岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

雪に埋まった二子沼 / ひな祭りに関して(5)

2010-03-07 05:30:49 | Weblog
 (今日の写真は雪に埋まっている二子沼の上沼である。一昨日の5日に撮ったものだ。鰺ヶ沢のスキー場の駐車場からスキーで歩いて行ったのだが、何とその距離の長かったこと、歩いても歩いても、取り付き点に着かなかった。しかも、一泊二日分の装備や食料などを詰め込んだザックは重かった。この道は「横歩き」なので、傾斜のきついところはないが、曲折して続く道は長い。幸い、積雪が少ないので、この道「西岩木山林道」はその輪郭と形状をしっかりと見せていて「ルート」採りは容易であった。迷うことはなかった。ただし、それも、「二子沼」への取り付き点までの話しだ。あとは、地図と磁石に頼る行動となった。)

◇◇ 雪に埋まった二子沼 ◇◇

 積雪が少ないといっても二子沼辺りでは2mはあろう。だから、疎らな竹薮も姿を見せない。すべての動きが止まった中で、林立するブナは個々に佇立している。   
 冬のブナの森は、屋根のない柱だらけの大きな建造物に似ている。その中を風だけが、梢や枝、幹を選ばず自在に吹き抜けて行く。ブナの森はがらんとして広い。
 5日は朝方から雨であったが、次第に曇りとなり12時を回った頃には時折青空も覗くほどになり、その分ブナ林は幻想さはないけれど美しい。
 森を斜面の下から眺めると、ぶなの木々はその幹を雪や青空を背景にして一層灰色に染めるが、少しだけ赤みのある梢は、一本一本黒ずんできて同系の青空に吸い込まれてしまう。                                  ところが吹雪や濃霧(がす)に取り込まれた森は、その様相を一変させる。それは、ただただ我々の日常では味わえない灰色の世界なのだ。それはまさに幻想の世界だ。翌日はまさにその世界を歩くことになった。
 遠くから見ると、山の際も端もすべて灰色の中で、そこの色彩は梢の部分がやや明るく、次第に幹の部分へと暗く黒くなって落ち込んでいく。
 森の中に入ると、存在を示すのは幹である。吹雪や濃霧の濃淡が、同系色の宿命だろうか、幹を明るく白く、そして暗く黒くして見せる。時として風のない雪降りに、幹を前にして上空を窺うと、微かな梢とともに天に昇って行くように見える。
 一方、梢はぼやけながら灰色の上空に吸い込まれるように溶け込んで、実在を天に預けている。
 晴れている日曇っている日、明るい日暗い日、そのいずれにあっても、ブナの森の生命は宇宙につながっている。そう思えてならない。       
 そのようなブナ林の中で、沼は明るいだけだった。すっぽりと雪に覆われて、ただ白い広場がそこにはあった。積雪の多い時季や年は、ここが沼であるとは誰にも解らなくなってしまうだろう。それはブナの森にある、いびつな円形をした静かな広場に過ぎなかった。

◇◇ ひな祭りに関して(5)◇◇
(承前)

 多くの日本人が「ひな祭り」(雛人形に関わること)を主題にして多くの俳句を作ってきた。それを代表する数句を見てみよう。

・草の戸も住み替はる代ぞ雛の家    芭蕉
・裏店や箪笥の上の雛まつり      几董
・眼覚めけり上巳の餅を搗く音に 相生垣瓜人
・天平のをとめぞ立てる雛かな  水原秋櫻子
・雛菓子の蝶のむらさき鶴の紅   大橋敦子
・菱餅の上の一枚そりかへり    川本臥風
・日の高きうちより灯し雛の燭  片山由美子
・雛の間の更けて淋しき畳かな   高浜年尾

 この上巳の節句も「二十四節気」もその起源を辿ると、中国や朝鮮のそれらに行き着くことは間違いない。私たちの文化の祖(おや)は「中国と朝鮮」なのだ。
 だが、日本人はその「祖」を貶し、侮辱し、誇りを打ち砕いた。その典型が「創氏改名」である。
 この「創氏改名」がどれほどに惨いものであり、朝鮮人の人権無視であることを「大日本帝国」政府は承知していた。承知の上でやっているのだから「無知蒙昧」ではない。確信犯なのである。裁判でも「確信犯」の刑は重い。しかし、日本の歴史の中ではこの重い犯罪・刑に対する反省は殆ど聴かれないし、されていない。加害者だから「時の流れ」に身を任せていることが出来るのだ。加害者には痛みはない。だが、被害者はその痛みを忘れない。被爆者がそうであるようにだ。
 「大日本帝国」政府が「朝鮮に徴兵制」を施行しなかったことは、「創氏改名」が持つ残酷な人権無視ということを知っていたからである。「創氏改名」施行の上、「徴兵制」までしくと、恐らく、朝鮮人は反乱を起こすであろうと考えたからである。農民が「百姓一揆」を起こす手前ぎりぎりまで、搾り取って「一揆」を止めさせるというやり方だ。
 朝鮮からは本国議会へ議員を選出することは出来なかった。仮に、朝鮮人の代議士が存在したとしても「大日本帝国」政府の傀儡(かいらい)としてであり、「朝鮮人の民意を代表」すると信じたものは誰もいなかった。(明日に続く)