(今日の写真はある年の10月中旬に撮ったモチノキ科モチノキ属の常緑低木「イヌツゲ(犬黄楊)」とその実である。イヌツゲは常緑だから、この写真のように草紅葉の中でもよく目立つのだ。
草紅葉という海の中に、ぽっかりと浮かんだ「緑の島」である。そして、この小さな島を「宇宙」としている虫などの生き物が、ここで「生きて」いる。
余り、ハッキリしないが、葉腋に「黒い」実がなっているのが見えるだろう。やがて、この場所は降雪に埋まってしまう。しかし、常緑樹であるから「枯れる」こともない。 雪に覆われた気温変化の少ない。この「小宇宙」では、虫たちが、この「大木」を揺りかごとして冬を越すのである。枯れた「草々」も「虫たち」の茵(しとね)となるだろう。自然は連環である。すべてのものがどこかで繋がって、それぞれの役割を果たしているのだ。そうすることで、悠久の自然を造り上げてきたのである。
枯れた草々の中の「イヌツゲ」は、緑という変化を与えるだけの色彩的な植え込みではないのだ。)
◇◇ 草紅葉の中を覗いて見ると…(2)岩木山で「イヌツゲ」に出会ったのは最近のこと ◇◇
「イヌツゲ」は、本州、四国、九州と朝鮮半島の南部に分布している。通常は低木だが、5mを越えるものもあるという。生育範囲は広く「乾燥した痩せ尾根から湿原の周辺」までである。 樹の形も立ち上がって一本の幹となるものから、地表を這うものまである。細かく枝分かれし、小さな葉が枝に密につく。日本海側に生育するものは多雪に適応して、這うものがあり、「ハイイヌツゲ」とよばれている。
葉は互生し、長さは1~3cmで、少し厚みと光沢がある。縁にはゆるいギザギザがあり、裏には「腺点」と呼ばれる点々が見られる。花は5月~6月に咲き、雌雄異株であり、果実は秋に黒く熟す。
それから、「果実」が熟しても「黒く」ならないものがある。これを「アカミノイヌツゲ(赤実の犬黄楊)」という。実は岩木山では圧倒的に「アカミノイヌツゲ」の方が多いのである。
私は、つい最近まで、「岩木山には『イヌツゲ』は生育していないものだ」としていたくらいなのだ。だが、数は少ないが確実に「生育」していることを発見したので、どこかで、「ああ、よかった」と、ほっとしている。
モチノキ科モチノキ属の「アカミノイヌツゲ」は北海道、本州中部以北に分布する常緑の低木だ。樹高は2mほどで、草地や岩場、湿原の縁などに生える。枝はよく分岐する。
葉は長さが3cmほどの「革質」状で、上方に低い鋸歯がある。雌雄異株で白い小さな花は初夏に咲く。果実は直径が7mmぐらいで秋に「赤く」熟す。
名前の由来は、葉が「櫛」を作る「柘植(つげ)」に似ていることによる。「イヌツゲ」の「イヌ」というのは「劣る・下等」という意味だ。つまり、「ツゲに似ているが材としては『柘植』に劣る、用を足さない」ということだ。
因みに「ツゲ(柘植)」はツゲ科ツゲ属の常緑広葉樹の小高木で、本州中南部、四国、九州、琉球列島に自生し、石灰岩地帯に好んで生育する。よって、青森県の私たちとは縁のない植物であり、「イヌツゲ」とはまったく縁がない。ただ、「柘植櫛」で髪を梳く人にとっては縁はなくはない。
「ツゲ」は、成長が大変遅いという。胸高の直径が12cmになるのに80年が必要だという。そのために、材質が緻密で、堅く印鑑や木櫛の材として利用されるのだ。加えて「油脂」が含まれ、弾力があるので、「櫛」としては最適なのだ。
昔から、この櫛が使われていたことは…
万葉集の「をとめらが 後の表(しるし)と 黄楊小櫛 生ひ更り生ひて 靡きけらしも(大伴家持)」などの歌からも、よく分かるのである。
◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(3)◇◇
運転不能となった自動車を前にして、その24歳の男性は、家人に「携帯電話」をしている。「クマ」を撥ねてフロントガラスが壊れた時に、よくもまあ、「携帯電話」が壊れなかったものだ。「便利なもの」はあくまでも、当該・当事者に都合よく使われて、その働きを「どうしようもない当事者」に提供するものらしい。
雪山にスキーツアーに行って「吹雪かれて」方向を失い「自分」がどこにいるのか分からなくなったスキーヤーが「私は今どこにいるのだろう」と「携帯」で電話をする。
これは、明らかに「自助努力」の放棄であり、「自己責任からの解除」でもある。このように「自助努力を放棄し、自己責任からの解除された」者からの「連絡」を受けて「すわ、遭難」と「捜索隊や救助隊」を組んで、動き出す「組織」も、昨今は多い。
「電話」をする方も社会的には「幼稚」だし、「捜索・救助」と動き出す方も甘い。雪山で方向を失い動けなくなるような人は、最初から「スキーツアー」に出かける資格も技量もないのだ。
言ってみれば、この「24歳の男性」は自動車運転免許は持っているが、「道脇から出てきたクマ」を避けるという運転技術のない者であり、その点では、この「スキーツアー」者と同質であり、直ぐ「携帯」で電話をするということも、また同質であるように思う。
これは「交通事故」、しかも「他損」でもあり、自損事故でもある。当然、連絡すべき相手は「家人」でなく「警察」であろう。
だから、その「24歳の男性」に少なくとも「社会性」と「常識」があれば、当然「警察」に第一報を入れたはずである。それとも、「警察への通報」を恣意的に避けたのだろうか。
それでは、何故、警察を措いて「携帯電話」で、先に家人に「連絡」したのだろう。
それは、家人の協力を得て、「クマ」を獣医か動物病院に運ぶためではない。クマは死んではいないが重傷である。瀕死のクマだ。自分が轢き、撥ねて殺しかけているクマが目の前に横たわっている。「助けたい」という気持ちがあるのならば、何とかして「動物病院」に搬送しようとするのではないか。だが、記事からはそのような「気持ち」は微塵も読み取れない。(明日に続く)
[連続1000回ブログ書き達成まであと、38回・連続1000日達成まではあと、47日]
草紅葉という海の中に、ぽっかりと浮かんだ「緑の島」である。そして、この小さな島を「宇宙」としている虫などの生き物が、ここで「生きて」いる。
余り、ハッキリしないが、葉腋に「黒い」実がなっているのが見えるだろう。やがて、この場所は降雪に埋まってしまう。しかし、常緑樹であるから「枯れる」こともない。 雪に覆われた気温変化の少ない。この「小宇宙」では、虫たちが、この「大木」を揺りかごとして冬を越すのである。枯れた「草々」も「虫たち」の茵(しとね)となるだろう。自然は連環である。すべてのものがどこかで繋がって、それぞれの役割を果たしているのだ。そうすることで、悠久の自然を造り上げてきたのである。
枯れた草々の中の「イヌツゲ」は、緑という変化を与えるだけの色彩的な植え込みではないのだ。)
◇◇ 草紅葉の中を覗いて見ると…(2)岩木山で「イヌツゲ」に出会ったのは最近のこと ◇◇
「イヌツゲ」は、本州、四国、九州と朝鮮半島の南部に分布している。通常は低木だが、5mを越えるものもあるという。生育範囲は広く「乾燥した痩せ尾根から湿原の周辺」までである。 樹の形も立ち上がって一本の幹となるものから、地表を這うものまである。細かく枝分かれし、小さな葉が枝に密につく。日本海側に生育するものは多雪に適応して、這うものがあり、「ハイイヌツゲ」とよばれている。
葉は互生し、長さは1~3cmで、少し厚みと光沢がある。縁にはゆるいギザギザがあり、裏には「腺点」と呼ばれる点々が見られる。花は5月~6月に咲き、雌雄異株であり、果実は秋に黒く熟す。
それから、「果実」が熟しても「黒く」ならないものがある。これを「アカミノイヌツゲ(赤実の犬黄楊)」という。実は岩木山では圧倒的に「アカミノイヌツゲ」の方が多いのである。
私は、つい最近まで、「岩木山には『イヌツゲ』は生育していないものだ」としていたくらいなのだ。だが、数は少ないが確実に「生育」していることを発見したので、どこかで、「ああ、よかった」と、ほっとしている。
モチノキ科モチノキ属の「アカミノイヌツゲ」は北海道、本州中部以北に分布する常緑の低木だ。樹高は2mほどで、草地や岩場、湿原の縁などに生える。枝はよく分岐する。
葉は長さが3cmほどの「革質」状で、上方に低い鋸歯がある。雌雄異株で白い小さな花は初夏に咲く。果実は直径が7mmぐらいで秋に「赤く」熟す。
名前の由来は、葉が「櫛」を作る「柘植(つげ)」に似ていることによる。「イヌツゲ」の「イヌ」というのは「劣る・下等」という意味だ。つまり、「ツゲに似ているが材としては『柘植』に劣る、用を足さない」ということだ。
因みに「ツゲ(柘植)」はツゲ科ツゲ属の常緑広葉樹の小高木で、本州中南部、四国、九州、琉球列島に自生し、石灰岩地帯に好んで生育する。よって、青森県の私たちとは縁のない植物であり、「イヌツゲ」とはまったく縁がない。ただ、「柘植櫛」で髪を梳く人にとっては縁はなくはない。
「ツゲ」は、成長が大変遅いという。胸高の直径が12cmになるのに80年が必要だという。そのために、材質が緻密で、堅く印鑑や木櫛の材として利用されるのだ。加えて「油脂」が含まれ、弾力があるので、「櫛」としては最適なのだ。
昔から、この櫛が使われていたことは…
万葉集の「をとめらが 後の表(しるし)と 黄楊小櫛 生ひ更り生ひて 靡きけらしも(大伴家持)」などの歌からも、よく分かるのである。
◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(3)◇◇
運転不能となった自動車を前にして、その24歳の男性は、家人に「携帯電話」をしている。「クマ」を撥ねてフロントガラスが壊れた時に、よくもまあ、「携帯電話」が壊れなかったものだ。「便利なもの」はあくまでも、当該・当事者に都合よく使われて、その働きを「どうしようもない当事者」に提供するものらしい。
雪山にスキーツアーに行って「吹雪かれて」方向を失い「自分」がどこにいるのか分からなくなったスキーヤーが「私は今どこにいるのだろう」と「携帯」で電話をする。
これは、明らかに「自助努力」の放棄であり、「自己責任からの解除」でもある。このように「自助努力を放棄し、自己責任からの解除された」者からの「連絡」を受けて「すわ、遭難」と「捜索隊や救助隊」を組んで、動き出す「組織」も、昨今は多い。
「電話」をする方も社会的には「幼稚」だし、「捜索・救助」と動き出す方も甘い。雪山で方向を失い動けなくなるような人は、最初から「スキーツアー」に出かける資格も技量もないのだ。
言ってみれば、この「24歳の男性」は自動車運転免許は持っているが、「道脇から出てきたクマ」を避けるという運転技術のない者であり、その点では、この「スキーツアー」者と同質であり、直ぐ「携帯」で電話をするということも、また同質であるように思う。
これは「交通事故」、しかも「他損」でもあり、自損事故でもある。当然、連絡すべき相手は「家人」でなく「警察」であろう。
だから、その「24歳の男性」に少なくとも「社会性」と「常識」があれば、当然「警察」に第一報を入れたはずである。それとも、「警察への通報」を恣意的に避けたのだろうか。
それでは、何故、警察を措いて「携帯電話」で、先に家人に「連絡」したのだろう。
それは、家人の協力を得て、「クマ」を獣医か動物病院に運ぶためではない。クマは死んではいないが重傷である。瀕死のクマだ。自分が轢き、撥ねて殺しかけているクマが目の前に横たわっている。「助けたい」という気持ちがあるのならば、何とかして「動物病院」に搬送しようとするのではないか。だが、記事からはそのような「気持ち」は微塵も読み取れない。(明日に続く)
[連続1000回ブログ書き達成まであと、38回・連続1000日達成まではあと、47日]