岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

そろそろ紅葉の時季だ!/ 自己中心「子供のまま」のバカ親たち

2008-10-09 05:48:51 | Weblog
(今日の写真はニシキギ科ニシキギ属の落葉低木「ニシキギ(錦木)」だ。写真左側下部に注目すると、枝にコルク質の翼(よく)があることがわかるだろう。
 この「翼」があるということで「よく」知られている落葉低木だ。日本全国、北海道から九州の山地に普通に自生している。
 この写真のように「紅葉が美しいため」、各家庭の庭や公園などにも植えられ、庭木や生垣、盆栽にされている。
 同じ仲間のコマユミの枝に翼はない。コマユミは拙著「カラーガイド 岩木山・花の山旅」に収載されているがニシキギは収載されていない。岩木山に自生していないというわけではない。
岩木山にも生えているのだが、花が「コマユミ」と非常に似ているし、どちらかというと「都市や公園」でよく見られるものだから「割愛」したのである。
 名前の由来は、秋の「紅葉」が美しい樹木で、その姿が豪華な錦の織物のようなところ、つまり「錦秋」による。名前に「錦」を戴くほどに「紅葉」がすばらしく見事でカエデやモミジと双璧をなすものだろう。
 葉は対生で細かい鋸歯があり、マユミやツリバナよりも小さい。枝葉は密に茂る。初夏5月頃に、薄い緑色で小さな4弁の花を多数つけるが、あまり目立たないのである。
 写真中央に見える果実は楕円形で、熟すと果皮が割れて、中から赤い「仮種皮:以前このブログでイチイの実を紹介した時に説明してある。」に覆われた小さい種子が飛び出す。
 これを鳥が食べて、「仮種皮」を消化吸収したあと、種子を糞として排泄し、種が蒔かれるのである。イチイの実も同じだが、これも種子を飲み込んだりすると嘔吐や腹痛などが起こるとされている。
 このニシキギの花を見たい人は拙著「カラーガイド 岩木山・花の山旅」の324ページ「コマユミ」を参照されるといい。花は「ニシキギ」とほぼ同じだからだ。
違いは「枝」に「翼」がついているか、いないかだけであると考えていいだろう。別名を、枝にある翼の形状から「剃刀の木(かみそりのき)」ともいう。こちらの方が分かりやすいかも知れない。
この「ニシキギ」の実と似ているものには、同科同属の「コマユミ(小真弓)」「マユミ(真弓)」「ツリバナ( 吊花)」などがあり、いずれも拙著「カラーガイド 岩木山・花の山旅」に掲載されている。

「マユミ(真弓)」は昔、樹質は硬いが、柔軟性があるので、この木で弓を作ったことから「真弓」という漢字を当てられ、それが名前の由来となった。いにしえ人には、親しまれた樹木であり、ピンク色の実が割れてオレンジ色の種子が出てくる頃の様子がとても美しい。「檀」とも書き、材でこけしや将棋の駒などを作るそうだ。
 春、この若葉を菜飯(なめし)として食べる風習もあるそうだ。
次に和歌を一首紹介しよう。まさに、今日の写真の「色合い」を詠んだものではないだろうか。真弓を錦木に置き換えて味わってほしいものだ。

「深山辺(みやまべ)や真弓よりこき色ぞなき紅葉は秋のならひなれども」
                       (土御門院)

 「ツリバナ(吊花)」は、赤い実「仮種皮」を花に見立てて、「吊したような花」と表現したのが名前の由来である。

    ●自己中心「子供のまま」のバカ親たち●

 このようにきれいな今日の写真を前にして、こんなことは書きたくないのだが、毎日新聞電子版のコラム「牧太郎の大きな声では言えないが…亡国の親バカ」に書かれていたことについて、感じたことを述べたい。
 それは、最近よく言われる「モンスターペアレントとか言われる親バカ」たちのことだ。

 その「亡国の親バカ」に言う。

 …「うちの子は塾通いで疲れているので、授業中は寝かせてくれ」と要求する保護者がいる。…
 論理を越えた、いや論理もないのだ。「学校とは何か、何をするところか、その存在意義や存在する価値」など全く無視した言い分だろう。
 価値の倒錯などという「高尚」な言葉など使いたくもない、徹底した自分よがりの、「自己中心主義」、いや、「主義」というこれまた「高尚な言葉」など当てはまらない。だから、牧太郎さんは「自己中」と表現してしているのだろう。
 そのようなことを親が言うのなら、子供を学校にやらなければいいのだ。自宅で、愛情を持ってゆっくり自分の子供を「就寝」させればいいではないか。「授業とは児童・生徒にとって受けるもの」であって「眠る」場所や時ではない。そのように理解しないまま、この親は「親」になった。「授業の意味や意義」も知らないままに「親」になっているのだから「子供」が「親」と名を変えたに過ぎない。
 「寝かせてくれ」というのなら、なぜ、学校に子供を出すのだ。私なら、そう言う。
 私は、7年前に一応世間では「受験校」と呼ばれている高校を定年退職した。
だが、私にとって、この「受験校」と呼ばれていた、現在もそのように呼ばれているかは定かではないが、高校での教員生活最後の10数年は、はっきり言って、まさに、無味乾燥なものであった。
 それは、ひたすら「大学に合格」させる、合格者数を増やすことだけで組織的に四六時中が動いていたからである。
(明日に続く。)