岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

草紅葉も始まった(その6)/ またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(1)

2009-09-27 05:10:32 | Weblog
(今日の写真はある年の11月上旬に撮った「草紅葉」であるが、昨日までのものとは、標高と地質や地勢がまったく違う場所のものだ。
 ここは岩木山では唯一の「高層湿原」と、しかも「貧弱な」という「すばらしい」修飾語付きで呼ばれる場所である。
 岩木山の北麓集落に住む人々が「長平の種蒔苗代」と呼んできた場所でもある。
苗代と呼ぶからは「苗代」状のものがなければいけない。夏にはそれがハッキリと見えるのだが、この時季になると周囲の枯れ草色を水面に取り込んでしまい、その陰影がよく見えない。
 写真の左側に池塘があるのだ。それを指して「苗代」と呼んでいる。北麓の集落に住む人も多くがこの「高層湿原」のことを知っているわけではない。だから、春夏秋冬、この場所は、人の影はまずない。何時、行ってもひっそりと湿原全体が、周囲の樹木に囲まれて「池塘」を中心にして、佇んでいる。
 私は、1年に出来るだけ、春、夏、秋の三季には、ここを訪れることにしている。冬はただなだらかで広いだけの場所となり、「植生や動物の多様性」が、視覚的には一時的に「見えなく」なるので、行くことはない。
 しかし、偶に、山頂や西法寺森から降りる時にここを通ることはある。それは、下山の「ルート採り」が正しいかを確認するためである。ここを通過してほぼまっすぐに下ると、今では「鰺ヶ沢スキー場」の最上端に出る。実に「詰まらない」。
 昔は、その後はひたすら「ブナ」の森を下って、ミズナラが出てきた辺りで東にルートを変更して、現在、ゴルフ場になっている「草原」を抜けて「長平」に出たものである。

 これは、上部、つまり、この「湿原」の上端から少し降りた山側から写している。だから、湿原の「全景」ではない。広く感ずるのは「枯れ野」の所為だ。湿原の淵をミズバショウの大きな葉が覆っている夏には、もっと狭く見える。)

◇◇ 草紅葉(くさこうよう)も始まった(その5) ◇◇

 「草紅葉」で美しいものは、何も「ノガリヤス」だけではない。「アシ」の「黃葉」も美しい。
 「長平の種蒔苗代」、その「草紅葉」にも、「紅い色」はない。「紅葉」を「黃葉」と代えて、「草黃葉」とすれば、より事実に近い表現になるとは思うが、「黄色」というのもまた変である。褐色ではあるが、一般的に言うところの「黄色」ではない。
 色は微妙だ。だから、その表現にあっては、日本語が持つ「ファジー」な性質が合っているのかも知れない。恐らく人間の生来的な視覚能力では、「何十万画素」という世界を見ることなぞ出来ないはずだから、それでいいのだろう。
 だが、私は、この「褐色」に輝く世界を、どうしても、「草紅葉」とは呼びたくない。「晩秋の枯れ野、高層湿原」というキャプションの方が、私の感性には、より馴染むのだ。

 この湿原の中を「ずかずか」と歩くことは憚られる。だから、眺めて終わりだ。それ故に「枯れているもの」が「イネ科」の何であるかは、よく分からない。
 分かるのは、写真左手前に見えるイネ科ヨシ属の多年草「アシ(葦)」だけだ。それが、林縁の池畔沿いにずっと生えていることが分かるだろう。
 これを見ると「アシ」の学名に、ギリシャ語の「垣根(phragma)」が使われているということが納得がいく。「ぐるりと取り囲んで『垣根状』に生える」ことによるらしい。
 花の咲く時季は遅い。9月から10月頃にかけて花穂を出すものだから、11月の上旬でも、枯れた「花穂」が残っているのだ。
 茎の中が空洞になっているので、通気性と保温性に優れているから、「葦茅」として「茅葺き屋根」の材料として使われてきたものである。
 名前の由来であるが、水の浅いところに生えることから、「浅(アサ)」の転訛であろうとされている。
 漢字では「蘆」や「葭」と書く場合もある。別名を「ヨシ」という。これは、こじつけとも縁起担ぎとも考えられるが、「アシ」が「悪(あ)し」に通ずるため、忌んで(忌み言葉)として、「善(よ)し」と呼び代えたものだ。
 関東では「アシ」、関西では「ヨシ」と呼ぶそうだが、津軽ではどちらだろう。私は「アシ」と呼んできた。
 この「アシ」に似ているものに「ススキ」や「オギ」がある。

 花穂が揺れる初秋にここに来て「人間は考える葦である」と言った「パスカル」の心情を味わうこともいいだろう。
 或るいは、高校の古典の教科書に出ている「和歌の浦に潮みち来れば潟をなみ葦べをさして鶴(たづ)鳴きわたる」という「山部赤人」の歌や「志貴皇子(しきのみこ)」の歌に思いを馳せるのもいいだろう。

◇◇ またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦 ◇◇(1)

2009年9月23日付朝日新聞青森版に…『深浦の農道でクマと車衝突 猟友会員が射殺』という見出しで次のような記事が載っていた。

 『21日午後8時45分ごろ、深浦町轟木の農道で、町内の男性(24)運転の乗用車が走行中、道路わきから出てきたクマとぶつかった。車はフロントガラスが割れるなどし、走行不能になった。
男性は携帯電話で家族らに通報、連絡を受けた町内に住む県猟友会支部員の男性(60)が、路上にいたクマを散弾銃で射殺した。車の男性にけがはなかった。
 鯵ケ沢署によると、クマはオスで体長約140センチ。猟友会の男性は、道路に倒れていたクマが起きあがろうとしたため射殺したと話しているという。この男性は、散弾銃の所持許可を持っているが、鳥獣保護法では、日没後の夜間に銃でクマなどを撃つことは禁じられている。同署は、同法違反の疑いもあるとみて事情を聴いている。』

 …何という惨い仕打ち、自動車で轢き、跳ね飛ばして、瀕死の重傷を負わせて、まだ生きているからといって、最後は射殺したのである。
 明日はこの事件について、「クマ」を人と同じ命を持つ生命体という視点で書きたいと思う。それは、生命の尊厳ということでもある。(明日に続く)

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