たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第四章OLという存在-⑨ジェンダーの落とし穴

2024年05月27日 13時10分57秒 | 卒業論文

 

前述したように、企業社会のジェンダーはなお健在である。ジェンダーという役割を逆手にとったかに見える対応も結局ジェンダー関係と現在の女性雇用管理システムの枠内にある。多数派ノンエリート女性たちが、仕事に総じて「後向き」であることは、経営者の期待通り、従来の「女の仕事・女の役割」にうずくまっていることである。多くの女性が一般職を選択し、「被差別者の自由」を享受することは、職場生活の全側面にみられる「結果の差別」、すなわち「正当な格差」とみなされもする巨大な性差別をもたらしているのである。[i] 小笠原祐子の記述に沿ってもう少し概観したい。仕事に「後向き」な一般職のOLたちは、性差別を逆手に取ってさまざまな抵抗行為をとる。小笠原の聞き取り調査から抜粋すると具体的には、例えば次のような行為である。例えば好きな男性に頼まれた仕事に対しては、「このようにしておけば担当の男性は喜ぶだろうな」というような、経験に基づいたプラスアルファのフォローを積極的にするが、嫌いな男性には頼まれた仕事しかしないという受身態勢をとる。わざわざ男性の足を引っ張るようなことはしないが、気がついていてもフォローしないというケースはある。相手の男性によって女性の対応が異なるのは、「そりゃ人間なのだから」当然のことである。頼みごとを断るケースもある。決められた時間外に決められた業務以外のことを行うのは、OLにとって頼み事をしてきた男性に対する好意に基づいたサービスなのである。またOLは、仕事の重要性や緊急度にかかわりなく優先順位を勝手につけたり、時には、「すみません。今、忙しいので」とか「ちょっと後で」とか言って仕事そのものをボイコットすることもある。OLがノーと言っても罰則があるわけではなく、人事考課の幅も狭い。さらにほとんどのOLが昇進を考えていないので、こわいものがないという発想になるのである。これまで繰り返し記してきたように性別役割分業が明確な日本の職場においては、男性はジョブローテーションが頻繁にある。特定の職場の細かい決まりごとや了解事項に関することはOLから次世代のOLに受け継がれていき男性は不慣れたことが多い。こうした細々とした事務作業を女性に大きく依存している日本型企業社会では、個々の男性がどのようなサポートを女性から受けることができるかは、最終的には女性がどの程度その男性を助けたいと思っているかにかかっているのである。女性に頼らないで自立している男性もいるが、「仮に自分で一から十まで自分でできる人でも、体は一つだから」女性に手伝ってもらわなければならない部分が必ずある。「女性が手となり足となって動いてくれないと困る」ことがどうしてもあるのだ。男性にとっては女性と良好な人間関係を築いておくことは、仕事を円滑に進める上で重要なことだと考えられる。男性管理職が部下の女性社員に嫌われると組織人として人を管理する能力に欠ける人間と見なされかねないのである。さらに記せば、事務に関する知識と経験に基づいて男性に対して一定の力を得る傾向は、勤続年数が短く経験の浅いOLよりも勤続年数が長く経験豊富なOLの方が強い。一般的には地位の高い者と低い者とが相対した場合、後者が前者に気を遣い、その機嫌を損なわないよう、また良い印象を与えるよう様々な注意を払うというのが常識である。しかし、上記に記したような男女の関係は、常識的な考えとは裏腹に女性が職階の高い男性を気遣うケースよりも、職階の高い男性が女性の気持ちを気遣うケースが多かった。単純事務作業に従事し、仕事の幅を大きく制限されていることがOLの立場を、公的権限を独占している筈の男性に対して強いものにした。OLは男性に比べ、組織の中で守るべき権益がそもそも少ないため、失うものはわずかしかない。そのため、上司の厳しい視線や左遷のほのめかしなど、男性社員には有効な統制手段が女性社員に通用しないのだ。圧倒的多数の男性は会社を辞めたいと思っても簡単に辞めるわけにはいかない。しかし、多くの女性は「とりあえずOLしているのであり、いざとなれば辞めればいいやと思っている」ので、ぎりぎりのところに立たされた場合には女性のほうが極端な行動をとることができてしまうのである。小笠原が引用して述べているところによれば、人類学者のタキエ・リブラは、日本の一般的な夫婦の間に見られる力と従属関係についての考察の中で、夫が身の回りの世話を妻に依存する様は、まさしく家父長制の産物であるとしても、同時にそのような夫の妻に対する完璧なまでの依存は、妻に何がしかの力を行使する余地を与えている。妻の献身が夫にとって必要不可欠なものとなればなるほど、妻は夫に対し一定の力を行使しうることになるからである。[ii] これまで小笠原の記述に沿って記してきた男性の女性に対する依存度が高い日本の職場における男女の力関係は、タキエ・リブラが述べたこのような家庭における妻と夫の力関係に似ている。

しかし、男性と対等に扱われない立場を逆手にとって自身に有利な条件を引き出そうとするOLたちの戦略は、伝統的な性別役割を正当化し、「ジェンダーの再生産」に寄与していることになる。OLたちが「被差別者の自由」を享受して、「女性にとって職場は主要な活動の場ではないというジェンダーを駆使する」[iii]ことは、OLたちにとって合理的な適応の形であった。しかし、OLが男性社員との相違を強調することは、同時に、女性はすぐ感情に流されるとか、女性は冷静な判断ができないとか、女性は仕事への取り組みが甘いなどのステレオタイプ的な女性観を強調することにもなるのである。これらは女性を男性と同等に扱わない理由としてしばしば言われることである。OLが少しでも自身の立場が有利になるよう行動すればするほど、性差別を正当化する根拠を自ら呼び込んでしまう。ジェンダーを武器に優位を形成しようとすればするほど、ジェンダーの深みに自らはまってしまうのである。しかし、OLが職場で感情をあらわにすることと、女性が生来感情的であることとは異なることを小笠原の記述に沿って再度強調したい。職場での物事の把握の仕方が男女で異なるのは、生まれつきそうなのではなく、日本型企業社会において性によって求められる役割が異なるからなのだ。男性の仕事への真剣な態度、冷静な判断力、強固な自制心などは女性に生まれつき欠損しているのではなく、職場の男性と女性はそれぞれの生活の基盤となる文化的、社会的な制約が異なるがゆえに異なる態度をとるのだ。「女の子覚え」と言う言葉を先に紹介しているが、ここでもう一度検討してみよう。多くのOLはある仕事をなぜ特定の方法で処理しなければならないのか、を学ぶ機会も与えられていなければ、積極的な動機も与えられていない。機械的に暗記するよりほか、選択肢がないのである。したがって、機械的暗記をより的確に表現するには「女の子」という性ではなく、「OL」もしくは一般職という職種に言及すべきであろう。しかし、現実には「女の子覚え」という言葉は、機械的暗記を女性という性に起因することとしている。このことによって、女性が男性のような論理的思考ではなく、機械的暗記を好むのであれば、女性には事務職がふさわしいというような思い込みがまかりとおり、職場の中の性別役割が正当化されることになる。第一章で記したが、性を職務分離の基準とすることが最も安定的であり、自然で受け入れやすい。「女の子覚え」というような言葉は、私たちがジェンダーによっていかに特定の社会関係を当たり前のこととして受け入れているかを端的に示している。性差別的企業慣行は、男性と女性に異なる働き方を要求するが、そのような男女の働き方の相違はジェンダーによって納得され、正当化されているのである。[iv]

 

さらに、非正社員の増加は、ジェンダー差別再生産に最も中心的な方途となりつつある。先に一般職の女性が非正社員へと誘われることは、「被差別者の自由」に生きる多数派ノンエリート女性に単純労働を担ってほしいという日本的経営システムの求めに応じていることになることを記したが、ここで熊沢の記述から、日本的経営システムが非正社員に、一般職に替わる単純事務労働者としてのニーズを求めていることを示したい。熊沢が述べているところによれば、非正社員は専門職型と一般職型の二つに類型され、一般職型が多数を占める。産労総合研究所95年秋の調べでは、約割の企業が「パートを含めた契約社員を採用しているが、うち半数の企業が専門知識をもち、勤務時間、賃金などを個別に契約するスペシャリストを採用している」。もっとも一社平均の契約社員数は40.6人、うち「専門職型」はわずか7.5人で、職種は車のデザイナー、ソフトウエア設計、市場調査、秘書、看護婦など。残りのノンスペシャリストの仕事は営業事務、配達、商品管理などであった(『朝日新聞』1995年9月6日)。 近年、事務や営業の部門では、全体としての正社員に要請される能力水準の高まりが、男性の総合職を以前よりも早期から高度な仕事に集中させ、そうでなくても勤続年数が長期化しつつある一般職の女性を、以前ならば男性が勤続の初期に遂行していたわりあいむつかしい仕事にも進出させると言う傾向も見受けられる。その結果、人手不足になった伝統的な「女の仕事」としての単純・補助作業のために、「一般労働型」の「パートや派遣」が活用されるわけである。例えば商社では、96年秋の聞き取り調査で、近年、男性営業マンは若年層も「大きな商売に夢中になって」その他のことに煩わされることをいやがるようになったという。そこで彼らの「アシスタント」を勤めるヴェテランOLがビジネス関係の予備調査や高度な書類づくりなど、「以前ならば男のものだった仕事」にも手を染め始めている。大手商社は相次いで女性一般職の新規採用を廃止する一方でやはり必要とされる「単純事務作業」のために人材派遣の活用をはかるという人事方針を打ち出したのである(『日本経済新聞』1996年1月1日及び7月26日、『朝日新聞』1996年4月19日)。[v]

女性が職場において、性別職務分離への疑いを口にすれば、上司や同僚の男性から反感を招くのみならず、同僚のOLたちからも非難されないまでも、性差別に対して女性同士が団結して抵抗できる職場環境ではない中では「特殊な人」として孤立してしまうであろうことは想像に難くない。反ジェンダーの立場に身をおいて気苦労で心を暗くするくらいなら、頑固な職場の「おじさん」たちに逆らわずに割切って「女の役割」を引受けてしまうほうが精神衛生上もよいーそう思い定める女性は、今日どれほど多いだろう。そして女性がそのように「やさしく」身を引くと男たちも「親切」になり、人間関係の緊張は一挙に解ける。ここに職場でも家庭でも「性別役割分業の上に立つそれなりの共生」が生まれるだろう。その「共生」が続くなかで、多くの女性は、ジェンダーの論理と現実に対する「妥協」、あるいは欲求を調節した上での「納得」に至るのである。このようなルートでジェンダーかされた慣行がつくる「共生」こそは、男たちが望む「大団円」なのだ。一挙に具体的な労務の世界に飛んで、今なおモデルとされる「共生」の単純な形を示せばこうなるだろう。すなわち、日本の企業社会は二つの典型的な労働者像を析出する。一方の極には、家事・育児をまぬかれ、「高度な」仕事に向かってキャリアを競争的に展開してゆく高収入の男性社員、そして他方の極には、家事・育児の一切を引き受けながら、職場では不安定な雇用保障のもとで「下位ステイタス」の労役を経過的に担う低収入の女性非正社員。この両者が相互に理解しあい、依存しあうことが、日本企業の効率的な稼動の条件であった。

******************

引用文献

[i] 熊沢誠『企業社会と女性労働』日本労働社会学界年報第6号、15-16頁、1995年。

[ii] 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』116-179頁、中公新書、1998年。

[iii] 江原由美子「職場とジェンダー」『ジェンダーの社会学』82頁、放送大学教育振興会、1999年。

[iv] 小笠原、前掲書、179-180頁。

[v] 熊沢誠『能力主義と企業社会』121頁、124頁、岩波新書、1997年。


ポンコツすぎる大臣たち

2024年05月27日 09時49分43秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年5月23日収録 参議院 内閣委員会

【傀儡】加藤‼後ろのやつに聞くなよ‼自分の言葉で喋れよ‼【杉尾秀哉】【国会中継】 (youtube.com)

 

2024年5月20日収録 決算行政監視委員会

(25) 【国民は財布じゃねぇ】ストレートにものを言われタジタジな政府!「最低でも消費税減税だ!」【国会中継】【くしぶち万里】 - YouTube


1~3月出生数、6.4%減 少子化に歯止めかからず、厚労省

2024年05月27日 02時08分18秒 | 気になるニュースあれこれ

いまだに死者激増!&コロナ禍以降、自宅での脳卒中・心血管死が急増と日本内科学会が発表!

 

人口動態統計速報(令和6年3月分)|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 

2024年5月24日共同通信、

1~3月出生数、6.4%減 少子化に歯止めかからず、厚労省(共同通信) - Yahoo!ニュース

 

「厚生労働省が24日公表した人口動態統計(速報値、外国人を含む)によると、2024年1~3月に生まれた赤ちゃんの数(出生数)は、前年同期比6.4%減の17万804人だった。少子化の加速に歯止めがかかっていない。

 婚姻数は1.3%増の13万6653組。死亡数は0.5%増の44万1370人で、出生数との差にあたる人口の自然減は27万566人だった。」


Anne of Green Gables-第33章The Hotel Concert

2024年05月26日 17時23分17秒 | 『赤毛のアン』

春のプリンス・エドワード島への旅_5日目

 

"We are ruch," said Anne staunchly.

"Why,we have sixteen years to our credit,and we,re happy as queens, and we,ve

all got imaginations,more or less.Look at that sea,girls-all silver ans shallow and

vision of things not seen.We couldn,t enjoy its loveliness any more if we had

millions of dollars and ropes of diamonds.

Would you want to be that white-lace girl and wear a sour look all your life,

as if you,d been born turning up your nose at the world?

「私たちだってお金持ちよ」アンは、はっきりと言った。「この16年間を立派に生きてきて、女王様みたいに幸福だわ。それにみんな多かれ少なかれ、想像力を持ち合わせているもの。ねえ、あの海を見て。一面が銀色に輝く光と影と、そして目には見えない幻に満ちているわ。たとえ何百万ドル持っていても、ダイヤモンドの首飾りを何本も持っていても、あの海の美しさをもっと愉しめるということはないのよ。それに今夜いた女の人たちの誰かになれるとしても、誰にもなりたくないでしょう。苦虫をかみつぶしたような顔をして、まるで生まれた時から世の中を軽蔑しているみたいよ。」」

(松本侑子訳『赤毛のアン』より-第33章ホテルの演芸会)

 

”Well,I don,t want to be anyone but myself,even if I go uncomforted by

diamnds all my life," declared Anne.

"I,m quite content to be Anne og Green Gables,with my string of peal beads.

I know Matthew gave me as much love with them as ever went with Madame

the Pink Lady,s jewels,"

「「そうね。でも私は、自分以外の誰にもなりたくないわ。たとえダイヤモンドには一生慰められることはなくても」

アンはきっぱりと言った。

「私は、この真珠の首飾りをしたグリーン・ゲイブルズのアンで心から満足しているわ。だって、この首飾りをマシューは愛をこめてくれたんだもの。それはピンクのマダムの宝石にまつわる愛情に決して劣らないわ」」

(松本侑子訳『赤毛のアン』より-第33章ホテルの演芸会)

 

 

 

 

 

 

 


カウンセリングスクール・入学式&グループワーク-2004年5月

2024年05月26日 14時13分23秒 | グリーフケア

2004年5月8日(土)入学式・グループワークメモ

自分の体験とどうつながっていくか。

理論とすぐにはつながらない。

自分がかみくだいて、自分の形でカウンセリングを行う。

どういう人と向きあうか、どういう状況でかかわっているかによって、スタイルは異なってくる。

日本カウンセリング学会の認定資格は臨床心理士と並ぶ資格。

自分をみがき続ける。技術と理論だけではない。

S-K法(社会教育法)

10きいても1しかわからない。


農水大臣もポンコツ

2024年05月25日 18時01分48秒 | 気になるニュースあれこれ

まともな大臣がひとりもいない岸田政権、どいつもこいつもポンコツ、ポンコツだらけ、ポンコツしかない、そりゃ日本がよくなっていくはずありません。そもそも日本をよくしていこうなど微塵もないのでしょう。

いろいろと見るにつけ、平成の間いかに日本が弱体化してきたか、とくに小泉政権の構造改革の上に安倍政権で日本が転がり落ちてきたかを知るこの頃。自己責任という言葉で政策が悪いのを個人の努力が足りないにすりかえれてきました。このままでは日本は本当にもう終わるのだろうと思います。

 

2024年5月24日参議院農林水産委員会

紙智子議員の質疑、

(15) 農水相、発言撤回し謝罪「認識の誤り」ただす 2024.5.23 - YouTube

 

Xユーザーのbuuさん: 「参議院の農林水産委員会を見て仰天 農水大臣、更迭モノでしょう、これ。 基本法の審議でしょう? 審議の前提となる、農業の現状に対する大臣の認識が、政府の認識と異なっていて、本日それを認めて答弁を撤回と、、、。」 / X

「16日参農水委 立民徳永「(様々なデータを示し説明)~この四半世紀25年で、すっかりと、農業の生産基盤は弱体化してしまったと、言っても過言ではないという風に思います。なぜ、こんな事になってしまったのか、まずは農林水産大臣に、その理由について、お考えを伺いたいと思います」

農水大臣、「基本法改正の狙いと具体策」についての原稿を長々と読み上げる

委員長「この際申し上げます。答弁は、質疑者の趣旨を呈し、簡潔かつ明瞭に行うよう願います」

徳永議員、10年20年前から確実に弱体化してきた、その大きな理由は規模拡大、法人化である、と

坂本「生産基盤が弱体化したとは思っておりません。~自民党政権としては、その生産基盤と言うのを、まぁ強化を、して参りました。さらには農業産出額、9兆円というものを、ま、維持しておりますので、私は、えー農業全体として、減少、、就業者数そのものは減少傾向にあるけども、やはり農地の集積化、こういったものを進めて、そして生産額をしっかりと確保している、ま、言う風に思っております」

徳永「~生産基盤が弱体化していないとおっしゃいましたけど、歴代の農水大臣は、生産基盤の弱体化、認めてますからね?委員会の中でちゃんと認めてますから。確かに農業総産出額は、9兆円台、減ってませんよ。だけど、現場はですね、農家戸数が減って、小規模家族経営農家が淘汰されて、人が減って、農地が減って、生産力、生産装置は、確実に弱体化してるって事は、これ、数字見て、明らかじゃないですか。それが弱体化していないって、ホントに残念な答弁だったと思います」

立民田名部「大臣、さっきね、生産基盤は弱体化してないと、これ、大臣答弁されたって事は、農水省の見解、つまり政府の見解、と言う事でよろしいですか?」

坂本「私は、先程、の委員長から、質問に的確に答えるようにと、注意を受けましたので、その注意を受けて、私が感じてることを、考えたことを言いました。あのー、弱体化、というのは、非常にやっぱり厳しい環境の中で、ニッポンの農政、あるいは農林水産省、私は、あのー総シュツ、あのー生産額も含めて、あるいは集約化、ぁ等も含めて、私はス、頑張ってる、進んでる、言う風に思います。弱体化と言うことで、一刀両断に切り捨てる事はこれまでの、やはり与野党の、努力というものをやはり、アイヤあの、農林水産省の努力と言うものを、ヤハリ無にするものであるという思いで、先程そういうオモ、そういう答弁を致しました」

田名部「あのー、大臣の、今の、思いは、分かりました。でも、今、基本法の議論して、これからね、計画を立てて、どういう政策を打って行くかって言う時に、今の現状、どうなってるかって事は、的確に私達、把握しとかなきゃいけないと思うんですね。で、色々な団体からも、生産基盤の弱体化、それは懸念も含めてですけど、ご指摘がある。大臣の答弁を受けて、急いで調べたんですけど、たとえば令和4年の食料農業農村白書、これダイジェスト版でね、特集で、食料安全保障の強化に向けてって特集組まれてるんですけど、一番その最後に、今の現状どうかって事が書かれてるんです。『~生産基盤が弱体化』なんですね。で、いや、みんなが頑張って来たんだから、弱体化と一刀両断するのは、努力を無にするよね?って、気持ちは分かりましたけれども、でもやっぱり、今、どういう現実なのかと言うことを踏まえないといけないという風に思っているので~この議論にとって大事なことは、現状どうかって、このままほっといたらどうなっちゃうか、そこから始まらなきゃいけないと思うので、ま、『弱体化していない』はちょっと言い過ぎだったかなぁ、とか、大臣どうですか?」

坂本「あのーーー、えー、チョ、トータル的に見て、弱体化はしていない、という風に思います。ソレハ一部において、えー様々な農村地域の疲弊、中山間地、こういったところの、ぉーやはり、ぃー弱体化、ありますけれども、トータルで見て、やはり農業産出額、ぅはまぁ9兆円もキープしている、しかしの令和3年4年以降の、ぉー気候変動の、ぉーぉーヤッパ影響と言うのが、想定を超えるものがありますそれから、地域紛争、地政学的リスク、これも私達では考えられなかったような状況になっております。さらには、アフリカを中心とした人口の爆発的な増加、こういう事もやはり非常にあのーー懸念をされます、そういう懸念の材料が、この1年この2年で非常に顕在化してきた、この事に対して、今のままの状況では、やはりこれを、この危機を乗り切れない、という事で、私自身としては、この食料農業基本法のぉ改訂、改正案と言うものを、ま、提出したところ、でございます」

共産紙「~『弱体化しているとは思っていない』という答弁、エッ、と思いました。ちょっとビックリしたんですね。というのは、大体ほぼ、与野党間でも、生産基盤が全体に、耕作者もそうですし、生産者、それから農地もそうですし、ずっと右肩下がりで来ている、というのは、多分、共通の認識できてると思っていたんですよ。やっぱりそれを、生産基盤そのものが弱まってるって言う事を、何回も質問してきましたけど、大体、そこの所の認識は、同じだったんじゃないのかな、と思ってたんですけど。先程の答弁で大臣が『弱体化していると思っていない』って言う風に言ったもんですからね。~過去の質問で、確か共有してたよな、と思って調べてみたんですけど、そしたらですね、2019年の時に、私、予算委員会で質問していて、こういう図式でもって(資料を掲げる)生産基盤の話をして、この時の総理大臣は安倍総理大臣だったんですけど~『生産基盤が弱体化してるって事なんですけど、総理、これ深刻に受け止めてるんですか、どうなんですか?』って言う風に聞いた時に、当時の安倍総理の答弁と言うのは、『今おっしゃった、生産基盤の弱体化って言う事でございますが、こうした状況を正面から受け止めまして、農業の活性化待ったなしと、強い危機感の元に、農政全般にわたって抜本的な改革を進めて来たんだ』と言う話しながらね、やっぱり、そういう農業に変えて行かなきゃいけないって思ってますって答弁なんですよ。だから、それから何か上向きにね、変わったのかというと、そうじゃないわけですよ。むしろ、もっと数字は下がってきているという中で、それでちょっと、、弱まってるとは思わないって言う認識を示されたって言うのは、これ、岸田政権になったらそう変えたのかなって、思ったんですけど。もしそうでないとしたらね、ちょっとやっぱり修正された方がいいんじゃないかなと思うんですが、いかがですか?」

坂本「あのー、午前中の、ぉーご質問では(徳永&田名部)ぁー農業キ、生産基盤が弱体化しているという風な、まぁあの、” 決めつけ ” の、あのー質問でございましたので、私の方からは、やはりこれだけ、農林水産省も含めて努力してるのに、弱体化の一途ではない、私自身70年間、農村社会に住んでましたけども、やはり、以前よりも、ま、飛躍的に、農業も、あるいは物言える環境も(は?)、そして選択肢も、色々広がってきております。ですからジャイ、弱体化、と言うのを、どこに、やはり、ぃー求めるのか、どこが弱体化してるのか、それは我々がこれからやらなければいけない事であると

う風に思います。人口減少、高齢化、あるいは様々な、ぁーぁー生産ン、リュ流通の面、こういったものも含めて、えーやはり考えてイク行かなければならない、と思いますけども、ヌニッポンの農業が、徐々に弱体化してる、ここまで弱体化した、言うような言葉は当たらない、と言う風に思います」
 
 
紙「今の答弁だと、なかなかちょっとね、納得できない」 まだ続くんだけど、坂本大臣、「全体的には弱体化しているというのではない」と曲げない
 
結局、理事会協議に  大臣のせいで、この日のこの質疑時間の無駄
 
そして本日委員会冒頭、坂本大臣発言 「5月の16日の本委員会におきまして、私から『生産基盤が弱体化したとは思っておりません』と申し上げた事につきまして、一言申し上げさせて頂きます。今国会でご審議頂いている、食料農業農村基本法の改正法案は、農業の生産基盤が弱体化している事などを背景に提出させて頂いており、また、過去の政府文書や、国会答弁等では、生産基盤の弱体化等の課題に直面している、等とされている事から、私の認識に誤りがありました。私の答弁については、生産基盤が弱体化していると、、、生産基盤が弱体化していると、修正させて頂きます。前回の答弁については、撤回する事とし、お詫び申し上げます。また、委員からの、弱体の根拠などを示してのご質問に対し、決めつけの質問、などと申し上げた点についても、行き過ぎた発言であったと思います。この発言について、撤回し、お詫び申し上げます」一礼、着席
 
こんなの、前代未聞でしょう 基本法の改正をお願いする立場の大臣が、 その前提の認識を誤っていたと「答弁を撤回します」って、議事録のどこからどこまでを?一体どうすんの、これってか、こんな大臣のもと、 衆議院を通って来たのよね、法案
 
共産紙「こういう大臣の発言が、生産現場や、あるいは消費者関係者に、与えている影響について、どう思われますか?」
 
坂本「えー私の前回の、答弁について、不快な思いをされている方がいらっしゃるとすれば、大変申し訳なく思います。私としても、今回の基本法改正を通じた農業生産基盤の強化は、喫緊の課題であると認識しており、現場の方々にもご理解賜れるよう、今後とも、丁寧に説明をして参りたいと考えています」紙議員による、前回の答弁のド詰め 「現在の基本法が出来てから25年の話をしてるのに、70年間農村社会に住んで、70年間の話にすり替えてるというやりとりもあった」 「私が紹介した安倍総理との議論で、安倍総理が『生産基盤の弱体化を受け止めて、農村の活性化は待ったなしの課題だから、農村全般に抜本的な改革を進めたい』、こういう発言をしていた事を紹介しました、この総理の答弁について坂本大臣は~『安倍総理の時には、弱体化を正面から受け止めて、というような事を言われた、ということですが、だからもう少し農業を自由化しなければいけない、競争にさらされなければいけない、と言う事に、続いて行くんだろう』と言われました。これ、弱体化したから、だからもっと自由化、競争にさらされなければいけないと言う意味でおっしゃってるんでしょうか?」
 
坂本「あのーそのご質問聞いた時に、私は安倍総理の答弁を読んでおりませんでしたので、まぁ安倍総理の成長戦略からすればそういう文言が後に続くのかな、と言う事で、ま、推測で、えー答弁を致しました。お詫びを致したいと思います」
 
紙「推測だったって言うね、今お話があったんですよね。TPPを合意した時の安倍総理の記者会見を見てもですね、農業に与える影響への不安はあるって言ってましたけど、弱体化したから自由化し、競争にさらしたって話はしていなかったと思うんですよ。それで従来の政府見解と、この坂本大臣の認識の違いこの認識で議論されていたってなると、衆議院で言うと23時間ですか?それからこの参議院に来て10何時間やってきてるんだけども、そういう質疑自身が何だったのかなって思ってしまうんですね。やっぱりそういう意味では、大臣のですね、資質が問われる問題だって言う風に、発言だって言う風に言っておかなければならないって思います」
いやー、ホントに」

 


2000年初演『エリザベート』プログラムより‐井上芳雄さん

2024年05月25日 16時01分36秒 | ミュージカル・舞台・映画

「小学生のときに、「将来はミュージカルをやるんだ」と決心してから、はや10年近く。今回この「エリザベート」で念願の舞台に初めて立たせて頂きます。稽古が始まってから、自分のやりたいことができる幸せをかみしめると同時に、その大変さも実感する毎日でした。多くの方々に助けて頂きながら、今の自分が出せる精一杯の力でルドルフを演じます。この素晴らしいミュージカルに出演できることを感謝して。」

「エリザベートと皇帝フランツ・ヨーゼフの間に生まれた不運な皇太子ルドルフ役で登場するニュー・スター。1979年生まれ、20歳の清廉な若者である。現在、東京芸術大学声楽科に在学中で、本舞台には応募者1000人のオーディションの中から選ばれた。そのきっかけは、昨年、芸大で特別講師を務めた、本舞台の演出家、小池修一郎のミュージカル講義を受けたこと。「小学生のころからミュージカルに出るのが夢で、地元の福岡では中学から、ダンスと歌のレッスンに通っていました。そのことを小池先生にお話したら、ぜひ、オーディションを受けてみたらと・・・。その結果が、審査員の圧倒的支持を受けて、見事合格、今回の初舞台に繋がった。

 実は、夢の実現に向けて、この冬、オランダで上演されている『エリザベート』を見に行った。死の帝王トートとデュエットするナンバー「闇が広がる」の現地キャストの歌唱力に感動したという。プレッシャーは感じるが、本舞台では、「全力で頑張ります」と、新鮮な決意を述べる。その際、ウィーンにもよって、ルドルフのことを調べてきたそうだ。「資料や話から推測すると、ルドルフはすごく頭がいい人だったとか、愛に餓えていたのは本当だったとか・・・いろいろなことが確認できました。そんなルドルフの長身とソフトで甘いマスク、期待感一杯の新人。福岡県出身。」

 


いまだに死者激増!&コロナ禍以降、自宅での脳卒中・心血管死が急増と日本内科学会が発表!

2024年05月25日 09時14分22秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年5月24日則武謙太郎さん、

(13) いまだに死者激増!&コ○ナ禍以降、自宅での脳卒中・心血管死が急増と日本内科学会が発表!【心理カウンセラー則武謙太郎】 - YouTube

 

 

Xユーザーの藤江@日本人、謎の大量死※コロナでは説明できないさん: 「本日(5/24) 厚生労働省公表 人口動態統計速報 3月の死亡数 144,451人(前年同月比10,295人増加) 日本人の謎の大量死が、今まさに現在進行中です。 コロナや高齢化では説明できません。 異常事態です、知ってください。 https://t.co/5VDN08RGkC https://t.co/ORKNg3rlIr」 / X

 

「本日(5/24) 厚生労働省公表 人口動態統計速報 3月の死亡数 144,451人(前年同月比10,295人増加) 日本人の謎の大量死が、今まさに現在進行中です。 コロナや高齢化では説明できません。 異常事態です、知ってください。」

人口動態統計速報(令和6年3月分)|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 

救急車のサイレンがなんどもきこえる異常事態。一見とても平和ですが、かなり変です。

なぜか中止して因果関係を調べるべきところを調べることなく、伝統的な食べ物を締め上げようとしています。

 

CBCニュースチャンネル、

(13) 梅干し、漬物などの生産農家の9割が廃業? 設備投資に高額な費用が… その背景は【大石が深掘り解説】 - YouTube


「東洋医学とカウンセリング」-2004年セスク「論理療法」資料より

2024年05月24日 20時21分52秒 | グリーフケア

「東洋医学とカウンセリング-聖心女子大学教授 橋口英俊

 

 東洋医学はよく「気の医学」「未病を治す医学」といわれます。その根底には心身一如(心と体は本来一つである)や天地人合一(宇宙=大自然と人間は本来一つである)という考え方があります。同時に相対的二元論が基礎概念としてあり、気血や陰陽、虚実などはその例です。これらの考え方を前提としてなりたっているのが東洋医学で、「気」とは生命のもと、生命のエネルギーを意味しています。そして気は宇宙にみちあふれており、宇宙(大自然)そのものが気であるともいえます。つまり生まれた時に授かった生命には親また親、すべての先祖、辿っていくと宇宙の歴史が刻み込まれています。今日的にいえばさしずめDNAで、これを先天の気といいます。出生後は呼吸、食物、水、衣服、自然との語らい、社会(人間関係)の中で気(いのち)は育まれ、個性となり豊かな人生や文化を創造し、また最終的には自然に戻ります(死9。これを後天の気といいます。

 この気は心と体、人と人、人と自然の中を大きな循環となって流れており、スムーズに流れている時が健康、その流れが滞った時が、気が止(病)むつまり病気ということになります。すなわちどこがなぜ滞ったかを発見し、円滑に流れるようにするのが治療で、「気の医学」といわれるゆえんです。

 また、できるだけ気の流れが滞らないように日常生活で気をつける。病気には必ず病気になる前つまりベッドに横たわる前の段階がある。この時点でいち早く危険を察知して手当をする。これは日常生活の中で誰でもどこでも比較的簡単にできしかも効果も大きい。これが「未病を治す医学」といわれるゆえんです。病気になってから、つまり既病を治すのはその性質からいっても西洋医学がすぐれていますが、未病の段階だと東洋医学が最も得意とします。気の滞りは様々な形で表れますが、心理的には感情がその主役です。いらいら、怒り、おびえ、興奮、敵意、悲しみ、抑うつ、不安などです。また身体的にはこりや痛み、冷え、ほてり、むくみ、疲れる、肌の状態、運動、食、排尿、排便などこれが心身一如で複雑に重なりあって表出されやすい。その背後には衣食住その他の物理的環境問題もさることながら、より心理的な人と人との心の交流や認知(うけとり方)などの滞りが心身の流れをさえぎり、さまざまな未病を作り出していることが多いのです。

 まず相談を受けたらともあれその訴えにじっくり耳を傾けることです。滞りは感情として意識されやすいのです。つまり感情は滞っているぞ、何とかしてくれという体の奥からの切なる願い、衝動であり、気のかたまりです。つまり安心してその気を流し出せる受け皿が受容共感ということで、すべての治療やカウンセリングの第一歩です。無条件に相手の苦しみ、辛い感情をできるだけ自分の感情の中で味わう。辛いだろうなあ、苦しいだろうな、私でよかったらどうぞ存分に流してねという気持ちです。同時に痛みやこり、冷えの部分に心をこめて手を当てる。自他合一、これが手当ての心理です。できるのは心からのうなづき、くりかえし、確認です。たまった感情や思いがある程度流れると相手からこちらのことばを待つことが多い。その段階で相手におって最善だと思う気持ちを率直に述べる。その間可能な限りの手当を施す。私の持てる技のすべてを投入する。実はこのくり返しで思いがけない発見がしばしば経験されます。あれほどの苦しみ、つらさがいつのまにか克服され逆にそれが強い自信になり創造的に前向きに生きようとする心身の力です。それを支えているのが万物に対する感謝の念、生きる喜び、生かされている自分に気づく心です。多分先天の気として万人に備わった力であり、それを魂と魂のふれあいによって、より豊かに自らの生を全うする力としての気に高める。これが東洋医学の真髄であり、カウンセリングや今話題の「心の教育」の原点ではないかと思います。

 この自主グループは、相互学習を通しての「心の教育」の気づきの場、お互いの「癒しの場」であり、魂と魂の交流によるすばらしい生命の文化の創造の場であったのではないかと思います。ますますのご発展と皆様のお幸せとご健康をお祈りしております。」

 


第四章OLという存在-⑧被差別者の自由

2024年05月24日 10時44分37秒 | 卒業論文

 OLは、朝どんなに憂鬱な気分になっても会社に出勤しなければならない。決められた時間に出勤するということも仕事の一つだと言える。会社に着いて仕事をしている間に憂鬱な気分を忘れてしまうことができる。決められたことをすればいいのだから、楽といえば楽である。事務作業上の細かなことを機械的に記憶することがOLに課せられた主要な仕事である。小笠原祐子は、OLの仕事の性質を的確に捉えた言葉としてある銀行マンへのインタビューから「女の子覚え」という言葉を紹介している。

 「女性が毎日やっていることって、細かく、正確に、早く処理すること、この仕事は当社全体のこの部分に相当していて、理屈はこうで、とか、なぜこの仕事をしなければならないのかというようなことは知らない。僕は自分のやっている仕事の意味合いがわからないといやだけど。だから僕たちのあいだでは、そういうの『女の子覚え』って言っているんですよ。○がついていたらこうとか、×だったらこうとか機械的に覚えているだけなんです。ま、女性とか男性とかいうより、会社の中で期待されていないということと関係しているんでしょうがね。でも女性はだから総合的な判断はできないという考えはあります」[1]

 繰り返しになるが、女性が総合的な判断能力を持てないのは、それが女性という性によるものではなく、女性にという性によって求められてきた役割によるものである。筆者自身、高校卒業後地方銀行に入行したとき、新人研修の内容は、電話のとり方、お札の数え方、お辞儀の仕方などであり、総合的な判断ができるような、会社全体の中での自分が行う仕事がどのような位置にあるものなのか、というような研修は受けなかった。その後も、そのようなことを知る必要があると感じる場面はなかった。全体的なことは知らされることがなくても、日常の業務遂行に支障をきたすことはなく、むしろそのようなことに目を向けると、日常の細かな作業に支障をきたすというのが実情であったように思う。

 先に記したようにOLは会社から期待されていない存在である。業績評価の対象ではなかった。だから、「よほどのことがない限り」安穏としている[2]ことができた。「女房的役割」も求められるOLたちは、組織の中で権限を持たず、責任のないポジションにある。たいていそれほど懸命に働かなくても非難されない反面、どんなに長く仕事をしていても昇給や昇進にはつながりにくかった。それ故OLは地位に無関係で、上司などの職場の男性を「おじさん」と呼ぶことができる。課長など男性サラリーマンの肩書きに対する無関心さの象徴でもある。1987年以来『週刊文春』に掲載され、後に単行本としても出版された『おじさん改造講』は、OLの昼食時の舞台裏の話をいささか誇張して伝えるものであった。当時、通常肩書きで呼ぶ上司をOLが「おじさん」と呼ぶ、という事実は新鮮なものであった。この「おじさん」という言葉は、若いOLが会社の男性を見る「まなざし」を的確に表現しているといえる。つまり、OLは同僚として男性を見ているのではなく、観察対象として見ている。「おじさん」という言葉は、OLの目から見れば、自分たちとは異なる人生を歩んでゆく生き物としての、男性社員の異質性を強調していると考えることができる。さらに、この言葉は、オフィスの職階に対するOLの無関心をも的確に捉えていると考えることができる。OLは公式には職階の最下位に位置する存在であるが、別の面では、職階を超越する存在でもある。出世競争からそもそも除外されているので、男性のように相手の職階を気にする必要がない。その意味では、田中さんが部長であろうと、課長であろうと知ったことではないのだ。ただの中年の「おじさん」に過ぎない。肩書きが非常に重要な意味を持つ日本企業の中にあって、OLは男性の肩書きを無視することが可能である。「おじさん」という言葉は、男性が身につけている権限を容赦なく剥ぎ取って、丸裸にしてしまうことができるOLとしての立場をも表現していると考えることができる。[3] さらにOLは、仕事上OLに依存しているのに女性を尊重しない男性サラリーマンに対して、時にはゴシップ、バレンタインデーのプレゼント、総スカンなど多様な関係性を駆使して仕事にも影響を与える。最も弱い立場のOLがなぜそんなことが可能なのか。職業上の責任を負えないし負わないつもりの女性であればこそ、比較的ためらわず上司に抵抗できる。男性と比べ組織の中で守るべき権益が少ないために恐れるものがわずかしかない。常に最低ランクの査定、配置転換のないOLにとって査定や左遷のような男性社員には有効な統制手段が存在しない。権限のないOLたちの抵抗は、男性を優位として女性を劣位とする職場のシステムを前提として認めているからこそ可能な、その意味でシステムに強調的なものでもある。清水ちなみは、こう言っている。たとえば、自分の上司が隣のビルにいる上役に電話で呼ばれ、あわてて交通信号を無視して駆けつける姿を見るのはおもしろい。しかし、もし、自分自身が課長で妻子を支えるため上役の機嫌を取らなければならないとすれば、同じことをするかもしれない。OLは男性と「同じ土俵に立っていない」から、男性を笑いの種にすることができるのだ、と。男性と同等に責任を負う権利と義務を放棄して、初めて男性を笑い、批判することができるのである。[4] 「上司と女の子」の性差と年齢差ははっきりとしている。だから、OLは“会社の思想を持ったエラい(つもりの)おじさん”を笑うことができた。OLが会社内で同じ責任を持って、同じ土俵で仕事をするようになれば、両者の間は縮まり、少しはお互いにコミュニケーションをとることができるようになるはずだ、[5]と清水は述べている。

 これまでにも度々記してきたが、熊沢誠はノンエリート女性労働者にごく一般的な状況適応の意識を「被差別者の自由」と表現している。第三章で概観したように、戦後の労働史を通して女性労働者は、単純労働、短年勤続、低賃金という三位一体システムの中に留め置かれてきた。OLは仕事も賃金も差別されている。そのかわりに、男性のように仕事に過剰の責任感をもち会社の要請に全身をのめり込ませることをまぬかれる、そんな一定の自由を享受しようとする考え方がそれである。前述したように、残業やノルマがある総合職はお断りで、「男性社会の鋳型に無理矢理適応しなくてすむ身の丈に合った仕事」[6]をする。性による差別を受け入れるのである。労働の内容面での充実ということを生きがいから外しさえすれば、この差別はさほど耐えがたいものではないかもしれない。差別を受け入れるかわりに、過重なノルマや残業、転勤、アフターファイブへの介入といった日本的経営システムの要請に自己をのめりこませなくてもよい自由を安んじて享受することができる。職業人としての責任を放棄するのである。「被差別者の自由」を得て、女性たちは、いつでも会社の思い通りに働ける「生活態度としての能力」の要請を、女性の生活の多面性をベースとして自己肯定的にやり過ごしている。「被差別者の自由」の主体的な選択は、普通のOLたちの、最も好む日本的経営システムへの適応の形であると言えるだろう。軽いノリのゴシップネットワーク形成「おじさん改造講座」も、その一変種とみることができるだろう。そこでは都会のOLたちが、消費文化のなかで粋に磨かれた感性をもって、会社人間たる「おじさんたち」の、大切な仕事をしていると言う自慢、上司へのこび、パソコン音痴、「女の道」の説教、セクハラもどきの言動などを痛快に揶揄し、さらには彼らの体型や服装や持ち物の冴えないことを嫌味たらしく嗤っている。だが、「おじさん」が嗤割れるのはこんなことに留まると言うことから、皮肉にも企業社会のジェンダーはなお健在であることがわかる。その上、男たちには、彼らに対して親切でやさしいOLにとりわけ熱いまなざしを注ぐことによって彼女たちからいっそうの「サービス」を引き出すとともに、「抵抗」するOLを、ある種の孤立感と自分は「女らしさ」に欠けるのではないかというコンプレックスに追込む、そんな「分割統治」の可能性も残されている。[7] OLとて社内での自分の評判に無関心ではいられない。「やっぱり女の子だから、周りの人にかわいく思われたいとかやさしく思われたいとか、いい人に思われたい」のだ。[8]「女性の特質」による性別職務分離のもう一つの正当化ルート、ソフトな対応、思いやり、ケアに適した性格などについては、それが伝統的に「愛される女」の特質とみなされてきただけに、それを「仕事に生かす」男性たちの発想はかなりの程度、女性たちにも内面化されているかにみえるのである。第一章の表1-13にあるように、1995(平成7)年の調査で女性の配置の基本的考え方として、「女性の特質・感性を生かせる職務に配置」(44.6%)した結果、単純で補助的な職務には特に女性が多くなっているが、実際、思いやりのまなざしと笑顔、ソフトな対応をもって顧客の気を惹く、有力なボスの秘書に選ばれるなどは女性自身、自らの女性的魅力を再確認することになる。仕事の内容を自己のアイデンティティとできる余地の少ない一般職OLが、憂鬱な職場生活の中でさしあたりそこにアイデンティティを求めるとしても、それは不思議ではない。

 

 ここで、一般職の「女の仕事」にうずくまるばかりではない、非正社員としての立場を自発的に選択することもあり得ることに注目したい。期待されない代わりに企業や仕事へのかかわりを生活にとって限定的にすることを許されるという意味での「被差別者の自由」を享受しようとすれば、企業のフレキシブル(柔軟な)働き方の要請の程度が低く労働時間の短い非正社員としての就業を選ぶほうが正社員の一般職になるよりも合理的かもしれない。近年OLを取り巻く職場環境は、結婚までの腰掛程度にお気楽に勤められるものではなくなった。均等法とともに導入された女性の所定外労働時間の制限緩和によってOLは以前よりも遅くまで働くことを求められるようになった。また、平成不況の長期化により繰り返される人員削減による合理化は、従来の「女の仕事」をもよりストレスに満ちたしんどいものに変えている。一方、昇進・昇給の選別性はいっそう強まり、ヴェテラン一般職女性、特に既婚女性の男性に対する相対賃金はいっそう不利になりつつある。「一般職と総合職の給料の差は大きい。総合職男性に比べると、私の給料なんてすごく安い。やればやるだけ損」[9]だと感じる。つまり精鋭であることや総合職を選ばなかったノンエリート女性たちが正社員であり続けることの、安定と言うメリットが小さくなったのだ。そうした状況の中では、女性正社員がそれならばいっそと、労働時間や仕事量の選択においてより自由で「そこそこ」の働き方ができる非正社員という立場に自ずと誘われるのも当然であろう。近年の雇用形態の多様化の要因には、日本的経営システムが求めたという面と女性の主体的な選択、という二つの面があると考えられる。日本的経営システムの労務管理は、正社員の限定の対極として非正社員の動員を主導した。これによりキャリア分断の基準を、性そのものから雇用形態に移そうとしたのだ。例えば30代半ば以降の女性たちには正社員としての雇用機会がまずないという一事だけをとっても、女性雇用者の非正社員化が半ば以上強制の産物であるといえるだろう。[10] とはいえ、雇用形態の多様化には、「被差別者の自由」の感覚に基づく女性たちの主体的な選択が無視できない役割を果たしている。しかし、第一章の雇用形態の多様化の項で概観したように、非正社員という経過的な働き方は、労働条件の保障においては正社員にも増して不安定な弱い立場にあり、決して正社員の責任からは自由で軽やかな働き方ができるとばかりはいえない。労働の内容そのものにおいては経過的な遂行だと思えばこそ耐えられるものである。結局、現在の日本型企業社会の中で需要が高まっている非正社員という就業形態に多くの女性が誘導されていくことは、辛辣な言い方をすれば日本的経営システムの期待通りなのだといえる。半ば主体的な選択に基づき、非正社員になることをも肯定して「被差別者の自由」を求め続ける人びとは、従来の「女の仕事・女の役割」にうずくまることになる。[11] 「被差別者の自由」に生きる多数派ノンエリート女性は、女性に単純労働を担ってほしいという日本的経営システムの求めに応じていることになる。

 

*****************

引用文献

[1] 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』44-45頁、中公新書、1998年。

[2] 小笠原、前掲書、20頁。

[3] 小笠原、前掲書、79-83頁。

[4] 小笠原、前掲書、83-84頁。

[5] 清水ちなみ「OLからみた会社」内橋克人・奥村宏・佐高信編『就職・就社の構造』130-131頁、岩波書店、1995年。

[6] 竹信三恵子『日本株式会社の女たち』33頁、朝日新聞社、1994年。

[7] 熊沢誠『女性労働と企業社会』152頁、岩波新書、2000年。

[8] 小笠原、前掲書、128頁。

[9] 『日経ウーマン2002年7月号』54頁、日経ホーム出版社。

[10] 熊沢誠『企業社会と女性労働』日本労働社会学界年報第6号、17-18頁、1995年。

[11] 熊沢、前掲書、19頁。