(今日の写真は岳温泉から百沢に向かうちょうど中間地点あたりから見た岩木山だ。ここまで来ると、弘前から見える三峰「左から鳥海山、岩木山、巌鬼山」がかろうじて見えるようになる。
真っ正面に見える大きな沢が滝ノ沢だ。その右に見える大きな雪渓のあるところが大沢である。この沢は下流で蔵助沢と呼び名が変わる。岩木山で一番大きくて「長い」雪渓となり、消え方の遅い時には9月の上旬まであったりする。その最も厚いところでは15mを越える。
この雪渓が残っている時期は、そこは登山者にとって「難場」となる。滑落を防ぐために、先ずはアイゼンの装着だ。何も本格的な出っ歯を持つ12本爪でなくてもいい。4本爪の軽アイゼンで十分だ。次はピッケル、自己を支えるため、滑落停止のために必要だ。ただし、アイゼンもピッケルも使えない人にとっては、ただ、邪魔なものになるだろうから、「持っているだけ」で使えない人はこの雪渓を登ったり、降りてはいけない。
曇っていたり、濃霧に巻かれたりすると、登るべき方向を見失う人が毎年何人も出る。「白馬岳」などの雪渓では雪渓の表面に赤い染料で「ルート(通路)」をなぞっているようだが、登るべき方向を見失い「下山した人」から、「是非、白馬岳のようにしてほしい」という声もきかれるが、そこまで他力本願な登山をして何が楽しいのだろう。
雪渓の上で、周囲が濃霧のために視界が極端に悪くなった時こそ、地図と磁石の出番だ。最近の登山者「いや、登山客」はこれを持っていない。持っていても使えない。長い雪渓だが幅はそれほどない。地図上の登山道が示す方向を磁石で確認して、その方位に従って進めばいい。ただし、地図と磁針が示す方位には7~8°の偏りがあるのでそこは注意しなければいけない。
そのようなことをしないで、誰が登ったのかも知らないまま、「人の踏み跡」を辿っている人がものすごく多い。これも自助努力が基本の登山からはほど遠い行動だ。その踏み跡の先が断崖絶壁であっても行ってしまう。この時季に「このような事故」や「迷子」が多いのだ。
もう少し言っておきたいことがある。一つは、晴れていようが濃霧だろうが雪渓には深い穴があるということだ。その穴は表面的には「閉じられている」ように見える。しかし、その下はすり鉢を逆さまにしたような形状をしていて、閉じられているように見える部分は薄い。その上に載ると簡単に落ちる。獣を捕るための罠のようなものだ。
しかも落ちたら、逆さすり鉢なのだから這い出すことは難しい。流れている水は「雪解け水」、水温は零度に近い。全身を濡らしてでもしたら、体温低下で死を待つしかない。
もう一つは、雪渓の登り降りには「キックステップ」という技術が必要だ。これは、登りにあっては「靴の先」を硬い雪面に蹴りこみ「ステップ(階段)」を造り、降りるにあたっては「靴の踵」を使って雪面に段を造るという技術である。これは大変疲れる作業である。なまじの体力では出来ないことである。つまり、言いたいことは「体力」に自信のない人は「登り降り」をしてはいけないということである。
途中でどうすることも出来なくなり、「携帯電話」で「どうすればいいだろう」と救助要請をされたのでは、やっていられない。
…1999年4月に、この大沢上部で大きな全層雪崩が発生して、この大沢を雪と土石が駆け下った。その年の6月、この「岩木山一周歩こう会」に参加した者は、「大沢上部の大雪崩の跡が累々とその姿を現し始め、大沢の雪渓の上には岩がごろごろしていた」情景を見ている。
その時、私は「今年の夏は百沢登山道を絶対通行禁止にしたほうがいい」と思ったものだ。そして私の不吉な予想は的中してしまった。
その夏、危険極まりないこの道を登った一人が危険からのストレスも加わって死亡したのである。
関係当局は通行禁止を打ち出した。しかし、その実、多くの登山者がそこを登っていた。登る者も指導を無視しているわけだから悪い。だが、「通行禁止にしただけ」で指導の徹底を欠いた結果であろうとするのは言い過ぎではない。
寄生火山、森山が次第に近づいてきた。荒川の倉や滝ノ沢が眺められる。ここからの山容には少なくとも人工的な「傷」はない。だから眺めてほっとする。だが、大沢の下に広がる百沢スキー場も年を追って、上に横へと広がっている。
間もなく今日の終着、百沢だ。到着だ。四十二キロの長丁場、歩こう会の終着点百沢・岩木山神社大鳥居の前だ。
岳と百沢の間で見える岩木山の山容は既に多くの人が見ているであろう。そういうことを考えて、その間の写真はかなり割愛させてもらった。
「360度、姿を変える岩木山」は今月の5日に始まった。6月1日に行われた「岩木山一周歩こう会」に参加した仙台在住のフリーライターKさんは、そのこととその感想を書くつもりでいたというのだ。
ところが、あいにくその日は雨や曇りで、周回する360度からの「岩木山」の姿は見ることが出来なかったという。
また、見える範囲での山麓風景などについても「解説」を期待して参加したらしいのだが、その「解説」も、「らしきもの」を含めても何もなかったので、ますます「書くこと」がなくて困っていると、私を訪ねてきて語った。このシリーズはその「フリーライターKさん」が求める答えの一助になればと思って書き連ねたものである。今日で終わりになるが、Kさん、いかがでしたか。)
真っ正面に見える大きな沢が滝ノ沢だ。その右に見える大きな雪渓のあるところが大沢である。この沢は下流で蔵助沢と呼び名が変わる。岩木山で一番大きくて「長い」雪渓となり、消え方の遅い時には9月の上旬まであったりする。その最も厚いところでは15mを越える。
この雪渓が残っている時期は、そこは登山者にとって「難場」となる。滑落を防ぐために、先ずはアイゼンの装着だ。何も本格的な出っ歯を持つ12本爪でなくてもいい。4本爪の軽アイゼンで十分だ。次はピッケル、自己を支えるため、滑落停止のために必要だ。ただし、アイゼンもピッケルも使えない人にとっては、ただ、邪魔なものになるだろうから、「持っているだけ」で使えない人はこの雪渓を登ったり、降りてはいけない。
曇っていたり、濃霧に巻かれたりすると、登るべき方向を見失う人が毎年何人も出る。「白馬岳」などの雪渓では雪渓の表面に赤い染料で「ルート(通路)」をなぞっているようだが、登るべき方向を見失い「下山した人」から、「是非、白馬岳のようにしてほしい」という声もきかれるが、そこまで他力本願な登山をして何が楽しいのだろう。
雪渓の上で、周囲が濃霧のために視界が極端に悪くなった時こそ、地図と磁石の出番だ。最近の登山者「いや、登山客」はこれを持っていない。持っていても使えない。長い雪渓だが幅はそれほどない。地図上の登山道が示す方向を磁石で確認して、その方位に従って進めばいい。ただし、地図と磁針が示す方位には7~8°の偏りがあるのでそこは注意しなければいけない。
そのようなことをしないで、誰が登ったのかも知らないまま、「人の踏み跡」を辿っている人がものすごく多い。これも自助努力が基本の登山からはほど遠い行動だ。その踏み跡の先が断崖絶壁であっても行ってしまう。この時季に「このような事故」や「迷子」が多いのだ。
もう少し言っておきたいことがある。一つは、晴れていようが濃霧だろうが雪渓には深い穴があるということだ。その穴は表面的には「閉じられている」ように見える。しかし、その下はすり鉢を逆さまにしたような形状をしていて、閉じられているように見える部分は薄い。その上に載ると簡単に落ちる。獣を捕るための罠のようなものだ。
しかも落ちたら、逆さすり鉢なのだから這い出すことは難しい。流れている水は「雪解け水」、水温は零度に近い。全身を濡らしてでもしたら、体温低下で死を待つしかない。
もう一つは、雪渓の登り降りには「キックステップ」という技術が必要だ。これは、登りにあっては「靴の先」を硬い雪面に蹴りこみ「ステップ(階段)」を造り、降りるにあたっては「靴の踵」を使って雪面に段を造るという技術である。これは大変疲れる作業である。なまじの体力では出来ないことである。つまり、言いたいことは「体力」に自信のない人は「登り降り」をしてはいけないということである。
途中でどうすることも出来なくなり、「携帯電話」で「どうすればいいだろう」と救助要請をされたのでは、やっていられない。
…1999年4月に、この大沢上部で大きな全層雪崩が発生して、この大沢を雪と土石が駆け下った。その年の6月、この「岩木山一周歩こう会」に参加した者は、「大沢上部の大雪崩の跡が累々とその姿を現し始め、大沢の雪渓の上には岩がごろごろしていた」情景を見ている。
その時、私は「今年の夏は百沢登山道を絶対通行禁止にしたほうがいい」と思ったものだ。そして私の不吉な予想は的中してしまった。
その夏、危険極まりないこの道を登った一人が危険からのストレスも加わって死亡したのである。
関係当局は通行禁止を打ち出した。しかし、その実、多くの登山者がそこを登っていた。登る者も指導を無視しているわけだから悪い。だが、「通行禁止にしただけ」で指導の徹底を欠いた結果であろうとするのは言い過ぎではない。
寄生火山、森山が次第に近づいてきた。荒川の倉や滝ノ沢が眺められる。ここからの山容には少なくとも人工的な「傷」はない。だから眺めてほっとする。だが、大沢の下に広がる百沢スキー場も年を追って、上に横へと広がっている。
間もなく今日の終着、百沢だ。到着だ。四十二キロの長丁場、歩こう会の終着点百沢・岩木山神社大鳥居の前だ。
岳と百沢の間で見える岩木山の山容は既に多くの人が見ているであろう。そういうことを考えて、その間の写真はかなり割愛させてもらった。
「360度、姿を変える岩木山」は今月の5日に始まった。6月1日に行われた「岩木山一周歩こう会」に参加した仙台在住のフリーライターKさんは、そのこととその感想を書くつもりでいたというのだ。
ところが、あいにくその日は雨や曇りで、周回する360度からの「岩木山」の姿は見ることが出来なかったという。
また、見える範囲での山麓風景などについても「解説」を期待して参加したらしいのだが、その「解説」も、「らしきもの」を含めても何もなかったので、ますます「書くこと」がなくて困っていると、私を訪ねてきて語った。このシリーズはその「フリーライターKさん」が求める答えの一助になればと思って書き連ねたものである。今日で終わりになるが、Kさん、いかがでしたか。)