(今日の写真、またまた「プリムラ・ポリアンサ」である。一見して思うことは、「どうして、こんなに色鮮やかなのだろう」ということである。
長いこと、岩木山の高山帯や林縁、原野などで「野生の花」と出会ってきた者としては、この「感慨」は一入(ひとしお)である。
中には「どきつい色合」のものがないわけではないが、「野生」の花は総じて、その色合いは「淡泊」である。単純に言うと「花」の色合いは「受粉」を「媒介」してくれる「虫」を引き寄せるためのものだ。虫媒花にあっては、皆そうだろう。そのために、同種であれば「色」は大体同じだが、「模様」などは違いがある。
間もなく咲き始める「カタクリ」は花弁の模様が、仮に1万本あれば、皆違うと言われている。これは、「カタクリ」自身が「自己」を虫にアピールしていることだ。何という「個性的」な営みではないか。そして、これが、「生物多様性」の一事象でもある。
「植物」も「動物」も、「人手」を借りずに「自然に沿って」進化してきた。「自然」という絶対の前で、「不変の自然に逆らうことなく」己たちを変化させることで、長い長い時間をかけながら進化してきたのだ。
ところで、この「どうして、こんなに色鮮やかなのだろう」という「感慨」は私を恐怖のドン底に突き落とすのである。
この「プリムラ・ポリアンサ」は園芸種として、人間によって「造り出された」品種である。日本在来種の「サクラソウ科サクラソウ属」の花で、このような「色彩」のものはない。人間が「自分好み」で交配をして、このような「色」のものを「自然界」に創り出したのである。その動機は、あくまでも「個人的であり、利己的」である。そのために、「自然の植物界」における「ルール」を無視したのだ。これは、植物だけではない。動物にあっても同じだ。家畜や魚類の養殖も同じだ。「ウナギ」までも「養殖」が可能になったというから、驚きを越えて恐ろしい。
もしも、私たち人間以外の生物が、この地球上にいて、その「生物の好み」で、「私たちが飼育されたり、遺伝子組み換えなど」されたら「許すこと」が出来るか。そのようなことを人は、人以外の生き物にしているのである。
この花の色合いは「血の色」である。狂牛病も、牛肉を食べるための人工飼育に対するしっぺ返しだろう。そろそろ、「自然に関与すること」を止めよう。すべてにおいて「あるがまの自然」で満足しようではないか。
この「プリムラ」は私が「歩く」加藤川沿いの道端に咲いていたものだ。川が増水した時に、上流のどこかの庭から「漂流」してきて、根づいたものだろう。これで、この場所の「本来の自然」は攪乱されるのである。)
◇◇ プリムラ・ポリアンサと「桜草のこと」(3)◇◇
(承前)
…もう1種日本在来種の「サクラソウ科サクラソウ(プリムラ)属」がある。それは「プリムラ・シーボルディー(Primula sieboldii)」と呼ばれる「サクラソウ(桜草)または、ニホンサクラソウ(日本桜草)」である。
これは、北海道・本州・九州に分布している耐寒性の多年草で、草丈が15~30cmの花茎を伸ばし、その先端に7~20個のピンク色の花をつける。花の径は2~3cmで花期は2~5月である。
今日の写真のような「西洋桜草」に対して、すっきりとした花姿の「在来種サクラソウ」である。学名のシーボルディー(sieboldii)とはドイツ人の「シーボルト」とのことであり、その「シーボルト」が西洋に紹介したことに由来している。
最近、「プリムラ」などという外来種に日本人はうつつを抜かしているが、そうしている内に「在来種」の「サクラソウ」はすっかり陰を潜めてしまった。いまや、「絶滅危惧II類(VU)」とされている。
「サクラソウ」は本来、明るく湿った草地を好み、低地の河川敷や山麓の疎林下など、人里に近いところに多く自生していた。
だが、都市の拡大や農耕地の開発によって多くの「自生地」が消滅してしまった。それと、併行して「園芸目的の乱獲」が祟り、「絶滅危惧II類(VU)」に指定されるほどに激減したのである。もう一度言おう。私はまだ、自生する「サクラソウ」を見たことはない。 昔、群生地は、春の生育期には十分な日光があたり、夏の休眠期には草や木の陰になり、晩秋には堆肥や燃料として原野の草刈りが行われたりして、保護されていたのである。(明日に続く)
◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(28)◇◇
(承前)
…「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば”愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまったのではないだろうか。」…
4月7日に毎日新聞電子版「記者の目」欄に「『日米同盟50年』賛美への異議」という小論が載った。
…火野葦平(あしへい)が敗戦の日につづった短歌15首が、日米安保50年と重なる没後50年の今年見つかった。その歌は、「同盟50年」を無批判に受け入れる人々への異議のように思える。…というのがその趣旨である。
火野葦平は、戦時中の行為を自省しつつ、原爆投下など米国の非人道的行為も問い、1960年に53歳で自殺した。
いわゆる「60年安保」は、私が19歳の時のことだ。私はその頃、定時制高校の4年生、働きながら大学進学を目指して勉強していた。
大学進学は、幼稚にも「教育でこの不平等な世をかえたい」と思ったからである。「世の中」は簡単には変わらないものである。そして、大学に合格して、やっと卒業して高校の教員になった。
40年近く教員を続ける中で、この「教育でこの不平等な世をかえたい」という思いを忘れることはなかった。私は「食うため」とこの思いの「実現のため」に毎日を生きてきた。だが、それは実現されず「不平等で格差のある社会」は今も続いている。
「安保反対」運動の中心は「大学生」だった。連日、連夜、大学生は「デモ」を繰り返し、新聞やラジオはその詳細を報じていた。
私の「大学生になりたい」という思いの側面には、「安保反対」に賭ける多くの大学生の「自主独立」と「アメリカ帝国主義反対」という純粋な行動に惹きつけられるものが、確かにあったし、大学生になって、このような行動に参加しなければいけないとも思った。
まさに、「国論を二分した日米安保改定」から半世紀が経った。あれほどの歴史のうねりの中で、まさに、「命がけ」の運動の中で、「成立」していった「日米安保改定」だ。
19歳の私は忘れない。それは…1960年6月15日、「安保条約反対」を叫ぶ全学連の学生たちが国会に突人した。そして、警官隊と激しく衝突を繰り返す中で、東京大学文学部国史学科の学生、樺美智子(22歳)が警宮隊によって虐殺されたことである。…(明日に続く)
長いこと、岩木山の高山帯や林縁、原野などで「野生の花」と出会ってきた者としては、この「感慨」は一入(ひとしお)である。
中には「どきつい色合」のものがないわけではないが、「野生」の花は総じて、その色合いは「淡泊」である。単純に言うと「花」の色合いは「受粉」を「媒介」してくれる「虫」を引き寄せるためのものだ。虫媒花にあっては、皆そうだろう。そのために、同種であれば「色」は大体同じだが、「模様」などは違いがある。
間もなく咲き始める「カタクリ」は花弁の模様が、仮に1万本あれば、皆違うと言われている。これは、「カタクリ」自身が「自己」を虫にアピールしていることだ。何という「個性的」な営みではないか。そして、これが、「生物多様性」の一事象でもある。
「植物」も「動物」も、「人手」を借りずに「自然に沿って」進化してきた。「自然」という絶対の前で、「不変の自然に逆らうことなく」己たちを変化させることで、長い長い時間をかけながら進化してきたのだ。
ところで、この「どうして、こんなに色鮮やかなのだろう」という「感慨」は私を恐怖のドン底に突き落とすのである。
この「プリムラ・ポリアンサ」は園芸種として、人間によって「造り出された」品種である。日本在来種の「サクラソウ科サクラソウ属」の花で、このような「色彩」のものはない。人間が「自分好み」で交配をして、このような「色」のものを「自然界」に創り出したのである。その動機は、あくまでも「個人的であり、利己的」である。そのために、「自然の植物界」における「ルール」を無視したのだ。これは、植物だけではない。動物にあっても同じだ。家畜や魚類の養殖も同じだ。「ウナギ」までも「養殖」が可能になったというから、驚きを越えて恐ろしい。
もしも、私たち人間以外の生物が、この地球上にいて、その「生物の好み」で、「私たちが飼育されたり、遺伝子組み換えなど」されたら「許すこと」が出来るか。そのようなことを人は、人以外の生き物にしているのである。
この花の色合いは「血の色」である。狂牛病も、牛肉を食べるための人工飼育に対するしっぺ返しだろう。そろそろ、「自然に関与すること」を止めよう。すべてにおいて「あるがまの自然」で満足しようではないか。
この「プリムラ」は私が「歩く」加藤川沿いの道端に咲いていたものだ。川が増水した時に、上流のどこかの庭から「漂流」してきて、根づいたものだろう。これで、この場所の「本来の自然」は攪乱されるのである。)
◇◇ プリムラ・ポリアンサと「桜草のこと」(3)◇◇
(承前)
…もう1種日本在来種の「サクラソウ科サクラソウ(プリムラ)属」がある。それは「プリムラ・シーボルディー(Primula sieboldii)」と呼ばれる「サクラソウ(桜草)または、ニホンサクラソウ(日本桜草)」である。
これは、北海道・本州・九州に分布している耐寒性の多年草で、草丈が15~30cmの花茎を伸ばし、その先端に7~20個のピンク色の花をつける。花の径は2~3cmで花期は2~5月である。
今日の写真のような「西洋桜草」に対して、すっきりとした花姿の「在来種サクラソウ」である。学名のシーボルディー(sieboldii)とはドイツ人の「シーボルト」とのことであり、その「シーボルト」が西洋に紹介したことに由来している。
最近、「プリムラ」などという外来種に日本人はうつつを抜かしているが、そうしている内に「在来種」の「サクラソウ」はすっかり陰を潜めてしまった。いまや、「絶滅危惧II類(VU)」とされている。
「サクラソウ」は本来、明るく湿った草地を好み、低地の河川敷や山麓の疎林下など、人里に近いところに多く自生していた。
だが、都市の拡大や農耕地の開発によって多くの「自生地」が消滅してしまった。それと、併行して「園芸目的の乱獲」が祟り、「絶滅危惧II類(VU)」に指定されるほどに激減したのである。もう一度言おう。私はまだ、自生する「サクラソウ」を見たことはない。 昔、群生地は、春の生育期には十分な日光があたり、夏の休眠期には草や木の陰になり、晩秋には堆肥や燃料として原野の草刈りが行われたりして、保護されていたのである。(明日に続く)
◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(28)◇◇
(承前)
…「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば”愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまったのではないだろうか。」…
4月7日に毎日新聞電子版「記者の目」欄に「『日米同盟50年』賛美への異議」という小論が載った。
…火野葦平(あしへい)が敗戦の日につづった短歌15首が、日米安保50年と重なる没後50年の今年見つかった。その歌は、「同盟50年」を無批判に受け入れる人々への異議のように思える。…というのがその趣旨である。
火野葦平は、戦時中の行為を自省しつつ、原爆投下など米国の非人道的行為も問い、1960年に53歳で自殺した。
いわゆる「60年安保」は、私が19歳の時のことだ。私はその頃、定時制高校の4年生、働きながら大学進学を目指して勉強していた。
大学進学は、幼稚にも「教育でこの不平等な世をかえたい」と思ったからである。「世の中」は簡単には変わらないものである。そして、大学に合格して、やっと卒業して高校の教員になった。
40年近く教員を続ける中で、この「教育でこの不平等な世をかえたい」という思いを忘れることはなかった。私は「食うため」とこの思いの「実現のため」に毎日を生きてきた。だが、それは実現されず「不平等で格差のある社会」は今も続いている。
「安保反対」運動の中心は「大学生」だった。連日、連夜、大学生は「デモ」を繰り返し、新聞やラジオはその詳細を報じていた。
私の「大学生になりたい」という思いの側面には、「安保反対」に賭ける多くの大学生の「自主独立」と「アメリカ帝国主義反対」という純粋な行動に惹きつけられるものが、確かにあったし、大学生になって、このような行動に参加しなければいけないとも思った。
まさに、「国論を二分した日米安保改定」から半世紀が経った。あれほどの歴史のうねりの中で、まさに、「命がけ」の運動の中で、「成立」していった「日米安保改定」だ。
19歳の私は忘れない。それは…1960年6月15日、「安保条約反対」を叫ぶ全学連の学生たちが国会に突人した。そして、警官隊と激しく衝突を繰り返す中で、東京大学文学部国史学科の学生、樺美智子(22歳)が警宮隊によって虐殺されたことである。…(明日に続く)