あるひのあひる

sometimes"♯",sometimes"♭" ,and always"NATURAL”
猫とハーブと酒と音楽

獣なれば、獣の法

2013-12-07 21:05:59 | 本と雑誌

人と出会う仕事をさせて頂くようになってから
意識的に大切にしているのが、リセットの時間。

仕事に係る一切の事を忘れ、素の自分に還る作業。

音楽を聴いたり、映画を見たり
セルフヒーリングをしたり・・・。

中でもやはり、本の存在は
なくてはならない、重要なもの。

読んでいて心が安らぐ
穏やかで優しい時間が過ごせるものを
繰り返し読み返す。

あっという間に増えてしまうから
できるだけkindleの電子書籍を利用しているけれど
やっぱり、しみじみと読むには、紙が良い。

そんなわけで
一昨日購入したのが、この本。

陰陽師 醍醐ノ巻 (文春文庫) 陰陽師 醍醐ノ巻 (文春文庫)
価格:¥ 536(税込)
発売日:2013-11-08

陰陽師というと、物の怪や鬼などを
その力で退治してしまう、というイメージがあるかもしれないけれど
この夢枕獏さんの安倍晴明は、すこし違っている。

異形のものに対する、思い遣りや憐み。
一方的な価値観で敵とみなし単純に排除してしまうのではなく
そこには、あるものをあるがままに受け容れようとする
冷静かつ沈着な眼差しがある。

読んでいると、全ての作品に共通する
深い優しみや哀しみ、慈しみがじんわりと伝わってくるのだ。


特にこの「醍醐ノ巻」には
その余韻を強く感じさせるエピソードが多い気がする。


今の日本にこそ
こういう雰囲気が必要なのではないか・・・と。

とても偏った力で、ただ一面しか見ずに
強引に押し通す風潮が、なんと強まっていることか。


巻末の「不言中納言」の、このセリフ。
『・・・獣なれば、獣の法がござりましょう。それに対して人の法をもって獣に対するということが、私は好きではないのです・・・』
これは、安倍晴明ではなく、他の登場人物の言葉なのだけれど。

そして、印象的なのが、この物語が珍しく
非常にやりきれない切ないシーンで結末を迎えること。
妖物へと変貌し、退治されてしまった鼠の、最期の言葉。
『よいよい。人などを信じた我らが阿呆であったのじゃ・・・』


海や大地、大気までも汚染させ
地球上の他の生命の存続までをも脅かしている私達、人間。

科学の力でなんでもできるという、愚かな思い上がり。

ニュースをつけると嫌でも目の当たりにする
醜い嘘、諍い、蔑み、罵り合い・・・。


獣なれば、獣の法。

まさに、今こそ
この考えが必要な時代なのでは・・・?


柄にもなく真剣な、こよいのあひるです。

コメント
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