岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

赤倉稜線、凍てつく岩稜・石仏二影 /「岩木山てどんな山…なぜ、どうして40問」(その11)

2008-03-07 06:58:20 | Weblog
(今日の写真は赤倉稜線で凍てつく岩稜・石仏二影だ。ここまで登ってきたら霧も晴れた。体感温度は氷点下18℃、風はいつも風の通り道になる風衝地としては弱い。風速15mくらいだろう。
 海老のしっぽを散りばめて漆黒の屏風を背に立つ石仏二体。三十二番と三十三番石仏が並ぶ。ともに観音様だ。観音様は日本では恐らく一番信仰を集めている仏であろう。この仏様は慈悲の心により、救いを求めている人があったらすぐにそこへ行って彼らを救済をすると言われている有り難い仏様でもある。
 三十二番も三十三番石仏も六観音の一つである。六観音は、聖(しょう)観音をはじめ、十一面観音・如意輪(にょいりん)観音・馬頭(ばとう)観音・准胝(じゅんてい)観音・千手観音の六つである。三十三番石仏は聖観音かも知れない。これに登山道ブナ林内に座する不空羂索(ふくうけんじゃく)観音をくわえて七観音とする場合もあるそうだ。
 立像であるが三十二番石仏は如意輪観音であろう。後背する『円』は如意宝珠法輪を意味する。これを略して如意輪。如意宝珠(にょいほうじゅ)と法輪(ほうりん)の力によって、人々を苦悩から救い、その願いをかなえて、利益を与えてくれると言う。六本の手で右手は頬に当て、右膝を立て、両足裏を合わせる輪王座という姿勢をとっているのが普通だ。
 台座には奉納者の「繁田むすび會」が彫られている。岩木山は阿弥陀仏の世界だ。
 …私は、手を合わせ、黙礼してから山頂を目ざした。3月 赤倉道風衝地)

 ■■ 「岩木山てどんな山…なぜ、どうして40問」(その11)■■

 居間には父と6歳と4歳の姉妹がいた。小さな借家である。居間と寝室しかない本当に小さな家だった。
 父は居間の中央に置いてある卓袱台(ちゃぶだい)に向かって何かを書いていた。姉妹2人は北側にある窓越しに小さい背中と頭を父の方に向けて、反腰に並んで外を見ていた。
 しばらく、2人とも無言だったのだが、姉が言った。「おとうさん、お家が空に昇っていくよ。」妹が言った。「お父さん、お家がゆらゆらとお空に浮かんでいくよ。」
 2月の午前中のことだ。その日はいつになく静かな日だった。風もなく大きめな雪のひとひらひとひらが、天上からゆっくりゆっくりと舞い降りていた。
 また姉が言った。「お家が空の上に昇っていくの、どうして?」妹も言う。「お家と一緒に私も昇っていくのに、どうしてお父さんはそこにいるの?」
 静かに雪は降り続いている。しかし、それから狭い居間は騒然となった。
「お父さん、どうして?」「どうしてお家が空の上に昇るの?教えて。」と小さな声の質問が機銃のように、執拗に続いたのだ。
 この姉妹にとって初めての体験だった「ほぼ垂直に空から舞い落ちてくる雪」を見上げていると「自分を含めた世界全体」が、「舞い落ちてくる雪」とは反方向に移動していくということが、驚きであり不思議でしょうがなかったのだ。
 「これはね、動くものを見ていると見ている人やものが反対の方に動いているように見えることなんだよ。」と父が言った。
 だが、姉妹は「うん、わかった。」とは言わなかったのだ。視覚における「錯覚」と「作用、反作用」という論理は6歳と4歳の姉妹には難し過ぎたのだ。

 父は言った。「そうだ、お昼ご飯を食べてからバスに乗ろう。そして、バスの窓からおもてを見てみよう。走るバス、道沿いのお家がどのように見えるかな。」

 子どもの「質問や疑問」は大切にし、真摯に答えてやろう。決して、「家が空に昇っていくことなんてないだろう」などと言ってはいけない。
 それは、子どもを突き放し、子どもの「真実に向かおうとする」素直で純朴な芽を摘み取ってしまうものだからである。

さあ、今日は山名由来・信仰・気候についての解答をしよう。長くなるので4 番までとした。

1、岩木山という名前の由来は何ですか。

「イワキサン」の謂われには諸説があります。
その山容から「天然または人工の石の城」という意味を持つ岩城山:イワキサン(岩の城のような山)。
 岩の多い所を「イワーケ」、神のすむ所を「カムイ」というアイヌ語の「カムイ・イワキ」という語。

2、どのような理由でいつごろからイワキサンと呼ばれていたのですか。

「岩城」という文字に、「巖鬼」「巖木」「岩鬼」「岩木」をあてて、江戸時代頃から使われていたようです。「岩木山神社」は「イワキヤマジンジャ」と呼びますからイワキサンでなくイワキヤマと呼ぶのが正しいのでしょう。
 また、津軽地方は蝦夷(えぞ)地だったことから、岩の多い所を「イワーケ」、神のすむ所を「カムイ」というアイヌ語から「カムイ・イワキ」と呼ばれてもいたらしく、それが「イワキ」になったとするアイヌ語説を採る学者もおりますが、どれもはっきりしません。
 なお、津軽の人たちは岩木山を、先祖の霊が暮らし(居て)、春になると田の神や水神として里に降り、収穫が終わるとまた帰る(往来する)という「お居往来山=おいゆきやま」と呼びならわしてきました。その呼び方が訛って、つまり「おいゆきやま」が「おいわきやま」となったとも考えることが出来るでしょう。

3、しめ縄のついた岩があったが、たくさん岩があるのに、どうしてその岩にだけしめ縄をつけているのですか。

昔から日本人は「自然物」を神の象徴、または神そのものととらえてきました。
 しめ縄のついた岩ですが、人の力では絶対に運ぶこと・動かすことが出来ないような大きな岩が「人」が多く集まったり、近づくことの出来る場所にあるとそれを「神の仕業=神がそこまで運んできた」と考えるのです。そして、そのもの自体にも「神」が宿っていると考え、「岩」そのものを神格化(この場合は゛山の神゛です)します。
さて、注連縄(むずかしいですが漢字でシメナワをこう書きます)ですが、これは「山の神」の守護や召使いといわれる「蛇」を象徴したものです。吉野裕子著「蛇・日本の蛇信仰」によりますと注連縄は二匹の蛇が絡み合った形だそうです。
 注連縄をはって大岩の山の神を守護しているのだと考えましょう。

4、岩のまわりに塩をまいてあったのですが、どうしてですか。

 これも前問と深い関係があります。機械や化学、調味料や栄養、人体、食べ物などと関係のないところで「塩」はどのように使われているかに注目してみましょう。
お相撲では取り組む前に塩をまきます。お葬式から帰ってくると軽く塩をまいたり、口に含んだりします。このような使い方と基本的には同じです。
 山の神を前にして人間の「不浄(穢れや汚れ)」を清めるためです。(明日に続く)