岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日はひな祭り(2)

2010-03-04 06:13:07 | Weblog
(今日の写真は昨日まで飾っていた「今年」の雛人形だ。極めて質素なものだ。これでいいと私は思っている。
 お内裏様と官女は知り合いが「端布(はぎれ)」で手作りしたものだ。台にしてあるものは韓国の仮面劇の「タル」を焼き付けたお猪口だ。焼酎を飲む盃である。
 左右に立ち並んでいる人形は博多人形である。女の子の節句なのに男の子の人形が並んでいる。両端のものは女子かもしれない。
 おちんちんを出した男の子が3人いるのだが、妙にこの壇上では存在感があり、異形ではない。「場違い」な感じは私は持たないし、連れ合いも「二人の子供」も、それこそ小さい時から、このような取り合わせに「違和感」を示す様子は少しもなかった。
 実は私は男の子が欲しかった。だから、産まれたら名前は「堅」、「耕」、「奨」、「潤」のいずれかにしようと考えていた。これは「堅い土地を耕して農業を奨め、人々を潤す」ような男になって欲しいという願いを込めたものだった。二人目も女の子だったので、半ば「男の子」願望を諦めて、次女にはこの中の一字をもって命名した。
 だが、生まれてくる子は女だ。男の子が欲しかったこともあり、娘が生まれる前から「男の子の博多人形」を時々買った。
 決して安いものではなかったので、多くは買えなかったが、少なくとも10年ぐらいは毎年1つほど揃えていった。
 そして、これら博多人形は毎年、上巳の節句に「雛人形」と一緒に並べられた。それだけではない。
 2人の娘は幼児の時から、この博多人形を「遊びの対象」として、ままごとの中で、抱いたり寝かせたり、手垢がつくまで「撫でたり」していた。
 今でもその「手垢」がついている。娘たちの小さな手の、可愛い指の、その温もりぬくもりがこの「手垢」に残されていると思うと、この汚れた「博多人形」はすごく愛しいものに思われるのだ。
 今年もまた、私は、そっとその手垢に触ってみた。そこには今でも、子供たちの小さな手の「温もり」があった。
 我が家ではこのように、毎年形式的な「雛飾り」はしない。我が家にある「人形」それぞれに登場願って、素朴な「ひひなの調度」並べで上巳の節句を祝っている。

 さて、真ん中には2つの鶯餅がある。本当ならば、ハハコグサを入れた草餅を供えるのだが、最近は「本物の草餅」はなく、あったとしても「蓬(よもぎ)」の入った草餅である。「ハハコグサ」は春の七草の一つである「御形(ごぎょう・おぎょう)」のことである。
 そもそも、ひな祭りや雛飾りは、平安の昔、3月3日に「母と子の人形を作ってお払いをする」ことが流行し、それが起源である。
 この人形は母と子の手で川に流されたが、室町時代には人形を家の中に飾る「ひな祭り」に変わった。その人形がごぎょう(御形)であり、母と子の人形なので、「ははこ」。主役は幼児なので「ほうこ」(這う子)とも言った。
 人形に供える餅の中に入れる草である「オギョウ、ハハコ、ホウコ」は、この「ハハコグサ」だったのだ。古い時代の草餅は「ハハコグサ」を用いていたのだ。
 今でも地方によっては「ホウコモチ」といって、この「ハハコグサ」で草もちを作っているところがあるが、江戸時代に新井白石が「ヨモギ」を草餅に用いる風習を朝鮮から伝えて以来、現在ではヨモギを入れることが一般的になった。だから殆どが蓬(よもぎ)入りの草餅である。
御形の「御」は接頭語で、「形」は人形(ひとがた)のことだ。上巳の節句に母子の人形を飾り、母子餅が供えられたことに因って、「御形」と呼ばれるようになった。
 「ハハコグサ」は葉や茎に銀白色のうぶ毛が密生していて、何やらとても優しい感じのする草だ。花は黄色だが控えめで素朴だ。日当たりのいい場所に生える。

 どうも、脇道に逸れてしまう。私は「どうして雛祭りや雛飾りにこだわり、それを続けているのかについて書こう」として書き始めたのである。

 昨日は「その劣等意識をはね除けるために、徹底して『中国、朝鮮』の文化を蔑視することになる。矛盾だ。国民も為政者もこの矛盾に気づかず突っ走った。」で終わっているので、ここから書くことにする。
 …その結果が、西欧列強がとったと同じ「中国、朝鮮を含むアジア諸国を侵略し、植民地化していく」という戦争行為であり、それを非とするアメリカとの戦争であった。
そして、日本は「無条件降伏」という「完敗」、つまり、「スコンク(skunk:アメリカ語、競技で、無得点で敗れること。零敗。ゼロゲーム」で敗れたのである。
 私は日本のこの行為の原点に「民族の誇りを無視した」ことを見ている。文化的には「中国」も「朝鮮」も日本と血肉でつながっている。伝統的な日本文化において、この二国の気配や風体を消し去ることは出来ない。文字を持たなかった日本人は、表意文字である「漢字」を借りて「ひらかな」と「カタカナ」という文字を創った。日本言語の祖は中国である。
 だが、日本人は中国人を、そして朝鮮人を徹底して蔑視した。(明日に続く)