岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

久し振りに、花の話しで…秋の花三題 ウメバチソウ(2)

2009-12-15 03:29:22 | Weblog
 (今日の写真は、ユキノシタ科ウメバチソウ属の多年草「梅鉢草(ウメバチソウ)」だ。これは、九州地方から北海道までの全国の山地に極めて広く分布している。
 亜高山帯下部の草地、または砂れき地の日当たりの良い湿地に生育することが多い。だが、岩木山ではあまり見かけない花である。つまり、岩木山には「草地」や「砂礫地であり湿地」という場所が少ないからなのだ。
 花期は8~10月だ。秋の花なのに咲き出しは、標高の高いところほど早いのだ。茎頂に直径2cmほどの白色の花1個を、上向きに開く。花弁は緑色の脈が目立つ。
 太く白い花糸を持つ雄しべとともに、糸状に裂開した「仮雄蕊(ゆうずい…雄しべのこと)」があり、これがウメの花の雄しべを連想させる。このあたりが、名前の由来「花が梅鉢の紋に似ていることによる」につながっている。仮雄蕊の先端には腺体があり、裂開数によって変種に細分される。
 ウメバチソウは15~22に分かれ、エゾウメバチソウは9~13に、コウメバチソウは 7つに裂開する点で区別されている。
 「仮雄しべ」とは、形は残っていても退化して、花粉を作らなくなった雄しべのことである。花茎の高さは10~30cmである。
 根生葉は数個が束生し、長い柄がある。葉身は長さ幅とも2~4cmの広卵形で基部は心形。茎葉は無柄で茎を抱くのが特徴だ。

 ウメバチソウを詠んだ短歌は結構多い。古来から人人に愛されてきた花だ。純粋無垢に「真っ白」な花であることが、人々の心を惹きつけてきたようである。
 私は秋になると必ずと言っていいほど、数少ないウメバチソウを岩木山で探す。比較的多いのは赤倉沢であるが、ここも、「大きな堰堤の構築」によって、生育地が壊されて少なくなっている。
 沢の縁の草付などで、純白の花びらを広げ、ヒョコッと草陰に顔をのぞかせている姿は、清楚で愛らしく、見つめれば見つめるほどに深い慈しみの心を掻き立ててくれるのである。
 私はこの花を見つめていて、ふと、「九條武子」の次の短歌を思い出していた。

・あさましう争い疎(いと)む人の世をかなしとおもう今こゝに立ちて(九條武子)
 「見苦しくも情けなくも争いごとを疎むこの人の世の中を哀しいと思います。今、清楚で汚れを知らぬ気に梅鉢草の咲いているこの場所に立っていると」。…私はこの時点で「九條武子」になり代わっていたのである。

 次の短歌も「ウメバチソウ」を歌題にしたものだといわれている。
・慈しむ心の淵を彷徨えば小さきものの姿にこそ見ゆ(無門)

 「眼前には小さいのだが、可憐で純白、清楚感溢れる梅鉢草が花を開いている。
慈しみの心を訪ね、巡ってみると今目の前にある小さい梅鉢草の姿にそれが見えるような気がするのだ」という歌意だろうか。

 ウメバチソウを吟じた俳句もある。

・侘びしくて梅鉢草の白にこもる(寄川絹子)

『何となく寂しい気持ちで梅鉢草の花を見ていた。そうしたらいつの間にかその気持ちが純白のその小花に引き移ってしまったようだ。現実描写と心情的な寂寥感との融合だろうか。』

・膝折って額白牛やうめばち草(杉山岳陽)

『むずかしい句意である。単純化して解釈することにしよう。額の白い牛が前膝を折るようにしてしゃがみこみ、草を食べている。その周りには小さくて可憐な梅鉢草が咲いていた」とでもなるのだろうか。
短歌や俳句だけではない。探してみたら宮沢賢治の詩「早池峰山巓」にウメバチソウは詠み込まれていた。

この山巓の岩組を/雲がきれぎれ叫んで飛べば/露はひかってこぼれ
釣鐘人参(ブリューベル)のいちいちの鐘もふるへる
みんなは木綿(ゆふ)の白衣をつけて/南は青いはひ松のなだらや/北は渦巻く雲の髪
草穂やいはかがみの花の間を/ちぎらすやうな冽たい風に
眼もうるうるして息(い)吹きながら/踵(くびす)を次いで攀ってくる

九旬にあまる旱天〔ひでり〕つゞきの焦燥や夏蚕飼育の辛苦を了へて
よろこびと寒さとに泣くやうにしながら/たゞいっしんに登ってくる
…向ふではあたらしいぼそぼその雲が/まっ白な火になって燃える…

ここはこけももとはなさくうめばちさう/かすかな岩の輻射もあれば雲のレモンのにほひもする

 その年の夏、里では3ヶ月に及ぶ「日照り」が続いた。作物は大きな痛手を受けた。だが、早池峰の山稜は、いつもの年のように「白いウメバチソウ」の花を咲かせ、コケモモの赤い実をもたらしてくれたのだ。これは、賢治の祈りだ。
 かれこれ10年くらい前になるだろうか。9月に、私は岩手山に「門馬口」から登った。この「門馬口登山道」は岩木山でいうと「弥生登山道や長平登山道」のように登山者の少ないルートである。
 その登山道の8合目付近の岩場の下部で、「ウメバチソウ」に出会ったのである。
 登山ゲートをくぐり、林道を少し歩くと渓流沿いの登山道になる。登山道はまだ緑濃く、「踏み跡」を草が覆い隠しているところも見ても「人気が無いこと」が一目瞭然である。鉄や木の橋がかかる沢に沿って平坦な道を行った。握沢の渡渉点に着いたが、折れてしまいそうな苔むした木の橋がかかっている。
 渡りきった所からは一転して登り道が続く。5合目が、「早池峰神社」で、その鳥居をくぐると勾配がきつくなる。
 辺りは針葉樹林帯でほの暗い。その中で「アケボノシュスラン」に出会うなどして、気分をよくして、「針葉樹林帯」を抜けた。「ウメバチソウ」に出会ったのはそのあたりだった。登山道は岩場になっていた。
 宮沢賢治は早池峰山のどこで、「ウメバチソウ」と「コケモモ」の赤い実を見たのだろう。ふと、そんな思いが脳裏を掠めた。