岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

プリムラと「桜草のこと」(2) / ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(27)

2010-04-09 05:18:43 | Weblog
 (今日の写真は、野鳥の「巣」である。今月4日、岩木山赤倉沢左岸尾根、「ミズナラ林」の上部の東に向いた林縁で見たものだ。ちょうどその辺りになると「ブナ」も混じってくる。
 巣のある木は、まだ若い「ブナ」だ。樹高は5mほどだろうか。その上部の枝が四方に張りだした場所を「小枝」を埋めるように、または積み重ねたようにして造ってある。地上高は4mほどだろうか。大きさは30cm四方に、厚さは10cmぐらいである。
 これは、昨年か一昨年の「ハト目ハト科キジバト」の巣である。「キジバト」は岩木山の雑木林でよく、その鳴き声を聞く。「デッデッポッポー」と鳴くといわれるが、私には「ハトポッポー」と聞こえる。「デデッポッポー」と鳴くのは繁殖期に相手を求めている時とか「縄張り宣言」をしている時だそうだ。
「ヤマバト」とも呼ばれるが、正式名は「キジバト」だ。北海道以外では「留鳥」とされている。餌は植物質のものが多い。「オス、メス」は、よく似ている。だが、「オス」は繁殖期になると目の周りが赤くなるので区別が出来る。
 「キジバト」で興味が引かれることは「繁殖期に鷲・鷹のような猛禽類に似た飛び方」をするということだ。それは、「翼を動かさず、風に乗って飛ぶ」ということだ。これは、「テリトリー」を守り、宣言している飛び方である。
 間もなく、この「ディスプレイフライト」が見られるだろう。
 さて、今日の写真「キジバトの巣」だが、見て分かるとおり「巣材」は小枝である。「人工物」は何一つ使っていない。純粋に「自然材」だけの「木製」で造られている。「キジバト」の巣は、ヒワなどの小鳥の巣とは違い、かなり、粗雑に造られている。
 「巣」を造る場所は地上1~7mの高さで、都市部でも「生け垣の中」などに造ることもある。巣材を運ぶのはオスだけといわれている。2個の卵を産み、昼間は「オス」、夕方から翌朝まで「メス」が抱卵する。
 抱卵期間は約2週間、巣立ちまでの期間も大体2週間である。ハト独特の「嗉囊(そのう)」から出す「ピジョンミルク」で子育てをする。「嗉囊」とは、鳥類の食道の後端にある袋状部のことで、食物を一時貯え、漸次前胃を経て砂囊に送る役割をするものである。「種子」などを食べる鳥でよく発達し、昆虫などを食べる鳥のものは小さい。)

◇◇ プリムラ・ポリアンサと「桜草のこと」(2)◇◇
(承前)

 …外国原産でない日本在来種の「サクラソウ科サクラソウ(プリムラ)属」には、学名を「プリムラ・ジャポニカ(Primula japonica)」という「ジャパニーズ・プリムローズ(Japanese primurose)」がある。日本名では「クリンソウ(九輪草)」だ。別名を「シチジュウソウ(七重草)」ともいう。
 花名の由来だが、花が段々に輪生(りんせい)し、茎を伸ばしながら下から段になって次々と咲くことから「輪生する花の、幾段にもなった様子が、五重塔などの尖塔の柱にある飾りである『九輪』に似ていることによる。
 「クリンソウ」は北海道・本州・四国に分布する多年草で、山間部のやや湿ったところや湿地の周辺などの草地に生育するとされている。だから、岩木山山麓やこの津軽地方に生えていてもいいはずなのだが、私は自生しているものをいまだもって見たことがない。
 大きな根生葉から30cm~70cmほどの花茎を出し、濃い赤紫の花を車輪状につける耐寒性多年草で、それが数段になる。花径は2~3cmで、花期は春から初夏まで(5~6月)である。花の色も、赤、ピンク、白などと多彩である。
 学名のPrimula(プリムラ)は、「primos(最初)」が語源であり、「早春、花が他に先駆けて咲くこと」を意味する。
       「九輪草四五輪草で仕舞けり」(小林一茶)

◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(27)◇◇
(承前)

…「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば”愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまったのではないだろうか。」…

…多くの日本人は、「自由」を「勝手気まま」と捉え、権利主張にはその定立として「果たさなければいけない義務」があることを忘れた。
 「自由」を口にするとすべてが「平等」に扱われると勘違いし、「赤信号、みんなで渡ると怖くない」式に、みんな「同じになろうとした」のである。
 日本人は自分たちから「画一化」されることを望んだのである。その結果が「金太郎飴」と化したのである。日本人から「個性」や「独創」が消えた。見える「顔貌」は皆同じだ。みんなが同じ顔になるということは「無顔貌」であることと同じではないか。
 だが、日本人は「同じ顔貌」でいることに「安心と安堵」を得たのだ。しかし、それは「日本の風土や伝統、誇りに根を張ったもの」ではなかったのだ。それは、「根無し草」に等しいものだった。
 「宿根草」は強い。しっかりと自根を土中に張り巡らし、地上の茎頂に花をつけ、種を落として増えていく。その上、張った根からも株分けで増えていく。フクジュソウなどがその類だが、種を落として花をつけるまでは5年もかかる。戦後日本人が「自国の文化や誇り、伝統」を基に「宿根草」となるためには「中長期の時間」が必要だった。だが、それをしなかった。
 厳密に喩えると、日本人は「根無し草」ではなく、ヒルガオ科ネナシカズラ属の1年草「根無し葛(ネナシカズラ)」であった。これは、日本各地に分布し、薮や河原など日当たりのいい山野に生える「蔓性の寄生植物」だ。

 2つ目のキーワードは「精神的、道義的、文化的に”根無し草”」である。戦後、日本人は「自国の文化や誇り、伝統」を顧みることなく、挙って「アメリカナイズ【Americanize】アメリカ風にすること」に走った。
 それは、自分たちを「ネナシカズラ」とし、「アメリカ」を「宿主」とすることであった。現在、「同盟国」とされる「アメリカ」と「日本」の関係は、まさに、この「構図」なのである。
 この関係を保つには、ひたすら「クリスマス」を楽しみ、モータリゼーションに浸り、雛祭りや雛飾りなどに関心を示さないことが必要なのである。
 寄生植物は「宿主」によって「生かされている」ものであって「宿主の死」は寄生しているものの死でもある。(明日に続く)