(きのう、弥生尾根を登り、一応「山頂」近くまで行ってきた。今日の写真は岩木山山頂直下の、耳成岩を含んだ外輪山である。昨日、晴れていればこのような「容姿」で山頂を支える「台座」も見ることが出来ただろう。だが、昨日はまったく見えなかった。
今週はずっと暖かくて、しかも「青空」を望めるいい天気が木曜日まで続いた。これだと桜の「休眠打破」も早まるだろうと、少し「ワクワク気分」であったが、どこかでこの「暖かくていい天気」を恨めしく思う気分があった。
それは「いつまでもこの好天が続くわけはない」という疑心に取り憑かれていたからである。
木曜日になった。「三寒四温だ。今日で4日間もいいお天気が続いた」という事実は、ますます私の心を暗くしていた。
それは「明日から悪天、荒天が始まる」ということだ。
案の定、そのとおりになった。金曜日は暖かかったが小雨が降った。気象庁の発表の天気図を見る。日本海に発生した低気圧は東に移動せず、北進している。明日(15日)は確実に青森県を通過する。
15日、昨日である。いつもの相棒、Tさんと弥生尾根を登った。ほぼ1ヶ月ぶりの山行である。今週早々から天気を気にしていたのは、この所為なのだ。Tさんは勤め人である。土、日しか休みがない。いいお天気の日に精一杯働いて、休日は雨である。皮肉なものだ。
前日、前の晩、朝方と小雨が続いていた。朝6時に拙宅を出発する。3月中旬は、登山から見ると気象的には「冬」である。登山界ではこの時季、雨降りの日に登山することは「常軌を逸した行動」とされる。
弥生口は曇り、雨は降っていない。積雪は昨日からの雨で表面は柔らかいが、雪層が締まっていてスキー登高が快適である。
大長峰を過ぎた辺りから「雲」に巻かれたが、それは細かい雨を伴った雲であった。風は南から吹きつける。雨具は濡れてびしょびしょ。下半身が「蒸れ」ないようにと雨具の下を付けていなかったので、風を受ける左の脚が濡れ始めた。
森林限界にスキーをデポし、「ワカン」に履きかえて山頂を目指す。視界がよくて10m。悪くなると足許しか見えない。雨が雪に変わった。標高が高くなるのに従い、気温が下がってきているのだ。このままだと濡れた雨具も凍ってしまう。
森林限界の定点で山頂方向の「南西」を磁石に設定して、それに従い登高を続ける。Tさんにとっては「磁石によるルートファインデング」の初体験だ。
見えないが、ようやく、尾根を登り切って平坦地に出た。晴れていれば頭上に「耳成岩」が聳えているのだ。
風と雪がますます強くなった。雪面も「硬さ」を増していた。行けないことはないが山頂は諦めよう。山頂からの戻りが危険すぎる。11時過ぎに下山を始めた。
1月、百沢尾根を登り、大沢の中高部から耳成岩に向かい、弥生尾根を降りた時の写真である。1月だというのに春「3月下旬」のような積雪の堅さであった。写真の左下に見えるものは「ワカン」の踏み跡である。殆ど埋まっていない。「ワカン」の爪が面白いように効いた。
■■ 原子力発電所と地球温暖化(その4) ■■
(本日の稿を書くにあたって、「陸奥新報」「朝日新聞」各電子版を参照しました。)
ところで、11日に青森県議会で反対多数で否決された「条例案」とはどのような内容で、どのような主旨なのか。反対多数で否決されるような代物なのであろうか。
今日の稿では、この『使用済み核燃料の再処理で出る放射能が強い「高レベル放射性廃棄物」の「最終処分場受け入れ拒否」を宣言する条例案』の概略・要旨をまず掲載する。
■『今、数万年の安全性の確保が必要とされる高レベル放射性廃棄物の最終処分地に関し、国における最終処分地の選定及び必要とする安全規則等の整備は遅れ、かつ、六ケ所再処理工場で高レベル放射性廃棄物の製造が始まり、海外からの返還高レベル放射性廃棄物と同様、本県での貯蔵も始まり、「本県がなし崩し的に最終処分地になるのでは」との県民の不安が高まりつつある。
したがって、本県で高レベル放射性廃棄物の貯蔵、製造が行われた時代の県政の責任として、県民の不安を解消し、あわせて後世にわたり、不安や負担、苦悩を残さず、「誇れる青森県」を創(つく)るためには今、最終処分地としないとの県民の総意を形として表すため、この条例を制定する。
私たちの「ふるさと青森県」は豊かで美しい自然に恵まれ、「北のまほろば」と言われ、縄文の時代から先人のたくましい努力により、自然と調和した「青い森」の文化と歴史を創りあげてきた。
私たちは、先人から受け継いだ「ふるさと青森県」を美しく豊かな青森県として次世代に引き継ぐ責務を果たさなければならない。
私たちは、これまで青森県を、高レベル放射性廃棄物(「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(平成12年法律第117号。以下「法」という。)第2条第1項に規定する「特定放射性廃棄物」をいう。)の最終処分地(法第2条第7項に規定する「最終処分施設建設地」をいう。)にしないことを、県内外に明らかにしてきた。
私たちは、県民の不安を解消し、後世への責務を果たすためにも、青森県を高レベル放射性廃棄物最終処分地としないことを宣言する。』■
私は一読して、総じてすばらしいと判断出来た。2回、3回と読んでみたが、やはり、すばらしいという評価は変わることはなかった。その理由は次の各項である。…
1として、「県民の総意という事実に基づいて論じられている」
2として、「ふるさとの美しい自然、その自然と調和した文化と歴史を先人は努力で創り上げてきた」
3として、「その先人たちが創り上げてきたふるさとを次世代に引き継ぐことが私たちの責務である」
4として、「ふるさとを高レベル放射性廃棄物で汚染さてはならない」
特に2~4には「自然保護」に関わる高邁な思想を感ずるのは私だけだろうか。
以上の理由からも分かるように「否決」されねばならないことは一つもないのである。この「条例案」に書かれてあることに「反意」を唱える県民はいるのだろうか。
いたとしてもそれは極めて少数、極めて特定の人たちであろう。「極めて特定の人たち」とは、県議会でこの条例案を否決した自民党(27人)、民主党系会派(8人)、公明党、その他など5人以外の議員たちである。
県議会は「県民の付託に答えるという本務」を捨て去っているのだ。自治体住民と「議会」の乖離である。 (明日に続く。)
今週はずっと暖かくて、しかも「青空」を望めるいい天気が木曜日まで続いた。これだと桜の「休眠打破」も早まるだろうと、少し「ワクワク気分」であったが、どこかでこの「暖かくていい天気」を恨めしく思う気分があった。
それは「いつまでもこの好天が続くわけはない」という疑心に取り憑かれていたからである。
木曜日になった。「三寒四温だ。今日で4日間もいいお天気が続いた」という事実は、ますます私の心を暗くしていた。
それは「明日から悪天、荒天が始まる」ということだ。
案の定、そのとおりになった。金曜日は暖かかったが小雨が降った。気象庁の発表の天気図を見る。日本海に発生した低気圧は東に移動せず、北進している。明日(15日)は確実に青森県を通過する。
15日、昨日である。いつもの相棒、Tさんと弥生尾根を登った。ほぼ1ヶ月ぶりの山行である。今週早々から天気を気にしていたのは、この所為なのだ。Tさんは勤め人である。土、日しか休みがない。いいお天気の日に精一杯働いて、休日は雨である。皮肉なものだ。
前日、前の晩、朝方と小雨が続いていた。朝6時に拙宅を出発する。3月中旬は、登山から見ると気象的には「冬」である。登山界ではこの時季、雨降りの日に登山することは「常軌を逸した行動」とされる。
弥生口は曇り、雨は降っていない。積雪は昨日からの雨で表面は柔らかいが、雪層が締まっていてスキー登高が快適である。
大長峰を過ぎた辺りから「雲」に巻かれたが、それは細かい雨を伴った雲であった。風は南から吹きつける。雨具は濡れてびしょびしょ。下半身が「蒸れ」ないようにと雨具の下を付けていなかったので、風を受ける左の脚が濡れ始めた。
森林限界にスキーをデポし、「ワカン」に履きかえて山頂を目指す。視界がよくて10m。悪くなると足許しか見えない。雨が雪に変わった。標高が高くなるのに従い、気温が下がってきているのだ。このままだと濡れた雨具も凍ってしまう。
森林限界の定点で山頂方向の「南西」を磁石に設定して、それに従い登高を続ける。Tさんにとっては「磁石によるルートファインデング」の初体験だ。
見えないが、ようやく、尾根を登り切って平坦地に出た。晴れていれば頭上に「耳成岩」が聳えているのだ。
風と雪がますます強くなった。雪面も「硬さ」を増していた。行けないことはないが山頂は諦めよう。山頂からの戻りが危険すぎる。11時過ぎに下山を始めた。
1月、百沢尾根を登り、大沢の中高部から耳成岩に向かい、弥生尾根を降りた時の写真である。1月だというのに春「3月下旬」のような積雪の堅さであった。写真の左下に見えるものは「ワカン」の踏み跡である。殆ど埋まっていない。「ワカン」の爪が面白いように効いた。
■■ 原子力発電所と地球温暖化(その4) ■■
(本日の稿を書くにあたって、「陸奥新報」「朝日新聞」各電子版を参照しました。)
ところで、11日に青森県議会で反対多数で否決された「条例案」とはどのような内容で、どのような主旨なのか。反対多数で否決されるような代物なのであろうか。
今日の稿では、この『使用済み核燃料の再処理で出る放射能が強い「高レベル放射性廃棄物」の「最終処分場受け入れ拒否」を宣言する条例案』の概略・要旨をまず掲載する。
■『今、数万年の安全性の確保が必要とされる高レベル放射性廃棄物の最終処分地に関し、国における最終処分地の選定及び必要とする安全規則等の整備は遅れ、かつ、六ケ所再処理工場で高レベル放射性廃棄物の製造が始まり、海外からの返還高レベル放射性廃棄物と同様、本県での貯蔵も始まり、「本県がなし崩し的に最終処分地になるのでは」との県民の不安が高まりつつある。
したがって、本県で高レベル放射性廃棄物の貯蔵、製造が行われた時代の県政の責任として、県民の不安を解消し、あわせて後世にわたり、不安や負担、苦悩を残さず、「誇れる青森県」を創(つく)るためには今、最終処分地としないとの県民の総意を形として表すため、この条例を制定する。
私たちの「ふるさと青森県」は豊かで美しい自然に恵まれ、「北のまほろば」と言われ、縄文の時代から先人のたくましい努力により、自然と調和した「青い森」の文化と歴史を創りあげてきた。
私たちは、先人から受け継いだ「ふるさと青森県」を美しく豊かな青森県として次世代に引き継ぐ責務を果たさなければならない。
私たちは、これまで青森県を、高レベル放射性廃棄物(「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(平成12年法律第117号。以下「法」という。)第2条第1項に規定する「特定放射性廃棄物」をいう。)の最終処分地(法第2条第7項に規定する「最終処分施設建設地」をいう。)にしないことを、県内外に明らかにしてきた。
私たちは、県民の不安を解消し、後世への責務を果たすためにも、青森県を高レベル放射性廃棄物最終処分地としないことを宣言する。』■
私は一読して、総じてすばらしいと判断出来た。2回、3回と読んでみたが、やはり、すばらしいという評価は変わることはなかった。その理由は次の各項である。…
1として、「県民の総意という事実に基づいて論じられている」
2として、「ふるさとの美しい自然、その自然と調和した文化と歴史を先人は努力で創り上げてきた」
3として、「その先人たちが創り上げてきたふるさとを次世代に引き継ぐことが私たちの責務である」
4として、「ふるさとを高レベル放射性廃棄物で汚染さてはならない」
特に2~4には「自然保護」に関わる高邁な思想を感ずるのは私だけだろうか。
以上の理由からも分かるように「否決」されねばならないことは一つもないのである。この「条例案」に書かれてあることに「反意」を唱える県民はいるのだろうか。
いたとしてもそれは極めて少数、極めて特定の人たちであろう。「極めて特定の人たち」とは、県議会でこの条例案を否決した自民党(27人)、民主党系会派(8人)、公明党、その他など5人以外の議員たちである。
県議会は「県民の付託に答えるという本務」を捨て去っているのだ。自治体住民と「議会」の乖離である。 (明日に続く。)