岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

プリムラ・ポリアンサと「桜草のこと」 / ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(26)

2010-04-08 05:15:29 | Weblog
 (今日の写真は、プリムラ・ポリアンサ(Primula polyantha)というサクラソウ科サクラソウ属の耐寒性多年草だ。私の狭い庭に咲き出したものだ。これは4月6日に撮影したものである。
 実はこの「黄色」のものの他に「真紅」に近い色合い「プリムラ」もこの狭い庭に生えるのだ。だが、毎年、この「黄色」の方が早く花をつけるのである。大体、クロッカスが満開を終える頃に咲き出すのである。
 この「黄色」のプリムラも「真紅」のプリムラも十数年前に「鉢植え」のものを買ってきたものである。花が終わった後も2、3年「鉢植え」のままで育てたが、どうも「窮屈そうだ」ということで、この場所に移植したのである。
 移植後、ずっと観察をしているのだが、この写真からも分かるように、年々その「茎長」が短くなっているのだ。だが、花の数は減ってはいない。
 私は毎年この花の「強靱さ」に出会っては、そのことに「感服」させられている。

 「プリムラ(Primula)」は、世界で500種以上あると言われている。非常に種類の多い「耐寒性」の植物である。その多さに比例して「色」もまた豊富なのだ。「花の色」は黒以外は全てあると言われるほど多色である。
 花の少ないこの時季に咲くので、春を実感させてくれる花として、花屋や量販店などでも「鉢植え」などが売られている。
 私は「面の皮」同様、手の皮膚も厚くて強いのだろうか、そのような目に遭ったことはないが、「素手で触ると肌の弱い人」は、「被(かぶ)れる」そうなので、気をつけた方がいい。
 今日の写真ではない普通の「プリムラ・ポリアンサ」は、草丈が10~20cmであり、根元から伸びる散形花序に、直径約4cmの花をつける。花は茎先に多数つき、プリムラの中では一番大振りである。
 葉は根元に集まってつき、広楕円形ないし卵形で、しわが多く先は円い。縁に不規則な鋸歯があり、葉柄には翼がある。網状の葉脈が目立つ。地植え、鉢植えを含めて、耐寒性なので花期は1月~4月である。だが、夏の暑さに弱く、秋までに株が枯れてしまうことが多い。
 花の色も、橙、黄、赤、ピンク、白、青、紫と多い。原産地は「ヨーロッパからコーカサス」だといわれている。別名を「クリンザクラ(九輪桜)」というそうだ。
 この「プリムラ・ポリアンサ」を含めた園芸種のものを「セイヨウサクラソウ(西洋桜草)」と呼ぶこともある。この他に代表的な品種として…「プリムラ・オブコニカ」、「プリムラ・マラコイデス」、「プリムラ・ジュリアン」などがある。)

◇◇ プリムラ・ポリアンサと「桜草のこと」(1)◇◇

 「プリムラ」と呼ばれる外国原産の園芸種「サクラソウ科サクラソウ(プリムラ)属」が、今や日本で大手を振って、持て囃されている。だが、日本にはれっきとした在来種の「サクラソウ科サクラソウ属」の花がある。
 日本の「サクラソウ科サクラソウ属」は、岩木山の「ミチノクコザクラ」を含めて26種ある。そのうちの、何と19種が「絶滅危惧種」とされ、「レッドデータブック」に記載されている。
 何故、「絶滅危惧種」とされなければいけないのか。…花姿や形状が可愛いということでの「盗掘」や「自然破壊」で消え去ろうとしているからである。
 この花の、いわゆる「コザクラ」と称されるものの素晴らしさは「その場所にしかないという固有種が多いこと」、高山植物の典型的なタイプとして共通する「背丈の割に花が大きい」ことなどによるものだ。
 岩木山には「ミチノクコザクラ」以外の「サクラソウ科サクラソウ属」の花はない。少なくとも、私はまだ確認していない。(明日に続く)

◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(26)◇◇
(承前)

…「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば”愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまったのではないだろうか。」…

 日本人の多くは「アメリカが与えた民主主義」の持つ自由を履き違えた。その上、「民主主義」というものを「行動する精神・思考・思想」として捉えるのでなく「制度的な形式」として捉え、「決定」方法の形式としての「多数決」だけを重用した。これは、「議論」なき決定という軽薄な社会的、政治的な風潮として定着してしまった。
 これで、日本人は「リバティ」によって裏付けられている「民主主義」というものを学習し、体験的に訓練し、実効あるものにしていくことを、その出発点から疎かにしてしまうことになったのである。
 
 自由には「社会的自由」というものもある。これは、「社会生活で、個人の権利(人権)が侵されないこと」である。
 これはには、「市民的自由」と「政治的自由」がある。「市民的自由」とは、企業の自由、契約の自由、財産・身体の自由、思想・信仰の自由、言論・集会・結社の自由などのことだ。
 「政治的自由」とは参政権その他、政治的目的のための行動の自由を意味している。
これら2つの「自由」は、「国家権力その他の干渉がない」ことで成立するものである。
 これらの「自由」は憲法には「言葉」として登場するが、日本国民の殆どは、「自由」イコール「勝手気まま」であったのである。
 だから、もちろん、カントやサルトルが言うところ「倫理的自由」などには至ることはなかった。カントにおいては、意志が感性的欲望に束縛されず、理性的な道徳命令に服することで、自律と同義。サルトルにおいては、人間はその存在構造から本来的に自由であり、したがって常に未来の選択へと強いられており、それ故自由は重荷となる。
 これらの「自由」は憲法には「言葉」として登場するが、日本国民の殆どは、「自由」イコール「勝手気まま」であったのである。
 だから、もちろん、「カント」や「サルトル」が言うところ「倫理的自由」などには思い至ることはなかっただろう。
 「カント」の言う「自由」とは「自律」である。これは「自己を律する」ことだから、簡単なことではない。つまり、「意志が感性的欲望に束縛されず、理性的な道徳命令に服すること」であるからだ。
 「サルトル」の言う「自由」とは「人間はその存在構造から本来的に自由であり、したがって常に未来の選択へと強いられている」ということである。これは、もっと厳しい。つまり、「自由」は重荷となるのである。(明日に続く)