(今日の写真は、晩秋の森、木の間隠れに見える「滝」である。春、夏、秋と滝の見せる風情は、その趣を変える。
日本人が古来から好んだ「滝」の姿は、垂水する音が聞こえるものの、その姿は見えないのだが、やはり、この目でそれを見たいという「ゆかし」の心を満足させるものではなかっただろうか。
そして、森の中のとある場所から、ようやく、その姿の一部を垣間見ることで「満足する」のが、「滝との初対面」であったと思う。)
◇◇ 晩秋の滝、そして、古来から日本人が好んできた「滝の風情」 ◇◇
現代では「特別なマニア」は沢を遡行して、ダイレクトに滝を「眺望」するが、多くの山歩きをするものたちにとっては「微かに聞こえる滝の音」と「木の間隠れに見える滝」に、心が洗われて足を止めて「眺望」するのが「滝」なのである。
それでいいのである。何としても、滝壺まで辿り着いて、その全容を見ようとはしなかったのだ。そこに、日本人の持つ美徳であり、美意識とでも言おうか「奥ゆかしさ」があったのである。
先月の22日付けで「津軽森林管理署」が「歩道等安全確保のための危険木処理について」ということをネットで公開した。
『歩道等の保全管理と安全確保のため、今般下記の箇所において危険木の処理を予定していますのでお知らせします。なお、この処理についてご意見等がございましたらお問い合わせ下さい。』という項目もあった。
危険木処理の対象当該地は「くろくまの滝」地区と「津軽岩木山スカイライン」の一部地区であり、処理木はそれぞれ15本と1本である。
そこで、昨日、この危険木として処理される樹木の実態と「伐採」という処理が適当なことか、代替の方法はないか等の調査に行ってきた。この結果については明日辺りに報告する予定でいる。
今日の写真は、「くろくまの滝」の第3の滝である。これはまさに、日本人が古来から愛してきた「『微かに聞こえる滝の音』と『木の間隠れに見える滝』」そのものだった。秋である。木の葉も疎らになっている。だから、夏よりは「よく見える」が全容を見せることはない。私はこれで十分に満足した。
序でに「第2の滝」と「第1の滝」にも寄って、見てみたが「奥ゆかしさ」故に心惹かれる「心にくし」風情は、そこでは感じとれなかった。どちらも、あまりにも「直裁的」過ぎるのである。
「観光」というものが、すべてこの「直截さ」につながっているとすれば、やがて、日本人の持つ「繊細」で、奥ゆかしい「美意識」は枯渇してしまうだろう。その時は「美しい日本」が消える時でもある。)
◇◇天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(6)◇◇
(承前)●寄生植物のこと●
前回述べた「ミヤマママコナ」はゴマノハグサ科の植物である。この「科」には、多くの寄生植物が含まれている。そして、その大半は半寄生植物(腐生植物)である。
岩木山では見られないが、白くて下唇弁に黄色い斑点のある小さな花をつけるゴマノハグサ科コゴメグサ属の一年草、高山植物の「ミヤマコゴメグサ(深山小米草)」、岩木山でも見られる同じ科で、北海道から九州の低地帯や亜高山帯の明るい草地に生育しているコシオガマ属の「コシオガマ(小塩竈)」、同科だが、属が違うシオガマギク属の多年草である「オニシオガマ(鬼塩釜)」などは、一寸見ただけでは「独立生活」をしているようである。
しかし、地下の根によって他の植物の根から養分を奪う「半寄生植物」なのだ。
ところが、この「ゴマノハグサ科」に近縁の「ハマウツボ科」は、「完全寄生植物」の群に入っている。
植物は本当におもしろい。それなりの「進化」の決まりがあるようだが、結局のところは非常に「個性的」であるということらしい。
ところで、「寄生植物」と呼ばれるものはすべて「双子葉植物」である。だから、イネ科やユリ科、それにラン科などの草本類の大部分を占める「単子葉植物」には、「寄生植物」は知られていない。
何故だろう。「他の植物(宿主『ホスト』)」の地上部、または地下部に寄生するにしても、「寄生植物」は根を伸ばして宿主に侵入するか、「ネナシカズラ(根無葛)」のように茎を宿主に巻き付けて、吸盤を差し込んで養分を吸収する。
ところが、このような「吸収根」や「吸盤」を形成するためには、根や茎が活発に細胞分裂をすることが必要なのだ。だが、「単子葉植物」の頂部や端に分裂組織はあるが「双子葉植物」に見られる形成層がないのである。
これだと、作られた根や茎は肥大しない。だから、「寄生」のための特殊な形態を発達させることが出来ないのである。
「コケ植物」や「シダ植物」にも「寄生植物」は見られない。これも、同じ原理で「寄生のための特殊な形態」を発達させる能力が無いからであろう。
「茎を宿主に巻き付けて、吸盤を差し込んで」養分を吸収する「ネナシカズラ(根無葛)」はヒルガオ科ネナシカズラ属の「全寄生植物」である。
日当たりのよい山野で、他の植物の養分を吸い取って生きる「蔓性」の1年草で、相手を選ばず絡みつき、容赦なく養分や水分を奪い取る。
根は、発芽してから養分を吸い取られる相手(宿主「ホスト」)に絡みつくまでは存在するが、宿主を見つけると必要がなくなるので枯れてなくなり、宿主に抱きついて突起を差し込み、養分を奪い取って生きていくのである。
「寄生植物」にもいろいろとある。中には控えめなものもあるが、「ネナシカズラ」は100%「他力本願」で、葉は鱗片状に退化し、緑色の葉を持ち合わせていない。これに比べると「ヤドリギ」などは実に控え目で可愛らしいものだろう。(この稿は今日で終わる)
「 秋の雲、日本語には『雲』の名が多いのだ」(その3)は本日休載する。あす「下層雲」のことについて掲載する。
[連続1000回ブログ書き達成まであと、4回・連続1000日達成まではあと、13日]
日本人が古来から好んだ「滝」の姿は、垂水する音が聞こえるものの、その姿は見えないのだが、やはり、この目でそれを見たいという「ゆかし」の心を満足させるものではなかっただろうか。
そして、森の中のとある場所から、ようやく、その姿の一部を垣間見ることで「満足する」のが、「滝との初対面」であったと思う。)
◇◇ 晩秋の滝、そして、古来から日本人が好んできた「滝の風情」 ◇◇
現代では「特別なマニア」は沢を遡行して、ダイレクトに滝を「眺望」するが、多くの山歩きをするものたちにとっては「微かに聞こえる滝の音」と「木の間隠れに見える滝」に、心が洗われて足を止めて「眺望」するのが「滝」なのである。
それでいいのである。何としても、滝壺まで辿り着いて、その全容を見ようとはしなかったのだ。そこに、日本人の持つ美徳であり、美意識とでも言おうか「奥ゆかしさ」があったのである。
先月の22日付けで「津軽森林管理署」が「歩道等安全確保のための危険木処理について」ということをネットで公開した。
『歩道等の保全管理と安全確保のため、今般下記の箇所において危険木の処理を予定していますのでお知らせします。なお、この処理についてご意見等がございましたらお問い合わせ下さい。』という項目もあった。
危険木処理の対象当該地は「くろくまの滝」地区と「津軽岩木山スカイライン」の一部地区であり、処理木はそれぞれ15本と1本である。
そこで、昨日、この危険木として処理される樹木の実態と「伐採」という処理が適当なことか、代替の方法はないか等の調査に行ってきた。この結果については明日辺りに報告する予定でいる。
今日の写真は、「くろくまの滝」の第3の滝である。これはまさに、日本人が古来から愛してきた「『微かに聞こえる滝の音』と『木の間隠れに見える滝』」そのものだった。秋である。木の葉も疎らになっている。だから、夏よりは「よく見える」が全容を見せることはない。私はこれで十分に満足した。
序でに「第2の滝」と「第1の滝」にも寄って、見てみたが「奥ゆかしさ」故に心惹かれる「心にくし」風情は、そこでは感じとれなかった。どちらも、あまりにも「直裁的」過ぎるのである。
「観光」というものが、すべてこの「直截さ」につながっているとすれば、やがて、日本人の持つ「繊細」で、奥ゆかしい「美意識」は枯渇してしまうだろう。その時は「美しい日本」が消える時でもある。)
◇◇天気がいいとそれだけで「自然観察会」は成功だ。(6)◇◇
(承前)●寄生植物のこと●
前回述べた「ミヤマママコナ」はゴマノハグサ科の植物である。この「科」には、多くの寄生植物が含まれている。そして、その大半は半寄生植物(腐生植物)である。
岩木山では見られないが、白くて下唇弁に黄色い斑点のある小さな花をつけるゴマノハグサ科コゴメグサ属の一年草、高山植物の「ミヤマコゴメグサ(深山小米草)」、岩木山でも見られる同じ科で、北海道から九州の低地帯や亜高山帯の明るい草地に生育しているコシオガマ属の「コシオガマ(小塩竈)」、同科だが、属が違うシオガマギク属の多年草である「オニシオガマ(鬼塩釜)」などは、一寸見ただけでは「独立生活」をしているようである。
しかし、地下の根によって他の植物の根から養分を奪う「半寄生植物」なのだ。
ところが、この「ゴマノハグサ科」に近縁の「ハマウツボ科」は、「完全寄生植物」の群に入っている。
植物は本当におもしろい。それなりの「進化」の決まりがあるようだが、結局のところは非常に「個性的」であるということらしい。
ところで、「寄生植物」と呼ばれるものはすべて「双子葉植物」である。だから、イネ科やユリ科、それにラン科などの草本類の大部分を占める「単子葉植物」には、「寄生植物」は知られていない。
何故だろう。「他の植物(宿主『ホスト』)」の地上部、または地下部に寄生するにしても、「寄生植物」は根を伸ばして宿主に侵入するか、「ネナシカズラ(根無葛)」のように茎を宿主に巻き付けて、吸盤を差し込んで養分を吸収する。
ところが、このような「吸収根」や「吸盤」を形成するためには、根や茎が活発に細胞分裂をすることが必要なのだ。だが、「単子葉植物」の頂部や端に分裂組織はあるが「双子葉植物」に見られる形成層がないのである。
これだと、作られた根や茎は肥大しない。だから、「寄生」のための特殊な形態を発達させることが出来ないのである。
「コケ植物」や「シダ植物」にも「寄生植物」は見られない。これも、同じ原理で「寄生のための特殊な形態」を発達させる能力が無いからであろう。
「茎を宿主に巻き付けて、吸盤を差し込んで」養分を吸収する「ネナシカズラ(根無葛)」はヒルガオ科ネナシカズラ属の「全寄生植物」である。
日当たりのよい山野で、他の植物の養分を吸い取って生きる「蔓性」の1年草で、相手を選ばず絡みつき、容赦なく養分や水分を奪い取る。
根は、発芽してから養分を吸い取られる相手(宿主「ホスト」)に絡みつくまでは存在するが、宿主を見つけると必要がなくなるので枯れてなくなり、宿主に抱きついて突起を差し込み、養分を奪い取って生きていくのである。
「寄生植物」にもいろいろとある。中には控えめなものもあるが、「ネナシカズラ」は100%「他力本願」で、葉は鱗片状に退化し、緑色の葉を持ち合わせていない。これに比べると「ヤドリギ」などは実に控え目で可愛らしいものだろう。(この稿は今日で終わる)
「 秋の雲、日本語には『雲』の名が多いのだ」(その3)は本日休載する。あす「下層雲」のことについて掲載する。
[連続1000回ブログ書き達成まであと、4回・連続1000日達成まではあと、13日]