岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

ブログ訪問者からのメール、鰺ヶ沢スキー場

2008-06-29 07:20:59 | Weblog
(今日の写真は私のブログを訪問してくれたある方から届いた2007年10月14日の「雪のない時のスキー場は樹木の墓場」に関するメールに答えるための「同じ現場、つまり、鰺ヶ沢スキー場拡張ゲレンデ」の写真だ。)
 大体スキー場の写真というのは「雪のある時期」だけのものだ。鰺ヶ沢スキー場の宣伝写真もご多分に漏れず「積雪期」のものだ。しかも、「日本海を眺めながら滑走するのは最高にいい気分」などというキャッチフレーズまでついている。
 だが、ゲレンデの「積雪」の下には今日の写真や「2007年10月14日の鰺ヶ沢スキー場拡張部分ゲレンデ。積雪によって地肌が隠されたゲレンデには、伐採されたブナが倒木のまま残されている」のブログで紹介した「現実と事実」が存在している。今日の写真は2001年11月24日に写したものだ。今日の写真の「実景」は3年後にはさらに人工的な変貌を遂げる。このことについては明日のブログで紹介する。

 先ずは届いたメールを掲載する。

『岩木山を考える会のブログで発見したこの写真ですが、ここは、先日の登山でわたしが登って行ったゲレンデではないでしょうか?
 ほとんど、「死体」というイメージそのままに倒れ伏しているこの木々の惨状はどういう言葉で表現すればよいのでしょうか?これはひどい。本当にひどい。
 山を切り開いて「滑走路」を作るのですから、こういう状態になるのだということはわかっているのですが、頭でわかっているというのをこのインパクトは凌駕しております。非常なショックを受けております。』

 …私はこのメールに答えて次のように書いた。

 『この写真は鰺ヶ沢スキー場拡張ゲレンデのものです。長平登山道尾根にあるゲレンデではありません。しかし、あそこも「敷設・開設」された当時は、この写真と同じ景観でした。現在は下草や低木が生えて、突き出していた岩も破砕されて「写真」のような面影はなくなっています。この前に登ったゲレンデも伐採後はこの写真と同じような「景観」でした。この現場は2000年に伐採して、その年に「片付け」もしないままで開設した場所です。これは2001年に写したものです。
 世の中、実にうまくできているんですね。冬場、スキーヤーにはこの「光景」は見えません。見えるならば、または見たならば、心ある人、少なくともあなたのように「感ずること」の出来る人なら、「滑る」気持ちにはならないはずです。
 受験の前に一度「雪のない鰺ヶ沢スキー場」を見学すると絶対入学試験には「滑らない」と思いますよ。(冗談です)。とにかく、見えないから、のんきに滑っていられるのだと思います。
 本会が毎年実施している写真展「私の岩木山」で、「特別展示」として、これら一連の写真を展示したことがあります。それを見たあるスキーヤーは「自分がこのような無惨な樹木の殺戮現場で滑っていたことを知って、ものすごくショックを受けた。もうスキーは止める」と言っておりました。
 「見えること」「見えていること」と「見ること」「自分の目で視認」することは違います。後者には意志があり、感動があり、意見が生じ、判断が存在します。見えないといくらでも「ごまかし」が出来ますし、「見えること」「見えていること」だけに安住していても、それは「ごまかし」をさせる機会を与えることになります。』(お断り:実際のメール文はもっと短いものである。主旨にそって長めに書き直してある。私のメールを受け取った方、どうか了承して下さい。)

 私は常々、岩木山の原風景と日本人の自然観を大事にしたいと考えている。
人々が「どこにも明かりのない山。吹雪に輪郭をぼかし月の夜は山容全体をキラキラと輝かす。これが私と一緒に育ってきた岩木山だ。」と語る原風景としての岩木山を大切にしたい。
 さらに、山や木すべてに神が宿っていて、殺傷・破壊した時に「タタラレル」という日本人の自然観を大切に育てたいとも考えている。
 「やま」という日本語には、神聖な所、仰ぐべき場所などという意味があり、「岩木山に向かって拝む人」の原風景にも同じ意味があるはずだ。 
 私は数十年間、年に数十日ほど岩木山に登り、景観の実体を至近で見てきた。長平登山道尾根にある大館鳳鳴高校山岳部員の慰霊碑は、樹齢数百年のぶな原生林に抱かれ、苔をまとい、暖かみと潤いにあふれていた。
 だが、現在はブナの森が伐り裂かれ、岩が破砕された鰺ケ沢スキー場ゲレンデの傍らで、干からびている。
 吹雪で逝った高校生を慰めるには「暖かさと潤い」が必要だ。その上、そばの登山道までが紛失状態である。
 ゲレンデの縁には掘り起こされ破砕された岩、伐り倒されたブナの残滓も転がっている。
 雪に覆われていては実相は見えない。見えないと「心ある人」の目も開かない。スキーヤーは雪のない時に実相を見てほしい。
 弘前公園の本丸からは、「百沢スキー場」の赤土色の変色が際立って見える。
しかし、本来ブナ林床に咲く花、「シラネアオイ」が伐り開かれた裸地のゲレンデに群生しているのは見えない。木々の皆伐は見えても、皆伐による異常な実相は見えないのだ。遠くの景観だけを大事にすることには、横着さが潜んでいる。