(今日の写真は、バラ科サクラ属の「彼岸桜(ひがんざくら)」だ。別名を「小彼岸(こひがん)」、「小彼岸桜(こひがんざくら)」という。「江戸彼岸(えどひがん)」の近縁だ。
「学名」はPrunus subhirtellaで、「Prunus(プラナス)」は、ラテン古名の「plum(すもも)」が語源だ。subhirtella は、やや短い剛毛のあるという意味である。本州の東北地方から四国、九州に生えるそうだが、「野生種」はないといわれている。
名前は、「暑さ寒さも彼岸まで」というところの「彼岸」である。少し寒さが和らいでくる3月の中旬から、咲き出すのだそうだ。切り花でなければ、小さな葉も同時に開く。残念ながらこれは未だ葉が出ていない。
実は3月18日に連れ合いが、通っている「生け花教室」から持ってきて、玄関に飾っているものである。蕾の時は鮮やかな紅色だ。我が家にやって来た時は、淡紅色で花びらに「ピンク」が滲んでいた。
だが、日を数えるに従って、その色合いは薄れていった。散ることもなく、この写真のように、白っぽくなりながらも、未だ咲いている。すでに2週間を過ぎたが、驚くかな、このように咲いているのだ。
これが、「生えている」樹木の花ならば、5月から6月ごろに、黒紫色に熟した小さな果実をつけるはずなのだが…。
漢字でなく「音声」では、似ているものに「緋寒桜(ひかんざくら)」がある。これは、正しくは「寒緋桜(かんひざくら)」のことである。
冬の 2 月頃に「沖縄」で咲くものであって、別種だ。ヒガンザクラと混同して伝えられることが多かったので、間違ったままでいる人が、未だ結構いるようだ。)
◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(22)◇◇
(承前)
…彼、若泉敬氏は、「アメリカと秘密裏に交渉し、核兵器再持ち込み」の経緯を詳述した自著「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を出版して2年後、死んだ。「自裁」したのだ。
なぜ、死を前に密約を公表したのか。周囲の話から見えてくるのは、基地の重圧に苦しむ沖縄への自責の念と、矛盾を顧みようとしない国民への焦燥感だ。
もう一度書く。沖縄は日本である。外国ではない。日本は無条件降伏をして、連合国軍に占領された。現実に統治・支配したのは「アメリカ」軍である。「占領され、外国軍に支配されている」ことに「何ら抵抗感」もなく、追随し、諂う国民、急速に人々の生活すべてが「アメリカナイズ」されていく。だが、国民の多くはそこにある矛盾に気づかないし、気づこうともしない。自国の誇りや自民族の文化や伝統はどこに行ってしまったのか。
「矛盾を顧みようとしない国民」とはまさに、異教徒の宗教的な行事である「クリスマス」を何の抵抗もなく受け入れてしまう日本国民を指しているのである。
このような国民の眼中には「沖縄」はなかった。恐らく遠い外国の話しでしかなかったのだろう。国民の間でひめゆり部隊の話しも少しは話題になっただろうが、それも、忘れ去られ、戦争末期における「沖縄」の惨い現実なども、それは他国のことであったはずだ。
本国が「独立」したあとも、沖縄はアメリカに占領され続けたことも、これまた、日本国民にとっては自身に痛みのない他人ごとでしかなかった。
日本が、「日本文化の祖である」中国や朝鮮を侵略して、占領し、多数の生命を奪いながらも、いまだに、その非を認めず、「やむを得ない侵略と占領支配」だとうそぶいている。「傀儡、満州国」建国や皇民化政策である「創氏改名」などのどこに「やむを得ない侵略と占領支配」という根拠があるといえるのか。そこには中国と朝鮮人民の「誇り」を踏みにじったという歴史的な事実と、真の「自国に対する誇り」を持つことの出来ない浅くて薄い国民性しかないだろう。
沖縄とアメリカ軍基地とのかかわりは1939~1945年の第二次世界大戦、1941年に始まった太平洋戦争で、「日本が完敗」したことに始まる。
日本がアメリカ、イギリス、中国などの連合国と戦った戦争の末期、アメリカ軍が沖縄に上陸、激しい「沖縄戦」がくり広げられた。その激しさと特殊性から、後々「沖縄戦」と呼ばれる。
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し、激しい戦闘が全島でくり広げられた。6月23日に日本軍の司令官が自決し、日本軍の組織的な戦いは終わった。
戦争で司令官が自決することほど、無責任なことはない。「始めた者は終わるまで」責任をとるべきである。この場合は「降伏」をした後の処理をしっかりと果たすことが「責任」である。それをしないままで「自死」することは「逃げ」である。「エゴ」である。若泉敬氏の「自裁」とは明らかに意味が違う。
沖縄戦…戦いの準備や戦闘に多くの「住民がかり出され」、約9万4000人が犠牲になった。日本軍も約9万4000人だ。本来、自国軍というものは「自国民」の生命と財産を守るものとされている。だが、非戦闘員である住民の死者と「戦闘員」である兵士の死者数が同じである。これは何を意味するのか。軍隊は非戦闘員である「住民」を守ってくれなかったのだ。
65年前の昨日、沖縄へ米軍上陸2日目。東京の大本営作戦会議で、「玉砕は必至」と判定された。沖縄は、本土のための時間稼ぎの「捨て石」という位置付けである。その時からすでに、いや江戸時代の薩摩藩の統治の時から、「沖縄」は都合のいい時は「日本の植民地」、都合が悪くなると「捨て石」として扱われていたのではないか。そう思えてしようがないのだ。そして、それは現在も続いているのであろう。
この沖縄戦で、アメリカ軍は約1万2000人が死亡している。沖縄の住民、日本軍、合わせて何と約20万人が死亡したのである。
その後、圧倒的な軍事力で日本軍を破ったアメリカ軍は、沖縄を占領し、日本本土を攻略する拠点とした。「住民を収容所におしこめ、集落や畑をつぶして基地を建設」したり、日本軍がつくった飛行場を拡張したりしたのである。
(明日に続く)
「学名」はPrunus subhirtellaで、「Prunus(プラナス)」は、ラテン古名の「plum(すもも)」が語源だ。subhirtella は、やや短い剛毛のあるという意味である。本州の東北地方から四国、九州に生えるそうだが、「野生種」はないといわれている。
名前は、「暑さ寒さも彼岸まで」というところの「彼岸」である。少し寒さが和らいでくる3月の中旬から、咲き出すのだそうだ。切り花でなければ、小さな葉も同時に開く。残念ながらこれは未だ葉が出ていない。
実は3月18日に連れ合いが、通っている「生け花教室」から持ってきて、玄関に飾っているものである。蕾の時は鮮やかな紅色だ。我が家にやって来た時は、淡紅色で花びらに「ピンク」が滲んでいた。
だが、日を数えるに従って、その色合いは薄れていった。散ることもなく、この写真のように、白っぽくなりながらも、未だ咲いている。すでに2週間を過ぎたが、驚くかな、このように咲いているのだ。
これが、「生えている」樹木の花ならば、5月から6月ごろに、黒紫色に熟した小さな果実をつけるはずなのだが…。
漢字でなく「音声」では、似ているものに「緋寒桜(ひかんざくら)」がある。これは、正しくは「寒緋桜(かんひざくら)」のことである。
冬の 2 月頃に「沖縄」で咲くものであって、別種だ。ヒガンザクラと混同して伝えられることが多かったので、間違ったままでいる人が、未だ結構いるようだ。)
◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(22)◇◇
(承前)
…彼、若泉敬氏は、「アメリカと秘密裏に交渉し、核兵器再持ち込み」の経緯を詳述した自著「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を出版して2年後、死んだ。「自裁」したのだ。
なぜ、死を前に密約を公表したのか。周囲の話から見えてくるのは、基地の重圧に苦しむ沖縄への自責の念と、矛盾を顧みようとしない国民への焦燥感だ。
もう一度書く。沖縄は日本である。外国ではない。日本は無条件降伏をして、連合国軍に占領された。現実に統治・支配したのは「アメリカ」軍である。「占領され、外国軍に支配されている」ことに「何ら抵抗感」もなく、追随し、諂う国民、急速に人々の生活すべてが「アメリカナイズ」されていく。だが、国民の多くはそこにある矛盾に気づかないし、気づこうともしない。自国の誇りや自民族の文化や伝統はどこに行ってしまったのか。
「矛盾を顧みようとしない国民」とはまさに、異教徒の宗教的な行事である「クリスマス」を何の抵抗もなく受け入れてしまう日本国民を指しているのである。
このような国民の眼中には「沖縄」はなかった。恐らく遠い外国の話しでしかなかったのだろう。国民の間でひめゆり部隊の話しも少しは話題になっただろうが、それも、忘れ去られ、戦争末期における「沖縄」の惨い現実なども、それは他国のことであったはずだ。
本国が「独立」したあとも、沖縄はアメリカに占領され続けたことも、これまた、日本国民にとっては自身に痛みのない他人ごとでしかなかった。
日本が、「日本文化の祖である」中国や朝鮮を侵略して、占領し、多数の生命を奪いながらも、いまだに、その非を認めず、「やむを得ない侵略と占領支配」だとうそぶいている。「傀儡、満州国」建国や皇民化政策である「創氏改名」などのどこに「やむを得ない侵略と占領支配」という根拠があるといえるのか。そこには中国と朝鮮人民の「誇り」を踏みにじったという歴史的な事実と、真の「自国に対する誇り」を持つことの出来ない浅くて薄い国民性しかないだろう。
沖縄とアメリカ軍基地とのかかわりは1939~1945年の第二次世界大戦、1941年に始まった太平洋戦争で、「日本が完敗」したことに始まる。
日本がアメリカ、イギリス、中国などの連合国と戦った戦争の末期、アメリカ軍が沖縄に上陸、激しい「沖縄戦」がくり広げられた。その激しさと特殊性から、後々「沖縄戦」と呼ばれる。
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸し、激しい戦闘が全島でくり広げられた。6月23日に日本軍の司令官が自決し、日本軍の組織的な戦いは終わった。
戦争で司令官が自決することほど、無責任なことはない。「始めた者は終わるまで」責任をとるべきである。この場合は「降伏」をした後の処理をしっかりと果たすことが「責任」である。それをしないままで「自死」することは「逃げ」である。「エゴ」である。若泉敬氏の「自裁」とは明らかに意味が違う。
沖縄戦…戦いの準備や戦闘に多くの「住民がかり出され」、約9万4000人が犠牲になった。日本軍も約9万4000人だ。本来、自国軍というものは「自国民」の生命と財産を守るものとされている。だが、非戦闘員である住民の死者と「戦闘員」である兵士の死者数が同じである。これは何を意味するのか。軍隊は非戦闘員である「住民」を守ってくれなかったのだ。
65年前の昨日、沖縄へ米軍上陸2日目。東京の大本営作戦会議で、「玉砕は必至」と判定された。沖縄は、本土のための時間稼ぎの「捨て石」という位置付けである。その時からすでに、いや江戸時代の薩摩藩の統治の時から、「沖縄」は都合のいい時は「日本の植民地」、都合が悪くなると「捨て石」として扱われていたのではないか。そう思えてしようがないのだ。そして、それは現在も続いているのであろう。
この沖縄戦で、アメリカ軍は約1万2000人が死亡している。沖縄の住民、日本軍、合わせて何と約20万人が死亡したのである。
その後、圧倒的な軍事力で日本軍を破ったアメリカ軍は、沖縄を占領し、日本本土を攻略する拠点とした。「住民を収容所におしこめ、集落や畑をつぶして基地を建設」したり、日本軍がつくった飛行場を拡張したりしたのである。
(明日に続く)