(今日の写真は9月10日に「コマクサ」の抜き取り作業をしている時に見たイヌワシである。残念ながらこれは私が写したものではない。本会幹事の飛鳥さんが同じ場所で写したものだ。)
今朝は、「岩木山のイヌワシ」(その1)について書いてみたい。
イヌワシは山頂北面の大鳴沢上空にもよく姿を見せる。
…長平口から岩木山に登った。昼過ぎからの登りになったものだから、頂上には3時少し過ぎに着いた。最初の目撃は、二神石下方の通称テラスと呼ばれる場所である。
二羽が、大鳴沢上空を赤倉の尾根の方に飛び、次に左上空に翻り、大鳴沢上空をゆっくりと旋回をして上昇し、飛翔を続けた。
風は東から吹いている。白雲や薄雲のとぎれの青空にその二羽が弧を描いて浮かぶ。その悠然とした飛び方は、まさに生物の頂点のものであり、まるで岩木山の主のように思えた。
私にとって「イヌワシ」との初めての出会いは次のようなものだった。この頃はまだ、「岩木山にイヌワシがいる」ということが殆ど話題になっていなかった。
…私は1989年12月31日に初めて出会っている。1989年の年末登山は単独行となった。以下の事実を記述するには、その客観性から同行者のいなかったことが悔やまれるのだが…。密かに「岩木山のイヌワシ」を最初に目撃したのは私ではないかと思っている。
単独行の時は、私はスキーは出来るだけ使わない。捻挫や骨折をするとそれで終わりだからである。
雪が降り、風の強い日だった。視界も悪い。輪かんを着けた。雪はしまっていて、かなり速いペ-スで登った。次の夏にはヒマラヤ・パミールに二回目の遠征を計画していた。だから訓練も積んでいたので、体力には自信があった。
20キロ以上を背負い、昨年末にスキーで登った時よりも、かなり速い動きをしていた。鳳鳴小屋まで3時間かからないで行った。
それにしても、風の強い日であった。三点支持をしても吹き飛ばされそうな風だ。その上に、視界が利かない。これは冬山の常識だから驚かない。その中をただ黙々と登る。
標高が1000mかそれ以上ぐらいのところにさしかかった時、晴れ間が覗いた。自分のまったくの真上に晴れ間が見える。
視界の利かない風雪の中で、晴れ間を発見すると、身についた動物的な習性のように、いつも私は上を仰いでしまう。
私は歩みを止めた。そして、…私はその狭い青空の中に、確かに鷲鷹の仲間を見たのである。
それは晴れ間の中で動かないように見えた。悠然としているから、空中に停止しているように見えたのかもしれない。
いや、違う。悠然というとらえ方は、私の主観に過ぎない。事実は羽を動かさないで、風に乗っている。風に向かって自分の位置を保持している。
そして、あくまでも、それはこの狭い青空の中心にいて、眼下に広がる地上の凹凸すべてを、自分のものにしているのだ。
地上では吹雪がおさまると、木の根元に出来た雪穴からウサギが飛び出すかも知れない。沢筋の木の下枝からは、ヤマドリが谷に沿って滑るように飛翔するかも知れない。
私の眼はその鷲鷹類に釘付けになった。そしてより特徴的な何かを捜そうとしていた。うすい雲がそれかすかな影を残しては、遮り、掃くように流れて行く。その後には、またそれだけが残る。そんな繰り返しが、秒刻みで進んでいった。
それは全体的に黒っぽかった。少なくとも鳶の色ではない。春先には鳶が多い。真冬である。季節的にはトンビとは言い難かった。
両方の翼と尾羽の接点付近がかすかに黄色ぽくも見える。足かも知れない。両翼の中央を胴から翼の先端にかけて、白っぽい筋状のようなものがこれまた、かすかに見える。
これまでに、実際見たクマタカやオオタカと比べても、似ているところはなかった。これは鷲だ。そこで、私は知っている鷲の名前をひとつずつ挙げて、検証する。
オジロワシか、とすれば、尾が白くない。しかもここは山だ。オジロワシは海浜に多いはずである。オオワシか、これも海浜や流氷に多い。魚が主食だ。尾も白くないし、両翼の肩下も白くない。オオワシではない。
イヌワシか、山地の林に棲む留鳥だ。繁殖が知られているのは本州の山岳地帯だけと言われている。岩棚や大木の上に巣を造るのだそうだ。特徴は、云々と復唱してみた。
なに、これはひょっとするとイヌワシか。本当にイヌワシなのか。最近その数が非常に少なくなってきている天然記念物…イヌワシ。これが岩木山にいたのだ。信じよう。
単なる留鳥として棲んでいるのだろうか、それとも番(つが)いをなして営巣しているのだろうか。この圧雪車が登り降りして、スキーヤーが滑り降りる尾根も、このイヌワシのテリトリーなのだ。
となれば、営巣地は柴柄沢の上部だろうか、またはこの尾根の東対岸尾根だろうか。色々と思いは巡る。
長い時間ではなかった。恐らく3、4分ほどの停滞であったはずだ。青空は突然消えてしまった。イヌワシの影は私の視界から去った。また白い闇の続く雪面に私は投げ出されて、歩みを始めた。(明日に続く。)
今朝は、「岩木山のイヌワシ」(その1)について書いてみたい。
イヌワシは山頂北面の大鳴沢上空にもよく姿を見せる。
…長平口から岩木山に登った。昼過ぎからの登りになったものだから、頂上には3時少し過ぎに着いた。最初の目撃は、二神石下方の通称テラスと呼ばれる場所である。
二羽が、大鳴沢上空を赤倉の尾根の方に飛び、次に左上空に翻り、大鳴沢上空をゆっくりと旋回をして上昇し、飛翔を続けた。
風は東から吹いている。白雲や薄雲のとぎれの青空にその二羽が弧を描いて浮かぶ。その悠然とした飛び方は、まさに生物の頂点のものであり、まるで岩木山の主のように思えた。
私にとって「イヌワシ」との初めての出会いは次のようなものだった。この頃はまだ、「岩木山にイヌワシがいる」ということが殆ど話題になっていなかった。
…私は1989年12月31日に初めて出会っている。1989年の年末登山は単独行となった。以下の事実を記述するには、その客観性から同行者のいなかったことが悔やまれるのだが…。密かに「岩木山のイヌワシ」を最初に目撃したのは私ではないかと思っている。
単独行の時は、私はスキーは出来るだけ使わない。捻挫や骨折をするとそれで終わりだからである。
雪が降り、風の強い日だった。視界も悪い。輪かんを着けた。雪はしまっていて、かなり速いペ-スで登った。次の夏にはヒマラヤ・パミールに二回目の遠征を計画していた。だから訓練も積んでいたので、体力には自信があった。
20キロ以上を背負い、昨年末にスキーで登った時よりも、かなり速い動きをしていた。鳳鳴小屋まで3時間かからないで行った。
それにしても、風の強い日であった。三点支持をしても吹き飛ばされそうな風だ。その上に、視界が利かない。これは冬山の常識だから驚かない。その中をただ黙々と登る。
標高が1000mかそれ以上ぐらいのところにさしかかった時、晴れ間が覗いた。自分のまったくの真上に晴れ間が見える。
視界の利かない風雪の中で、晴れ間を発見すると、身についた動物的な習性のように、いつも私は上を仰いでしまう。
私は歩みを止めた。そして、…私はその狭い青空の中に、確かに鷲鷹の仲間を見たのである。
それは晴れ間の中で動かないように見えた。悠然としているから、空中に停止しているように見えたのかもしれない。
いや、違う。悠然というとらえ方は、私の主観に過ぎない。事実は羽を動かさないで、風に乗っている。風に向かって自分の位置を保持している。
そして、あくまでも、それはこの狭い青空の中心にいて、眼下に広がる地上の凹凸すべてを、自分のものにしているのだ。
地上では吹雪がおさまると、木の根元に出来た雪穴からウサギが飛び出すかも知れない。沢筋の木の下枝からは、ヤマドリが谷に沿って滑るように飛翔するかも知れない。
私の眼はその鷲鷹類に釘付けになった。そしてより特徴的な何かを捜そうとしていた。うすい雲がそれかすかな影を残しては、遮り、掃くように流れて行く。その後には、またそれだけが残る。そんな繰り返しが、秒刻みで進んでいった。
それは全体的に黒っぽかった。少なくとも鳶の色ではない。春先には鳶が多い。真冬である。季節的にはトンビとは言い難かった。
両方の翼と尾羽の接点付近がかすかに黄色ぽくも見える。足かも知れない。両翼の中央を胴から翼の先端にかけて、白っぽい筋状のようなものがこれまた、かすかに見える。
これまでに、実際見たクマタカやオオタカと比べても、似ているところはなかった。これは鷲だ。そこで、私は知っている鷲の名前をひとつずつ挙げて、検証する。
オジロワシか、とすれば、尾が白くない。しかもここは山だ。オジロワシは海浜に多いはずである。オオワシか、これも海浜や流氷に多い。魚が主食だ。尾も白くないし、両翼の肩下も白くない。オオワシではない。
イヌワシか、山地の林に棲む留鳥だ。繁殖が知られているのは本州の山岳地帯だけと言われている。岩棚や大木の上に巣を造るのだそうだ。特徴は、云々と復唱してみた。
なに、これはひょっとするとイヌワシか。本当にイヌワシなのか。最近その数が非常に少なくなってきている天然記念物…イヌワシ。これが岩木山にいたのだ。信じよう。
単なる留鳥として棲んでいるのだろうか、それとも番(つが)いをなして営巣しているのだろうか。この圧雪車が登り降りして、スキーヤーが滑り降りる尾根も、このイヌワシのテリトリーなのだ。
となれば、営巣地は柴柄沢の上部だろうか、またはこの尾根の東対岸尾根だろうか。色々と思いは巡る。
長い時間ではなかった。恐らく3、4分ほどの停滞であったはずだ。青空は突然消えてしまった。イヌワシの影は私の視界から去った。また白い闇の続く雪面に私は投げ出されて、歩みを始めた。(明日に続く。)