岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

会報「風力発電」の記事について / NHK文化センター講座、1年が終わった(4)

2009-12-23 05:36:04 | Weblog
 (今日の写真は、岩木山の西麓の松代地区から望んだ岩木山だ。どうして、こうも姿、形が変わってしまうのか不思議なくらいだ。特に、弘前から岩木山の東面を見ている人にとっては、これが同じ「山」なのかと疑ってしまうはずだ。この写真を見せて、「昔から弘前に住んでいる人」に、「この山は何という山名か」と訊いても、正しく答えられる人は少ない。
 岩木山は一応「円錐形」の山だと言われてはいる。ところがどうして、北側の山麓にに向かって、このように山が連なっているのである。岩木山の北側は「連山」になっていて、敢えて、「円錐形」に拘ると、それは「北に向かって歪で長い円錐」ということになる。
 このような山型や地形が、登ってみると分かるのだが、登山道を「長く」しているのだ。しかも、複雑にしている。
 「ゴルフ場」と「スキー場」が出来てからは、登山口は標高「560m」まで押し上げられたので「登山道」も短くなってしまったが、その昔は現在の「長平」集落が「登山口」であり、そこには「古びた木の鳥居」があったものだ。私たちはその「鳥居」の手前で、岩木山に合掌してから「登り始めた」ものである。
 だから、「登山道」は長かった。「登山道」が長いだけではなかった。この登山道入り口に辿り着くまでの「アクセス」も長いものだった。言い換えると、「ものすごく不便」だったのである。
 もちろん、当時でも自動車のある人にとっては、「自動車」を使うと、「登山口」までは、容易に来ることが出来た。だが、「自動車持ち」は金持ちだ。今は違うらしいが、大体において「登山者」は貧乏であった。「自分の体と足」だけで楽しめる、しかも「山」があると出来るスポーツ故に、お金がかからない。そういう訳で、「金のない者」にとっては最適なスポーツだったのである。
 だが、長平登山道まで来ることは、実に不便で時間のかかるものだった。その度に「自動車があればなあ…」という思いに駆られたものである。
 弘前から五能線で鰺ヶ沢までは汽車だ。当時は蒸気機関車に牽引された「汽車」だった。鰺ヶ沢から長平までは、ちょうどよく「バス」があればそれに乗って長平まで来る。ある時には、鳴沢駅で下車をして長平まで歩いたことがあった。このようなことをしていては「その日のうちに登って百沢に下山する」ことなど出来ない。数回ビバークした経験がある。
 とにかく長くて不便な「登山道」であった。自動車を持たない私にとっては、現在でも、この登山道は長くて不便なものに変わりはない。
 だが、私は、この登山道が好きだ。ゴルフ場とスキー場がなければ、その不便を圧してでもこの登山道に来ているはずである。
 当時の登山道は現在の「ゴルフ場」の中を通っていた。もちろん、スキー場の中も通っていたのである。)

◇◇ 会報「風力発電」の記事について ◇◇

 21日に発送した「会報50号」は市内宛のものは、昨日配達されたようだ。
今回は12ページなので、その上、「写真展」の出展票を同封してあるので、重くなり、「市内特別配達」でも、1通当たり75円となった。
 発行のつど、会員の他に「協力者」、これは本会の活動に賛同して支援協力してくれている個人や団体、それに「マスコミ関係者」に送っている。
 昨日の午後、東奥日報の記者からアクセスがあった。既に、このブログにも書いたが、10月20日に、「風力発電」を計画している会社から「(仮称)岩木風力発電計画の概要に関するお知らせ」を受けた時に、同席していた記者である。
 本会では、この「お知らせ」を受けて、11月4日に幹事会を開き、このことを会としてどのように捉えればいいのかを議題にした。
 幹事会の結果、基本的には「風力発電計画」には、この時点では、賛成出来ないとなった。その主な理由は「歴史的、信仰的、かつ原風景的な景観を壊す」ものであり、「場所が『鳥の渡り』ルートになっているので『バードストライク』の懸念がある」ということであった。
 なお、この2つの理由に加えて、「風力発電」というものについての理解が、私たちを含めた県民に、未だないのではないか。「風力発電」に関するすべてについての「いい点」、「悪い点」を県民(当該地域の住民も含む)が理解するまで、時間をかけるべきではないか、その意味で、建設するには「時期尚早」であろうという結論に達した。
 「風力発電」会社からのお知らせ、それを受けての幹事会の結論を、全会員に報告することは、「会組織」としては当然のことだろう。だから、今回の会報で明らかにしたのである。むしろ、会の一部のものだけが、知っていて公表しないということの方が「開かれた」組織にとっておかしいことだ。
 「会報にこの件が掲載されています」と東奥日報の記者が「風力発電」計画の会社に問い合わせたら、「困った」というようなニュアンスがあったという。
  「風力発電」計画の会社にとっては「他社等との競合」や「地域住民」との関係から、計画そのものを「しばらく伏せて」置きたかったらしい。
 だが、現実問題として「観測設備」が完成して稼働している状況の中で、「隠しおおせる」ものではあるまい。
 本会が問題とするところと、それは次元が違う問題だ。そちらにはそちらの事情、こちらにはこちらの事情があり、そもそもお互いに「異質」なのだから、「同じ思考や立場」で進んでいくことは不可能なことであろう。
 その意味では、この件はこれだけでは終わらない。会報の中で予告したように「風力発電」のことについては次号でも、いわゆる「風力発電」のデメリットを中心に掲載する。会員に、真に「風力発電」について学習して貰いたいからである。

 因みに、本日付「東奥日報」には、このことが記事となって掲載されている。青森県と弘前市には「景観条例」との関わりから、すでにこの会社から「計画」のあることが通知されている。
 だが、これまで「この件」については一言も公表がなかった。仮に建設が認められたとして、それらが建設される地区、地域の住民に「一言もそのことがない」ということは何故なのだろう。
 自治体にとっては、そこの住民よりも「企業」の方が大事だということなのだろうか。 

*参考*「Web東奥」から
2009年12月23日(水) 東奥日報

■ 岩木山に風力発電計画/風車25基

 風力発電事業を展開する新エネルギー技術研究所(本社東京)が、弘前市と鯵ケ沢鯵ヶ沢,鰺ヶ沢,鰺ケ沢町にまたがる岩木山北側に大規模な風力発電施設の建設を検討していることが22日、関係者への取材で分かった。出力2千キロワットの風車を25基建設し、早ければ2013年度に稼働を始める計画で、これまで同市の市民団体「岩木山を考える会」などに説明したほか、現地に機器を設置し風力調査を進めている。
(新聞紙上の本文はもっと長く、本会の意向などの記載もある)

◇◇ NHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」が17日で1年が終わった(4) ◇◇
(承前)
 …体験を話し合うということで、お互いの体験が深まるし、「知識」に肉付けがなされ、より具体化してくるものだ。その「体験」が共有出来るならば、同じ事実としての体験をするならば、「体験」は一層膨らむ。事物と事物との突き合わせが出来るし、現場での感動が交換されながら、自分の感動や知識が多くなり、広くなっていく。
 その意味から、5月以降に「月1回」の割合で「野外観察」に出かけるようにしたのだ。(明日に続く)