岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山では会えない山の百合「ヤマユリ」 / ふたたび、「生物多様性」について(1)

2009-09-09 05:10:13 | Weblog
 (今日の写真は、ユリ科ユリ属の多年草「ヤマユリ(山百合)」である。これは3年前の夏に松島を訪れた際に、瑞巌寺近くの「御成門」入り口土塁の上に咲いているものを撮ったものだ。ここだけでなく海岸の岩の上にも沢山咲いていたと記憶している。
 とにかく、岩木山ではお目にかかれない「山」の「百合」なので、すごく新鮮で浮き浮きした「初対面」という印象が残っている。
 これは日本固有種のユリだ。東北地方から関東、近畿地方に分布している。他に、北海道、四国、九州にも「栽培されていたものが逸出し、野生化していると言われている。
 海岸付近にも育っていることがあるが、主に「山地に産する」ために、「ヤマユリ」と呼ばれて今に至っているようである。
 草丈は1~1.8mと、大きい。葉には短い「葉柄」があり、形状は「披針~長卵」形だ。花は漏斗状で横向きに咲いて、「芳香」がある。
 花も大きい。花被片は白色で斑点があり、向軸側には黄色い筋が中央に走り、先端が反り返っている。直径は20~26cmだが、中には30cmを越えるものもあるという。1本の茎に5~6輪の花をつける。
 果実は果で、1果実当たりの種子数は400~600個と非常に多い。鱗茎はつぶれた球形をしていて炭水化物を多く含み、苦みがなく、食用になる。別名の「リョウリユリ(料理百合)」は、これに由来するのだろう。
 
            ◇◇ 岩木山では会えない山の百合「ヤマユリ」◇◇

 日本の野生のユリには…ヒメサユリ(姫小百合)、ヤマユリ(山百合)、サクユリ(作百合)、ササユリ(笹百合)、カノコユリ(鹿ノ子百合)、テッポウユリ(鉄砲百合)、エゾスカシユリ(蝦夷透百合)、スカシユリ(透百合)、ヒメユリ(姫百合)、オニユリ(鬼百合)、コオニユリ(小鬼百合)、クルマユリ(車百合)、タモトユリ(袂百合)、ウケユリ(受百合・請百合)、スゲユリ(菅百合)…などがある。岩木山にはクルマユリとオニユリしか見られないのは淋しい限りだ。
 日本の「ユリ」は15種類ほどだが、その美しさは世界一と感動した西欧人が、幕末の頃からヨ-ロッパに持ち帰り、品種改良をしてたくさんの園芸種を作り出したといわれている。その意味からも、日本は「ユリの王国」だと言っていい。ヨーロッパに紹介されたのは1861年のことだそうだ。
 明治になってからも、関東や中部地方を中心に、ヤマユリの球根が掘られて、日本の特産品としてヨ-ロッパへ渡っていったそうである。その数は数百万から1千万球に及ぶだろうとのことだ。そのために、山野に多く自生していた「ヤマユリ」がすっかり減ってしまったと言う。
 このように世界的に名を馳せた「ユリ」の多くには、「日本のユリの血」が流れているのだ。現在「花屋」で見る多くの「ユリ」も、日本を出て、少しづつ「色や形体」を変えながら、150年という長旅を経て「世界一周」して、故郷日本に帰ってきたという訳なのである。
 日本の「ユリ」の中で、ヨ-ロッパ人が一番驚いたのは強い芳香と30cm近くある大きな花の「ヤマユリ」だ。栽培種『カサブランカ』も「ヤマユリ」から作り出されたと思われる。何しろ、「ヤマユリ」の面影がはっきりと見て取れる。

 「ユリ」は昔から日本人に親しまれてきた花だ。万葉集にも十一首ほど収録されている。「後(ゆり)」つまり、「後に・後で」という言葉との組み合わせが多い。

・路の辺の草深百合の後(ゆり)にとふ妹が命をわれ知らめやも  「柿本人麿」
「いつも、後で後でと言う君よ、君はいつまで生きるつもりですか。私は待てません」

・道の辺の草深百合の花笑みに笑まししからに妻と言ふべしや  「作者不詳」
「草深い中に咲く百合のようにあなたは微笑みかけてくれた、それだけであなたを私の妻と言ってもいいのだろうか」               

 ところで、「ユリ科ユリ属」でないのに、「ユリ」の名がついていたり、「ユリの花の形」をしたりして、「ユリ」と呼ばれたり、英語の名前に「lily」が付いているものもあるのである。
・クロユリ(黒百合)は「バイモ」の仲間。・キツネユリはグロリオサの仲間で猛毒。
・デイ-リリー(day lily )はヤブカンゾウやニッコウキスゲなど、花が一日で終わってしまうワスレグサ科の仲間。・谷間のユリ(lily of the valley)はスズランのこと。・ウォーターリリー(water lily)とはスイレン(睡蓮)のことだ。

 …最後に「野生のユリは自然状態での生育が一番」である。いくら、山取りしても順調には育たないのだ。

                ◇◇ ふたたび、「生物多様性」について ◇◇

 朝日新聞9月1日付電子版「天声人語」には次のようにあった。

 …棚田を保存する運動に加わって、週末の一日、実った稲を刈り取った。日照不足が心配だったが、稲穂は黄金色に輝いて頭を垂れている。
 ざくざく鎌を動かすと、さまざまな生き物が驚いて動き出した。大小のバッタがあわてて跳びはねる。嫌われ者のカメムシは逃げ足が鈍い。ヤゴの抜け殻が残っているのは、トンボに変身したのだろう。イモリもいる。カマキリは「なにを!」とにらみつけてくる。「蟷螂(とうろう)の斧(おの)」とはよく言ったものだ。
 田んぼに水が張られている時期には、「にごっている田はよく実る」と言われるそうだ。小さい魚や虫たちが動き回るから、煙幕を張ったように水がにごる。
 つまり「生物多様性」の恩恵にあずかりながら、稲はすくすく育つというわけだ。地球上の様々な動植物は互いに結びつき、バランスを保ちながら生きている。それを言う生物多様性という言葉だが、「聞いたこともない」という人が6割以上にのぼるそうだ。(中略)堅苦しい漢字で記す、まだまだなじみの薄い造語らしい。
 きょうから9月。長雨がちだったこの夏は、猛暑の年には挨拶(あいさつ)のように口にした「地球温暖化」もあまり聞かれなかったようだ。経済も、利便も、環境も、とは欲張れぬ時代である。
 小さきもののかざす「斧」を思い出しつつ、人間の暮らしを省みる。…

…「『生物多様性』という言葉だが、それは「堅苦しい漢字」で記すものであり、まだまだなじみの薄い造語らしい。」と「天声人語」子は語っているが、いとも簡単に、それは「地球上の様々な動植物は互いに結びつき、バランスを保ちながら生きている」ことだとも語っている。
 それでも、よく分からない。何故かというと、ここでいう「動植物は互いに結びつき」とか「バランスを保ちながら」ということが、私たちの目にはよく見えないし実感出来ないからである。(明日に続く)