(今日の写真は、水無沢右岸稜線ピーク標高1457mから少し下部の「コメツガ」の疎林から、赤倉御殿ピークを撮ったものだ。
この「コメツガ」の疎林だが、「コメツガ」以外に「ダケカンバ」、「ミヤマハンノキ」、「ミネザクラ」などが生えている。その割合が比較的多い場所である。
一般的にコメツガは、栄養の貧しい岩稜帯などに好んで生える樹木である。だから、そこは栄養の欲しい他の樹木は「生える余地がない場所」であるといえるのだ。そういうことで、しばしば「コメツガ」は純林を形成する。
だが、この場所はそうではなく、コメツガを主にした「雑木の疎林」となっている。ということは長い年月の間に、この「岩稜」に他の樹木の生えることが出来る「土壌」が形成されたのかも知れない。
岩木山の「コメツガ」は大雑把に見ると、東から西に直線で区切った「北面」のほぼ標高1000m辺りから見られるのだ。今日の写真を撮った場所は、その「東から西に直線で区切った」南端にあたる。この場所から、南から西にかけては「コメツガ」は生えていないのである。
岩木山が火山灰を大量に噴き出すほどの噴火をしたのは、地質学的には比較的新しいことのようである。古い話しではない。
この「火山灰噴出」による「降灰」の影響を余り受けなかった範囲を「古、または旧岩木山」と呼んでいる。「コメツガ」はこの範囲に限定されて、現在は生えているのである。「火山灰噴出」による「降灰」の影響を受けて、火山灰が大量に降り積もった範囲が百沢登山道尾根から岳登山道尾根にかけての広い範囲である。この範囲を「新岩木山」と呼ぶ。そして、この区域には「コメツガ」はまったく見られないのだ。
以上の事実から、さらに、貧弱な私の想像力を加えると、次のことも考えられる。
この場所はちょうど「コメツガ」が生育している南の端である。「降灰」の影響ということで言うと「北の端」ということになる。つまり「端境(はざかい)」ということだ。ある地域の端という場所は、両地域の特性を併せ持つことが多い。
ここにも、「降灰」はあったのである。だが、岩稜を埋め尽くすほどのものではなかった。他の樹木も生えることが出来る程度に「灰」が積もったのだ。そして、その後、数千年を経て現在に至っているのだろう。
降雪がいつもの年のようであれば、この写真に見られる「コメツガ」など、もちろん他の樹木もまったくその姿を現してはくれない。積雪の下に埋まっている。このような思いを巡らせたのは、すべて「少雪」の所為である。
写真の奥に見える対岸の稜線は「赤倉登山道」尾根である。その突端が「赤倉御殿」である。そこから、南に続く雪稜には「雪庇」状のものが見えるが、その現場に行くと、それは「雪庇」ではなく、「緩やかな圧雪の堤防」でしかない。
対岸尾根稜線の下部には、波打ち際を白く染めている日本海の海岸が見える。天気は次第に下り坂、白い波は海が「荒れて」いることと「低気圧」の接近を教えているのだ。)
◇◇ 水無沢両尾根登降山行(10) ◇◇
(承前)
…キレットの見えるところで、「相棒」さんは、その「キレット」を背景にしてKさんを写している。Kさんの感激は、まさに、天に駈けのぼるかのように私には感じられた。だが、その天は次第次第に低くなり、雲が増え、雲堤が麓から迫り出してきていた。
私はさっきから、この雲の動きが気になっていた。明らかに天気は下り坂である。雲が湧くことが一番怖い。この「風衝地」と雪原で「雲」に巻かれたら、「ホワイトアウト」ほどではないが「視界」不良になる。そうならない前に下山することが「良策」なのだ。
確実に「日本海」の低気圧は近づいて来ている。時間もすでに、14時を回っている。
ようやく、1457mピーク下部の岩稜帯を目指して動き始めた。岩稜帯手前は夥しいほどの「ダケカンバ」の疎林になっている。そこを斜めに横切ることは、「竹藪をトラバース」するほどの困難性はないが、「ワカン」が引っかかるなどして、決して楽しいものではない。
「せめて、もう少し積雪があったらなあ」などと思ってしまうのであった。
下山のルートにしようと考えていた「水無沢右岸稜線」には危険な箇所がいくつかあった。それはすでに、織り込み済みだったが、この積雪寡少はさらに、危険箇所を増やすと考えられた。
頼りにしている「相棒」さんにとっては「初めて」のルートだった。だから、危険箇所の確認を含めた「ルートファインデング」をしなければいけない「トップ」を任せるわけにはいかない。そう判断して、私が結局は弥生登山口まで「トップ」を続けた。(明日に続く)
この「コメツガ」の疎林だが、「コメツガ」以外に「ダケカンバ」、「ミヤマハンノキ」、「ミネザクラ」などが生えている。その割合が比較的多い場所である。
一般的にコメツガは、栄養の貧しい岩稜帯などに好んで生える樹木である。だから、そこは栄養の欲しい他の樹木は「生える余地がない場所」であるといえるのだ。そういうことで、しばしば「コメツガ」は純林を形成する。
だが、この場所はそうではなく、コメツガを主にした「雑木の疎林」となっている。ということは長い年月の間に、この「岩稜」に他の樹木の生えることが出来る「土壌」が形成されたのかも知れない。
岩木山の「コメツガ」は大雑把に見ると、東から西に直線で区切った「北面」のほぼ標高1000m辺りから見られるのだ。今日の写真を撮った場所は、その「東から西に直線で区切った」南端にあたる。この場所から、南から西にかけては「コメツガ」は生えていないのである。
岩木山が火山灰を大量に噴き出すほどの噴火をしたのは、地質学的には比較的新しいことのようである。古い話しではない。
この「火山灰噴出」による「降灰」の影響を余り受けなかった範囲を「古、または旧岩木山」と呼んでいる。「コメツガ」はこの範囲に限定されて、現在は生えているのである。「火山灰噴出」による「降灰」の影響を受けて、火山灰が大量に降り積もった範囲が百沢登山道尾根から岳登山道尾根にかけての広い範囲である。この範囲を「新岩木山」と呼ぶ。そして、この区域には「コメツガ」はまったく見られないのだ。
以上の事実から、さらに、貧弱な私の想像力を加えると、次のことも考えられる。
この場所はちょうど「コメツガ」が生育している南の端である。「降灰」の影響ということで言うと「北の端」ということになる。つまり「端境(はざかい)」ということだ。ある地域の端という場所は、両地域の特性を併せ持つことが多い。
ここにも、「降灰」はあったのである。だが、岩稜を埋め尽くすほどのものではなかった。他の樹木も生えることが出来る程度に「灰」が積もったのだ。そして、その後、数千年を経て現在に至っているのだろう。
降雪がいつもの年のようであれば、この写真に見られる「コメツガ」など、もちろん他の樹木もまったくその姿を現してはくれない。積雪の下に埋まっている。このような思いを巡らせたのは、すべて「少雪」の所為である。
写真の奥に見える対岸の稜線は「赤倉登山道」尾根である。その突端が「赤倉御殿」である。そこから、南に続く雪稜には「雪庇」状のものが見えるが、その現場に行くと、それは「雪庇」ではなく、「緩やかな圧雪の堤防」でしかない。
対岸尾根稜線の下部には、波打ち際を白く染めている日本海の海岸が見える。天気は次第に下り坂、白い波は海が「荒れて」いることと「低気圧」の接近を教えているのだ。)
◇◇ 水無沢両尾根登降山行(10) ◇◇
(承前)
…キレットの見えるところで、「相棒」さんは、その「キレット」を背景にしてKさんを写している。Kさんの感激は、まさに、天に駈けのぼるかのように私には感じられた。だが、その天は次第次第に低くなり、雲が増え、雲堤が麓から迫り出してきていた。
私はさっきから、この雲の動きが気になっていた。明らかに天気は下り坂である。雲が湧くことが一番怖い。この「風衝地」と雪原で「雲」に巻かれたら、「ホワイトアウト」ほどではないが「視界」不良になる。そうならない前に下山することが「良策」なのだ。
確実に「日本海」の低気圧は近づいて来ている。時間もすでに、14時を回っている。
ようやく、1457mピーク下部の岩稜帯を目指して動き始めた。岩稜帯手前は夥しいほどの「ダケカンバ」の疎林になっている。そこを斜めに横切ることは、「竹藪をトラバース」するほどの困難性はないが、「ワカン」が引っかかるなどして、決して楽しいものではない。
「せめて、もう少し積雪があったらなあ」などと思ってしまうのであった。
下山のルートにしようと考えていた「水無沢右岸稜線」には危険な箇所がいくつかあった。それはすでに、織り込み済みだったが、この積雪寡少はさらに、危険箇所を増やすと考えられた。
頼りにしている「相棒」さんにとっては「初めて」のルートだった。だから、危険箇所の確認を含めた「ルートファインデング」をしなければいけない「トップ」を任せるわけにはいかない。そう判断して、私が結局は弥生登山口まで「トップ」を続けた。(明日に続く)