(今日の写真は、ツリフネソウ科ツリフネソウ属の一年草「黄釣船(キツリフネ)」だ。
北半球に広く分布し、日本では北海道から九州に見られる。ツリフネソウより山地の湿地や林縁に多く自生し、低地から山地の谷あいの林内や林縁など、湿った半日陰地に生育する。
高さは50cmほどで、茎は直立して枝を分け、全体に軟弱なイメージがある。葉は互生し、葉身は楕円形で、質はやわらかい。
夏から秋にかけて、葉腋から細い花茎を出し、黄色の花を2~3個咲かせる。
花の数はツリフネソウより少ない。株がたくさんある割には咲いている花がまばらだ。そこには、子孫を残すための数々の工夫が凝らされているのだ。
花はつぼみの時期は葉の上にあるが、膨らんで大きくなるにつれて下垂し、開花するころには葉の下(裏)にある。
花は7月から9月に咲く。わずかに紅色を帯びた薄い橙色。紅色の点が全体にあり、この色は薄いものから目立つものまである。
花の構造は実にわかりにくい。萼片は3枚で、花柄が付いている所に左右に2枚ある小さなものと、後方に長く嚢状になり、末端部が「距」になっているものが萼である。
花弁は上側に反り返っているものが1枚、下側に2枚づつが合着したものが2枚、本質的には5枚である。
ツリフネソウは 花が天辺に咲いているが、キツリフネは葉の下に隠れるように咲いている。
「キツリフネ」の英語名は「タッチ・ミイ・ノット」といわれるそうだ。つまり「私に触れないで」という意味だが、「果実に触れる」や果実は弾けて種子を飛ばす。「触れば爆発、ご用心」というわけである。
この「キツリフネ」を眺めながらこのようなことを思い出すのは楽しいものである。名前の由来は単純明快だ。「黄色のツリフネソウ」という意味による。
ある日のことであった。その日も長平口に下山しがてら、「ヤマジノホトトギス(山路の杜鵑草)」との出会いを望んだが無理だった。これは秋に、「杜鵑」の鳴く林の縁に咲く花であるが、残念ながらここ数年会うことがないのだ。
…「杜鵑」や「山路の杜鵑草」が岩木山から影を潜めたとすれば、冥途へのガイドを誰に頼めばいいのだろう。昔から「杜鵑」が死者の霊を天国にまで案内するとされているからだ。
「浄土に往けない魂」が山麓でうろうろしているかも知れない。岩木山は鬼門に近づいているのだろうか。
そんな思いに駆られながら左右の籔を見る。秋、山麓の遅い午後だ。吹き抜ける風は冷たい。緑の中に暖かい紅と黄の織り布が揺れた。「ツリフネソウ」と「キツリフネ」だ。
この二つの色彩は、阿弥陀仏がいる西方浄土(さいほうじょうど)に似つかわしいものだろう。紅紫に真の黄色、艶やかな死出の旅路の乗り物。魂が乗り込む舟はツリフネソウかも知れない。
ゆらゆらと揺れながら、紅い方には女性の、黄色いツリフネには男性の魂が乗って「お居往来山」(注)に登って行く。天に召された魂の揺りかごだ。岩木山を鬼門にしてはいけない。…
「お居往来山(いゆきやま)」…津軽の人は岩木山を祖霊が暮らし(居て)、春になると田や水の神として里に降り、収穫が終わるとまた帰る(往来する)山だとしてきた。
ところで、ツリフネソウ科ツリフネソウ属の「釣舟草」と「黄釣舟」の生態は、同種同科同属とは思えないほどに違うのである。
実質的には、芽を出して花を咲かせて、種をつけるのに「1年」の半分ほどという限られた時間の中で、両種ともに、とにかく種子を作らねば、子孫を残せない「1年草」である。
だが、同じ「種(しゅ)」でありながら種子の作り方や方法が全く違うのがこの両種なのである。
まずは、繁殖形式の違いである。
キツリフネは、閉鎖花(自家受粉)を沢山つけ、資力に余裕があれば花を咲かせ優良な子孫を残そうとしている。そのため7月下旬から10月中旬と花期が長い。
ツリフネソウは短期間に沢山の花を咲かせ(他家受粉)をするために花バチ類を集める。だから、8月中旬から9月下旬までと、花期が短くてもすむのだ。
次は受粉の方法の違いだ。
キツリフネは開放花(咲いている花)は、雄性先熟・雌性後熟で「自家不和合性」、つまり、自家受粉を避けているのである。
一方、ツリフネソウの開放花は、雌雄同熟で、「自家和合性」、つまり、自家受粉を行うのである。
「ツリフネソウ」を話題にすると、どうしても、触れなければいけない「花」がある。 それは、ツリフネソウ科ツリフネソウ属の一年草「ホウセンカ(鳳仙花)」である。
これは東南アジア原産で、日本には17世紀頃に渡来したとされている。
私が子供の頃には、よく栽培され、学校教育などでも利用されていたものだ。
学校教育では、茎の柔らかさを利用し、茎の断面の観察や、赤インクを吸い上げさせて導管の観察などに利用した。
よく成熟した果実を軽く押さえると、果実は急激に割れて種子を弾き飛ばす。だから、種子の自動散布として教材によく利用されたし、子供たちの遊び相手でもあった。
花は夏から秋にかけて咲き、「色」も多種多様で赤から白色まである。
ホウセンカの花をよく見てみると、赤色の花弁が3枚(このうち左右にあるものは途中で2つに別れ、4枚の花弁のように見える)、そして、その外側に3枚のやや色の薄い花弁状のものがある。
これは顎であり、その顎の一部は花の後ろ側に管状に突き出している。この管状のものを距(キョ)という。
ホウセンカでは距は3本あるが、ツリフネソウでは顎の1つが大きく、距は1本しかない。雄しべは5本であり、合生して雌しべを覆っている。果実が割れて自動散布する点もツリフネソウと同様である。茎が多汁質で柔らかい点もよく似ている。
名前の由来であるが、鳳仙花「ホウセンカ」は花を鳳凰(ほうおう)に見立てた中国名だ。
北半球に広く分布し、日本では北海道から九州に見られる。ツリフネソウより山地の湿地や林縁に多く自生し、低地から山地の谷あいの林内や林縁など、湿った半日陰地に生育する。
高さは50cmほどで、茎は直立して枝を分け、全体に軟弱なイメージがある。葉は互生し、葉身は楕円形で、質はやわらかい。
夏から秋にかけて、葉腋から細い花茎を出し、黄色の花を2~3個咲かせる。
花の数はツリフネソウより少ない。株がたくさんある割には咲いている花がまばらだ。そこには、子孫を残すための数々の工夫が凝らされているのだ。
花はつぼみの時期は葉の上にあるが、膨らんで大きくなるにつれて下垂し、開花するころには葉の下(裏)にある。
花は7月から9月に咲く。わずかに紅色を帯びた薄い橙色。紅色の点が全体にあり、この色は薄いものから目立つものまである。
花の構造は実にわかりにくい。萼片は3枚で、花柄が付いている所に左右に2枚ある小さなものと、後方に長く嚢状になり、末端部が「距」になっているものが萼である。
花弁は上側に反り返っているものが1枚、下側に2枚づつが合着したものが2枚、本質的には5枚である。
ツリフネソウは 花が天辺に咲いているが、キツリフネは葉の下に隠れるように咲いている。
「キツリフネ」の英語名は「タッチ・ミイ・ノット」といわれるそうだ。つまり「私に触れないで」という意味だが、「果実に触れる」や果実は弾けて種子を飛ばす。「触れば爆発、ご用心」というわけである。
この「キツリフネ」を眺めながらこのようなことを思い出すのは楽しいものである。名前の由来は単純明快だ。「黄色のツリフネソウ」という意味による。
ある日のことであった。その日も長平口に下山しがてら、「ヤマジノホトトギス(山路の杜鵑草)」との出会いを望んだが無理だった。これは秋に、「杜鵑」の鳴く林の縁に咲く花であるが、残念ながらここ数年会うことがないのだ。
…「杜鵑」や「山路の杜鵑草」が岩木山から影を潜めたとすれば、冥途へのガイドを誰に頼めばいいのだろう。昔から「杜鵑」が死者の霊を天国にまで案内するとされているからだ。
「浄土に往けない魂」が山麓でうろうろしているかも知れない。岩木山は鬼門に近づいているのだろうか。
そんな思いに駆られながら左右の籔を見る。秋、山麓の遅い午後だ。吹き抜ける風は冷たい。緑の中に暖かい紅と黄の織り布が揺れた。「ツリフネソウ」と「キツリフネ」だ。
この二つの色彩は、阿弥陀仏がいる西方浄土(さいほうじょうど)に似つかわしいものだろう。紅紫に真の黄色、艶やかな死出の旅路の乗り物。魂が乗り込む舟はツリフネソウかも知れない。
ゆらゆらと揺れながら、紅い方には女性の、黄色いツリフネには男性の魂が乗って「お居往来山」(注)に登って行く。天に召された魂の揺りかごだ。岩木山を鬼門にしてはいけない。…
「お居往来山(いゆきやま)」…津軽の人は岩木山を祖霊が暮らし(居て)、春になると田や水の神として里に降り、収穫が終わるとまた帰る(往来する)山だとしてきた。
ところで、ツリフネソウ科ツリフネソウ属の「釣舟草」と「黄釣舟」の生態は、同種同科同属とは思えないほどに違うのである。
実質的には、芽を出して花を咲かせて、種をつけるのに「1年」の半分ほどという限られた時間の中で、両種ともに、とにかく種子を作らねば、子孫を残せない「1年草」である。
だが、同じ「種(しゅ)」でありながら種子の作り方や方法が全く違うのがこの両種なのである。
まずは、繁殖形式の違いである。
キツリフネは、閉鎖花(自家受粉)を沢山つけ、資力に余裕があれば花を咲かせ優良な子孫を残そうとしている。そのため7月下旬から10月中旬と花期が長い。
ツリフネソウは短期間に沢山の花を咲かせ(他家受粉)をするために花バチ類を集める。だから、8月中旬から9月下旬までと、花期が短くてもすむのだ。
次は受粉の方法の違いだ。
キツリフネは開放花(咲いている花)は、雄性先熟・雌性後熟で「自家不和合性」、つまり、自家受粉を避けているのである。
一方、ツリフネソウの開放花は、雌雄同熟で、「自家和合性」、つまり、自家受粉を行うのである。
「ツリフネソウ」を話題にすると、どうしても、触れなければいけない「花」がある。 それは、ツリフネソウ科ツリフネソウ属の一年草「ホウセンカ(鳳仙花)」である。
これは東南アジア原産で、日本には17世紀頃に渡来したとされている。
私が子供の頃には、よく栽培され、学校教育などでも利用されていたものだ。
学校教育では、茎の柔らかさを利用し、茎の断面の観察や、赤インクを吸い上げさせて導管の観察などに利用した。
よく成熟した果実を軽く押さえると、果実は急激に割れて種子を弾き飛ばす。だから、種子の自動散布として教材によく利用されたし、子供たちの遊び相手でもあった。
花は夏から秋にかけて咲き、「色」も多種多様で赤から白色まである。
ホウセンカの花をよく見てみると、赤色の花弁が3枚(このうち左右にあるものは途中で2つに別れ、4枚の花弁のように見える)、そして、その外側に3枚のやや色の薄い花弁状のものがある。
これは顎であり、その顎の一部は花の後ろ側に管状に突き出している。この管状のものを距(キョ)という。
ホウセンカでは距は3本あるが、ツリフネソウでは顎の1つが大きく、距は1本しかない。雄しべは5本であり、合生して雌しべを覆っている。果実が割れて自動散布する点もツリフネソウと同様である。茎が多汁質で柔らかい点もよく似ている。
名前の由来であるが、鳳仙花「ホウセンカ」は花を鳳凰(ほうおう)に見立てた中国名だ。