岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

草紅葉(くさこうよう)も始まった / クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その2)

2009-09-22 05:08:06 | Weblog
 (さて、今日の写真は、どこからどこを撮ったものだろう。もちろん、昨日の写真と同じ登山道沿いである。
 赤倉登山道はこの写真の左、この崖頭の真下を通っている。この「崖頭」は岩木山中央火口丘「山頂」を「噴き上げて」造り出した「噴火口」の外輪の一部だ。対岸には「耳成岩」という外輪岩稜があるが、此岸はこの「崖頭」だけで、あとは北側に位置する山頂本体そのものが「外輪の一部」を形成している。
 だから、そこからは山頂へほぼ、直登になるのだ。だが、この高さで、私は少し左折をして下を覗いたのだ。
 ここから「崖頭」に向かって行くことは出来るが、それをすると草や低木を踏みしだくことになるので入って行ったことは一度もない。「崖頭」の北側と東側には「イワウメ」や「イワヒゲ」が5月の中旬から6月にかけて咲き出すのだ。
 「崖頭」に生えている低木は、その多くが「ミヤマハンノキ」であり、中に混じる白い枝のものは「ダケカンバ」で、まだ「濃い緑」のままだ。
 「ハイマツ」も生えているのだが、「崖頭」の先端部分にあるものだから、このアングルからは見えない。他の緑は「イヌツゲ」であり、これらは低木の常緑樹なので、手前に生えている「紅い葉」や「黄色の葉」の背景としてはうってつけである。だから、ますます、その色彩は映えるのである。
 そのよく映える「黄色」は「ミネカエデ」、紅いものはツツジ科スノキ属の「クロウスゴ(黒臼子)」や「マルバウスゴ(丸葉臼子)」だ。)

                ◇◇ 草紅葉(くさこうよう)も始まった(その1) ◇◇
 
 写真の下辺を見て欲しい。イネ科の草が繁茂しいるだろう。手前、つまり私の足許に見えているのはイネ科コメススキ属の「コメススキ(米薄)」である。
 岩木山には「イネ科」の草本は結構多いのだが、「花」が微小で目立たないので「花」扱いされることが滅多にない。
 主なものを挙げてみよう。先ずはチシマザサだ。次いで「アイヌソモソモ」、「ミヤマウシノケグサ」、「ミヤマドジョウツナギ」、「コメススキ」、「ミヤマコウボウ」、「タカネコウボウ」、「ミヤマヌカボ」、「ムツノガリヤス」、「タカネノガリヤス」、「ヒナノガリヤス」などである。
 この写真に見えるのはイネ科ササ属の「チシマザサ(千島笹)」とコメススキ属の「コメススキ」、それにノガリヤス属の「ムツノガリヤス(陸奥野刈安)」である。他にもあるであろうが、側に寄らなくても、分かるものはこれらだけである。「ムツノガリヤス」は、写真左の「斜面」に見えている。

 それでは、足許に見える「コメススキ」について少し解説しよう。「コメススキ」は、北海道から九州の高山の砂礫地などに生える多年草で、糸状の葉と細い茎を多数立てるのが特徴だ。草丈は20㎝程度で、葉は糸状、細く茎は茶褐色を帯びている。花期の7月から8月にかけて、茎の先に長さ5mmほどの白い小穂をまばらにつける。
 だが、この辺りではいわゆる花の時季には、他の様々な鮮やかな花に目が奪われて、「イネ科」や「カヤツリグサ科」の「クロスゲ」などの花には目がいかないのだ。しかし、9月に入ると、これら「イネ科」や「カヤツリグサ科」の植物が、俄然とその存在を露わにしてくる。
 名前の由来は「株立ちになる様子や直立する花穂を米に見立て、さらに、ススキを連想した」ことによるのだろう。
 風に細かく揺れる白く枯れた「穂」、それはまさに「細々とした白いひげを風に委ねて、静かに微笑んでいる」優しい翁の風情であった。
 それは、そこまで登ることが出来た私を、群れになって歓迎してくれているかのようだった。私の「登れた嬉しさ」は限りなく広がった。   

    ・山巓下(さんてんか)翁微笑むコメススキ (三浦 奨)…山頂直下にて   
                           (「ノガリヤス」については明日書くことにする)

             ◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その2)◇◇
(承前)

 これらの「マスメディア」が言うことに共通していることは「クマが暴れて人を襲った」ということである。
 ここに私は、人の「クマを野獣とみなし、野獣は人にとって危険で常に人を襲う可能性がある」とする「既定概念」を見ている。
 確かに、「クマ」は野獣である。これはいいだろう。しかし、「野獣は危険、人を襲う」という考えは間違いである。

 岩木山ではクマの生息数は少ない。だから、頻繁に出会うことはないが、時々出会うことがある。だが、私はこれまでただの一度も「クマによる危険な事態」に遭ったこともないし「襲われた」こともない。
 むしろ、出会った時には、「クマ」はいち早く、逃げ出して「クマ」の方から「姿」を消してくれた。これが、「クマ」が人と遭遇した時に見せる「普通」の行動である。
 だが、時には「姿を消さない」場合もある。こんなこともあった。
 残雪期である。沢筋を詰めて、蛇行する淵を出たら、そのブナの生えている尾根の下端に「クマ」がいた。私との距離は30mほどだ。
 そこまで来る途中で「フキノトウ」の新芽がきれいにかじり取られていたので、「クマ」が近くにいることは想像していた。
 私は笛を3回吹いた。笛は運動会などで使われている一般的なものだ。私は「クマよけ」としての鈴や鉦(かね)は持たない。
 連続的に音を発する必要はないし、連続音は自然の中ではより騒音に近い。だからである。予想通りに、そこにクマのいたことが嬉しかった。
 そこで、クマが進む方向に併行して、私も歩いた。クマは時々歩みを止めては、私を「振り向く」ようにして見ては、また歩き出す。クマが立ち止まっている時には、私も動きを停止した。
 そのような時間が数分続いた。やがてクマは尾根を登り始めた。私は沢をそのまま上流に進む。いつの間にかクマは私の視界から消えていた。
 …時々立ち止まり、振り向くように、あの細い目でじっと私を見てくれた「クマ」のことは、いつまでも忘れられない。本当に可愛いものだった。
 そこには、「襲われるという不安」も、「襲われるという観念」などは微塵もなかった。

 ところで、「標高2702m、山岳有料道路・乗鞍スカイライン終点の『ひだ丹生川乗鞍バスターミナル』で、何故、人と「クマ」は出会わねばならなかったのだろうか。(明日に続く)