岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

光彩に氷化し黒く輝く大雪面 / 原子力発電所と地球温暖化(その2)

2008-03-14 06:59:42 | Weblog
(今日の写真は岩木山白狐沢右岸の頂部に広がる雪原である。ある程度のなだらかさに見えるが本当はかなり急峻な地形となっている。滑落したら「停止」は難しい。白狐沢の底部まで落ちて行って「擦過傷」で大怪我か「死」に至るだろう。
 そんなことを心のどこかで考えながら「光彩に氷化し黒く輝く大雪面」というキャプションがいいだろうと思い撮影したものである。
 それにしても、カメラのレンズがとらえる「色彩の微妙さ」とは本当に不思議なものである。 
 3月、明るさに鋭さを増してきた陽光、それに位置高度を上げて輝く太陽、などに映える大雪面は見る角度によって、暗紫色から黒へと変貌する。
 雪面は白いものだというのは神話なのだろう。雪面は光沢のある「黒色」に彩られている。
 日中、陽光に融け、昨晩の厳寒に凍結するという繰り返しの中で変貌をとげていくのかも知れない。
 この微細な氷の彫刻をだれも壊すことは出来ない。一歩一歩慎重に、そっと登ろう。晴れているからといってはしゃいではいけない。ここは初春の里ではない。3月上旬 岩木山白狐沢右岸稜線)

           ■■ 原子力発電所と地球温暖化(その2) ■■

   ※「原子力発電所」や「核再処理施設」を考えるときには、どうしても「地球温暖化」をもう一方のテーゼに掲げる必要がある※

 毎日新聞や朝日新聞のアンケート調査から「地球温暖化を危惧して、何らかの形で、それを阻止する行動に参加したい」と考えている人が70%以上もいることが分かっている。
当然、政府もこの事実を知っているだろう。「国民の70%以上」があることに対して「何らかの形で努力したい・協力したい」と考えていることを知っていながら、その実現のために「何もしない」ということは「罪」である。
 その「70%以上」の人々が「CO2などいくら努力しても、減少できない」と考えて諦めてしまわないようにすることが急務であるにもかかわらず、「それに応(こた)え」ず、蓄積・貯蔵され自然界に排出される放射能の危険度には触れないで「原子力はCO2を排出せずクリーンなエネルギー」などと言っているのはまやかしでしかない。
 CO2は人間個人の努力で排出を抑制出来て、抑制がなされ大気中のCO2が一旦、減少傾向になると「自然がもとの地球大気」に戻るのである。
 だが、「原子力に関わる放射能」は「地球の自然力」によって減少するということはない。人間は「地球世界」が続くかぎり、永遠に「放射能」を閉じこめるための「容器」と「ふた」を作り続け、管理し続けなければいけない。
 まさに、これはカミユの「シジフォスの神話」に出てくる「シジフォス」の役割を現世と未来の人間に課することでもある。
 この「シジフォス的な役割」が課せられることは、既に始まっている。「原発建設の大合唱」が世界的に起こっているのだ。

 現在、六ケ所村の核燃再処理施設から、太平洋の沖合3km、水深44mで、放射能を大量に含んだ排水が放出され、それが海流に乗って、三陸海岸に押し寄せているそうだ。
 押し寄せている海の海草からは「通常の10倍のプルトニウム」が検出され、その地域の「乳児の死亡率」が高くなっているそうである。
 だが一方で、国際的な核の監視組織の「IAEA」でさえ、1986年の旧ソ連でのチェルノブイリ原発事故による「人体への影響は小児甲状腺ガン」だけだと、他の多くのガンの発生との因果関係を拒否している。

 「原子力・放射能排出」によって汚染された果物、野菜、穀物、魚介類などは、中国の「残留農薬」程度の被害では済まない。「放射能汚染」は農業、水産業に対して壊滅的な打撃を与えることは明らかである。
 加えて、「地球温暖化」が併行して進んでいくと「世界の農業」は根本から変質せざるを得なくなる。
 青森県の特産「リンゴ」は本来、寒冷地の果樹だ。弘前市は「リンゴ色の町」とか「リンゴを食べる日」とか「リンゴPRソング設定」とかと「リンゴ」を市政のスローガンに掲げてはいる。
 しかし、「地球温暖化」を市民をあげて防いでいこうとする取り組みは皆無に等しい。「地球温暖化」が進むと「弘前市」ではリンゴの栽培が出来なくなる。ある説によるとリンゴの栽培の最適地は北海道の「余市」辺りになるだろうとさえ言われているのだ。
 そうなれば、弘前市や青森県のリンゴ農家は「生産手段」と「収入」を絶たれてしまうことになる。
 「地球温暖化」の原因、「CO2の排出」は人々の「抑制」によって「止める」ことは出来る。しかし、「原子力発電所」や「核燃料再処理施設」から排出される「放射性汚染」物質は「人間の抑制的な行為」によって止められるものではない。

 今、私たちに求められていることは、「CO2の排出」を「抑制」し、一方で「原子力発電」や「核燃料再処理」を止めることである。
 そのためには、「地球温暖化」の防止に関わりたいと考えている70%の人たち、農業に携わる人たち、漁業に携わる人たち、消費者などとにかく「広範な人々」が一緒になって活動していくことが一番大事なのである。

 ところが、こともあろうに、3月11日県議会は「高レベル廃棄物処分地化の拒否条例案」を否決したのである。
 県の条例制定は、「青森県民すべてのこと」に関わるものとしての発効を前提としている。だが、知事は「国の確約は重い。だから処分場受け入れ拒否の宣言条例案は不要だ」としたのである。
 「広範な人々」という視点を無視して、個人的な範囲での決定を望んだのである。(明日に続く)