(今日の写真は標高700mほどに生えているミズナラである。天気予報だと今日から「下り坂」だというので、昨日、岩木山の中腹部を歩いてきた。もちろん、登山道ではない。「踏み跡」道である。先週の日曜日は雨だったが、ブナやミズナラの生えている山にいた。まだ、ミズナラには褐色の葉が残り、ブナは葉の数は少ないもののまだついているものが多かった。
それから、1週間、その間の3日には雪が降った。「温度」、「光」、「湿度」の3つの条件がそろって、「葉の色づき」は進んで、落葉していった。
この辺りにはブナも混在している。ブナも同じように「葉」はついていない。これは「冬日」の情景だ。冬はこの風景に「雪」が入るだけである。
樹木は、この1週間ですべての葉を散らしてしまったのだ。今年は、この辺りを3月ごろから、季節を違えて、毎月のように歩いた。
芽だし、若葉の萌葱、濃密な夏緑、この時季が一番長い。そして、黄葉や紅葉に色づき始める初秋、明るい色に染まった森全体が透き通ったような明るさに包まれる盛りの秋、やがて、その色づいた葉が1枚1枚と散っていく晩秋、そして、葉をすっかりと落として「がらん」として、底抜けに明るい初冬の森を見てきた。
時季的には、昨日は「初冬」だ。だが、気温は20℃近くまで上がった。これだと、初秋だ。しかし、それは、気温だけのこと、それ以外の事象は、やはり、初冬だった。
森は確実に動いている。その動きは「明日に向かって」ではなく、昨年の春に、一昨年の春に向かって動いているのだ。)
◇◇とうとう「ホザキヤドリギ」に出会った(1)◇◇
私は10月24日のブログで「岩木山にはもう1種のヤドリギ、『ホザキヤドリギ』も自生している(?)」と書いた。この(?)の意味は「自生していると言われているが、まだ出会っていない」ということである。実は、出会っているのだが、気づかなかったということである。
だから、当然、拙著「岩木山・花の山旅」には収録されていない。
ところで、今から二千数百年前のヨーロッパの森で、人々が聖なる木として崇めたのは、単なる「巨木」ではなく「ヤドリギ」が寄生している木であった。
秋から冬にかけて、森の木々は葉を全部落とし、死んでしまったようになる。ところがヤドリギだけは生き生きと緑の葉や赤い実をつけている。人々は葉や実の中には木々の生命が凝縮していると考えていた。
そして、この聖なる木々の神、つまり森の神を司った者たちを人々はドルイド僧と呼んだ。ドルイドとは「オークの知恵を持つ者」という意味だ。
彼等は冬の終わりになると、聖なる巨木に登り、金の鎌でヤドリギの枝を切り取って、人々に分け与えた。西欧では、今でもクリスマスの夜、「ヤドリギ」の下にいる女性には、キスをしても良い風習があるそうだ。
一方、日本では、「蓬莱珠枝(ほうらいのたまのえ)」というものが、竹取物語に登場するなど、昔から知られ、親しまれてきた寄生植物である。
「蓬莱珠枝」とは、天上界に生える「根が白金」、「幹が金」、「実が珠玉」からなる樹木だ。ところで、この「蓬莱珠枝」が、人間界に降りてきた時、不浄な大地には根を張ることが出来なかったというのだ。
そこで、やむを得ず「樹上に根を張った」のだそうだ。そして、その子孫が「ヤドリギ」なのだという。
「ホザキヤドリギ(穂咲宿木)」は落葉の広葉樹に寄生する半寄生の「落葉小低木」だ。岩木山によく見られる「アカミノヤドリギ」は「常緑の小低木」である。
名前の由来は、花が「穂状」に咲くことによる。枝は二又に分かれ、樹皮の色は濃褐色だ。(明日に続く)
◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その6) ◇◇
(承前)
…さて、この「高積雲」だが、よく見ると必ず「陰影」がつきまとっている。色は白か灰色だ。形もさまざまで、ロール状のもの、薄い板状、丸みのあるものなどがある。 この「高積雲」が太陽や月を隠すと「光冠」(注)が出来たり、雲の縁や大半が赤色に彩られる「彩雲」が現れたりするのだ。
山登りでは、よく立ち止まって、腰を伸ばして上空を仰ぐことがある。都市道や街の歩道でそのようなことをしていると「叱られ」てしまうだろうが…、そのようなことをする時に、遠くの案外目の高さに見える「雲」が「彩雲」に輝いているのである。
ある時の、春の自然観察会でも、岩木山の百沢登山道標高600m辺りから見えた南の空に、この「彩雲」が現れたことがあった。
観察会参加者にとって、誰もが「初体験」だったと「興奮」気味にみんなは、話したものだ。
「高積雲」の15以上の呼び名であるが、次に挙げてみよう。
雲の頭部に小さな塔のようなものが出来ている雲で「塔状雲」。雲の一つ一つが小さな房をなしているように見える「房状雲」。水平に広がっている雲で「層状雲」。凸レンズを横から見た形の「レンズ雲」。これは彩雲になりやすいのだ。海岸に打ち寄せる波をイメージさせる雲で「波状雲」。雲の帯が扇子の骨のように放射状にみえる「放射状雲」。薄い雲で丸い穴が開いているように見えて、それが「蜂の巣」に似ているので「蜂の巣状雲」。残りは明日書こう。
(注)光冠(こうかん): 薄い雲を通して、太陽の周囲に色づいた環が見えることをいう。「光環」とも書く。光が雲粒に当たって起こる「回折」によって生ずる現象である。だが、案外、この美しい「光冠」には、気がつかない。それは、「太陽」がかなり眩しいからだ。濃い色のサングラスをかけていると、太陽の10倍ほどの大きさの環が、内側の青から赤の順に並んでいるのが観察出来るのである。肉眼で直視しても、この色具合はよく見えない。(明日に続く)
[ブログ書きは今日で連続1003回になりました。連続1000日達成まではあと6日です]
それから、1週間、その間の3日には雪が降った。「温度」、「光」、「湿度」の3つの条件がそろって、「葉の色づき」は進んで、落葉していった。
この辺りにはブナも混在している。ブナも同じように「葉」はついていない。これは「冬日」の情景だ。冬はこの風景に「雪」が入るだけである。
樹木は、この1週間ですべての葉を散らしてしまったのだ。今年は、この辺りを3月ごろから、季節を違えて、毎月のように歩いた。
芽だし、若葉の萌葱、濃密な夏緑、この時季が一番長い。そして、黄葉や紅葉に色づき始める初秋、明るい色に染まった森全体が透き通ったような明るさに包まれる盛りの秋、やがて、その色づいた葉が1枚1枚と散っていく晩秋、そして、葉をすっかりと落として「がらん」として、底抜けに明るい初冬の森を見てきた。
時季的には、昨日は「初冬」だ。だが、気温は20℃近くまで上がった。これだと、初秋だ。しかし、それは、気温だけのこと、それ以外の事象は、やはり、初冬だった。
森は確実に動いている。その動きは「明日に向かって」ではなく、昨年の春に、一昨年の春に向かって動いているのだ。)
◇◇とうとう「ホザキヤドリギ」に出会った(1)◇◇
私は10月24日のブログで「岩木山にはもう1種のヤドリギ、『ホザキヤドリギ』も自生している(?)」と書いた。この(?)の意味は「自生していると言われているが、まだ出会っていない」ということである。実は、出会っているのだが、気づかなかったということである。
だから、当然、拙著「岩木山・花の山旅」には収録されていない。
ところで、今から二千数百年前のヨーロッパの森で、人々が聖なる木として崇めたのは、単なる「巨木」ではなく「ヤドリギ」が寄生している木であった。
秋から冬にかけて、森の木々は葉を全部落とし、死んでしまったようになる。ところがヤドリギだけは生き生きと緑の葉や赤い実をつけている。人々は葉や実の中には木々の生命が凝縮していると考えていた。
そして、この聖なる木々の神、つまり森の神を司った者たちを人々はドルイド僧と呼んだ。ドルイドとは「オークの知恵を持つ者」という意味だ。
彼等は冬の終わりになると、聖なる巨木に登り、金の鎌でヤドリギの枝を切り取って、人々に分け与えた。西欧では、今でもクリスマスの夜、「ヤドリギ」の下にいる女性には、キスをしても良い風習があるそうだ。
一方、日本では、「蓬莱珠枝(ほうらいのたまのえ)」というものが、竹取物語に登場するなど、昔から知られ、親しまれてきた寄生植物である。
「蓬莱珠枝」とは、天上界に生える「根が白金」、「幹が金」、「実が珠玉」からなる樹木だ。ところで、この「蓬莱珠枝」が、人間界に降りてきた時、不浄な大地には根を張ることが出来なかったというのだ。
そこで、やむを得ず「樹上に根を張った」のだそうだ。そして、その子孫が「ヤドリギ」なのだという。
「ホザキヤドリギ(穂咲宿木)」は落葉の広葉樹に寄生する半寄生の「落葉小低木」だ。岩木山によく見られる「アカミノヤドリギ」は「常緑の小低木」である。
名前の由来は、花が「穂状」に咲くことによる。枝は二又に分かれ、樹皮の色は濃褐色だ。(明日に続く)
◇◇ 秋の雲、日本語には「雲」の名が多いのだ。(その6) ◇◇
(承前)
…さて、この「高積雲」だが、よく見ると必ず「陰影」がつきまとっている。色は白か灰色だ。形もさまざまで、ロール状のもの、薄い板状、丸みのあるものなどがある。 この「高積雲」が太陽や月を隠すと「光冠」(注)が出来たり、雲の縁や大半が赤色に彩られる「彩雲」が現れたりするのだ。
山登りでは、よく立ち止まって、腰を伸ばして上空を仰ぐことがある。都市道や街の歩道でそのようなことをしていると「叱られ」てしまうだろうが…、そのようなことをする時に、遠くの案外目の高さに見える「雲」が「彩雲」に輝いているのである。
ある時の、春の自然観察会でも、岩木山の百沢登山道標高600m辺りから見えた南の空に、この「彩雲」が現れたことがあった。
観察会参加者にとって、誰もが「初体験」だったと「興奮」気味にみんなは、話したものだ。
「高積雲」の15以上の呼び名であるが、次に挙げてみよう。
雲の頭部に小さな塔のようなものが出来ている雲で「塔状雲」。雲の一つ一つが小さな房をなしているように見える「房状雲」。水平に広がっている雲で「層状雲」。凸レンズを横から見た形の「レンズ雲」。これは彩雲になりやすいのだ。海岸に打ち寄せる波をイメージさせる雲で「波状雲」。雲の帯が扇子の骨のように放射状にみえる「放射状雲」。薄い雲で丸い穴が開いているように見えて、それが「蜂の巣」に似ているので「蜂の巣状雲」。残りは明日書こう。
(注)光冠(こうかん): 薄い雲を通して、太陽の周囲に色づいた環が見えることをいう。「光環」とも書く。光が雲粒に当たって起こる「回折」によって生ずる現象である。だが、案外、この美しい「光冠」には、気がつかない。それは、「太陽」がかなり眩しいからだ。濃い色のサングラスをかけていると、太陽の10倍ほどの大きさの環が、内側の青から赤の順に並んでいるのが観察出来るのである。肉眼で直視しても、この色具合はよく見えない。(明日に続く)
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