(今日の写真は紅葉が始まった岩木山である。といっても、この写真の「場所」が岩木山のどこなのか、直ぐ分かる人は多くはいないだろう。標高は1500mを越えている場所である。
スカイライン-リフト、そして山頂というルートでは絶対に「遭遇」しえない場所である。ヒントはこの奥に見える岩稜だ。これは、「耳成岩」の北東端である。
「耳成岩」は山頂からは東の「眼下」に見える。赤倉登山道大鳴沢源頭付近からは南の山頂の横に見える。
また、弥生登山道からは山頂に近づくと「山頂」を塞いで、まるで「岩の衝立」のように見えるのだ。
この、写真は「赤倉登山道」の「大鳴沢源頭」からの「急な登り」を「詰めた」辺りから写したものだ。別に、この「岩稜」を撮ろうとしたのではない。急な登山道を「登り切って」視界が開けた時、突然、目の前に、「錦の綾」が広がったので、思わず「シャッター」を押してしまったのだ。だから、「錦の綾」の奥に見える「荒々しい岩稜」は、この写真にとっては「おまけ」でしかない。
しかし、今改めて、写真を見直してみると、この「背景の岩稜」がどれほど、前景の「錦の綾」を押し出して、写真全体にメリハリをつけてくれているかということがよく分かるのである。
無機質な岩稜と今季の最後の「生命」を燃やして、紅に、黄色に染まる木々の葉という「有機質」との相反する極相が見事に調和している。これが、自然であり、「自然の美」というものなのだろう。)
◇◇ 紅に、黄色に染まる木々 ◇◇
赤い葉を見せているのは「ナナカマド」と「ミネザクラ」、それに、「クロウスゴ」だ。「ナナカマド」はまだ、少し「赤み」が薄いし、葉が細い。それよりも少し赤みが強くて「葉」が比較的密集しているものが「ミネザクラ」だ。この「ミネザクラ」の紅葉は今がピークである。
それらよりも低木で、イネ科の「ノガリヤス」に紛れて褐色に近い「赤」を見せるものは「クロウスゴ」である。
「クロウスゴ」は、葉がこのような色具合になると、葉腋の実は「真っ黒」に熟していて食べられるのだ。登山道脇にもかなりの「クロウスゴ」の実が見えていたので、片手にカメラ、片手でその「実」を採りながらの登りとなり、疲れは倍加してしまった。 だが、甘酸っぱいジューシーな「実」はそれを相殺してくれるほどに「爽やか」なものだった。
よく目立つのは黄色の葉である。「紅葉(こうよう)」といいながら、このような「黄色の葉」をも「指す」ことに、私は「不快感」を持っている。
さらに、秋の「季語」である「紅葉(もみじ)」をして、春の新葉を「春紅葉(はるもみじ)」と呼ばせる「観光業者」や「似而非文化人」たちには、「不快感」を越えた許し難い感慨を持つのだ。「言葉」には意味とその使い方には決まりがある。「春紅葉」という言葉には、明らかに「春」と「紅葉」という「自己矛盾」があるにもかかわらず、それを何とも思わないということは「言葉」に対する「侮辱」でしかない。
さて、その「黄色い葉」である。私が「不快感」持つのは「黄色い葉」を「紅葉」に含めるということであって、「黄色の葉」そのものではない。秋一番に色づくのは、山麓から中腹部に見られる真っ赤な「ウルシ」だが、標高の高い場所で一番早く「色づく」ものは「黄色の葉」である。
今日の写真に見える「黄色の葉」には2種類がある。2つとも「カエデ科カエデ属」である。
その1つは「ミネカエデ(峰楓)」であり、鮮やかな「レモンイエロー」に輝く。もう1つは「オガラバナ(麻幹花・別名はホザキカエデ:穂咲き楓)」であり、「オレンジ色」になる。写真の右側のものが「ミネカエデ」で、左に見えるものが「オガラバナ」だ。
私が「紅葉」という言葉の使い方に「違和感」や「不快感」を持っていなかったら、…「ミネカエデ」は鮮やかな「レモンイエロー」に「紅葉」し、「オガラバナ」は「オレンジ色」に「紅葉」する…と書いて憚らないだろう。
カエデ科カエデ属には亜高山帯から高山帯にかけて生えるものがいくつかある。「ミネカエデ」はその代表だ。北海道から本州中部にかけて分布し、亜高山帯の林内に生える落葉低木だ。高さは、厳しい生育環境から、人の背丈くらいから2m程度のものが多い。葉は掌状で、5個に中裂し、裂片には二重の鋸歯がある。葉の切れこみは小さい。秋には黄色になる。
「オガラバナ」は、北海道、本州(中部地方以北)、四国に分布して、亜高山帯の林内に生える落葉樹だ。
「ミネカエデ」に似ている。高さは3m前後だ。見分け方は、枝先の穂状花序で、黄色を帯びた白色の花を多数つけることだ。葉も似ていて掌状で、5~7個に浅裂か中裂し、裂片には鋸歯がある。秋には橙黄色になる。
◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その1)◇◇
「<クマ>バスターミナルで暴れ、9人負傷 岐阜・乗鞍」というのが「毎日新聞」の見出しであり、「連休初日 クマ、行楽客襲う 岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」が「朝日新聞」の見出しである。
NHK テレビでも、「クマ、暴れて人を襲う」という表現で放映していた。
マスコミは挙って、被害者を「人」にして、「加害者」を「クマ」と位置づけて、それを既定の「事実」、あるいは、「結果」として報じている。
「人は負傷」だ。だが、「クマ」は「銃による駆除」つまり、「射殺」という「死亡」である。被害者は負傷、加害者は「銃殺」という結果で、この事件は終わった。
この事件・事故について少し考えてみたい。断っておくが、私は「クマ」の身になって考えてみたいのだ。
事故現場は、標高2702mという高山である。いわば、自然のど真ん中であり、人間にとっては、常識的に「非日常の世界」とされる場所である。(明日に続く)
[連続1000回ブログ書き達成まであと、46回・連続1000日達成まではあと、55日]
スカイライン-リフト、そして山頂というルートでは絶対に「遭遇」しえない場所である。ヒントはこの奥に見える岩稜だ。これは、「耳成岩」の北東端である。
「耳成岩」は山頂からは東の「眼下」に見える。赤倉登山道大鳴沢源頭付近からは南の山頂の横に見える。
また、弥生登山道からは山頂に近づくと「山頂」を塞いで、まるで「岩の衝立」のように見えるのだ。
この、写真は「赤倉登山道」の「大鳴沢源頭」からの「急な登り」を「詰めた」辺りから写したものだ。別に、この「岩稜」を撮ろうとしたのではない。急な登山道を「登り切って」視界が開けた時、突然、目の前に、「錦の綾」が広がったので、思わず「シャッター」を押してしまったのだ。だから、「錦の綾」の奥に見える「荒々しい岩稜」は、この写真にとっては「おまけ」でしかない。
しかし、今改めて、写真を見直してみると、この「背景の岩稜」がどれほど、前景の「錦の綾」を押し出して、写真全体にメリハリをつけてくれているかということがよく分かるのである。
無機質な岩稜と今季の最後の「生命」を燃やして、紅に、黄色に染まる木々の葉という「有機質」との相反する極相が見事に調和している。これが、自然であり、「自然の美」というものなのだろう。)
◇◇ 紅に、黄色に染まる木々 ◇◇
赤い葉を見せているのは「ナナカマド」と「ミネザクラ」、それに、「クロウスゴ」だ。「ナナカマド」はまだ、少し「赤み」が薄いし、葉が細い。それよりも少し赤みが強くて「葉」が比較的密集しているものが「ミネザクラ」だ。この「ミネザクラ」の紅葉は今がピークである。
それらよりも低木で、イネ科の「ノガリヤス」に紛れて褐色に近い「赤」を見せるものは「クロウスゴ」である。
「クロウスゴ」は、葉がこのような色具合になると、葉腋の実は「真っ黒」に熟していて食べられるのだ。登山道脇にもかなりの「クロウスゴ」の実が見えていたので、片手にカメラ、片手でその「実」を採りながらの登りとなり、疲れは倍加してしまった。 だが、甘酸っぱいジューシーな「実」はそれを相殺してくれるほどに「爽やか」なものだった。
よく目立つのは黄色の葉である。「紅葉(こうよう)」といいながら、このような「黄色の葉」をも「指す」ことに、私は「不快感」を持っている。
さらに、秋の「季語」である「紅葉(もみじ)」をして、春の新葉を「春紅葉(はるもみじ)」と呼ばせる「観光業者」や「似而非文化人」たちには、「不快感」を越えた許し難い感慨を持つのだ。「言葉」には意味とその使い方には決まりがある。「春紅葉」という言葉には、明らかに「春」と「紅葉」という「自己矛盾」があるにもかかわらず、それを何とも思わないということは「言葉」に対する「侮辱」でしかない。
さて、その「黄色い葉」である。私が「不快感」持つのは「黄色い葉」を「紅葉」に含めるということであって、「黄色の葉」そのものではない。秋一番に色づくのは、山麓から中腹部に見られる真っ赤な「ウルシ」だが、標高の高い場所で一番早く「色づく」ものは「黄色の葉」である。
今日の写真に見える「黄色の葉」には2種類がある。2つとも「カエデ科カエデ属」である。
その1つは「ミネカエデ(峰楓)」であり、鮮やかな「レモンイエロー」に輝く。もう1つは「オガラバナ(麻幹花・別名はホザキカエデ:穂咲き楓)」であり、「オレンジ色」になる。写真の右側のものが「ミネカエデ」で、左に見えるものが「オガラバナ」だ。
私が「紅葉」という言葉の使い方に「違和感」や「不快感」を持っていなかったら、…「ミネカエデ」は鮮やかな「レモンイエロー」に「紅葉」し、「オガラバナ」は「オレンジ色」に「紅葉」する…と書いて憚らないだろう。
カエデ科カエデ属には亜高山帯から高山帯にかけて生えるものがいくつかある。「ミネカエデ」はその代表だ。北海道から本州中部にかけて分布し、亜高山帯の林内に生える落葉低木だ。高さは、厳しい生育環境から、人の背丈くらいから2m程度のものが多い。葉は掌状で、5個に中裂し、裂片には二重の鋸歯がある。葉の切れこみは小さい。秋には黄色になる。
「オガラバナ」は、北海道、本州(中部地方以北)、四国に分布して、亜高山帯の林内に生える落葉樹だ。
「ミネカエデ」に似ている。高さは3m前後だ。見分け方は、枝先の穂状花序で、黄色を帯びた白色の花を多数つけることだ。葉も似ていて掌状で、5~7個に浅裂か中裂し、裂片には鋸歯がある。秋には橙黄色になる。
◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その1)◇◇
「<クマ>バスターミナルで暴れ、9人負傷 岐阜・乗鞍」というのが「毎日新聞」の見出しであり、「連休初日 クマ、行楽客襲う 岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」が「朝日新聞」の見出しである。
NHK テレビでも、「クマ、暴れて人を襲う」という表現で放映していた。
マスコミは挙って、被害者を「人」にして、「加害者」を「クマ」と位置づけて、それを既定の「事実」、あるいは、「結果」として報じている。
「人は負傷」だ。だが、「クマ」は「銃による駆除」つまり、「射殺」という「死亡」である。被害者は負傷、加害者は「銃殺」という結果で、この事件は終わった。
この事件・事故について少し考えてみたい。断っておくが、私は「クマ」の身になって考えてみたいのだ。
事故現場は、標高2702mという高山である。いわば、自然のど真ん中であり、人間にとっては、常識的に「非日常の世界」とされる場所である。(明日に続く)
[連続1000回ブログ書き達成まであと、46回・連続1000日達成まではあと、55日]