当時一人暮らしだった義母(きょん母)が、パーキンソン病と診断されたのは4年近く前。
同居するための家を探し始めたのも、きょん母の発病がきっかけだった。
在宅介護前提で設計してもらった今の家。
もちろんバリアフリー。
車いすを想定しているから、トイレもお風呂も広め。
生活動線に配慮し、きょん母部屋は玄関とトイレ、お風呂の近くにした。
カーテンは母の好きなピンク色。南向きで爽やかな風の入る、明るい部屋だ。
事情を知る住林さんがサービスで床暖房を付けて下さった。
(ちなみに我が家の床暖房は、リビングダイニングとキッチン。そしてこのきょん母部屋のみ。)
元気なうちに何とか入居させたい、ということで
住林さんも工期を予定よりずいぶん早めて下さった。
ところが。
昨年夏、薬の副作用で突然体調を崩し、緊急入院。
約1か月の入院加療で、驚くほど急に症状が進んでしまった。
そして、認知障害も。
病状が安定してから長期療養型の今の病院に転院したが
未だに退院の目途は立っていない。
そして、昨年12月半ばのカンファレンス。
「お母様の病状や介護状態から判断すると、大変残念ですが、在宅介護はまず難しいでしょう。」
主治医のK先生から、気の毒そうな表情でそう告げられた。
現在のきょん母は、介助が必要ではあるけれど体調は良いようで
表情も明るく穏やかだ。
病院の看護師さん、介護士さんともすっかり打ち解け
歩行困難ながらリハビリも少しずつ頑張っていて
精神的にはすっかり落ち着いている様子。
「あー、来たとー。」
顔を見せると、満面の笑みで迎えてくれる。
ホッとしたー、という表情で。
きょん母のこの顔が見たくて、片道約40分、車を走らせる。
西九州道に都市高速。
お蔭で、あれほど苦手だった高速道もずいぶん緊張せずに走れるようになった。
病室では、きょん母のペースに合わせて過ごす。
車椅子の母の横に並んで小さなTV画面を見、(きょん母だけイヤホンだから私には音声は聴こえない)
時折話したり、笑ったり。
まるで自宅にいるかのような、穏やかな空気を感じながら。
しばらく同じ時を過ごしていると
きょん母が時折、空間や時間をふんわりと漂っているのに気付く。
漠然とした表現で申し訳ないけれど
たゆとう、という表現がしっくりくるような。
“今ここ”の現実縛りから解き放たれ、自由に行き来する。
現在と過去のどこか。
空間も、その時々で変化する。
自宅だったり、見知らぬ会社だったり、病院だったり。
だから私も、それに合わせる。
現実に照らし合わせて母の言動を否定したり、正したりする必要などない。
身体に危険が及ぶ可能性がないのなら
傍にいる人間は、ただ見守り、寄り添い、心を受け取りさえすればいい。
何を欲しているのか、何が苦痛で、何が快適なのかを把握出来ればいい。
私は、そう思っている。
たゆといながらも、きょん母は母親だ。
「ご飯はもう食べたとね?」
「お腹は空いてないね?」
「お茶でも淹れようか?」
何度も繰り返す同じセリフは、子どもを気遣う母心だ。
「家を建てたよ。引っ越しも終わったよ。」と報告をした時
「そうね。・・・大変やったろう? お疲れ様やったね。」と、微笑みながら一言。
心にじんわり優しく響いて、思わず
「うん、そうなのー、すごいキツかったよぉー、聞いて聞いてあのね・・・!」と、幼い子どもみたいに甘えたくなった。
そして、少し泣けた。
明るく暖かい冬の陽差しが
白いレースのカーテンを通り抜け、優しくふんわりと降り注ぐきょん母の部屋。
たとえ一緒に住めなくても、数時間でも、新しい家に帰ってきて欲しい。部屋を見てほしい。
その時母は、一体どんな表情を見せてくれるのだろう。
その顔が見たくて。
少しずつ母の持ち物を運び入れ、部屋を整えながら
きょんのダンナと二人で、今もその日を待っている。