岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真が教えること / 雪稜(追子森から西法寺森へ)

2010-03-15 05:03:32 | Weblog
 (今日の写真は松代登山道尾根、追子森山頂から約1.0km東にある西法寺森「標高1288m」へと続く「吊り尾根」に出来た「雪庇」である。これは「雪稜」と呼んでもいいだろう。「痩せ尾根」という呼称もある。)

 ◇◇ 今日の写真が教えること / 雪稜(追子森から西法寺森へ) ◇◇

 尾根には広い尾根、狭い尾根、吊り下げられたような尾根、ナイフ・リッジ「Knife-ridge:ナイフの刃のように切り立った極めて細い尾根・稜線」という区別をすることがある。
 広い尾根は登っていても安心感があるものだ。両端が深く切れ込んだ谷を形成している狭い尾根は、冷や冷やしながら登下行をすることが常である。このような尾根を「痩せ尾根」という。
 岩木山の登山道沿いに限ってみると、この「痩せ尾根」はない。だが、「痩せ尾根」は存在する。私は「残雪期」に、しばしば、この「痩せ尾根」登りや下降を楽しんできた。
 岩木山の「痩せ尾根」は、総じて北面に多い。その代表は、1249mピークから1396mピークを経て「赤倉御殿」ピークに続く稜線だ。扇ノ金目山から1249mピークまでの稜線もこの「痩せ尾根」といってもいいだろう。
 ブナ林帯を越えた大鳴沢右岸の稜線はまさに「痩せ尾根」である。稜線上から深くて急峻な斜面が続き、大鳴沢まで真っ直ぐに落ち込んでいる。
 その反対側は、長前沢や白狐沢の源頭となりに、これまた急峻に切れ落ちている。「痩せ尾根」の登下行で味わえる醍醐味は、「落ちるかもしれない」という恐怖感であり、それに対処する動物的な感覚にある。「安心社会」という日常では決して味わえない「生きた感覚的な行動」である。
 「山」には多かれ少なかれ「安心社会」と反定立する要素があるものだ。それが楽しいのだし、本来の登山はそれを求めていた。
 だが、最近の登山者や登山客は「安全社会」の延長線上で山歩きをしている。だから、日常性では味わえないものに出会うと「どうすればいいのか分からずパニック状態」になるか、そのまま「日常性の中に留まり、携帯電話で助け」を求めるのだ。その殆どは「自助努力」という範疇に入る類のことである。

 「吊り尾根」とはピークとピークの間の尾根のことで、まるでその2つのピークにつり下げられている吊り橋のように見えることから、このように呼ばれている。
 岩木山は大昔に海底が隆起して出来た「岩山」ではない。だから、岩峰と岩峰に吊り下げられたような「吊り尾根」はない。
 岩木山は噴火によって出来た山であり、今でも「いつ噴火など火山活動をしてもおかしくはない」とされる「活火山」である。
 噴火活動を繰り返して出来た山であるから、当然「噴火口(爆裂火口)」は存在する。現在確認されているもので11以上あるとされている。
 そして、この「爆裂火口」の縁がしばしば「吊り尾根」状になっている場合があるのだ。今日の写真の雪稜も、岩木山では古い方に入る「大白沢爆裂火口」の南面外輪「外側の縁」にあたる。
 ここは、その壁頭なのだが、夏場にここから下を覗くと、直下の「壁・崖」が大きく抉られていて、「壁頭・崖頭」自体がオーバーハングの頂点に長く伸びているのである。だからいつ崩れても、いつ落下してもおかしくない状態にある。
 追子森山頂からの「古い登山道(大の平登山道)」は、この「オーバーハングの頂点」を辿っている。恐らく毎日出かけて行って観察すると「崩落」している事実が分かるだろうが、それは出来ない。しかし、崩落は確実に起きている。
 だが、夏場は今でもこの「吊り尾根」部分は歩くことが可能なのだ。それは、低木が複雑に根や枝、幹を絡み合わせて「吊り橋」を造っているからである。その絡み合った樹木の隙間から下を覗くと「目が眩む」のだ。深い「大白沢爆裂火口」が垂直に落ち込んでいる。思わず足がすくんでしまうのである。反対側は今でも「火山活動」の激しい「赤沢」に急な斜面をなして、落ち込んでいる。
 写真に見える「雪庇」の下には、「オーバーハングの頂点」上に架けられた細い生木の橋があるのだ。だから、この雪庇の基部は非常に不安定な状態になっている。必要以上の加重が加わると、いつ動き、それに伴って崩落するかも知れないのである。積雪の締まっていない1、2月の厳冬期には、出来るだけこの場所は通りたくないというのが本音だ。
 そうかといって、この雪庇の下部を通ることも、実に危険なのだ。写真に見える雪庇は、例年のそれではない。先ず正常な積雪があると、もっと「大きく高い」のである。しかも、それは写真で言うと右側に張り出している。「庇の上部先端」が右の赤沢方向に向かって巻き込むように張り出している。そして、「崩落」の機会を狙っている。
 これは、北、または北西から吹き付ける冬の季節風によるものだ。だが、ここ数年の暖冬は「この吊り尾根」に大きく南に張り出した「雪庇」を造らなくなっている。
 写真を見ても「張り出し」は見えない。何だか左右均等にきれいな山型の曲線を描いている。これはどうしたことだろう。これも、「風」の仕業だ。この写真は昨日撮ったものだ。3日ほど前から、正常な季節ではあり得ないことだが、南から風が本州北部に吹き込んでいた。天気は雨交じりの暴風のこともあった。その雨は岩木山の標高1000m以上のところでは、当然雪となる。それが、これまであった南向きの雪庇を覆ったのだ。
 降雪がもっと多く、長い時間になると、「南向きの雪庇を覆って」北向きの雪庇を形成したであろうが、降雪量が少ないので、左右対称の山型をした「不思議な稜線」を造り上げてしまったのである。
 この雪稜は一段低い「鞍部」にあるので、「ナイフ・リッジ」とは言い難いが、その質的、あるいは「左右対称の山型」という形状的には「ナイフ・リッジ」といってもいいものだろう。
 昨日、この「ナイフ・リッジ」状の稜線を私が、トップで4人パーティが渡り抜けて「西芳寺森」山頂に向かった。その出で立ちは、ワカン3人、スノーシュウ1人、アンザイレン「ザイルで結び合うこと」して、手にはピッケルを持っている。
 先頭の私は、雪面に、ピッケルを慎重に、小まめに差し込み、突き刺しながら「雪層」と「雪質」を探りながら、後続する3人を先導した。その踏み跡は、「ナイフ・リッジ」のどちらかと言えば「赤沢」側を辿っていた。このルートが「大白沢源頭」への崩落と赤沢への滑落を未然に防ぐ最善のものであると考えたからである。
 私以外の3人は、もちろん、夏のこの「ルート」については全く知らない。知っていて、奈落の底に繋がっているような「生木の吊り橋」を体験していたら、「通りたくない、行きたくない」と言ったに違いない。知らぬが仏とはよく言ったものだ。
 もっとも危険な場所を無事通過したのに、私たちは目標としていた「西芳寺森」山頂の手前で帰ることにした。それは、雪面が非常に硬くなり、馴れていない者では「ワカン」の爪も利かせられず、キックステップも出来ずという状態になったからである。無理をしたら、ピッケルもただの「シンボル」にしかなりかねない。そのような「意味のないこと」はしないに限る。

「二子沼から松代登山道尾根に抜ける(8)」は明日掲載する。