、弘前の「治虫(オサム)」であろう。) 

◇◇「トカゲ太郎のワンダーワールド」で本会のことを紹介(2)◇◇
(承前)

 この絵には久永さんの「阿部さんは自然観察会で、生き物たちの生態について解説してくれる。黒いクワガタはツヤハダクワガタ。阿部さんはクワガタの染色体の研究をしている。」というコメントが記されているのだ。
 続いて、次のような久永さんの想いが述べられるのである。

…昆虫類の研究家である阿部さんは観察会で生き物たちの生態について解説している。
 「11月になると生き物は姿を消したように思えます。でも、足元の枯れ葉の下をのぞくと10cm四方の狭い場所に2000匹もの小さな虫たちが元気に生きている。」という阿部さん。広葉樹が多い自然の森だからフワフワの枯れ葉のじゅうたんの感触が足の下から伝わってくるのもいい。
 樹木を良く観察して、皮をはぐと越冬中のスズメバチの女王を見つけることもある。 働き蜂たちは秋までには役目を終えてそれぞれどこかで死んでしまう。残された女王蜂は大きな巣を捨てて冬眠し、次の年は一匹で子育てを始める。
 夏の間に世を騒がせていると思われがちだが、阿部さんはスズメバチにこれまで一度も襲われたことがないという。車の廃棄ガスで巣が害されるなど人間の側の配慮が欠けているだけだそうだ。
 また、「樹木を食い荒らす害虫を肉団子にして食べてくれる役目をスズメバチは果たしてくれている。」と、阿部さんは話す。…

 ◇◇秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その8)◇◇
(承前)

 地上5000mから13000mの「上層雲」には「巻層雲」、「巻積雲」、「巻雲」がある。
「巻層雲」は「うす雲」と呼ばれて、うすいベールのような雲で、「日がさ」が出来る雲である。この雲が出ると、天気が悪くなることが多い。
 この「上層雲」は、他の「巻積雲」「巻雲」を含めて、水滴ではなく、氷の粒で出来ている雲だ。
 だから、特に、「巻層雲」を透して太陽や月を見ると、その周囲に虹のような「輪」や「弧」、時には「柱」の見えることがある。
 これが、「日がさ」であり、「月がさ」である。「日暈」、「月暈」とも書く。
 「巻層雲」には、他に「毛髪や繊維の筋を思わせる、離ればなれ、または薄いヴェールのような」毛状雲がある。さらに、「房状雲」や「レンズ雲」もある。 

 「レンズ雲」は上空の風が強い時に現れるもので、日本名では「豆の莢(さや)」を思わせるので、「レンズ」という語が使われていなかった昔から「莢雲」と呼ばれていたのだ。
厳冬期に岩木山に登ると、大体は吹雪で「雲」など見えないが、偶に青空が覗くこともあり、そのような時には山頂から南の方角の上空に、よく、この「莢雲」が現れる。「莢雲」が現れると、私は直ぐに下山をすることにしている。この「莢雲」は、美しい雲なのだが、強風と悪天、荒天の兆しだからである。(明日に続く)

[ブログ書きは今日で連続1007回になりました。連続1000日達成まではあと2日です]

「トカゲ太郎のワンダーワールド」で本会紹介 / 弥生リゾート跡地に係る市民説明会は26日

2009-11-12 05:13:08 | Weblog
(今日の写真は、写真でなく「絵」である。「トカゲ太郎のワンダーワールド」の日本の責任者で編集長でもある久永雄大さんが描いたものだ。
 「トカゲ太郎のワンダーワールド」には、本HPから直接アクセス出来るように、管理人の葛西さんにお願いしてあるので、そうなったら、クリックで「トカゲ太郎のワンダーワールド」の閲覧が可能になる。「トカゲ太郎のワンダーワールドhttp://www.tokagetarou.com/iwaki_aomori.html」の詳しい情報は、直接その方法で知って欲しい。
 ただ、簡単に言うと「カナダに本部を置く自然保護団体」で、このサイトは日本の支部ということであるらしい。
 すでに、ブログで案内したが先月17日に5時間にも渡る長い取材を会長と私が受けたもので、それがようやく今日の「絵入り」の記事として、公開されたのである。

 なお、この「絵」のキャプションには『自然観察会での三浦章男さん、岩木山を考える会 三浦さんは環境省自然公園指導員として、岩木山を考える会の自然観察会で様々な動植物を紹介している』とある。
 「絵」右端のブルーの帽子を被っている人が私であるらしい。本人実物よりもうんと「ハンサム」だし、人柄まで優しそうで、絵に描かれると「人格」までが「デフォルメ」されてしまうものらしい。実物三浦はそんないい人柄ではない。)

◇◇「トカゲ太郎のワンダーワールド」で本会紹介 ◇◇

 一昨日「トカゲ太郎のワンダーワールド」の久永さんから次のようなメールが届いた。

 『先日、11月8日に記事を掲載いたしました。ご連絡が遅れまして申し訳ございません。取材でお話いただいた内容を要約しましたので、物足りない点もありますでしょうがご了承ください。
 常づね考えておりますが、結局、自然環境や動植物を守っていくのは地元住民の方々であり、「岩木山を考える会」のような活動こそがもっと評価されるべきではないかと思います。
 わたしどものサイトはまだまだ未熟ですが、三浦さんや阿部先生のご活躍を全国の人々に知っていただけたらと願っています。
 おくつろぎのところ奥様にご迷惑をおかけしました。お許しください。
弘前は本当にいいところでした。またぜひお話をお聞かせいただけたら幸いです。』
『記事についてお褒めいただきありがとうございます。また、阿部会長さんにお届けくださり御手数をおかけいたします。
 無農薬に取り組む農家の方々と生き物との関係はわたしどもとしてとても関心のあるテーマです。もし、三浦さんがそのような方をご存じでしたらぜひご紹介ください。』

 「無農薬に取り組む農家の方々」または、このような人を知っている方は、どうか私まで一報を入れてほしいものだ。 

 その前に是非「トカゲ太郎のワンダーワールド」にアクセスして、読んでほしい。「岩木山を考える会」に関する記事をである。そして、「トカゲ太郎のワンダーワールド」という団体の活動もよく知ってほしいものである。

 今日の「写真」でない「絵」には、久永さんの次のような思いや意味が込められている。
 …かつて硫黄の採掘現場だった場所の見学がある。そこは微量の硫化水素が噴出していて草木も生えず荒涼としている。参加者は森の中に突然現れる荒野にまず驚く。
 そして、次に目に入ってくるのが昆虫や小動物の亡がらだ。三浦さんによれば、動物たちは暖かさを求めてここに集まってくるのだという。
 人間にはまったく無害だが、小動物にとっては長くいると命とりになる。参加者は普段めったに見ない野生動物をいきなり目にして、それが死体であることに驚く。
 「ある時、アナグマのペアが死んでいるのを見て参加者全員が、こんな動物がいたんだ、と発見すると同時に生も死もある自然の摂理を身近に感じているようでした。」という三浦さん。
 「もちろん、生き生きとした生き物たちの姿を見る機会も多くありますから、その時の感動はすばらしいですよ。」と参加者とともに三浦さん自身も自然と触れあう喜びを忘れていない。…

◇◇弥生リゾート跡地に係る弘前大学との共同研究報告書市民説明会が開催される◇◇

 15日発行の市広報でも案内されるらしいが、表記のことが市のWebに載っていたのでブログでも取り上げようと思う。
 そして、このブログを書きながら、私は妙な気分になってきた。それは、今まで、市当局が進めることに対して「了承的かつ好意的に受けとめたことはあっただろうか」という戸惑いの気持ちだった。
 私はすでに説明される内容を「報告書」を読んだことで知っている。研究に関わった中心人物である弘前大学人文学部の山下先生と1年以上も前に会って色々と話しをして情報を提供した時点から、「報告書の方向性」は予期出来ていた。
 はっきり言って、この「報告書の方向性」は本会の考え方に近いものなのである。だから、私の個人的なブログにまで登場する訳なのだ。
以下がその案内だ。

      ~弥生リゾート跡地について一緒に考えてみませんか~
        「弘前大学との共同研究報告書市民説明会」

 弥生リゾート跡地(現市有地)の今後の方向性を検討するにあたって、当地を巡るこれまでの経緯や現況などの事実の整理と、広く市民等の意見を集約する透明性の高い手法の開発を目的として、弘前大学人文学部と共同研究を行ってきました。
 このたび、その研究成果となる報告書が完成しましたので、市民の皆さんを対象に説明会を開催します。
 事前の申込みは不要ですが、座席数に限りがありますので、満席の際はご入場できない場合があります。

◆日時 平成21年11月26日(木曜日) 午後6時30分~午後8時
◆場所 中央公民館岩木館2階大ホール(弘前市大字賀田1丁目)
◆内容 共同研究を総括した弘前大学人文学部 山下祐介准教授による研究成果となる報告書の説明と、その内容について市民の皆さんとの意見交換。
◆お問い合わせ先 企画課 電話35―1123

 このブログを読んでいる方々はもちろんのこと、他の人も誘って、26日には説明会に参加しようではないか。

 お断り:●秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その8)●は本日も休載し、明日、「上層雲」の「巻雲」、「巻積雲」、「巻層雲」について掲載する。

[ブログ書きは今日で連続1006回になりました。連続1000日達成まではあと3日です]

アブラナ科の仲間、「大根」が「踏み跡道」に生えていた / アブラナ科「タネツケバナ」のこと

2009-11-11 04:12:08 | Weblog
 (今日の写真は、一体何の葉っぱだろう。11月8日、岩木山のとある踏み跡道の「赤土」が出ている場所で見たものだ。1枚の葉の大きさは30cm近い。実に大きい。その上、この時季だというのに枯れていない。瑞々しく青々としているのだ。まさに「活きのいい青菜」である。
 どう見ても、この時季にこれほどに「青々している」ものは「越年草」の植物であろう。そう考えて、頭の中の「越年草」と「葉の形」ファイルを探ってみた。春ならば「花」の形を見ると、直ぐにでも気がつくだろうが、この時季はそれが出来ない。)

◇◇ アブラナ科の仲間、「大根」が「踏み跡道」に生えていた ◇◇

 これは、アブラナ科タネツケバナ属の越年草(二年草)の仲間だ。出てくる名前は「岩木山」や原野、それに田畑に生える、いわゆる「雑草」と呼ばれるものばかりだ。
 先ずは種漬け花(タネツケバナ)、別名はテイレギ(葶藶)やコメナズナ、それにタガラシなどだ。次いで、大葉種漬け花(オオバタネツケバナ)、路種漬け花(ミチタネツケバナ)、立ち種漬け花(タチタネツケバナ)と続く。
 だが、葉の形が、それらとは微妙に違うし、決定的な違いは大きさである。こんなに大きい「タネツケバナ」はない。

 これは、アブラナ科ダイコン属の越年生植物である「ダイコン(大根)」だ。地中海地方や中東が原産で、古代エジプトから食用としていた記録があるそうだ。ユーラシアの各地でも利用されており、日本では弥生時代に中国を経て渡来したらしい。
 根はまっすぐで太く白い。名前の由来は、不明らしいが、「大きな根」と捉えることでいいのではないだろうか。
 葉は、写真のように「羽状に分裂」し、春になると、淡紫色または白色で十字の形をした花を総状につけるのである。
私はふと、「ハマダイコン(浜大根)」のことを思い出した。「ハマダイコン」はダイコンが野生化したものであり、海岸の砂浜に生育することが多いが、海岸近くの荒れ地などにも生育している。七里長浜や十三湖湖岸などでも見ることがある。そして、春の終わり頃から6月にかけて花茎の先端に、花弁の先を淡い紫色に染めて咲く姿を思い浮かべていた。「ハマダイコン」の花は本当に清楚で美しい。
 私はその美しさの中に、人知れず、海岸に流れ着き、そこで根を張り、生き続けている彼女たちの「苦難」の歴史を見たような気がした。
 そして、今、目の前で、元気に葉をのばし、来春に備えている「ダイコン」にも同じ思いを抱いた。
 「あなたはどこから来たの。どのようにしてこの場所にやって来たの」…。生えている場所の土は、粘土質で硬い。ダイコンが生育出来そうなところではない。だが、彼女はそれを拒否出来ない。そこから動こうとはしない。その場所で生き抜くことしか出来ない運命なのだ。だが、この「青々とした生き様」は何だというのか。「苦難の歴史」など微塵もないではないか。
 種か、または根がここに運ばれてきたことも、それは苦難でも何でもなく、単なる「偶然」だったのである。植物はすべてその「偶然」に従って、悠然と生きるのだ。
 間もなく降り出すであろう雪の下で、春まで頑張って、白い花をつけてほしい。雪が消えたころ、また、会いに来るよ…。)

 ◇◇ 大根の仲間のアブラナ科タネツケバナ属の「タネツケバナ」こと ◇◇

  ダイコンの仲間の代表はアブラナ科タネツケバナ属の「タネツケバナ(種漬け花)」だろう。岩木山では環状線沿いの道ばたに「タネツケバナ」が、沢すじでは「オオバタネツケバナ」が見られる。
 「タネツケバナ」は北海道、本州、四国、九州の田畑、野原、畦、溝、湿地など湿ったところに群生している。分布が日本全土だから、「日本在来種」と思われがちだが、何と、「稲作文化が日本に到来した弥生時代に渡来した史前帰化植物」であると言われている。大根もその頃中国からやって来たものだろう。
 越年草だから、10月頃に発芽し、ロゼットで越冬し、春に花を咲かせる。しかし、変わりものはどこにでもいるものだ。秋にも花をつけるものがあるそうだ。
 花の咲く5月ごろには、花に栄養を送らなければいけないので、大きな葉である「根生葉」は枯れるのである。花は白色で花弁は四枚。直径4~5mmと小さい。葉は奇数羽状複葉だ。小葉は3~10数枚と多様で円形から楕円形だ。
 果実は長さ約2mmの細い円筒形。実が熟すと種子を覆っていた皮が勢い良く反転して、種子を四方に飛ばして繁殖する。

 これは、4~5月ころの若芽、若葉を摘み取り、生でサラダにして食べることが出来る。茹でて水にさらして和え物、おひたし、汁の実などにする。クレソンに似た味がして美味しい。

 名前の由来だが、稲の種籾(たねもみ)を水に漬けるころに、白花を一面につけることから、タネツケバナの名がついた
 また、果実が熟すと種子を覆っていた皮が反転して、勢いよく種子を四方に飛ばすことから、繁殖力の強さを馬に見立てて、「種付け馬」が転訛して、「タネツケバナ」になったとも言われている。別名にはテイレギ(葶藶)などがある。

 今日の写真を彷彿とさせる正岡子規の俳句に…
「ていれぎの下葉浅黄に秋の風」というのがある。
『ていれぎの下葉も浅黄色になってきた。ああ、すっかり季節は秋になってきているのだなあ。風も何となく冷たいよ』という程度の句意だろうか。
 全体に辛子油を含み、辛味があって浸し物や刺身の「つま」に用いてもいい。愛媛県の松山市附近では、これを葶藶(ていれぎ)と呼び、近くの高井産のものは「高井の葶藶」と呼ばれ、その地の名物となっていたという。
 伊予節にも唄われた「高井のていれぎ」は「オオバタネツケバナ」のことで、清流に自生する美しい緑色の水草、さわやかな辛味があって美味しいのである。子規にとってはなつかしい故郷の味だったのだろう。

 お断り:●秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その8)●は本日休載し、明日、「上層雲」の「巻雲」、「巻積雲」、「巻層雲」について掲載する。

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「ホザキヤドリギ」に出会った(2) / 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ(7)

2009-11-10 05:17:57 | Weblog
 (今日の写真は、ヤドリギ科ホザキノヤドリギ属の半寄生「落葉」小低木の「ホザキヤドリギ(穂咲宿木)」である。
 宮沢賢治の詩の一節に…「はんの木とまばゆい雲のアルコール/あすこにやどりぎの黄金のゴールが/さめざめとしてひかってもいい」というのがある。これは、冬の「景物」であるに違いない。
 賢治の見たこの「ヤドリギ」は、「アカミノノヤドリギ」でなく、夏6月頃に、「穂状花序」で黄緑色の花をまばらにつける「ホザキヤドリギ」だろう。花は尾状に垂れ下がり、それと同じ格好で「果実」がつくのだ。
 冬、膝までの積雪を踏みながら、尾根を登って行く。青空がのぞく雲は、実に冷たいまぶしさを持っている。これが、さわやかさとエチルアルコールの清涼感を連想させる。さらに澄んだ青空の冷気をも感じさせるのだ。
 そのような中で、今日の写真の「ヤドリギ」の実は、まさに黄金に輝くゴールなのである。夏に「黄緑色の小さな花をつけたヤドリギ」は、暗うつな冬日の中の黄金色に輝く未来の目的地にほかならない。)

 ◇◇とうとう「ホザキヤドリギ」に出会った(2)◇◇

 「ホザキヤドリギ」の葉は対生し、枝の一つ節に左右に向かい合ってつき、葉と枝の間は、「葉柄」がある。形は長楕円形でギザギザのない全縁で、滑らかである。先端は円形である。
 枝先から3~5㎝の穂状花序を出し、6月から7月にかけて「黄緑色で目立たない柄のない花」を多数つけて、下方についた花から開花していく。
 果実は直径5mmの淡い黄色で、これはよく目立つのである。高さは20cmから40cmで、落葉樹林帯でミズナラ、クリ、ハンノキ、オオヤマザクラなどに寄生する。
 本州の東北地方や中部地方から中北部に分布している。冬枯れの季節、ミズナラなど、すっかりと落葉した木々の梢や枝の所々に「透きとおった」薄黄色の点々を見せることで、ようやく人目につく、実に目立たない「ヤドリギ」の一種である。
 「アカミノヤドリギ」は常緑であるし、その緑色が、宿主の葉よりも濃いので、夏でもよく分かる。ましてや、葉を落とした冬枯れの時季には、きわだってよく見えるのである。
 しかし、「ホザキヤドリギ」は「見つけるつもりで」探していないと見えないことが多い。花も実も本当に「見えにくい」のである。

 「見えにくい」ことの理由は、まず、「常緑性」ではないということ、つまり、秋になると葉を落とす「落葉性」であるということだ。ただ、この理由は「キレンジャクやヒレンジャク」という野鳥には当てはまらないらしい。
 春3月までに、果実はすっかりなくなってしまう。野鳥が運んで行ってしまうのだ。冬に葉を落とすので、野鳥たちには「黄金色の実」が一層、目立って見えるのだろう。
 だが、果実がついている枝は、今日の写真からも分かるように、半分以下と少ない。「ホザキヤドリギ」はリンゴなどと同じく「両性花」なので、何故、全部の枝に実がついていないのか不思議でもあった。
 見えにくいのは、花の方も、葉の方でもある。「ホザキヤドリギ」は宿主よりも遅れて芽吹くのである。葉を出すころには「宿主」はすっかり葉に覆われていて、それらに隠されてしまうのだ。そのような状態で、開花期の夏「6~7月』を迎える。
 だから、小さくて「薄い黄緑色」の花は人目になかなかつきにくいという訳である。これが、「ホザキヤドリギ」を「岩木山・花の山旅」に収載できなかった理由でもあるのだ。

 ヤドリギは落葉樹に寄生するので、宿主が落葉している間は、よく日が当たることから常緑のほうが有利だろうと考えるのが普通だろう。それでは、何故、「ホザキヤドリギ」は秋になると葉が落ちる「落葉性の低木」となったのだろうか。
 岩木山には、常緑性の「アカミノヤドリギ」も生えている。だが、「ホザキヤドリギ」は、最も寒冷地に適応した種へと進化した「ヤドリギ」なのである。
 雪の多い地方では、冬に葉を落とす方が「枝や幹から水や養分を葉に運ぶのを止め、葉緑素を作らなくすることになり、樹木本体の老化を防ぐ意味では重要になり」、負担が軽いのだ。
 そう考えると「常緑」でない「ヤドリギ」があっても別におかしいことではないのだ。

◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その7) ◇◇
(承前)

 太陽や月の位置が分かるくらいに薄い半透明の雲、そものずばり「半透明雲」。同じ雲が僅かな高さの違いで重なっているもので「二重雲」。広がった雲の層の中に隙間のあるもので「隙間雲」。太陽や月の位置が分からないぐらい厚い「不透明雲」。雲の底の部分に牛の乳房のように垂れ下がって見える「乳房雲」。雲の底から雨や雪が降っていて、それが「尾」のように見える「尾流雲」。雲の頭に載っているベレー帽のような雲で「頭巾雲」。この「頭巾雲」が横に広がると「ヴェール雲」となる。
 以上が「高積雲」で15の呼称である。

 さて、「中層雲」には、他に「幕のように空を覆う灰色のうすい雲」の「高層雲(こうそううん)」と、この雲が現れたら「すわ、一大事」と身構えなければいけない「雨を降らせる雲」で、空の低いところに出来る「乱層雲(らんそううん)」がある。
 「高層雲」は灰色の雲で、別に「おぼろ雲」と呼ばれている。この雲で月が隠れると「おぼろ月夜」になる。

こちらの呼称は日本人ならば誰でも知っているだろう。
 高野辰之作詞・岡野貞一作曲の「文部省唱歌」、「朧(おぼろ)月夜」だ。
 春の風情、真っ盛りである。一番で「菜の花畠」、「霞ふかし」、「春風」、「夕月」と歌われ、二番で「里」、「森」、「田中の小路」、「蛙(かわず)」、「かねの音」「霞(かす)める、朧(おぼろ)月夜」と歌われている。

 何とも、日本的な情緒を一手に集めて象徴してしまうのが「おぼろ雲」であり、ゆったりとして、優しい時間が静かに流れていくのが「おぼろ月夜」なのである。日本人ならば誰もが好む情趣であるに違いない。
 だが、「乱層雲」はそうはいかない。別名を「雨雲」というのだ。雲の下層では動きが活発で、近づいてきたら、今すぐにでも、「雨」を降らせるのだ。(明日に続く)

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「ホザキヤドリギ」に出会った(1) / 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ(6)

2009-11-09 05:28:32 | Weblog
(今日の写真は標高700mほどに生えているミズナラである。天気予報だと今日から「下り坂」だというので、昨日、岩木山の中腹部を歩いてきた。もちろん、登山道ではない。「踏み跡」道である。先週の日曜日は雨だったが、ブナやミズナラの生えている山にいた。まだ、ミズナラには褐色の葉が残り、ブナは葉の数は少ないもののまだついているものが多かった。
 それから、1週間、その間の3日には雪が降った。「温度」、「光」、「湿度」の3つの条件がそろって、「葉の色づき」は進んで、落葉していった。
 この辺りにはブナも混在している。ブナも同じように「葉」はついていない。これは「冬日」の情景だ。冬はこの風景に「雪」が入るだけである。
 樹木は、この1週間ですべての葉を散らしてしまったのだ。今年は、この辺りを3月ごろから、季節を違えて、毎月のように歩いた。
 芽だし、若葉の萌葱、濃密な夏緑、この時季が一番長い。そして、黄葉や紅葉に色づき始める初秋、明るい色に染まった森全体が透き通ったような明るさに包まれる盛りの秋、やがて、その色づいた葉が1枚1枚と散っていく晩秋、そして、葉をすっかりと落として「がらん」として、底抜けに明るい初冬の森を見てきた。
 時季的には、昨日は「初冬」だ。だが、気温は20℃近くまで上がった。これだと、初秋だ。しかし、それは、気温だけのこと、それ以外の事象は、やはり、初冬だった。
 森は確実に動いている。その動きは「明日に向かって」ではなく、昨年の春に、一昨年の春に向かって動いているのだ。)

 ◇◇とうとう「ホザキヤドリギ」に出会った(1)◇◇

 私は10月24日のブログで「岩木山にはもう1種のヤドリギ、『ホザキヤドリギ』も自生している(?)」と書いた。この(?)の意味は「自生していると言われているが、まだ出会っていない」ということである。実は、出会っているのだが、気づかなかったということである。
 だから、当然、拙著「岩木山・花の山旅」には収録されていない。

 ところで、今から二千数百年前のヨーロッパの森で、人々が聖なる木として崇めたのは、単なる「巨木」ではなく「ヤドリギ」が寄生している木であった。
 秋から冬にかけて、森の木々は葉を全部落とし、死んでしまったようになる。ところがヤドリギだけは生き生きと緑の葉や赤い実をつけている。人々は葉や実の中には木々の生命が凝縮していると考えていた。
 そして、この聖なる木々の神、つまり森の神を司った者たちを人々はドルイド僧と呼んだ。ドルイドとは「オークの知恵を持つ者」という意味だ。
 彼等は冬の終わりになると、聖なる巨木に登り、金の鎌でヤドリギの枝を切り取って、人々に分け与えた。西欧では、今でもクリスマスの夜、「ヤドリギ」の下にいる女性には、キスをしても良い風習があるそうだ。

 一方、日本では、「蓬莱珠枝(ほうらいのたまのえ)」というものが、竹取物語に登場するなど、昔から知られ、親しまれてきた寄生植物である。
 「蓬莱珠枝」とは、天上界に生える「根が白金」、「幹が金」、「実が珠玉」からなる樹木だ。ところで、この「蓬莱珠枝」が、人間界に降りてきた時、不浄な大地には根を張ることが出来なかったというのだ。
 そこで、やむを得ず「樹上に根を張った」のだそうだ。そして、その子孫が「ヤドリギ」なのだという。

 「ホザキヤドリギ(穂咲宿木)」は落葉の広葉樹に寄生する半寄生の「落葉小低木」だ。岩木山によく見られる「アカミノヤドリギ」は「常緑の小低木」である。
 名前の由来は、花が「穂状」に咲くことによる。枝は二又に分かれ、樹皮の色は濃褐色だ。(明日に続く)

◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その6) ◇◇
(承前)

 …さて、この「高積雲」だが、よく見ると必ず「陰影」がつきまとっている。色は白か灰色だ。形もさまざまで、ロール状のもの、薄い板状、丸みのあるものなどがある。 この「高積雲」が太陽や月を隠すと「光冠」(注)が出来たり、雲の縁や大半が赤色に彩られる「彩雲」が現れたりするのだ。
 山登りでは、よく立ち止まって、腰を伸ばして上空を仰ぐことがある。都市道や街の歩道でそのようなことをしていると「叱られ」てしまうだろうが…、そのようなことをする時に、遠くの案外目の高さに見える「雲」が「彩雲」に輝いているのである。
 ある時の、春の自然観察会でも、岩木山の百沢登山道標高600m辺りから見えた南の空に、この「彩雲」が現れたことがあった。
 観察会参加者にとって、誰もが「初体験」だったと「興奮」気味にみんなは、話したものだ。
 「高積雲」の15以上の呼び名であるが、次に挙げてみよう。
 雲の頭部に小さな塔のようなものが出来ている雲で「塔状雲」。雲の一つ一つが小さな房をなしているように見える「房状雲」。水平に広がっている雲で「層状雲」。凸レンズを横から見た形の「レンズ雲」。これは彩雲になりやすいのだ。海岸に打ち寄せる波をイメージさせる雲で「波状雲」。雲の帯が扇子の骨のように放射状にみえる「放射状雲」。薄い雲で丸い穴が開いているように見えて、それが「蜂の巣」に似ているので「蜂の巣状雲」。残りは明日書こう。
 
(注)光冠(こうかん): 薄い雲を通して、太陽の周囲に色づいた環が見えることをいう。「光環」とも書く。光が雲粒に当たって起こる「回折」によって生ずる現象である。だが、案外、この美しい「光冠」には、気がつかない。それは、「太陽」がかなり眩しいからだ。濃い色のサングラスをかけていると、太陽の10倍ほどの大きさの環が、内側の青から赤の順に並んでいるのが観察出来るのである。肉眼で直視しても、この色具合はよく見えない。(明日に続く)

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「晩秋のブナ林とススキ原」の歌六首(2) / 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ(5)

2009-11-08 05:15:27 | Weblog
(今日の写真は、10月25日に松代登山道入り口から南に逸れて入っていったススキ原と紅葉である。
 ブナ林を抜けるとカラマツの植林地だった。歩いているところはそのカラマツを植林するための古い林道である。
 そもそも「林道」とは植林するためと植林後、その苗を育てて立派な森にするため「保守と育苗、育樹」作業に使われ、そして育った樹木を伐り出し、その後にまた植林をしていくために使われる道である。だが、この道も、いや、岩木山にある林道は現在全く使われていないものが多い。
 これは何を意味するのか。つまり、「森」を育てていないことを意味するのだ。私たちが歩いた古い林道も、植林後はまったく使われず、放置されている。これは、森を、山を放置していることでもある。

 紅葉している木々の上方にはまだ「黄葉」もしていないカラマツが見える。すっかりと伐採されてしまった「林道」とその周りは「遷移」のただ中にあった。
 ススキ原がひろがっているのが、その証拠である。ススキ原を正面から見ても「道」らしきものは見えない。踏み跡らしきものも見えない。ススキ原にぶつかったら腰をかがめて、中を見る。そうするとやっとそこが、かつての「道」だったことが分かるのだ。そして、実際入ってしまうとまた、自分がどこにいるのかも分からなくなってしまう。 ススキのことを「尾花」というが、この白い穂を獣の尾に見立てたからである。私たちは獣の間を掻き分けて、先へ先へと進んだのだ。今日の短歌もIさんが、その時の体験から創ったものだ。)

◇◇ 「晩秋のブナ林とススキ原」を主題にした歌六首(2) ◇◇

 昨日紹介したIさんの歌は非常に意味深いものだった。特に、「ほの白き蛾のほろびの光」という下の句に心惹かれた。
「雄」のシャクガによる最期の集団「空中飛翔」は、次に命をつなぐことと「己の死」、自分の最期を教えてくれる。それが「ほろびの光」ではないだろうか。この「ほろびの光」は誰かにより看取られるものだろう。
 人でありながら「人知れず」迎える「死」というものはあまりに寂しい。気持ちの優しいIさんは「シャクガたち」の「ほろびの光」を看取ったのである。そう思った時、私の胸はぐっと詰まった。そして、この歌の意味深さに脱帽してしまった。
 だが、己を知らない私は、次のような拙歌を口ずさんでいた。

・日射し浴びかさこそ弾む落ち葉かな白き飛散はシャクガの舞い (三浦 奨)

 「かさこそと弾む落ち葉」も「シャクガの群舞」もみな、秋遅くに輝く「ほろびの光」であるに違いない。どちらも、その日は本当に事実、輝いていた。その輝きの中で、「かさこそ」という音色に奏(あわ)せて、シャクガたちは踊っていたのである。
 Iさんの歌はすばらしいものだ。ただ、残念なことは、「藪こぎ」と同じように、多くの歌人たちには、このような経験がないだろう。実際に観察する機会がない以上は、この歌に込められたIさんの真意やイメージを理解して評価することは無理だろう。
 次の歌は今日の写真に見える「ススキ原」を潜りながら進んだ時の、Iさんの感興である。

・ふかぶかと芒が原にうちなびくたてがみあまた去りゆくものよ

 この歌は「擬人法」で詠まれている。だが、その人に擬えられたものは何なのか、この短歌の難しさは、そこから始まる。三句の「うちなびく」の主語は何だろう。また、下の句の「たてがみあまた去りゆくものよ」の「たてがみ」を持っているものは何か、「去りゆくもの」とは何なのだろう。
 主題が深いが故に「難解」な歌である。だが、何だろうと考えているだけでは先に行かない。こういう時は「閃き(ひらめき)」に頼るしかあるまい。
 これは、ススキ原にたなびいている「丈の大きい深々としたススキの群れ」が、風に吹かれたり、私たちの動きに呼応して「うちなびいて」いるのであろう。
 その動きがまるで、多数の獣が群れをなして「たてがみ」を揺らしながら、去って行くようだということかも知れない。この獣とは「たてがみ」にこだわると「馬」かも知れない。
 あるいは、穂状になったススキはもはや、花ではなく「種」の季節である。ススキにとっては一生の「終焉」を迎えている時でもある。なびく「尾花」の慌ただしい動きが、この場から立ち去って「黄泉の国」に向かっている「集団」に見えたのかも知れない。
 「感性」によって詠まれた歌は、人それぞれの感性によって味わえばいいのである。それにしても、いい歌である。

 次に掲げるのは私の駄作である。味わいも何もない。そのままずばりである。

・ススキ原埋もれ掻き分け歩むつど軽き尾花ぞ手弱女のごと   (三浦 奨)
・ススキの穂上腕持ち上げ挑むれど我が身引くかなあまりの軽きに (三浦 奨)

 この二首は、見た目には本当に深いススキの藪で、掻き分けて歩けるのかなと心配したが、潜り込んで歩いてみると、一本一本のススキはなよなよととても弱々しく、阻まれることはなかった」ということを詠み、その弱々しさに逆に惹かれるという思いを詠んだものだ。

・それ打つな触らず躱(かわ)せ痩せススキ穂(すい)状の花散り止(とど)めまし
(三浦 奨)
 これは、「弱々しさに惹かれる」感情がたかまり、動かしていけない、種を飛ばさせてはいけない、いつまでもこの清廉な白い穂、尾花のままでいてほしいという気持ちを詠んだのである。

◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その5) ◇◇
(承前)

 今日からは2000mから7000m上空に見える「中層雲」について書こう。「中層雲」には「高積雲」、「高層雲」、「乱層雲」の3種がある。
 先ず、「高積雲」だが、これは「ひつじ雲」と言った方が分かりやすいだろう。これだと知らない人はいないだろうと思われる。
 「ひつじのような雲の集まり」で、巻積雲よりも一つ一つの雲が大きいことが特徴である。もう一つの「特徴」は「秋によく現れる雲」ということだ。
 秋は空気が澄んでいて「天高く」といわれる季節である。その所為だろうか、この「高積雲」は形などから15以上の呼び名があるのである。(明日に続く)

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「晩秋のブナ林とススキ原」の歌六首 / 危険木処理に関する津軽森林管理署の対応について

2009-11-07 05:23:27 | Weblog
(今日の写真は、10月25日に松代登山道入り口から南に逸れて入っていった低木ブナ林と紅葉である。そこまで来る途中は、高木のブナ林だった。
 私たちは、ブナ林内の「踏み跡道」の地表から50cmくらいのところで、浮遊している、あたかも「淡雪に紛う」生きものを見た。その日は数は多くはなかった。9月の下旬あたりで、もう少し気温が高いころだと、数十匹の生きものがちらちらと、ひらひらと空中で舞うのである。)

◇◇ 「晩秋のブナ林とススキ原」を主題にした歌六首(1) ◇◇

 Iさんの歌、その一首である。
・山毛欅(ぶな)の葉の朽ちゆく林にたちまよふほの白き蛾のほろびの光

 この歌の主題は「『淡雪に紛う』生きもの」、つまり、白い「蛾」であろう。この「蛾」は「シャクガ」という。1cmほどの小さな「蛾」なのだ。
 聞き慣れない名前だが「シャクトリムシ(尺取り虫)」の成虫だというと、何だそうかと納得する人もいよう。だが、「シャクトリムシ」は幼虫のみならず成虫も面白い生態を示すのだ。
 「シャクトリムシ」の幼虫には「体の前後の端」にしか足がない。だから、特別な「歩き方」をする。
 先ず、胸部の脚を離し、体を真っ直ぐに伸ばし、その足で物に掴まり、体の後端部を脚の位置まで引き付ける。この時に体は半楕円形のアーチ型になる。それからまた胸部の足を離してということを繰り返し、繰り返し歩く。
 この格好が、体を使って「長さ」を測定しているように見えるから「尺取り虫」と呼ばれているのだ。見ていると妙に愛嬌があって、いつまで見ていても飽きることがない。
 一方、この目の前で「淡雪に紛うよう」に飛んでいる成虫はすべて「雄」だという。雌を求めて集団で「乱舞」しているのだ。「雌」に認められたい一心でひたすら、空中で浮遊ダンスを続ける。寒くなる前の秋の日射しの中でしか行われない命がけの群舞なのである。(明日に続く)

◇◇ 今回の危険木処理に関する津軽森林管理署の対応について(その2)◇◇
(承前)

  …「安全な空間」とは人為的であり、作為的なものであり、抽象的なものでもある。だが、自然という「実体」からは「多様」なものとなる。だから、人工的作為による「伐採」によってのみ造られるものではない。そのために、意図的にこの表現を避けたのではないか。つまり、「安全な空間」イコール「伐採」という図式を、恣意的に「暈かす」意味合いがあるのだろう。
 そして、結局は「安全確保のための危険木」の伐採という事実を持ってきたのである。この論理に見られる主人公は「森の自然生態系」でもなければ「生物の多様性」でもない。単純明快「くろくまの滝」にやって来る観光客である。
 観光客の「自助努力」に依拠すべき事柄、つまり、「危険を避ける」ことを「観光客」に求めず、樹木や森に求めていることである。主客転倒の論理でしかない。
 「怪我と弁当は自分持ち」という俚諺が昔からあることに気づくべきだろう。

 結局は、いくら「危険木」伐採に関わる告知の仕方が民主的になったとしても、その「くろくまの滝」周辺を直接に、動的・物理的・植生的に管理する「林野庁・森林管理署」の基本姿勢は全く変わっていないのである。
 「伐採という形」で「森」を壊し、「コンクリート製の土留め」を無数に使用した「歩道」を新たに敷設して「植生破壊」しているのだ。勾配のきつい「木製土留め」の歩道はうち捨てられ、ジグザグの道を付け替える。付け替えたところに朽ち木がある。それを称して「危険木」という。「歩道」を新しく付け替えなければ「新たな危険木」は存在しないはずだ。
 「木製土留め」は年を経る中で「腐食」して自然に返る。キノコがつくかも知れないし、やがては、その「場所」の土壌の一部になるのである。
 だが、人工物である「コンクリート製」の土留めはほぼ腐らない。自然の中で人工物は腐ることもなく、土壌生物を養うこともなくいつまでも「異物」として残るのである。このような「整備」の中には、「生物の多様性」や「多様な生態系」という現代人に与えられた概念はない。あるのは旧態依然とした「スケールメリット」だけである。
 新しく道を造らなければ、伐採の対象にされない木もあった。とにかく、あの「くろくまの滝周辺」の森には、歩道が多すぎる。新旧入り交じって存在している。
「西丸震哉」は「日本百山」のまえがきで、「人の通った道、人が作った道は、まわりがどれほど原始的であろうと、道そのものは人の足が山体をひっかいた傷あとだ」と言っている。「ひっかいた傷あと」とは森の破壊、自然の破壊の何ものでもない。

 森の木々にあっては「危険木」など存在しない。倒木や朽ち木のあることが森本来の姿である。「危険木」という概念は人間にとってはということであり、とりわけ、「観光客」にとってはということだろう。森を見ずして「観光客」の方だけ見ている。
 ここには、「生物の多様性」を維持するということはない。「倒木や朽ち木、それに倒木になる可能性ある木」などが在って初めて「森の多様な生態系」が維持されるのだ。 ところが、「林野庁・森林管理署」が、率先して「生物の多様性」を破壊するような行為をしているのだ。
 だから、当然前述した「アンケート」趣旨には「生物の多様性」は一切触れられていないし、今回の告知にも何もない。「生物の多様性」に触れると「自己矛盾」を明らかにせざるを得なくなるからだろう。
 今年の1月に、林野庁は「…生物多様性を新たな指標にする方針を固め」「生態系の監視体制の強化」や「動物の生息地の保護対策など生物多様性の視点を本格導入」ということと「生物多様性に配慮して伐採する木を選ぶ」という方針を打ち出している。
 そのことなどと、全く関係のない「歩道敷設」や「危険木の伐採」を「森林管理署」自体がしているのである。(この稿は今日で終わる)

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「晩秋の藪こぎ」を主題にした歌四首 / 危険木処理に関する津軽森林管理署の対応について

2009-11-06 05:24:12 | Weblog
(今日の写真は、Iさんの創った短歌に合いそうな風景と思えるものだ。Iさんは私が担当しているNHK弘前文化センター講座の受講者である。
 私はこの文化センターで2つの講座を担当しているが、Iさんは2つの講座を受講している。先月の22日と25日に、それぞれ野外に出て、岩木山の中腹部まで登り、「秋の山」を体を張って体感して貰った。
 先ず、22日である。石切沢右岸を詰めて百沢登山道に入り、そこから登山道を姥石付近まで登り、左の「猛烈な竹藪」に入った。樹木の少ないその場所は、3m以上の、しかも太くて、斜面に対して下方に曲がりながら、突然鎌首をもたげる蛇のような生え方をする「根曲り竹」が密生している竹藪であった。
 Iさんにとっては「初体験」の、しかも私でも喘ぎながらしか進めないほどにきつい藪こぎだったのである。悪戦苦闘すること30分、やっとの思いで竹の疎らな樹林帯に入った。)

◇◇ 「晩秋の藪こぎ」を主題にした歌四首 ◇◇

 歌詠み人は多い。そして、それに比例して短歌の数も際限を知らないだろう。だが、「藪こぎ」を主題にした短歌は恐らくないのではなかろうか。

・熊笹(ささ)にうもれわれは山の子見上ぐれば茂るあはれに秋ふかくして

 これが、Iさんの創った短歌だ。まさに、今日の写真のような竹藪をくぐり抜けて、イタヤカエデやミズナラの生えている疎林に出たのである。
 竹藪に埋もれながら、必死になって強靱な竹を押しのけて先頭を行く私を追いかける。そうしているうちに、「これは山の子がすることなんだろう。私は今、山の子なんだ」という思いが芽生えたに違いない。藪の中は「見上げて」も見えるものは竹の葉であり、空の断片でしかない。空間は完全に「竹」によって支配され、人は抑圧の極地にいる。
 何とか頑張って、「見上げると空間」が見えるところまで来た。その喜びが下の二句によく現れているだろう。結句の「秋ふかくして」という感慨は、見上げることの出来る空間に広がる秋色に染まった尾根の全景を捉えているように思える。しかも、女性の繊細な感覚でである。
 私には、このような感覚はない。粗野な感情と即物的な目しかもっていない。その私がIさんの気持ちを理解したつもりになって創った歌がこれだ。

・笹藪に置いてけぼりの不安あり鉈もて払う先駆(さきがけ)を追う (三浦 奨)

 次は私自身の「行動」を歌ったものだ。駄作だが我慢をしてほしい。

・根曲りに抗い伐(ばっ)し進む吾後続やあれとしばし振り向く  (三浦 奨)
・先が見え抗う竹も疎らなり休む間もなくルートを探る (三浦 奨)
 
おことわり:「秋の雲、日本語には『雲』の名が多いのだ。(その5)」は休載し明日以降掲載する。

◇◇ 今回の危険木処理に関する津軽森林管理署の対応について(その1) ◇◇

 今回の危険木処理に関する津軽森林管理署の告知・公開に関わる対応は、明らかに「ぶな巨木ふれあいの径」危険木伐採に関わる告知および「ぶな巨木ふれあいの径」に関わる「アンケート」に関することに比較すると、一層その公開性は民主的になり、広範なものになっている。つまり、対象に限定を設けず、広く一般市民まで広げて、インターネットという手法を用いたことだ。これは、あくまでも比較論上ではあるが、評価していいだろう。

「ぶな巨木ふれあいの径」危険木伐採の時には、次の手順と範囲で行われていた。
…津軽森林管理署がこれら危険木13本について青森県と伐採協議を行い、同意を得る。
その後、津軽森林管理署から関係団体(西目屋村、環境省、青森県自然保護課、白神山地ビジターセンター)へメールやファックスで伐採を通知した。…あくまでもこれだけだった。

 また、津軽森林管理署が出した「ぶな巨木ふれあいの径」に関わる「アンケート」も広く一般の人を対象にしているのではなく、「津軽森林管理署」と関わりのある団体や個人に対して行われるものであった。
 少なくとも、マスコミが関心を寄せて、動き出した「事件」である。この「伐採問題」は社会性を濃厚に持つに至っているのだ。となれば、社会全般、つまり広く一般からも、「声を聞く」必要があるだろう。その視点がすっぽり抜け落ちていた。
 アンケートの依頼先を「『ぶな巨木ふれあいの径』をご利用されている皆様へ」としているのだから、「特定」のもだけでは矛盾があるだろう。
 さらに、「アンケート」の趣旨、アンケート項目には、「ぶな巨木ふれあいの径」危険木伐採に関する重要かつ基本的なキーワードである「安全な空間」は一度も出てこなかった。
 この「アンケート」には次のような意見も寄せられた。
「このアンケートの範囲だけでは、伐採をこのような形で認めた上での対策の検討になってしまうのではないか。アンケートを採る前提には、伐採はすべきでなかったとの意見と、伐採にあたり十分な協議、検討が必要、との見解が必要なはずだ。」 
 今回の告知は「歩道等安全確保のための危険木処理について」であり、「歩道等の保全管理と安全確保のため、今般下記の箇所において危険木の処理を予定していますのでお知らせします。なお、この処理についてご意見等がございましたらお問い合わせ下さい。」である。ここにも「安全な空間」という語句は出ていない。「ぶな巨木ふれあいの径」危険木伐採の時には、あれほど大事にした「錦の御旗」的な語句が使われないのだ。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書きを今日で達成しました。・連続1000日達成まではあと、9日]

幹事会の報告 / 津軽森林管理署の危険木伐採方針に対する意見(3)

2009-11-05 05:28:28 | Weblog
 (今日の写真は、コスモスの種を啄む「カワラヒワ」である。この写真に収まっているのは5羽である。この場所は我が家の玄関からすぐ前だ。
 羽を広げると黄色のきれいな模様がみえる。一番手前のものの一部にその「きれいな黄色」が見えるだろう。
 コスモスの種を啄みながらも、とても澄んだきれいな声で「リーリーリー」と鈴が鳴るような、か細くて優しい音色で鳴いていた。
 よく、電線に止まって「チュイーンチュイーンチュイーン」とさえずっている声は聴くのだが、この優しい「鳴き声」はあまり耳にしない。

 これは、11月2日に撮ったものだ。写真からも分かるように、「雨降り」で空も、周りも全体的に暗い。しかも、決して暖かく快い日和ではない。
 コスモスの花は枯れて、終わりに近づいている。終焉の時だ。寂しく暗く陰鬱という風情なのだが、この「カワラヒワ」の一群れだけは、妙に明るい。そこだけに陽光が射し込んでいるかのように明るいのだ。
 だが、カワラヒワはその明るさを独り占めして、より一層、明るく、賑やかなおしゃべりをしながら、あちこちと落ち着かず、種を食べている。
 その動きが素早い。コスモスがゆらゆらと揺れる。外に出て近づくと警戒され、飛び去ってしまうかも知れない。しょうがないので、窓を半開きにして70mmのレンズを100mmのものに代えて、彼女たちの、心地よい「おしゃべり」を聴きながら撮ったのである。だが、なかなか思うような撮影は出来ないものだ。
 カワラヒワは地味な鳥だ。だが、部分的には「後ろ姿」が、羽の黒白と黄色が目立ち、可愛らしい。そして、飛び立つ瞬間がまた、美しい。
 カワラヒワは15cmほどの大きさで、つばさに黄色い模様のある「緑褐色」の鳥だ。この色具合だから「目立たない」鳥に入るだろう。
 一般的には「平地から山林に生息」することになっているが、私の家の近くには「熊の宮」の森があるので、一年中いるような気がする。
 だが、春から夏には住宅街にも頻繁に現れるそうだ。数羽で行動していることが多く、明るくさえずりながらがら飛び回っていることが、この鳥の「特徴」でもある。

 私の連れ合いがこの写真を見て言った…。 
「私が植えたコスモス、花として人の目を楽しませるだけではなかったのね。こんな形でも役に立っているんだ。」
 どのような雑草でも、何でもだ。生命はこのように保ち合いながら「連環」しているのである。この種はやがて、「カワラヒワ」に運ばれて、どこかで芽を出すのである。)

◇◇ 幹事会の報告 ◇◇

 昨日、本会の幹事会を開いた。次にその名から今後の予定と検討事項について報告する。

●今後の予定:

11/09 ・NHK講座野外「岩木山山麓」下見 11/15 ・NHK講座野外「岩木山山麓」
11/20 ・岩木地区市民文化祭「岩木山について」設定・設営(午後)
11/21~23 ・岩木地区市民文化祭「岩木山について」本会協賛出展
11/26 ・弥生いこいの広場隣接跡地利活用方策検討事業の報告会(弘前市)岩木公民館…多くの会員の参加を望む
11/28~29 ・第29回東北自然保護の集い(福島)
12/01 ・会報発行 12/20 ・NHK講座座講「岩木山の巨石信仰」
2010年
01/14 第17回写真展「私の岩木山」搬入・設営16:00からNHKギャラリー
01/15~17 第17回写真展「私の岩木山」

●検討事項

1.「弥生いこいの広場隣接跡地利活用方策検討事業の報告」内容について

 内容については、概括的に承認したい。さらに、報告内容を詳細に吟味して、弘前市が具体的にどのような施策をするのかを厳しく見ていく。逸脱したり、そぐわない動きが出た時には、厳格に対処する。

2.「新エネルギー技術研究所(風力発電)」が風力発電設置する計画について

 当該地区の住民と連携して、「設置」反対の意向を強く押し出していく。また、野鳥の会などと連携も図っていく。
 環状(権道30号線)線より上部には、絶対、設置は認めない。

3.岩木地区市民文化祭「岩木山について」の準備と設営について

 本会の持っている資料の範囲で出展して、協力する。会員の参加を強く望む。

4.「森における『生物の多様性(多様な生態系)』と『歩道等のあり方』に関する市民講座(または講演とデスカッション)」の開催について

『生物の多様性(多様な生態系)』ということは、自然保護運動の本質的、かつ基本的な目的である。つまり、あるべき「生物の多様性」を護っていくことが「自然保護」である。だが、「生物の多様性」ということの理解は非常に少ない。国民の9割近くは「生物の多様性」とは何かについての理解はない。
 その「生物の多様性」が「歩道(遊歩道)」の敷設に関わる諸条件のもとで壊されている。観光目的で敷設される「歩道(遊歩道)」に導かれて、結果的には人々が「生物の多様性」を毀損しているのである。
 本会としては、今こそ、この「生物の多様性」の理解、「生物の多様性」の破壊に与する「歩道(遊歩道)」の存在とその整備に関することをテーマに、「講演と学習の集い」を開催して、市民に広く啓蒙するべきと考える。
 よって、1~3月に、「森における『生物の多様性(多様な生態系)』と『歩道等のあり方』に関する市民講座」を開催することにする。
 多く人数を集めることも大事だが、なによりも開催することに意義があるだろう。

おことわり:「秋の雲、日本語には『雲』の名が多いのだ。(その5)」は休載し明日掲載する。

◇◇ 津軽森林管理署の危険木処理方針に対する意見(3) ◇◇
(承前)

<くろくまの滝歩道>

※ 付記4.第2の滝付近の急峻な坂を安全に上り下りするため、遊歩道を付け替えた部分がありますが、古い歩道がそのまま放置してあります。使用しない遊歩道の土留めは撤去し自然状態に復元すべきです。理由は以下の通りです。
※ ①来訪者が古い遊歩道に入って怪我をする恐れがあること。
※ ②人間が作った人工物は使用が終わったら撤去するのが常識であり、撤去によりその部分はまた自然が回復することになる。
※ ③壊れた遊歩道を放置しておくのは、自然の景観を壊すことにもなっている。

<津軽岩木山スカイライン>

立枯木:伐採は妥当だと考えます。

以上、意見を述べさせていただきました。今後の危険木処理に当たって、意見が生かされることを願っております。』(明日に続く。)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、1回・連続1000日達成まではあと、10日]

秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ / 津軽森林管理署の危険木処理方針に対する意見

2009-11-04 05:21:10 | Weblog
 (今日の写真は、2007年11月3日に岩木山大鳴沢源頭付近を写したものだ。曇りであり、山頂に近づくにつれて雪になった。去年の11月3日は、朝は小雨で日中少し晴れたが午後から大荒れで突風吹き荒れ、大雨となった。そして、今年の11月3日は朝から雪降りで、午後から雨になった。

 ところで、11月3日の文化の日は、「晴れの特異日」として知られている。特異日とは、「偶然とは思われないほど大きな確率で、ある気象状態、つまり「晴れ」とか「雨」とか「気温が高い」とかが現れる日のこと」である。
 毎年、「11月3日はかなりの確率で晴れる」ということなのである。確かに、私の日記から辿っても晴れの日は多い。特に2000年まではある程度順調に「晴れの特異日」で推移している。
 だから、それまでは、毎年「文化の日」は岩木山登山をしていた。だが、01年から06年までは「雨→曇→雨→晴→曇のち雨→晴」と推移して、07年は、この写真のように岩木山は「降雪で大荒れ」、08年は「雨のち一時晴れ、強風で大雨」と続き今年は明け方から雪で、午後になって雨に変わった。
 これを見ると、「晴れの特異日」は伝説になりつつあるように思える。全く逆の「悪天や荒天の特異日」となっているのだ。
 「晴れの特異日」というものは、安定した世界の気象の中で成り立っていたものだろう。世界の気象は「不安定」になっている。
 CO2の増大、地球温暖化のなせる業であることは、もはや、疑いないことだ。)

◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その4) ◇◇
(承前)

 さて、「下層雲」の最後は「層雲」である。いわゆる「霧(きり)雲」と呼ばれるもので、「山」などにかかる層状の雲で、空の低い所に出来るものだ。この雲が地面につくと「霧」になる。
 昨日の写真は「雨雲」とこの「層雲」の中で撮られたものだ。いくら明るいレンズで写しても「霧を晴らす」ことは出来ない。
 悪天の際に、山に鉢巻き状に現れるのがこれだ。「霧状雲」、「断片雲」、「波状雲」、「半透明雲」、「不透明雲」、「降水雲」、「片乱雲(黒いちぎれ雲)」などとも呼ばれる。
 また、特徴ある形や発生場所からの命名のものには「山かつら」や「山の蛇雲」、「大蛇雲(おろちぐも)」などがある。
 山頂や山腹を長い葛のように取り囲む、曲がった雲のことだ。「山かつら」は雨を呼ぶ雲で、これを腹巻きや鉢巻き、腰巻きに見なして、「腰巻き雲」がかかったので、まもなく雨だと「雨を予想」したのである。「山の蛇雲」や「大蛇雲」も同じである。
 「横雲」と呼ばれるものもあるが、これは「山かつら」よりも短く、見かけ上の形から名づけられたらしい。(明日に続く)

◇◇ 津軽森林管理署の危険木処理方針に対する意見(2) ◇◇
(承前)
<くろくまの滝歩道>

⑪ブナ
意見:伐採は妥当だと考えます。今後、該当木の1m上方にある20年ものブナと1m下方にある10年ものブナが伸びていき、世代の更新が進むことでしょう。
⑫ブナ
意見:挫折して遊歩道をまたいでいる主幹は危険なので撤去が妥当だと考えます。折れ残った根元からの幹は倒木の危険はありませんので、今後幹を利用する鳥や虫のためにそのまま残しておいてください。
⑬イタヤカエデ
意見:該当木は遊歩道側に伸びた生きている幹と、直立した立枯の幹があります。立枯木はイワガラミ等の支えになっています。また、遊歩道側に伸びた幹はしっかり生きており、当面倒木の恐れはないのでいずれも伐採の必要はないと考えます。しかし、通行者に不安な気持ちを抱かれることが心配ならば、該当木の下方7mほどからう回路を作り、該当木の上方に出るようにするという手があります。実際に歩いて見ましたが、途中にある倒木を除去すれば、若干の整備で安全に通行できます。
⑭ブナ(かかり木)
意見:発見できませんでした。少なくとも遊歩道沿いには⑬以降は、危険と思われる挫折木はなかったように思いました。しかしいずれにせよ、かかり木は危険なので除去する必要はあるでしょう。該当木が遊歩道沿いでないならば、幹の伐採は不要だと考えます。
⑮ミズナラ(隣木へつる絡み)
意見:該当木の主幹は、立派なイワガラミなどのツル性植物(根元は直径30cm以上はある)が貴重であり、伐採はすべきではありません。ツルは上方でブナに絡んでいるため、当面倒木の恐れはないと考えます。
 一方、遊歩道の上方に伸びている太い枝がありますが、これは腐朽が進み、茸のサルノコシカケなどが生えており、落下する恐れがあるので危険です。この太い枝のみを切り落とすべきでしょう。

※ 付記1.①②の木には「危険木1」と明示した水色のテープが巻かれていましたが、③以降はそのような表示がなく、とりわけ⑧⑭は探すのが困難でした。明確に判別できるように、統一したテープに危険木ナンバーの記載が必要だと思います。
※ 付記2.遊歩道から離れた立枯木はよほどのことがない限り、存置することを基本とすべきではないでしょうか。
※ 付記3.くろくまの滝遊歩道沿いに、多数の「土留め木」放置されています。歩行者の通行を安全に確保しようとする努力は理解しますが、作業後不要となったこれらの材木は撤去し処理するように施工業者に指導すべきでしょう。自然に親しもうと考えている来訪者にとって、こうした作業現場を思わせる材木の放置は見苦しく、イメージを損ねるばかりです。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、2回・連続1000日達成まではあと、11日]

秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ / 津軽森林管理署の危険木処理方針に対する意見

2009-11-03 05:15:35 | Weblog
(今日の写真もまた、「滝」である。雨が降っていて暗く、霧がかかっているので、写りがいまいちよくない。それに、レンズも暗いのだ。楽をしようと「軽い」レンズを装着してきた。これは広角性は高いがF値が大きいものだから暗いのである。
 それほどの距離を歩き登るわけではないから「重い」レンズをつけて来てもよかったのだが、「岩木山」に登る準備をしていて、そのままの「装備」で来てしまったことが、「ぬけ」のよくないこのレンズ装着ということになってしまったのだ。「ぬけ」のよい重いレンズはF値が2.8であり、重量は600gを越える。
 この滝は赤石川の右岸の山から流れ落ちているものだ。おそらく、夏緑に覆われている時季には見えないだろう。晩秋、木々の葉が疎らになって見通しが利くようになったから、その姿を現したものだろう。
 また、「その日だから姿を現した」ともいえる。この山は、この滝の見える直ぐ上が「山頂」であり、小さく低い山である。滝を形成するには「流水」を集積する「後背地」と「流水」を吐き出す「湧水」が必要である。
 だが、見る限りでは、そのいずれもないように思われる。つまり、この「滝」は降り続いている雨水を集めて流れているものなのだ。「雨が降り続く」という気象条件のもとにだけ現れる「幻の滝」である。それを、可能にしているのは、表土の下が硬い「岩」であり、雨水が土に染みこんでいかないということでもある。この山は「岩山」なのである。
 雨の日の「自然」もいいものである。何だって「まぼろし」に会えるのである。この「滝」は晩秋の雨の日にしか姿を現さない。自然の不思議と美しさは「一回限りの訪れ」では理解出来ないのである。)

◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その3) ◇◇
(承前)

 入道雲の名前を挙げたが、それは高橋健司著『空の名前』光琳社出版を参考にしたものだ。雲に興味のある人、特に「日本人の自然観から雲やお天気を見ることが好きな人」には最適な文献であると思う。
 たとえば、「霜」のことだが、…空気中の水蒸気が、0℃以下に冷えた地物に凍りついて氷りの結晶になったものです。「三つの花」、「さわひこめ」、「青女」などの美しい異称があります。まだらに置いたのを「はだれ霜」、一面に置いたのを「霜だたみ」、しんしんんと冷えて霜を置く音が聞こえそうな感じがするのを「霜の声」といいます。…というふうに説明されている。(P116)

 さて、「綿雲」から始まった雲の話しだが、これらは「下層雲」として分類されている「地表付近から、2000mぐらいまで」に現れる雲だ。
 その中にあるのが「層積雲」であり、これは積雲(綿雲)が集まって、一つの層になった雲のことである。空がくもっていて、雨が降っていなければこの雲のことで、おおざっぱには、「くもり雲」と呼んでいいだろう。
 他に、「層状雲」、「レンズ雲」、「塔状雲」または、半透明雲、隙間雲、不透明雲、二重雲、波状雲、放射状雲、蜂の巣状雲などとも呼ばれている。さらに、部分的に特徴のある形から「乳房雲」とか「降水雲」などとも呼ばれるのである。
 面白いものには「嵩張り雲」とか「畝雲」というものもある。(明日に続く)

◇◇ 津軽森林管理署の危険木処理方針に対する意見 ◇◇

 「津軽森林管理署」が「歩道等の保全管理と安全確保のため、今般下記の箇所において危険木の処理を予定していますのでお知らせします。なお、この処理についてご意見等がございましたらお問い合わせ下さい。」という。
この件に付いての詳報を知りたい方は次のURLにアクセスして欲しい。

http://www.tugaru-kokuyurin.jp/top/jyouhou/20091022_kikenboku.pdf

 「下記の箇所」とは「くろくまの滝」地区と「津軽岩木山スカイライン」の一部地区であり、処理木はそれぞれ15本と1本である。
 この危険木として処理される樹木の実態と「伐採」という処理が適当なことか、代替の方法はないか等の調査に11月1日に行ってきた。この結果に基づいてつぎのような「意見書」をTさんと私の連名で昨日(11月2日)付けで、「津軽森林管理署長」あてに提出した。

 その全文を今日と明日の2回に分けて紹介する。

    くろくまの滝・津軽岩木山スカイラインの危険木処理方針に対する意見

 『このたびは危険木処理にあたって、意見を募りながら実施するということとなり、自然保護に携わっている者としてうれしく思っております。さっそく、通知されている上記エリアを11月1日に2名で訪れ、処理方針のある危険木を観察して来ました。
 以下、意見を述べますので、よろしくお取り計らいください。

<くろくまの滝歩道>
① サワグルミ
意見: 下方90度、遊歩道側に倒れる可能性があり、伐採は妥当だと考えます。
② ブナ
意見:伐採の必要はないと考えます。主幹自体はまだ十分生きております。枯れている枝が4本観察されましたので、その枝のみ切り落とすことでよいかと思います。
③ ブナ
意見:伐採の必要はないと考えます。遊歩道沿いではないので、通行者への危険はありません。山菜採りなど遊歩道をはずれて近寄る人間に対して注意を喚起する表示でよいと考えます。④⑤⑥もほぼ同じ場所にあるので同様です。
④ ブナ
意見:③に同じ
⑤ ブナ
意見:③に同じ
⑥ ブナ
意見:③に同じ
⑦ ブナ
意見:遊歩道側に倒れてくる可能性があり、伐採は妥当だと考えます。
⑧ ブナ
意見:意見はありません。私たちが⑧と認識して観察してきた木と違うようです。
⑨ ミズナラ
意見:直立しており近々に倒伏することはないので伐採の必要はないと考えます。該当
木に注意喚起の表示をしてはどうでしょうか。
⑩ サワグルミ
意見:第1の滝展望所からも遊歩道から離れており伐採の必要はないと考えます。注意喚起の表示をしてはどうでしょう。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、3回・連続1000日達成まではあと、12日]

古来から日本人が好んできた「滝の風情」 / 天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ(6)

2009-11-02 05:14:43 | Weblog
(今日の写真は、晩秋の森、木の間隠れに見える「滝」である。春、夏、秋と滝の見せる風情は、その趣を変える。
 日本人が古来から好んだ「滝」の姿は、垂水する音が聞こえるものの、その姿は見えないのだが、やはり、この目でそれを見たいという「ゆかし」の心を満足させるものではなかっただろうか。
 そして、森の中のとある場所から、ようやく、その姿の一部を垣間見ることで「満足する」のが、「滝との初対面」であったと思う。)

◇◇ 晩秋の滝、そして、古来から日本人が好んできた「滝の風情」 ◇◇

 現代では「特別なマニア」は沢を遡行して、ダイレクトに滝を「眺望」するが、多くの山歩きをするものたちにとっては「微かに聞こえる滝の音」と「木の間隠れに見える滝」に、心が洗われて足を止めて「眺望」するのが「滝」なのである。
 それでいいのである。何としても、滝壺まで辿り着いて、その全容を見ようとはしなかったのだ。そこに、日本人の持つ美徳であり、美意識とでも言おうか「奥ゆかしさ」があったのである。

 先月の22日付けで「津軽森林管理署」が「歩道等安全確保のための危険木処理について」ということをネットで公開した。
『歩道等の保全管理と安全確保のため、今般下記の箇所において危険木の処理を予定していますのでお知らせします。なお、この処理についてご意見等がございましたらお問い合わせ下さい。』という項目もあった。
 危険木処理の対象当該地は「くろくまの滝」地区と「津軽岩木山スカイライン」の一部地区であり、処理木はそれぞれ15本と1本である。
 そこで、昨日、この危険木として処理される樹木の実態と「伐採」という処理が適当なことか、代替の方法はないか等の調査に行ってきた。この結果については明日辺りに報告する予定でいる。

 今日の写真は、「くろくまの滝」の第3の滝である。これはまさに、日本人が古来から愛してきた「『微かに聞こえる滝の音』と『木の間隠れに見える滝』」そのものだった。秋である。木の葉も疎らになっている。だから、夏よりは「よく見える」が全容を見せることはない。私はこれで十分に満足した。
 序でに「第2の滝」と「第1の滝」にも寄って、見てみたが「奥ゆかしさ」故に心惹かれる「心にくし」風情は、そこでは感じとれなかった。どちらも、あまりにも「直裁的」過ぎるのである。
 「観光」というものが、すべてこの「直截さ」につながっているとすれば、やがて、日本人の持つ「繊細」で、奥ゆかしい「美意識」は枯渇してしまうだろう。その時は「美しい日本」が消える時でもある。)

◇◇天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(6)◇◇
(承前)●寄生植物のこと●

 前回述べた「ミヤマママコナ」はゴマノハグサ科の植物である。この「科」には、多くの寄生植物が含まれている。そして、その大半は半寄生植物(腐生植物)である。
 岩木山では見られないが、白くて下唇弁に黄色い斑点のある小さな花をつけるゴマノハグサ科コゴメグサ属の一年草、高山植物の「ミヤマコゴメグサ(深山小米草)」、岩木山でも見られる同じ科で、北海道から九州の低地帯や亜高山帯の明るい草地に生育しているコシオガマ属の「コシオガマ(小塩竈)」、同科だが、属が違うシオガマギク属の多年草である「オニシオガマ(鬼塩釜)」などは、一寸見ただけでは「独立生活」をしているようである。
 しかし、地下の根によって他の植物の根から養分を奪う「半寄生植物」なのだ。
ところが、この「ゴマノハグサ科」に近縁の「ハマウツボ科」は、「完全寄生植物」の群に入っている。
 植物は本当におもしろい。それなりの「進化」の決まりがあるようだが、結局のところは非常に「個性的」であるということらしい。

 ところで、「寄生植物」と呼ばれるものはすべて「双子葉植物」である。だから、イネ科やユリ科、それにラン科などの草本類の大部分を占める「単子葉植物」には、「寄生植物」は知られていない。

 何故だろう。「他の植物(宿主『ホスト』)」の地上部、または地下部に寄生するにしても、「寄生植物」は根を伸ばして宿主に侵入するか、「ネナシカズラ(根無葛)」のように茎を宿主に巻き付けて、吸盤を差し込んで養分を吸収する。
 ところが、このような「吸収根」や「吸盤」を形成するためには、根や茎が活発に細胞分裂をすることが必要なのだ。だが、「単子葉植物」の頂部や端に分裂組織はあるが「双子葉植物」に見られる形成層がないのである。
 これだと、作られた根や茎は肥大しない。だから、「寄生」のための特殊な形態を発達させることが出来ないのである。
 「コケ植物」や「シダ植物」にも「寄生植物」は見られない。これも、同じ原理で「寄生のための特殊な形態」を発達させる能力が無いからであろう。

 「茎を宿主に巻き付けて、吸盤を差し込んで」養分を吸収する「ネナシカズラ(根無葛)」はヒルガオ科ネナシカズラ属の「全寄生植物」である。
 日当たりのよい山野で、他の植物の養分を吸い取って生きる「蔓性」の1年草で、相手を選ばず絡みつき、容赦なく養分や水分を奪い取る。
 根は、発芽してから養分を吸い取られる相手(宿主「ホスト」)に絡みつくまでは存在するが、宿主を見つけると必要がなくなるので枯れてなくなり、宿主に抱きついて突起を差し込み、養分を奪い取って生きていくのである。
 「寄生植物」にもいろいろとある。中には控えめなものもあるが、「ネナシカズラ」は100%「他力本願」で、葉は鱗片状に退化し、緑色の葉を持ち合わせていない。これに比べると「ヤドリギ」などは実に控え目で可愛らしいものだろう。(この稿は今日で終わる)

「 秋の雲、日本語には『雲』の名が多いのだ」(その3)は本日休載する。あす「下層雲」のことについて掲載する。
[連続1000回ブログ書き達成まであと、4回・連続1000日達成まではあと、13日]

久しぶりのロードマシン / 秋の雲、日本語には「雲」の名が多い(2)

2009-11-01 05:14:18 | Weblog
(今日の写真は、自転車だ。通称「ロードマシン」といわれているものだ。これは2台目である。2台目だから新しいのかというとそうではない。
 前任校に通勤するために購入したものだ。この自転車で往復40kmを、冬季を除き雨降り以外は毎日走ったものだ。実はこの自転車よりもお気に入りのものがあった。カラーはシルバー仕様、殆どが硬質アルミという素材で、パーツはそれぞれ気に入ったメーカーのものを組み込んでいた。同じメーカーの「フレーム」はあっても、各パーツまでが「同じ」というものはないから、まさしく「世界に1台」という代物であった。
 だが、それは実にあっけなく「私」のもとから消えた。ある日、自宅の前から「忽然」と消えたのである。しかも、自宅の前に「駐輪」していた数分の間にである。出かけるために自転車を玄関の前に出して、「鍵」をかけないままで、何かを取りに自宅に入ったそのほんの数分(おそらく2、3分)の間に、「愛車」はなくなったのである。
 盗まれたのだ。誰かが乗って行ってしまったのである。後を追ったが影も形もない。突然湧いた「盗み心」ではないだろう。
 私は、「自転車マニア」の仕業だろうと思っている。以前からこの「自転車」を見て、この「パーツ」は何製だ、これは何だということを知っていて、それ故に「珍しい」自転車であることに惹かれて、欲しくなり、その機会を狙っていたに違いない。結局、この自転車は、どこにも乗り捨てられず、「発見」もされなかったのだ。
 おそらく、パーツごとに解体されて「別」の「自転車」に変身させられてしまったことだろう。
 すごく悔しく、残念で「喪失感」は埋めようがなかったが、どうすることも出来なかった。今日の写真の自転車は、その「代理」である。20数年前から乗っている。だが、信頼感と愛着はあまりない。それは、失った以前の自転車への「未練」が未だにあるからであり、また、使われているパーツ自体もあまり思い入れがないものだからである。)

◇◇ 久しぶりのロードマシン ◇◇

 実はこの「自転車」、今年の5月に「オーバーホール」に出したのだ。それが、一昨日戻ってきた。何と、5ヶ月かかったのである。遅い。時間のかかり過ぎである。遅くても、8月辺りには戻ってくるだろうと考えていた。戻ってきたら長距離のツアーなどもしたいなあと思って待っていたが、とうとう10月の末になってしまった。諦めていた。来春までは無理なのかなと。
 少しだけ反省もした。「オーバーホール」には一般的に「12月」に入ると出す。そして、4月には戻ってくる。これが、自転車屋さんの「一般的」な都合らしい。だから、「オーバーホール」には4~5ヶ月はかかるということが自転車屋さんの常識なのだろう。だが、私は「自転車屋さん」ではなく、利用者である。このような常識など持ち合わせてはいない。
 しかも、この「自転車屋さん」とは古いつきあいである。先代の時からすでに30年以上のつきあいをしている。
 まあ、どうでもいい。戻ってきたのだから「乗りたい」のだ。予定では昨日は岩木山に登ることにしていたのだが、私は「自転車」をとった。

 昨日、この自転車で弘前から鰺ヶ沢、森田、鶴田、川村、小友、青女子「あおなご」、大川をとおり、弘前に戻ってきた。このルートはよく走るところでもある。
 私は今、深く反省している、というよりも自分が情けなくて意気消沈している。たったあれだけの距離を走っただけなのに、若い頃、一日に250km走った以上の疲れを感じているのだ。しかも、鰺ヶ沢の国道に出るころから、両膝が痛くなってしまったのだ。そこからはこの痛みとの戦いだった。自転車はペダルを踏み続けないと前進しない。しかし、それを続けると膝は痛い。我慢するしかない。我慢しないと家には帰れない。
 自転車は風に弱い。向かい風は「大変な体力の消耗と体に対する負荷」になる。弘前から鰺ヶ沢まではずっと「向かい風」だった。鰺ヶ沢から森田方向に約80度ほど東に向かうのだが、そこから風向きが変わった。つまり、まだ向かい風だったのだ。風が横向きになったのは鶴田を過ぎてからのことだった。これも、膝に負担をかけた一因でもある。
 それにしても情けない。思えばこうなるのも無理はない。何しろ、「膝」をこれほど回転させる運動をずっとしていなかったのだ。体にとってはあまりにも「突然の負荷」だった。

◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その2) ◇◇
(承前)
 とにかく、 この「入道雲」の地方における名前はおおい。名前が多いということはいい意味でも悪い意味でも「人々の生活」に深く関わっていたということである。
 それを挙げてみよう…。
 坂東太郎・筑紫二郎・丹波太郎・奈良二郎・和泉小太郎・信濃太郎・石見太郎・豊後太郎・四国三郎…などである。ここに挙げた「接頭語」はすべて地名であり、その次の二語は「男子」を表す「太郎、次郎、二郎」である。
 これらは、いずれもその地域を流れる川につけられた異名から来ている。たとえば「坂東太郎」は利根川のこと。「坂東」とは、神奈川県の足柄山や、群馬県の碓氷峠よりも東のことを指し、つまり「関東」のことである。
 また、入道雲の底は「にわか雨」や「雷雨」である場合が多いので、「暴れる男子」のイメージから、太郎・二郎など名前がついている。坂東花子では「締まり」が利かないだろう。
 なお、「太郎」といえば長男のことだ。つまり、関東を流れる「長男格」の川という意味から「坂東太郎」と付けられたのだという。
 それでは、何故、川の名前が入道雲の名前になったのだろうか。それは群馬県の利根川源流で育った雲が、関東平野へと降りて来て、発達したためといわれている。まさに、「利根川の雲がもくもく大きくなった」といったところであろう。
 津軽地方だと、岩木川の源流地帯の目屋奥地で発達した雲が、津軽平野に出現したということになり、それを「岩木太郎」と呼んでもいいわけである。だが、そのような呼称は、この地にはない。
「筑紫二郎」も「四国三郎」も同様に、それぞれ筑後川と吉野川のことだ。 (明日に続く)

「天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(6)」は本日休載する」

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