岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

水無沢両尾根登降山行(6) / ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(35)

2010-04-17 04:50:20 | Weblog
 (今日の写真は、水無沢左岸稜線だ。左に見える樹木はブナだが、右にみえるものはミズナラである。ちょうどミズナラ林が切れてブナ林に変わろうとしている高さの場所である。
 まるで、「ここを登って下さい」と言っているように一定の間隔で「樹木」がなく、稜線上が「天然(?)の登山道」になっている。春早く天気のいい日の登りは楽しいものだが、特に、このような開放感溢れる「稜線」登りは楽しいのである。)

◇◇ 水無沢両尾根登降山行(6) ◇◇
(承前)

 何だかどこまでも続いているように「遠近法」図形が示すような構図で、この「開かれた稜線」は上方に続いている。
 走ってでも行けそうな感じだが、傾斜は本当はきついのだ。この細い稜線の横の広がりを出すために「ズームレンズ」は「広角」で作動するようにしてシャッターをきった。そのために、前方の斜面の「急峻」さがなくなり、平板でのぺっりと「斜面」になってしまったのだ。
 4月11日、例年ならば積雪は「凍結」が進んで「堅雪」になっている。それを期待して、出来るだけ陽光を受けて雪面が融け出す前に「登りたい」と思い、7時に自宅を出たのである。弥生登山口から、この稜線の末端に取り付いたのが7時40分、そして、この写真の場所に達したのが、9時くらいだろうか。
 だから、「凍結」してさえいれば決して、融け出して、ぐしゃぐしゃな状態になるような時間ではない。だが、事実は違った。
 「ぐしゃぐしゃ」でワカンを着けている靴が「ブスブス」と20cmも埋まるのだ。こうなると、楽しさは半減する。きつく辛い。ましてや、「快適な登り」を想起させるこのような開かれた稜線に裏切られた思いになり、その空虚さが「辛さ、きつさ」に拍車をかける。
 実はこの「開かれた稜線」は自然に出来たものではない。山火事の延焼を防ぐための「防火帯」なのである。かつて営林署が、この部分を「伐採」して造ったものだ。
 この写真で言うと、上部のカーブしているところから少し上で、この「開かれた」稜線は途切れる。そして、低木ブナの疎林に変わるのである。
 また、この「開かれた稜線」はかつての「登山道」でもあった。昭和30年代の「5万分の1」地図には、現在の弥生登山道は記載されていないが、ここを通り赤倉登山道に抜ける道がはっきりと記載されているのである。
 若い頃、数回その道を辿ったことはある。だが、その記憶は定かではない。確か、赤倉登山道の大開付近につながっていたはずである。 

◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(35)◇◇
(承前)

…「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば”愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまったのではないだろうか。」…

…「愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまった」ことから、抜け出るために学ぶべき好例が、インド北部の「ダラムサラ」にはある。

 「ダラムサラ」…52年前に、チベット仏教最高指導者「ダライ・ラマ」14世が中国からこの地に亡命した。
 その後、中国のチベット地区から多くのチベット人がこのインド北部の「ダラムサラ」に亡命した。亡命の理由は、「仕事がなく、生まれてくる子の将来を思ってのこと」だったという。
 そこの小学校は全校生徒が187人。大半の親たちが、同じような思いを抱き、ヒマラヤを越え、インドで新たな命を産み、新たな命を育んだ。
 中国にしても、北朝鮮にしても「亡命」には厳罰で臨んでいるが、「国民に亡命を決意させる」ということの責任は、すべてその国家にある。
 誰が好き好んで「生まれ故郷」を捨てるか。大方の人にとっては「故郷」つまり母国は「揺りかご」であらねばならない。
 住み心地がよく、安全で安心のおける場所でなければいけない。そして、自分の子供たちの将来が保証されるところでなければいけない。その責任はすべて政治家にある。為政者にある。
 「仕事がなく、生まれてくる子の将来」に展望がないとなれば、捨てざるを得ないだろう。そうさせたのは、亡命者個人だけの問題ではないだろう。
 そこに目を瞑って「亡命者」を弾圧することは亡命者を二重三重に苦しめる。北朝鮮からの「脱北」はその典型的な事例であろう。
 表面的に弾圧がなくても、日本の「年金問題」には「生まれてくる子の将来」という視点では「亡命」の理由の1つになるかも知れないのだ。

 ところで、「ダラムサラ」での「中国チベット」からの亡命者社会には目を見張るようなことがある。
 「愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまった」日本人からすると驚くような、感心するようなことがあるのだ。「驚き感心している」だけでなく、私たちは彼らに学ばねばならない。そして、学んだことを、今すぐにでも「実践」しなければならない。
 それは、「亡命社会の教育熱」である。だが、それは学力偏重、知識の詰め込みにつながる「いい大学に入る」とか「資格を取る」とかという、いわゆる日本での「受験」熱ではない。
 それは、子供たちに「伝統文化や母語をしっかりと教え、世界に通用する人材を育てる」ための留学などに惜しみない援助を与えているということである。
 日本ではどうだろう。「伝統文化や母語」の教育に活用出来たはずの「ゆとりの教育」は挫折し、新しい指導要領では教科学習が大幅に復活し、「詰め込み教育」が始まった。
 これでますます、日本の子供たちは「生まれ故郷である母国」から遠い存在になり、「フールズ」の群れの一員になっていくのだ。

 「ダラムサラ」における「中国チベット」からの亡命者、その「半世紀を超えた非暴力の戦いは半端ではない」と毎日新聞の記者は語っている。
 「ダラムサラ」の小学生が言うのだ。「両親とチベットで暮らしたい」と…。子供たちは「故郷に帰りたい」のである。もちろん、両親も同じだ。母国に帰る」とは、体だけが帰っても意味がない。そのような物理的な移動ではない。
 「精神風土と伝統、それに民族の誇り」をしっかりと身につけて帰るために親も子供も頑張っているのである。
 それは、他国に従属しない国、自主独立の国民となり、それが、世界に通用する国の一員であることを理解していることでもある。
 これは、亡命チベット人の強さであろう。日本人も、この「亡命チベット人」の強さに学ばなければいけない。