岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

水無沢左岸霧氷樹と太陽(2) / ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(31)

2010-04-13 05:19:56 | Weblog
 (今日の写真は、標高1000mほどの水無沢左岸で見た光景である。11日のことである。
11日は岩木山の水無沢左岸の尾根末端から登り始めて、その尾根の左端をひたすら登って、赤倉キレットからの稜線ピーク「赤倉御殿」と標高1457mピークとの鞍部にたどり着いた。この光景はその途中のものである。
 その鞍部から赤倉御殿まで移動した後で戻って、今度は1457mピークの尾根先端まで行き、そこから、その細い尾根、稜線を辿りながら水無沢に区切られている尾根末端まで下山して、朝に尾根に取り付いた場所に戻ってきた。
 大きくて、広くて深い水無沢の景観を、左から見て、真上から見て、右から見て、末端から見るというまさに全方位、魚眼レンズ的な把握の仕方で、楽しめた山行であった。
 「登って降りるのが登山」だが、登るルートと降りるルートを違えるだけでも、そのバルエーションは大きく変わる。既成の登山道をただ辿るだけの登山やガイドブックに従うだけの登山では味わえないものが沢山あるのだ。それを支えるのは「登る」人たちの自主性と感性であろう。)

◇◇ 水無沢左岸霧氷樹と太陽雪原、それはひとときの天空の戯れ事 ◇◇

 …天気予報はまたまた「大荒れ、雨降り」だった。だが、低気圧は前日に早々と東に移動して行った。その日の早朝は、その尻尾を引きずっていて、岩木山は雲に覆われていた。
 朝、7時に拙宅を出発した。弥生登山道標識1合目の300mほど手前に「駐車」して、7時45分に登山を開始した。
 その頃になると、覆っていた雲が中腹部から薄くなり、登るべき左岸尾根の稜線まで上がった頃には、南には「青空」が覗くようになった。「大荒れ、雨降り」はどこに行ったのか。まあ、「天気予報が外れることは毎度のこと」だから、腹も立たない。なまじ信ずるから腹も立つのである。はなから「信じていない」と腹も立たないというものだ。むしろ、「自分の見立」が当たるのだから、「名医になった」ような気分で嬉しい。 積雪が少ないので、ミズナラなどが伐採された跡地には、その「ヒコバエ」やタムシバ、マンサクなど陽樹の若木が雪面に出ていて、それが邪魔をして歩きづらい。
 1996年に水無沢と大黒沢の末端の尾根では、「ミズナラ」が皆伐されてしまった。一部はスギが植林されたが、その他は「皆伐」したままで、それが、いま、「歩きづらい」原因をなしているのである。これでも、手入れのなされていない「スギ」の植林地を辿るよりは大いに楽だといえるのだ。(明日に続く)

◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(31)◇◇
(承前)

…「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば”愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまったのではないだろうか。」…

 敗戦で世相は一変した。「人々は米軍におもねり」、火野葦平は糾弾された。葦平はそのことを「道義の退廃と、節操の欠如こそ、敗北の真の原因」と書き残して、敗戦1カ月後に断筆した。
 つい、さっきまで敵対する「鬼畜米英」だった「米軍」が、日本にまるで「幸」をもたらす存在でもあるように、あるいは「平和の使者」であるかのごとく、日本人は「挙って」阿(おもね)り諂(へつら)う。これを葦平は「道義の退廃と、節操の欠如」と指弾する。
 「鬼畜」とは「鬼と畜生」のことだ。「鬼畜にも劣る行い」などと慣用的に使われる。
そして、「残酷な行いをする者。恩義を知らない者」という意味を表している言葉だ。
 私は米軍のことを「平和の使者」などと思ったことはない。私は直接、米軍の弾丸を受けたこともないし、爆撃にさらされたこともない。
 だが、この「鬼畜」という形容・呼称が間違いではなかったと思っている。
…だからといって「鬼畜米英」と言わせた日本軍国主義を認めているわけではない。逆に絶対許せないと思っている。…
 それは、敗戦が確実になって、「日本軍」がもはや「戦闘能力」を失いつつあった時点で、非戦闘員である多くの日本人市民を、艦砲射撃で、飛行機による爆撃の焼夷弾で、撃ち殺し、焼き殺すといった所業を、平気でやったということである。
「焼夷弾」とは「少量の炸薬(さくやく)」が使われているから「爆発力は弱い」が、同梱されている大量の焼夷剤が火の海となるのである。日本人の木造家屋を焼き払い、そこに住む人民を焼き殺すにはうってつけの「砲弾・爆弾」であったのだ。おそらく、米軍はそのためにこの「焼夷弾」を開発したのであろう。これを小型化し爆発延焼率を高度化したものが「ベトナム戦争」で大量に使用された「ナパーム弾」であることは想像に難くない。
 そして、まさに「鬼畜」としての所業は、広島と長崎への「原子爆弾」の投下である。
 日本の降伏が目に見えていたのに「無条件降伏」を手に入れて、連合国の一員として「日本統治の占有権」をほしいままにするために、日本人を恐怖のどん底に落として、従わせて支配するために、「世界で初めての大量殺人兵器」である原子爆弾を使ったのだ。
 その「アメリカ」が民主主義のためといって、大量殺人化学兵器を所有しているとして「イラク」を攻めた。「目くそ」が「鼻くそ」を攻め、「目くその一片」である日本は、それに追随した。小泉首相は「私が大量殺人化学兵器がイラクにあるというからあるんです」と詭弁を弄して、アメリカについた。
 「原爆」投下は「鬼畜」の所業である。それは、「人間に対する犯罪」でもある。だが、これまで、「原子爆弾」を「被爆」した日本が、その「戦争犯罪」を追及したことがあるか。
 犯罪者である「アメリカ」は一度たりとも日本に対して「原爆投下」について「謝罪」をしたことがあるか。ないだろう。
 「アメリカ」からすると「謝罪要求」がない限り「犯罪を犯した」という意識もないだろうし、だからこそ「謝罪」もない。日本に対して、中国や韓国などが「侵略戦争」としての「謝罪要求」をし続けた結果ようやく「遅きに逸した」が「村山談話」という形で、それが出された。連立でなく頑迷な保守政権単独の政府であったなら、恐らくいまだに「謝罪」はなかったかも知れない。
 原爆投下という戦争犯罪は永遠に「追及」されるべきだし、「謝罪要求」も続けるべきである。日本国民全員が「広島原爆資料館」を訪れるべき」という一項目を憲法の条文に盛り込むことを私は期待している。そこまでしなければ「国民の総意である謝罪要求」は出てこないだろう。
 ドイツでは、その憲法に「アウシュビッツで非人間的な虐殺行為という事実を否定する」だけでも罰せられるという条文があるということだ。(明日に続く)