(今日の写真は、いつの年かは思い出せないが、11月の20日前後の岩木山である。場所は追子森の尾根であるらしい。だが、かなり「白沢」に寄ったところだ。この辺りは「ブナ」が出てきて、次は「カラマツ」の植林地ということを繰り返す。
ブナの太さと樹高、それに、奥に見える「カラマツ」の背丈の低さから、かなり、標高が上がっている場所のようである。
奥に見える「カラマツ」はブナを伐採して、当時の営林署が植えたものだ。だが、標高があるので、植林してから、すでに、40年以上経つというのに、成長が遅く、見て分かるとおり「細くて低い」のだ。この植林した「カラマツ」林には、実生から成長したブナや曾孫生えのブナが育っており、植えられた「カラマツ」よりも、大きくなっているものがあるのだ。
何という馬鹿さ加減だろう。ブナを伐採せずに残しておれば、この辺りは一面ブナの林立する森なのであった。
「伐採するための林道敷設」「伐採のための費用」「植林の費用」などがすべて「無駄」になったのである。
この無駄にされた「お金の出所」は、すべて私たちが納めた税金なのだ。会社ならば倒産だよ。林野庁は見通しのない事業に税金を湯水のように使ってきたのである。その体質は今でもあるようだ。
昨日の朝日新聞の記事に「補助申請自治体に催促 林野庁総選挙前に再三」というのがあった。
自民党から民主党に政権が交代しそうな情勢の中で、「何とか予算を使い切るため」に、自治体に速く申請せよと圧力をかけていたというのである。
「予算は使い切るためのものではなく、出来るだけ使わないで済ませる方法を考えること」が「国民の税金」を使う側に求められていることに気づかない為体(ていたらく)なのである。本当に呆れてしまう話しだ。)
◇◇ 11月20日前後のブナ林 ◇◇
やはり、今年も「11月20日前後」に降雪があった。昨日の朝は、3cmほど積もっていた。「岩木文化祭」の会場に向かう頃には「ぬれ雪」に変わってい。
コンピュータ、書籍、印刷物など「濡れる」と困るものを運ばねばならなかったので、「濡らさない」工夫が一仕事になってしまった。
まさに、ここ10数年、この時季に「判子を押したように」雪が降るのだ。私は「春夏秋冬」岩木山に登っている。特に、雪の季節は「難しい登山」になるので、「降雪」に関しては敏感になる。
初雪はいつなのか、初冠雪はいつだったか、足首までの積雪は、膝までの積雪があったのはいつだったかなど、しっかりと記憶に留めているし、記録もしている。
それによると、何回も言うが、ここ数年「11月20日前後」に、岩木山では、大雪となっているのである。
私は50年近く岩木山に登っている。11月に岩木山に入り山頂までは行けなかったことも含めると、これも50年以上になる。私の若い頃には、この時期に、このような「降雪」はなかった。
温暖化とは、異常な気象を道連れにしてやって来るのである。
◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(5)◇◇
(承前)
要するに、CO2の国同士だろうが会社同士だろうが「排出量取り引き」では「CO2」の絶対的な総量は減ることはないのである。増える一方だろう。
また、利害関係である以上、そこには対等な取引ではなく「値切りやごまかし、詐称」など、人間的な弱点も生ずるだろう。利潤を上げることにのみ価値を見いだす「国」や「企業」も当然出てくるだろう。
この際は、私的な「利潤」は論外のものとしよう。とにかく、「温室効果ガス」の絶対量を減らさなければいけないのである。そのことだけを「大事」にする「論理」で進んでいかねばならないのである。産業界にある「排出枠を公平に割り当てられるのか」という意見そのものに「不公平」を是としてきた産業界の逆の「本音」が見える。
このような業界に「絶対的な温室効果ガス削減」への取り組みは望めそうにもない。
昨日の朝日新聞、(これは私の連れ合いが購読している)の「声」欄に、次のような投書があった。
「Xマスの巨大電飾浪費では」
…今世紀末に海面が90年比で2m上昇するとの記事(10月20日)がありました。C02排出量の増加や氷河の消失速度などから予測したそうです。
わが国は戦後、大量生産と大量消費でC02の排出量を大幅に増やしました。その結果もあって温暖化を促し、地球はすっかり汚れてしまいました。さっそく頭に浮かぶのは、私の住む丹後の名勝天橋立の松並木に海水面が迫り、歩けなくなる光景です。
鳩山政権は、温室効果ガスの「25%削減」を打ち出しています。私たち国民にできることは、電化製品に囲まれた生活の中でなんとか節電に努めることでしょう。
ところが、大阪市内のビルの谷間で、巨大なクリスマスのイルミネーションが始まりました。32万個の電球が来年1月まで点灯されるそうです。日本の夜空は地球上でひときわ明るいと聞いたことがあります。温暖化防止の観点からも度の過ぎた電飾はいかがと思います。…
昨日、「岩木文化祭」から帰る途中、弘前市役所の前を通った。市役所前の街路樹の並木で「仕事」をしている人を見た。
別に雪除け用の囲いをしているわけでもない。囲いだったら、この時季では遅すぎるだろう。そのとおりだ。囲いに使われる丸太も板も筵も荒縄も何も見えない。ただ、細いコードのようなものが見える。そして、そのコードには透明で尖ったプラスチックのようなものが付いていた。
脚立に登った人が、街路樹の幹から枝へと、そのコードを伸ばし、這わせて、固定しているのだった。
何と、街路樹に小さな電球の付いたコードを巻き付けているのだった。これは、「イルミネーション(電飾)」用のコードを幹や枝に固定しているのであった。これから、春までである。夕方から翌朝まで「街路樹」でピカピカと輝くのである。クリスマス用の電飾は、セオリーどおりならば、12月24日の前後数日であろうが、市役所前通りの街路樹の電飾は春までである。これは、明らかに「クリスマス」や「キリスト教徒」とは無縁な「明かり」である。その通りには「街灯」がついている。それ以外の明かりがなくても、歩行者も自動車にとっても何ら不都合なことはない。
前述の投書にある「32万個の電球」にはその数で遙かに及ばないが、「明るく点灯する」には、電気エネルギーが必要なのである。(明日に続く)
ブナの太さと樹高、それに、奥に見える「カラマツ」の背丈の低さから、かなり、標高が上がっている場所のようである。
奥に見える「カラマツ」はブナを伐採して、当時の営林署が植えたものだ。だが、標高があるので、植林してから、すでに、40年以上経つというのに、成長が遅く、見て分かるとおり「細くて低い」のだ。この植林した「カラマツ」林には、実生から成長したブナや曾孫生えのブナが育っており、植えられた「カラマツ」よりも、大きくなっているものがあるのだ。
何という馬鹿さ加減だろう。ブナを伐採せずに残しておれば、この辺りは一面ブナの林立する森なのであった。
「伐採するための林道敷設」「伐採のための費用」「植林の費用」などがすべて「無駄」になったのである。
この無駄にされた「お金の出所」は、すべて私たちが納めた税金なのだ。会社ならば倒産だよ。林野庁は見通しのない事業に税金を湯水のように使ってきたのである。その体質は今でもあるようだ。
昨日の朝日新聞の記事に「補助申請自治体に催促 林野庁総選挙前に再三」というのがあった。
自民党から民主党に政権が交代しそうな情勢の中で、「何とか予算を使い切るため」に、自治体に速く申請せよと圧力をかけていたというのである。
「予算は使い切るためのものではなく、出来るだけ使わないで済ませる方法を考えること」が「国民の税金」を使う側に求められていることに気づかない為体(ていたらく)なのである。本当に呆れてしまう話しだ。)
◇◇ 11月20日前後のブナ林 ◇◇
やはり、今年も「11月20日前後」に降雪があった。昨日の朝は、3cmほど積もっていた。「岩木文化祭」の会場に向かう頃には「ぬれ雪」に変わってい。
コンピュータ、書籍、印刷物など「濡れる」と困るものを運ばねばならなかったので、「濡らさない」工夫が一仕事になってしまった。
まさに、ここ10数年、この時季に「判子を押したように」雪が降るのだ。私は「春夏秋冬」岩木山に登っている。特に、雪の季節は「難しい登山」になるので、「降雪」に関しては敏感になる。
初雪はいつなのか、初冠雪はいつだったか、足首までの積雪は、膝までの積雪があったのはいつだったかなど、しっかりと記憶に留めているし、記録もしている。
それによると、何回も言うが、ここ数年「11月20日前後」に、岩木山では、大雪となっているのである。
私は50年近く岩木山に登っている。11月に岩木山に入り山頂までは行けなかったことも含めると、これも50年以上になる。私の若い頃には、この時期に、このような「降雪」はなかった。
温暖化とは、異常な気象を道連れにしてやって来るのである。
◇◇「キリマンジャロの雪」は消え、CO2の排出量は減らない(5)◇◇
(承前)
要するに、CO2の国同士だろうが会社同士だろうが「排出量取り引き」では「CO2」の絶対的な総量は減ることはないのである。増える一方だろう。
また、利害関係である以上、そこには対等な取引ではなく「値切りやごまかし、詐称」など、人間的な弱点も生ずるだろう。利潤を上げることにのみ価値を見いだす「国」や「企業」も当然出てくるだろう。
この際は、私的な「利潤」は論外のものとしよう。とにかく、「温室効果ガス」の絶対量を減らさなければいけないのである。そのことだけを「大事」にする「論理」で進んでいかねばならないのである。産業界にある「排出枠を公平に割り当てられるのか」という意見そのものに「不公平」を是としてきた産業界の逆の「本音」が見える。
このような業界に「絶対的な温室効果ガス削減」への取り組みは望めそうにもない。
昨日の朝日新聞、(これは私の連れ合いが購読している)の「声」欄に、次のような投書があった。
「Xマスの巨大電飾浪費では」
…今世紀末に海面が90年比で2m上昇するとの記事(10月20日)がありました。C02排出量の増加や氷河の消失速度などから予測したそうです。
わが国は戦後、大量生産と大量消費でC02の排出量を大幅に増やしました。その結果もあって温暖化を促し、地球はすっかり汚れてしまいました。さっそく頭に浮かぶのは、私の住む丹後の名勝天橋立の松並木に海水面が迫り、歩けなくなる光景です。
鳩山政権は、温室効果ガスの「25%削減」を打ち出しています。私たち国民にできることは、電化製品に囲まれた生活の中でなんとか節電に努めることでしょう。
ところが、大阪市内のビルの谷間で、巨大なクリスマスのイルミネーションが始まりました。32万個の電球が来年1月まで点灯されるそうです。日本の夜空は地球上でひときわ明るいと聞いたことがあります。温暖化防止の観点からも度の過ぎた電飾はいかがと思います。…
昨日、「岩木文化祭」から帰る途中、弘前市役所の前を通った。市役所前の街路樹の並木で「仕事」をしている人を見た。
別に雪除け用の囲いをしているわけでもない。囲いだったら、この時季では遅すぎるだろう。そのとおりだ。囲いに使われる丸太も板も筵も荒縄も何も見えない。ただ、細いコードのようなものが見える。そして、そのコードには透明で尖ったプラスチックのようなものが付いていた。
脚立に登った人が、街路樹の幹から枝へと、そのコードを伸ばし、這わせて、固定しているのだった。
何と、街路樹に小さな電球の付いたコードを巻き付けているのだった。これは、「イルミネーション(電飾)」用のコードを幹や枝に固定しているのであった。これから、春までである。夕方から翌朝まで「街路樹」でピカピカと輝くのである。クリスマス用の電飾は、セオリーどおりならば、12月24日の前後数日であろうが、市役所前通りの街路樹の電飾は春までである。これは、明らかに「クリスマス」や「キリスト教徒」とは無縁な「明かり」である。その通りには「街灯」がついている。それ以外の明かりがなくても、歩行者も自動車にとっても何ら不都合なことはない。
前述の投書にある「32万個の電球」にはその数で遙かに及ばないが、「明るく点灯する」には、電気エネルギーが必要なのである。(明日に続く)