岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

第30回東北自然保護の集いがはじまる(2)

2009-11-29 04:19:58 | Weblog
 (今日の写真は「もみじ」の紅葉である。黒石市中野のもみじである。今年写したものだ。
 福島県耶麻郡猪苗代町中の沢温泉では、まだ、このような紅葉に出会えるかも知れない。ひょっとした落ちてしまっているかも知れない。そんな思いを胸に秘めて、私は出かけるのである。)

◇◇ 第30回東北自然保護の集いがはじまる(2) ◇◇

 私が本会の事務局長になってから、毎年この「東北自然保護の集い」に参加している。特に2005年には本会が主宰して岩木山の麓で「岩木山大会」を開催した。
 参加する度に「青森県からの報告」ということで、文書を作って報告してきた。だが、今回はそのようなことをしなくて済んだ。
 私は討論に参加し、他県の情報に耳を傾ければいいだけなのである。この28~29日に、もし私も「報告」することになっていたら、大変だった。
 今回は、一緒に参加する竹浪純さんの「報告文書」に目はとおしたものの、原稿作りから印刷まで、すべて「任せきり」で、つまり「他人」に任せきりで「東北自然保護の集い」に参加することになった。
 このようなことは初めてのことである。ずいぶんと楽をさせてもらった。しかも、竹浪さんの自動車に便乗ということで、「運転手付き」で参加という贅沢なものになった。
 報告もし、運転して「私」を運ぶ役割の彼には、本当に申し訳のないことだと思っている。
 さて、竹浪さんが報告する「ぶなふれあいの径」伐採木に関する報告だが、参加出来ない人に、このブログで紹介したいと思う。次に掲げるが「経過」の部分は割愛してある。
 
        「利用者の安全を理由とした伐採行為を考える」

 概要
 津軽森林管理署が管理地内の巨木ぶな10本を危険木として伐採した。自然保護関係者から、伐採に対する疑問の声が出され、請願書を提出し対応を求めた。その結果、処理に当たっては事前に情報を公開し意見を聴取することとなった。
 その後、行政の危険木処理方針に対して市民が意見を述べることで、当初の計画を修正させるという具体的事例を得た。
 自然の保護と利用の間には、きめ細かな調整作業が必要である。今後のあるべき方向性を考えてみたい。

まとめ
 津軽森林管理署が行った巨木ぶなの伐採は、現場を見ればだれもが、なぜこれほどの木を切らなければならなかったのか、と憤りを示した。
 しかし、それではどうすればよかったのか、今後どうすればこういう事態は解消されるのか、ということでは、我々自身が、行政=お上のやり方には口を出せない、愚痴は言うが、主張する者に対してはその足を引っ張る、という風潮を克服する必要があると感じた。必要なのは建設的な意見と行動だ。
 伐採する側にはそれなりの論理や事情がある。とりわけ昨年の十和田湖での落枝事故問題で国が敗訴した結果、歩行者の安全を確保することが森林の管理者にとって大きな圧力になっていることは容易に想像できる。
 しかし一方、自然を守ろうとする我々にも、保護の思想があり保護するための知見が蓄積されている。これらの相反する思想、理屈をお互いに闘わせながら、一定の折り合いをつけ保護と利用が共存できるしくみが行政に欠如していること、これが、今回発生した問題の根源であろう。今回のぶな伐採問題でも、ことは自然保護区域でもなんでもない津軽森林管理署の管理区域での出来事であり、当然ながら環境省や県自然保護課の出る幕はなかった。
 しかし、市民の一人が声を上げ、請願という手段に及んだことでマスコミがそれを取り上げ、津軽森林管理署も一定市民の感覚に沿った対応をせざるを得なくなった。
 保護する場所を自然公園や世界遺産などとして空間的に区切り、場所に応じて担当する行政を割り当てるだけでは、自然破壊による生物多様性の減退を食い止めることはできない。

 今求められているのは、保護されている場所であるかどうかにかかわらず、保護する側と利用する側が日常的に意見を交換し、調整しあう、きめ細かな行政能力だと考える。
 これにより、保護する側は経済的な側面も含めて利用する側の意識や意図をより深いところで理解できるだろう。また利用する側は、道路の設置や刈り払いなど、自然に与えるインパクトがどれほど、自然の多様性を奪う結果となっているのかその影響をマクロ的な立場から見直すことができ、保護するものが持っている豊かな知見を活用することができるだろう。
 このような仕組み~保護する側と利用する側が日常的に意見を交換し調整しあう、きめ細かな行政~づくりをめざす者にとって、今回の津軽森林管理署の対応は、多くの現実的な制約がある中で、ごく小さい一歩ではあるが保護と利用が協調しあった事例であった。
 もちろん課題は山積している。我々が主張した伐採すべきでない、あるいはこのようにすれば伐採は避けられ安全も確保される、という意見に対する津軽森林管理署の公式の見解はない。
 意見はあくまでも意見であり協議ではないからだろう。協議の場となりえないことはそうしたしくみがないことからも当然とは言える。しかしこうした制約の中で、我々の意見を行政措置に取り入れた津軽森林管理署の姿勢は評価でき、我々の活動の中に小さな灯りがともった思いがする。
 行政が縦割りに作られている現実があり、利用、安全、保護の名のもとで行われている不当、過剰な自然破壊を少しでも食い止めるためには、市民自身が主権者として法に基づき意見を述べ、述べた分行動することがきわめて大事であろう。
 このような市民の草の根の活動がいずれは縦割り行政の壁を突き崩す。政治が変わり、より柔軟な相互浸透型、市民参画型の行政組織がつくりだされる中で、日本の自然保護運動はさらに前進するものと信じる。